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乃愛⑤

 ランチタイムが終わると、店はアイドルタイムに入る。ティータイムとして営業継続しているものの、ドリンクとデザートのみの提供なのでそれほど混み合う訳ではない。

 店番を彼と私が引き受けて、陽君ととりーちゃん、モモちゃんは揃って三人で休憩を取る事になった。


「まったく、久坂の野郎何考えてんだか。もっとバイト呼べばいいのに」

「バイト自体少ないから入れる人がいなくて大変なんですよ。入ってもすぐ辞めちゃうし。シェフ、よくキレなくて良かったですね」

「シェフも一応バイトいないのは知ってるからさ。でも今日はちょっと酷過ぎだよね。あと少しで俺の方がキレそうだったよ」


 ひょろりと細長い体を揺らして、悟さんは肩をすくめてみせた。


「乃愛ちゃんが早めに来てくれたから助かったけどさ。やっぱりヤバそうってわかってたの?」

「まぁ、シフト見て厳しいかなぁとは思いました」

「ちゃんと久坂に言っておかなきゃ駄目だぜ。バイトの善意に助けてもらってるようじゃ駄目だって」

「ホントですよね」


 話を合わせてくすくすと笑い返しつつも、背中がむず痒く感じる。きっと他意はないのだろうけど、ほんの些細な言葉の節々に、彼との関係が気づかれているんじゃないかと警戒せずにはいられない。

 今のところ、バレるはずなんてないんだけどさ。馬鹿正直な陽君と違ってこっちは細心の注意を払っているんだから。


「すみません、まかないお願いしてもいいですか?」


 おずおずと声がしたかと思うと、りーちゃんとモモちゃんがやって来ていた。その後ろから、


「やり直し。もっと大きな声で言わないと」

「すみません、まかないお願いします!」


 陽君に注意され、言い直す二人。いつになく表情が強張っている。今日のキッチンはかなり殺気立っていたから、だいぶ怖い思いをしたことだろう。


「お疲れ様ぁ。今日大変だったね。シェフ、りーちゃんとモモちゃんのまかないお願いしまーす! 二人とも、今日すごーく頑張ったんで、とびっきりのやつを!」


 とりなすように二人の肩を揉みながら笑顔で媚びを売ると、仏頂面で黙り込んでいた高杉シェフがようやく顔を上げた。


「……まぁ今日は大変だったからな。次からまた頑張るように。健、桃太郎には超大盛りね。ワンワンも大盛りにするか?」

「はい、めっちゃお腹空きましたー。いっぱい食べたいです」


 ほころんだりーちゃんの笑顔につられて、シェフの眉も下がる。この子達の愛嬌の良さは一級品だと思う。

 仕事の手順を覚えるとか、技術や知識を身に付けるのは、時間さえ掛ければどうにでもなる。でも愛嬌や人当たりの良さみたいなものは人間性に左右されるから、教える事はできない。胸を張って自慢しても良い、天性の才能の一つなんだよ。

 ……なんて褒めてくれた彼の言葉を思い出さずにはいられない。私にとってはこれまでの人生で一、二を争うぐらい、とっても嬉しい褒め言葉だった。以来、自分の最大の長所は愛嬌の良さだと自認し、常に誰よりも明るく居続けようと心がけるぐらいには。

 りーちゃんとモモちゃんを選んだ彼の目は、やっぱり凄いと改めて再認識した。


「あ、すみません! 俺も大盛お願いしまーす!」

「陽は駄目ー! お前の今日の出来は落第! パンの端っこでも齧ってろ!」

「えぇー、俺頑張ったのに! それは酷い!」


 シェフと陽君の掛け合いに、笑いが溢れる。こういう時、率先して道化役を買って出て出られる陽君を見出したのだって、彼の鑑識眼の賜物だ。


「……まかない三つ、あがったよ」


 低い声で、健ちゃんが告げる。いつもよりも盛りの良いパスタが三皿。営業中はイライラもするし、厳しい事を言ったりもするけど、キッチンの三人だって普段は優しい人ばかりなんだ。


「先輩、私運びますんで、座って待ってて下さい」

「いや、別に。あー、だったらなんか飲み物貰って来るよ」


 陽君は一旦脱ぎ掛けたサロンを再び巻き直すとホールへ出て行き、りーちゃんとモモちゃんはにこにこしながらキッチンで渡された料理を休憩室に運んで行った。

 休憩室はキッチンの隣、ドリンクや食材、消耗品などの倉庫兼更衣室だ。元々更衣室として用意されたスペースにどんどん物が置かれるようになり、いつの間にか倉庫になったというのが実情だけど。男女共用なので女の子が着替える時には鍵が掛けられて出入り出来なくなってしまうし、鍵が開いているからと言ってうっかり開ければ、男性が半裸姿……という事件も過去にはしばしば。なので今は、誰かが着替える時以外は常時扉を開けておくようになっている。

 その為、休憩中に交わされる賑やかな会話は、全てキッチンまで筒抜けだ。

 ランチタイムですっかり荒れ果ててしまったデシャップ周りを片付けていると、陽君はたっぷりのクリーミーな泡が浮かんだグラスを三つ運んで行った。アイスのカフェラテかなんかかな? そう思う間もなく、休憩室からりーちゃん達の黄色い声が聞こえて来る。どうやらキャラメルかチョコレートのフレーバー・シロップを使った女の子向きのドリンクを作ったらしい。

 陽君がりーちゃんとモモちゃんに対しこういった気遣いを見せるのは初めてじゃない。これまでにもシェフや悟さんに内緒で健ちゃんにドルチェの切れ端を貰って分けてあげたり、休憩中の彼女達に対して生クリーム鬼盛りのウィンナーココアを作ったり。

 同級生である私の事はまるで女の子扱いしてくれないくせに、一度有希さんの前に出れば妙にはにかみ屋で。かと思えばりーちゃんやモモちゃんのような年下の女の子にはここぞとばかりに機転が利いたりする。陽君って、なかなかの多重人格者だ。

 真面目で、仕事が出来て、優しく教え上手で、女の子に対して機転が利く。これはもしかしたら……と思っていた矢先、先日予想通りの発言がりーちゃんの口から飛び出した。


「先輩って、彼女とかいるんですか?」


 そう来るのは当然というか、必然のような予感はしていたのだけど、


「彼女っていうか……」


 有希さんが思い浮かび、滑りそうになった口を慌てて噤む。りーちゃん達は週末しか来ないから、有希さんと陽君の微妙な関係なんて、知る由もないんだ。


「付き合ってる人はいないはずだよ」

「そうなんですね」


 私としては十二分に濁したつもりだったけど、無邪気に喜ぶりーちゃん。

 一緒に働いていれば、りーちゃんが陽君に惹かれて行くのは目に見えてわかった。尊敬や信頼を越えて、りーちゃんの視線は日に日に愛情へと変わりつつあった。

 そうだよね、自分にもこうして純粋に彼に憧れた時期があった。つい一年前だけど。

 陽君が有希さんに入れ込んでいるのはわかるけれど、現実的じゃない。ましてや有希さんは子持ちの既婚者だ。自分と彼のような関係になっても幸せとは言えない。だったら陽君はりーちゃんと付き合った方が良いんじゃないか。

 そこまで考えて、頭の中に妙な疼きを覚える。

 私と彼の関係が幸せとはいえない? いや、私は幸せと思っているけれど。ただ、普通の恋人同士のようにはなかなかうまく行かないだけで。

 どよりとした暗い考えが襲い掛かってきそうなのを、慌てて頭から振り払う。

 とにかく、りーちゃんは良い子だ。陽君だって良い奴だ。きっとこの二人なら上手く行くに違いない。

 私は一肌脱ごうと心に決めた。

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