平民として追放される予定が、突然知り合いの魔術師の妻にされました。奴隷扱いを覚悟していたのに、なぜか優しくされているのですが。
「ジャクリーン、ご不満かもしれませんが、僕と結婚していただきましょう。異論は認めません」
見目麗しい男はそう言うなり、貴人用の牢に軟禁されていた私の薬指に指輪をはめた。顔見知りの魔術師に結婚を申し込まれる理由がわからなくて彼の頭が心配になる。天才と何とかは紙一重って言うもんね。
「トビアス、頭をどこかにぶつけちゃった? 罪人相手とはいえ、勝手に他人に魔道具をつけるのは犯罪だってわかってるよね?」
「残念ですが、この件は陛下もご存知のこと。あなたはこの瞬間から僕の妻ですよ」
「マジか、この王の犬め!」
「褒め言葉として受け取っておきます」
そういうわけで私は、唐突に人妻になってしまった。いやまったくもって意味がわからん。
***
私はとある貴族の長女として生まれた。政略結婚だった両親の仲は冷め切っており、父は愛人の家に入り浸り。家庭環境は幼少期の時点で最悪だと思っていたけれど、残念ながら下には下が存在していた。
心身を病んだ母が亡くなると、父がすぐに再婚したのだ。もちろん周囲の予想通り、継母とともに私と同い年の異母妹を連れての再婚だった。マジで典型的な貴族のクソ親父である。もちろんその後、継母と異母妹には執拗に苛められたし、父親は私のことをいないものとして扱った。
母方の祖父母に助けを求められたら良かったのだが、残念ながらそちらも相応のクズだった。そもそも娘を無理矢理侯爵家に嫁がせたのも、父から母の実家に援助をさせるためだったらしい。夫の気をひくこともできずに病死してしまう役立たずの娘も、自分たちに金を運んでくるどころか、保護を求める孫も邪魔でしかなかったようだ。ゴミ溜めか、この世界は?
そんな私にとっての唯一の癒しが、婚約者と過ごすひととき。まっとうな感覚を持つ彼とおしゃべりをしているときだけは、私も穏やかな気持ちになれた。そして大好きな彼を見ていれば、彼が誰のことを想っているかなんて簡単に理解できる。
彼の好きなひとが、私の親友だとわかったときは狂喜乱舞した。この親友は、私を育ててくれた乳母の娘だ。下級貴族の娘で奉公する必要はないにも関わらず、私のためにこのクソみたいな屋敷で行儀見習いとして働いてくれている。
大好きなひとと大好きなひとがくっつくなら、それはただの足し算にはならない。掛け算どころか、数字が爆発するくらいの尊さが溢れ出すのだ。
とはいえ、私と彼の婚約は我が家のゴリ押しで決められた政略的なもの。婚約解消なんて無理に決まってる。そもそも虫以下の私の話など聞いてもらえるはずがない。
おまけに異母妹が、私から婚約者を取り上げようと画策し始めたから大変だ。もちろんクズの遺伝子を煮詰めたクズ・オブ・クズな異母妹なので、婚約者のことを好きになってしまったなんて言っているのはただのでまかせ。あいつは私の大切なものを踏みにじることに喜びを覚えるやべえ女なのである。
このままでは、大好きな婚約者と大好きな親友をくっつけるどころか我々の人生はお先真っ暗だ。
よし、この家を終わらせよう。私もろとも処罰されるけど、しょうがないや。大切なふたりの未来には代えられないもんね。
ここに来てようやく腹をくくった私は、もろもろの事情を顔見知りのトビアスに打ち明けたのだった。
***
トビアスは、社交界に出入りしていない私の数少ない知人である。うん、知人ね、知人。私なんかが友だちとか言ったら、気持ち悪がられて後ろから攻撃されそうだし。
トビアスに出会ったのは、貴族街にほど近い神殿だ。家族の嫌がらせで食事にありつけなかった私が、家を抜け出し貧民向けの炊き出しに参加していたところ、声をかけられたのだ。上級貴族並みに魔力が溢れているのに、ガリガリの体をした子どもは遠目から見ても異様だったらしい。
「マジかあ。魔力があっても魔術の才能がないんじゃ意味ないじゃん。この魔力って、取り出して売れないの?」
「魔力を他人に譲渡する手段はあるにはありますが、子どもには推奨できませんね」
「え、トビアス知ってんの? ケチケチしないでやり方を教えてよ」
「絶対に嫌です」
「ケチ。このイケメンむっつり!」
「むっつりとは聞き捨てなりませんね。どこでそういう言葉を覚えたんです。そもそもその言葉遣いはなんとかならないんですか?」
「だって、ここら辺の子どもたちとしかしゃべんないんだもん。そりゃ、口調も移るよ。家族は私のことなんて無視するし、使用人も私としゃべっているのが見つかると、首になるしね」
「なるほど」
「あと、不用意にお貴族さまの言葉を話していると拐われるらしいよ。トビアスは魔術が使えるし、護衛もいるから大丈夫だろうけど、私はへっぽこだし、拐われても身代金とか払ってもらえないからさあ。やっぱりこれくらい口が悪くてちょうどいいんじゃね?」
「……そうですか」
このとき出会った少年こそ、将来泣く子も黙る超有名魔術師となるトビアス。我が国の最終兵器と言われる魔術師団、通称王の犬に所属する若き天才なのだ。
そんな重大な情報を、彼が私に教えてくれた理由は未だにわからない。まあたぶん、友だちもいないし、家族関係も破綻しているからぺらぺらしゃべる相手もいなくて大丈夫だと判断されたんだろう。ひっでえ奴。まあ、事実だけどさ。
そういう訳で頼る相手のいなかった私は、ただひたすら彼に我が家の内情を暴露しまくった。だって戦場に出ていないときの王の犬の仕事は、国に悪事をなす貴族の粛清なのだ。彼ならこの情報をちゃんと使いこなしてくれると信じていた。
「ねえ、トビアス見てみて」
「お手本みたいな裏帳簿ですね。どこから持って来たんですか」
「クソ親父の部屋から。はい、これトビアスにあげるね」
「これを僕に寄越して、何をするつもりなんですか?」
「我が家を潰す。そうしないと、婚約者の未来がクズ異母妹に喰い潰されちゃうもん」
「はあ。実家がお取りつぶしになったら、あなたの人生も終了ですよ」
「そこはさあ、司法取引で私のみ平民落ちで許してもらえない?」
「平民落ちが温情だと思っているようなご令嬢は、あっさり身包み剥がされて娼館に売り飛ばされるのがオチですね」
「マジか。娼館はイヤだなあ。シモい病気で早死にしそう。だったらヒヒじじいの愛人とかになれないかなあ」
「何を馬鹿なことを」
「あのさあ、金持ちのエロじじいの知り合いとかいない? 顔にこだわりがなくて、若い女なら誰でもいいっていう節操なしだと助かるんだけど」
「いません!」
「あーあ、私がキラキラ美人とかなら一発逆転玉の輿とかもありそうなんだけど、そううまいこといかないよなあ」
まあこんな感じで結局、断罪までの間に愛人になることはできなかったのだけれど。やっぱり、ぐっとくる感じの儚げ令嬢じゃなきゃ玉の輿は無理らしい。ちくしょう、若さとガッツはあるから、実家と心中するくらいならヒヒじじいの下の世話&介護要員大歓迎だったのにな。
断罪後、家族まとめて牢にぶちこまれると思いきや、私たちは最初の段階でバラバラにされた。たぶん一緒にいても、問題しか起こさないと思われたんだろうな。まあ、みんなぎゃーすかぎゃーすか騒いでいたからね。ひとつの牢にぶちこんだら、共食いでも始めていたかもしれない。クズの蠱毒とか、マジでヤバいものが出来上がりそう。王の犬なら、それでも使役できるかな。
ちなみに父親は鉱山奴隷、継母と異母妹は最下層の娼婦にされたらしい。一発処刑じゃないところが、陛下の怖さなんだよね。どうせ、王の犬特製の自殺できない枷とかが付いているんだろうなあ。マジ、陛下も王の犬もこええええええ。
祖父母を含めて、甘い蜜を吸っていた親戚一同、それぞれふさわしい地獄に落ちていったそうな。他人事ならここでめでたし、めでたしで終わるんだけどね、まだ自分の番が残っているからね。
こりゃ、平民落ちとか夢のまた夢だったわ。なんて反省していた時にやってきたのが、トビアスだったというわけ。……えーと、つまり私はトビアス専用の奴隷ってこと?
なるほど、だから「妻」なんて制約をつけたのか。この国では、個人の奴隷所有は禁じられているもんね。妻と言う名の奴隷とか、ちょっと文学的じゃん。
どんな扱いであっても、不特定多数の荒くれ者を相手にするよりは断然いいよねってことで、私は大人しく彼に従うことにした。
さっきつけられた指輪、反抗的な態度をとったら指が千切れるとかないよね?
***
「さあ、急ぎましょう」
「トビアス、何で急いでんの?」
「早くしないと終わってしまいます」
よくわからないままトビアスに付いていくと、いきなりぐにゃりと視界が歪んだ。おええええええ、急に転移するなよな。私とトビアスは、魔力量も近いし魔力の型も良く似ているから問題ないけれど、普通なら身体が爆発四散してもおかしくないんだぞ。
うぷっ、ちょっと酔ったわ。普段はもうちょっと丁寧に運んでくれるのに、これが知人から奴隷に落ちるってことなのか。うえーん、寂しくて泣いちゃいそうだぜ。
「何をぶつぶつ言っているんですか」
「おえっぷ、吐きそう。ちょっとマジックボックス貸して」
「貸しません! さっさと薬を飲んでください」
「何これ、めっちゃスッキリする。お口爽やか〜」
「お静かに」
「ちぇっ」
その時、りんごん、りんごんと鐘がなった。どうやら連れて来られたのは教会だったらしい。まさか、トビアス。私をそんな速攻で妻にしたかったの。馬車で行くのも我慢できないほどだったなんて。そんなの、そんなの……。
「うえーん、今夜トビアスに切り刻まれるんだあああああ。こいつ魔術師じゃなくって、マッドサイエンティストだったんだあああああ」
「何を人聞きの悪いことを言っているんです。ほら、主役の登場ですよ」
「へ?」
ちょうど誓いの言葉が終わったところだったのだろう。教会の扉が開き、中から本日の主役が現れた。両親や親戚、友人知人に囲まれて幸せそうに微笑む新郎新婦の姿は、まるで美しいお伽話のよう。
「どうですか。あなたが、自分の人生をドブに捨ててまで見たかった光景ですよ」
「……」
「まったく、好きな相手と一緒になるためではなく、他人の幸福のために自分を犠牲にするなんて」
「よがっだあああああ。よがっだよおおおおおおおお」
ふたりのへにゃりとした笑顔を見るだけで、自分が選んだ道は間違いではなかったと思えた。絶対に見ることは叶わないと思っていたふたりの結婚式。それを見れただけで大満足だ。
「僕に何か言うことはないんですか?」
「ドビアズ、ありがどおおおお。お礼にがんばるがらねええええ」
非合法な人体実験も、きっとこれから迎えるに違いない本当の奥さん――ちゃんとした貴族令嬢――にはできないような変態プレイも耐えてみせるから!
「馬鹿なことを考えているようですが。あのふたりに挨拶に行かなくていいんですか?」
「無理無理。ここから見られただけで十分だよ」
「ここまで来て、彼らに会わないつもりだと?」
「お祝いなんか言える立場にないもん。天才のくせに、そんなこともわかんないの」
「唯一のお友だちだったのでは?」
「唯一じゃないよ。唯二だよ。婚約者……元婚約者と親友……元親友。え、元が付いちゃったよ。びええええええん、ふたりとも私のこと忘れないでねえええええ」
「自分で言って何で泣くんです。まったく世話の焼けるひとですね」
トビアスが不本意そうに指を鳴らした。けれどそれは目を奪われるような優美な動きで、こういう時にトビアスが手の届かない存在であることを思い知る。本来なら軽口を叩けるような相手ではないのだと。
「特別ですよ」
空から花が降ってくる。生成りのレースのように優しく繊細な白い花。それは、私と元婚約者と元親友がお庭の片隅で大切に育てていたものと同じだ。大きく育つ前に、継母と異母妹に切られてしまったけれど。もしもちゃんと育ったら、それでブーケを作ってあげるとかつて約束した花だ。
「何で知ってるの?」
「あなたが散々泣いて愚痴ったからでしょうが。根っこが残っていればどうにかしてあげられましたが、懇切丁寧に引き抜かれた挙句燃やされてしまっては僕もお手上げでしたからね」
「どうしようもないことで、泣きついてごめんよ」
「本当にあのときは、どうしたら良いか困りました」
ずっと昔の私の泣き言さえ覚えていてくれる、頭脳明晰なトビアス。こんな馬鹿みたいな私の面倒を見てくれる、なんだかんだ優しいトビアス。すごいなあ。トビアスは昔からそこにいるだけで光輝いているみたい。
「綺麗ね」
「当然でしょう。この僕が渾身の力を込めた魔術ですから」
「ありがとう」
綺麗だと思ったのは、花じゃなくてトビアスだったことは言わないまま、何度も頭を下げる。
このあと、トビアスのマントで涙と鼻水を拭いたのがバレて無茶苦茶怒られた。
***
「それで、ここに連れて来られた理由をあなたは理解していますか?」
結婚式会場の片隅でべしょべしょに泣き崩れていた私は、小綺麗な屋敷に連れてこられていた。
「あ、大丈夫大丈夫。結婚したからには早速初夜ってことでしょう。出し惜しみしたりしないから。おっしゃ、どんとこい。全部脱いだ方がいい? 必要な部分だけ出せばいい? あ、コスチュームプレイとか好きなタイプ?」
「すぐに脱ごうとするんじゃありません!」
「ひいっ」
またトビアスに怒られた。何だよ、こっちは初めてだから内心すんげー緊張してるんだぜ。ちょっと勢いつけてもいいじゃんかよ。ああ、男性は繊細な生き物っていうしな。こういう感じじゃ、勃つものも勃たないってか。
「ごめん。風俗にも建前が必要なタイプだったんだね。そういうの詳しくなくて。あの、初めてだから優しくしてね?」
とりあえず、精一杯の上目遣いできゅるんとした顔を作ったら、速攻で頭を叩かれた。マジでありえない。
「はあ。とりあえず、その口はしばらく閉じておいてください。結婚式はおいおいやりましょう。それまで初夜はありませんので、安心してください。心が通い合っていない相手の身体を無理矢理開くほど、僕は鬼畜ではありません」
無料の娼婦扱いしないのか、理性すごいなと思ったけれど、本気で怒られそうなので黙っておくことにした。貧相な私にまったく欲情していない可能性も高いが、悲しくなるので考えないことにする。
とはいえ、私の実家はお取りつぶしされているわけで王の犬の一員との結婚に支障はないのだろうか。
「とりあえずあなたを僕の親族の養女にしましたので、身分的には問題ありません。婚姻届も既に教会にて受理されましたので、王家にも文句は言わせません」
さすが、トビアス。仕事が早い。……ってあれ?
その言い方だと、まるで王家に反対されていたみたい。
「結婚相手が僕ではご不満だったでしょうが、身元引受人の規定をクリアし、あなたが見たがっていた結婚式に間に合わせることができたのはどう見積もっても僕だけですよ。感謝してください」
この結婚って、陛下の命令じゃなかったんだ。トビアス、私のために頑張ってくれたんだ。
じわりと胸が熱くなる。これはもしかして、知人から友人にランクアップしたと言っても過言ではないのでは? ということは、この指輪も本当にただの結婚指輪なのかも? トビアス、ありがとう! これで指が千切れる心配はしなくていいんだね!
「ようやっとあなたを捕まえました。今まではのらりくらりとかわされてきましたが、もう逃がしません」
「うん?」
瞳をきらきら……もといギラギラさせた男に見つめられて、ちょっとだけ鳥肌がたった。あれ、おかしいな。友だちってこんなに、マジな顔でガン見されるもんだっけ。私、気がつかない間にすんごい恨みを買ってたりする? やべ、トビアスの持っていたおやつを譲ってもらったもとい、よだれ垂れ流しで譲らせたこと、まだ怒ってるのかな。
「その昔、あなたが僕に『魔力交換の仕方を教えてくれ』と話したのを覚えていますか?」
「ああ、うん。どうせ使わない魔力だし、売れたらいいなあと思って。でも魔力の売り買いって聞かないから、一般的じゃないんでしょ?」
あの感じだと、完全に非合法みたいだったし。私が首を傾げると、トビアスが楽しそうに笑った。……え、トビアスが笑った? やべえ、空から槍が降ってくるぞ。
「男女の交わりを行うと、魔力を交換できるんですよ」
「……は」
「ただし、一方的な搾取ではできません。その場合、相当な痛みと肉体的な損傷が発生するのだとか」
ははあ。たぶん、もげるんだな。何とは言わないけど、ナニがさ。
「好意を持った者同士の魔力交換は、凄まじいそうですよ。まさに愛の交歓というわけですね」
交換っていうか、交歓っていうか、それただのエロじじいの親父ギャグなのでは?
「また馬鹿なことを考えていますね」
「ま、まさかあ。ただ、この流れだとまるでトビアスが私のことを好きだって言ってるみたいだなあって思ってさ。あれでしょ、魔力の質とか型とか量とかが近い方が便利だから嫁にしたって理解でいいんだよね……?」
ものすごい不機嫌な顔で近づいて来られて、さすがの私も震えあがった。この顔は、初めてお酒を飲んだときに、トビアスにうざがらみをして以来だ。ヤバい、こ、殺される。
ぐにぐにぐにぐに。私の頬を死ぬほど引き伸ばしながら、トビアスが早口でまくしたててきた。
「いやあ、この鈍感野郎を相手に幾星霜。我慢強い自分を自分で褒めたくなってきました」
「ひいっ。野郎じゃないもん、女だもん」
「僕がどういう気持ちで、今まであなたの話を聞いていたと思っているんです」
「う、うるさかった?」
「ええ、もう本当に腹立たしくて腹立たしくて」
「ご、ごめんなさい!」
「隣で片思いにくすぶっている人間に、平気で好きな相手のことを語りかけてくるとか、どういう神経なのか理解できず、何度どついてやろうかと思ったかわかりません」
「どついてたじゃん! 昔から私のこと、平気でどついてたじゃん!」
っていうか、別に私は元婚約者のことを男性として好きだったことなんて一度もないし。元婚約者と親友、たったふたりの友だちのことを心から大切にしていただけだし。あ、この男、私の言い訳、完全にスルーしてやがる。
「まあ、それも昔の話です。邪魔なお友だちとやらは無事に結婚して片付きましたし、あなたの気持ちはどうであれ、あなたは僕の妻になりました。一緒に暮らしていればお優しいあなたのことです。僕への同情も、すぐに愛情に変わることでしょう」
トビアスが、ちらりと指輪に目を向ける。満足そうな笑みに、やっぱりこの指輪は魔道具かもしれないと頭が痛くなる。
「まあ、あなたの心が僕に傾くまでいくらでも待ちますよ。今まで散々おあずけをくらってきたんです。名目だけでも妻になってくれたことで、少しは飢えが和らぎました」
か、か、髪にキスされたあああああ。
「あわわわっわわわあ」
「疲れたでしょう。使用人に湯あみの準備をさせます。僕は別の部屋で休みますから、心配する必要はありません。それでは、また夕食で」
「トビアスのばかああああ」
「可愛らしいことで。先ほどまで脱ぐとか脱がないとか言っていたとは思えませんね」
急遽始まった結婚生活は、波乱の幕開け。動揺する私を放置して、トビアスは笑いながらさっさと部屋を後にしてしまった。やはりあの男はいけ好かないイケメンである。きっと娼館で女を抱きまくっていたり、未亡人相手に浮名を流しているに違いない。あれで童貞なら、指差して笑ってやる。
「だって、絶対に無理だと思ってたから」
奴隷扱いでも、ご主人さまがトビアスなら別にいいやって思っていたって伝えたら、トビアスはどんな顔をするんだろう。トビアスに囁かれた甘い言葉が脳内をリフレインしている。
その熱量に耐えきれなくて、トビアスがいなくなった部屋で私はひとり転げ回ることになったのだった。
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