婚約破棄をされるので、幼馴染みからの告白で上書きしたいと思います!
また婚約破棄ものです。
楽しんでいただけると嬉しいです。
「大丈夫だよ。今週末の夜会でシンシアには婚約破棄を突きつけるつもりだ。大勢の前で宣言してやる。俺が愛しているのはルイーザだけだって……」
はぁぁっ!?
伯爵令嬢のシンシアは、放課後偶然通りがかった学院の人気のない廊下で、なんの因果か婚約者の『婚約破棄計画』を立ち聞きしてしまった。
婚約破棄ってどういうことよ?
全く好きではない相手だけれど、なんで私がフラれなきゃならないの?
夜会で婚約破棄されるなんて、プライドが許さないっちゅーの!!
頭に血が上ったシンシアは、長い制服の裾を翻すと一目散にその場から駆け出した。
シンシアはメイソン伯爵家の次女である。
生まれつき可憐な見た目で賢かった彼女は、社交界でも深窓の令嬢として一目置かれている存在なのだが、それは世を忍ぶ仮の姿だった。
十八歳の伯爵令嬢シンシアの実態ーー彼女は儚い外見とは対極的な、見栄っ張りな女王様気質をしているのである。
大抵の場所では飼い慣らされた大きな猫をかぶりながら生きている為、このことを知る者はごく少ない。
この私をふるつもりでいるなんて……。
アイツもいい度胸しているじゃないの。
誰もが私を憧れの目で見るっていうのに!
その証拠に、ズンズンと苛立ちぎみに廊下を進んでいるにも関わらず、シンシアには「まぁ、シンシア様よ」「今日も美しいな」などと、学生達が囁く声が聞こえてくる。
そんな声に優雅な微笑みを返しつつ、シンシアはとある教室へと急いだ。
「失礼いたします。こちらにレナード様はいらっしゃるかしら?」
シンシアが一学年下の教室を訪れ、入り口から控えめに声をかけると、すぐさま中にいる生徒が反応してくれた。
「シンシア様!ええと、レナード様は席にはいらっしゃらないみたいですね」
チッ、居ないのかよ。
「あら、そうですの。どうもありがとう」
心の中では思いっきり悪態を吐いているのだが、浮かべる表情は清楚な令嬢そのもので、周囲が思わず助けたくなるほどだった。
「あの、レナード様なら少し前に出ていかれるのを見かけました。鞄を持っていらっしゃったので、お帰りになられたのだと……」
遠慮がちに背後から一人の令嬢が教えてくれる。
「まぁ、ご親切にありがとう。助かりましたわ」
ナイスな情報に思わずにっこりと微笑むと、令嬢は顔を真っ赤に染めた。
よし、今ならまだ追い付くわね。
レナード、待ってなさいよ!
シンシアは堂々と走れないことを焦れったく思いながらも、下品にならない早さでどうにか校門まで辿り着くと、馬車寄せでちょうど馬車に乗り込もうとしているレナードを発見した。
居たわ!
シンシアは辺りに学生が誰も居ないことを確認すると、レナードが乗った馬車に自分も強引に乗り込んだ。
「え?ちょっと何!?って、シンシア?何やってるの?」
「突然悪いわね。レナードに話があるのよ。乗せてってちょうだい」
「乗せるのは構わないけど、そんな盗賊みたいに乗り込んでこなくても……」
「失礼しちゃうわ。教室に行ったらもう帰ったって言うから、急いで追いかけてきたのに」
最初は驚いた顔でシンシアを見ていたレナードだったが、彼女が勝手に向かいに腰をおろすとなんだか少し嬉しそうにはにかんだ。
「あ、先に帰っててもらえるかしら?レナードの家に寄ってから帰るわ」
窓から自分の家の馬車に向かって早口で伝えると、走り疲れたシンシアはようやくホッと力を抜いた。
「で?話って何なの?」
「着いたら話すわ。あ、寄らせてもらってもいいわよね?」
「相変わらず勝手だなぁ。別にいいけど。みんな喜ぶし」
呆れ顔のレナードだが、シンシアの傍若無人な態度にも慣れた様子で窓枠に頬杖をついている。
やっぱりレナードには猫をかぶらなくていいからラクだわ。
しかもこの座面、うちの馬車より柔らかくて快適なのよね。
シンシアはしばらくの間、レナードとのたわいのない話を楽しんだ。
レナードはシンシアよりひとつ年下の十七歳で、カートナー侯爵家の長男という立場である。
幼馴染みの彼とは子供の頃からの長い付き合いで、家族と使用人の他では唯一シンシアの本性を知っている貴重な人物だった。
メイソン伯爵家より爵位が高いのにも関わらず、シンシアの性格を受け止め、穏やかでいつも愚痴を大人しく聞いてくれるレナードを、シンシアは弟のように思っていた。
「シンシアお嬢様、よくいらっしゃいました!」
「お嬢様のお好きなお菓子を今ご用意いたしますからね」
カートナー家でのシンシアの人気はすこぶる高い。
昔はよく入り浸っていた為、使用人との仲も良好なのだが、それにしても好かれ過ぎではないかと疑問に思ってしまうほどだ。
「私の猫かぶりも大したものよね。自分が怖くなるわ」
「そうだね。なんでこんなに分かりやすく偉そうで我が儘なのに、誰も気付かないんだろうね。ホラーだよ」
シンシアは遠い目をするレナードの脇腹にこっそり肘鉄を食らわせると、何事もなかったかのように勝手知ったる庭のガゼボへと歩き出す。
今日は内緒話をする予定なので、庭にお茶を用意して欲しいと頼んだのだ。
図々しいお願いも、シンシアが申し訳なさそうに頼めばたちまち意見が通ってしまう。
彼女は猫をかぶった自分の魅力を、最大限に活用していた。
「いたた……。でも僕の前でだけ見せる素のシンシアを可愛いと思うんだから、僕も大概だよな……」
レナードはこっそり呟くと、脇腹を擦りながらシンシアの後を追ったのだった。
とりどりの花が咲き乱れる庭園内のガゼボは、幼い頃からシンシアのお気に入りの場所だった。
相変わらずよく手入れがされている。
「それで?ここまでついてきた理由をそろそろ教えてよ」
紅茶とお菓子を並べた侍女が離れたのを見計らって、レナードが問いかけた。
年頃になってからは、婚約者がいるシンシアがこの屋敷を訪れる機会もめっきり減っていたので、レナードが疑問を抱くのも当然のことだった。
しかもシンシアは約束もなしに、力技で乗り込んできたのである。
「相変わらずここのスコーンは最高ね!ーーって、そうだったわ。レナードに頼みたいことがあるのよ」
「僕に?何を頼みたいの?」
「今週末、ここの屋敷で夜会があるでしょ?そこで私の婚約者が婚約破棄を宣言するんですって。笑っちゃうでしょう?だから、レナードは婚約破棄された私に交際を申し込んでちょうだい」
偶然にも週末の夜会はレナードの家、カートナー侯爵家主催であった。
「………………は?」
「だーかーらー、婚約破棄なんて格好悪くて冗談じゃないから、あなたの告白で惨めな私を塗り替えて、上書きして欲しいのよ」
レナードが珍しく固まったまま動かない。
頭の回転の早い彼にしては珍しいことだが、シンシアはレナードが口を開くまで待っていようと、スコーンにジャムとクリームをたっぷり塗って頬張った。
うん、やっぱり美味しいわ。
うちのスコーンは何か物足りないのよね。
「あのさ、なんで僕がシンシアに告白をするっていう発想になったの?」
「そんなの簡単よ。あんなおバカさんに大勢の前でフラれるなんてみっともなくて耐えられないけれど、そこでレナードが私に想いを伝えたらみんなそっちに意識が向くでしょう?『幼馴染みとの真実の愛』とか言われて、一気に微笑ましい話になるってわけよ。レナード、頭も顔もいいから羨ましがられるだろうし」
「羨ましいかどうかはわからないけど……僕の気持ちは?そんな人前で告白して、その後はどうするつもり?」
当然の質問である。
はっきり言って、シンシアにしかメリットが無いとんでもない提案だった。
「それは……どうとでもなるわよ。『カップル成立したけれど、やっぱり別れちゃいました~』ってなっても、どうせ誰も気にしないわ。レナードには迷惑かけちゃうけれど、あなたにはまだ婚約者もいないし。一時的に私を助けると思って、この通り!!」
シンシアが両手を合わせて頭を下げると、「仕方がないなぁ」という声が聞こえた。
どうやら計画に乗ってくれるらしい。
やっぱりレナードは優しくて頼りになる弟だとシンシアは安堵した。
「でもなんで破棄されると知ったの?伯爵に話したほうがいいんじゃない?」
「さっき廊下でうっかり聞いちゃったの。ルイーザっていう女に入れ込んでて、私が邪魔になったのね。元々お互い家の都合で結ばれた婚約だったけれど、そんなやり方ってないわよね。お父様が領地に行ってて留守だから、週末までにこちらから婚約解消を言い出すことも出来なくて」
シンシアに婚約者が出来たのは十歳の時だった。
お相手はひとつ年上のケンウッド子爵家の長男、トーリである。
なんでも亡くなったシンシアの祖父がその昔、ケンウッド家にお世話になったとかで結ばれた縁であり、爵位も財力も上のメイソン家がケンウッド家を支援する意味もあった。
子爵家は領地経営がうまくいっていないらしい。
特に結婚に夢を抱いていなかったシンシアは、政略的意味合いの婚約にも文句はなかった。
深窓の令嬢と評判のシンシアには、身分の高い令息からの釣書も多く届いていたが、堅苦しい家で更に大きな猫をかぶるのは面倒だったので、子爵家くらいがちょうどいいと考えたのである。
むしろ「格上の家から私がたくさんの持参金を持って嫁ぐんだから、子爵家で絶対大切にされるに決まってるわ」と、この婚約に前向きだった位だ。
実際、トーリの両親はシンシアに好意的で、いつも大事にしてくれていた。
そんな訳で、トーリが全く好みではないポッチャリ体型な上、シンシアに興味を示さず、留年して学院で同じ学年になってしまっても、婚約を維持し続けていたのだった。
愛情がなくても家庭は築けると思っていた。
「シンシアは婚約破棄をされることについてはなんとも思わないの?悲しいとか、寂しいとか」
「清々しいほど無いわね。めちゃくちゃ腹は立っているけれど。婚約を解消したいなら素直に言えばいいのに、夜会で宣言するっていうやり方が下劣だわ!私に恥をかかせようだなんて、トーリの分際で百年早いっちゅーの!!」
食いぎみに否定し、興奮のあまりシンシアは立ち上がってしまったが、そんな彼女をレナードは憐れみの目で見ていた。
「……うん、そうだよね、シンシアだもんね。その口が悪くてプライドが高いところ、僕は嫌いじゃないよ。黙っていれば可愛いのに……」
「煩いわね。こんなことレナードにしか頼めないのよ。あ、上手くやってくれたら何でも言うことを聞いてあげるわ。どう?」
「……何でも?」
キラリとレナードの瞳が光り、悪い笑みが浮かんだことにシンシアは気付いていなかった。
「いいよ。大船に乗ったつもりで安心してよ。僕がいいタイミングで出ていくからさ。うちの夜会でホストの僕が出ていけば、注目されるに決まってるし」
「助かるわ。よろしくね」
問題は既に解決したとばかりに、シンシアは美味しそうにお菓子の続きを食べ始める。
レナードは『楽しくなりそうだな』と思いながら、その呑気な様子を眺めていた。
◆◆◆
週末がやって来た。
今日はレナードの家、カートナー侯爵家で夜会が開かれる。
薄いピンク色の裾がフワフワと広がるドレスを着たシンシアは妖精のようで、着付けを手伝った侍女達は満足げに頷いている。
「お義兄様、今日はよろしくお願いします」
婚約者のトーリから夜会の同行を断る手紙を受け取ったのは、なんとギリギリ昨日のことだった。
きっと父親の子爵が慌てて息子に書かせたのだろう。
その為、急遽義兄がシンシアのパートナー役を買って出てくれた。
シンシアの三歳年上の姉は婿養子を迎えたのだが、ただいま第一子を妊娠しており、しばらく夜会には出られないのである。
始めから義兄に頼むつもりではあったが、パートナー不在を理由にシンシアが夜会を欠席でもしたら、トーリはどうするつもりなのかと思わず考えてしまった。
まあ、シンシアには敵前逃亡などという選択肢は皆無なのだが。
「シンシア、今日のドレスもよく似合っているね。私がパートナーでは力不足だろうが、我慢してくれよ」
冗談めかして言ってはいるが、義兄は社交界でも指折りのモテ男だったこともあり、整った容姿をしている。
シンシアの姉と出会ってからは浮いた話もなくなり、今では立派な愛妻家となった。
メイソン家の次期当主として学んでいる最中だが、顔も広い上に交渉術に長けている為、近い内に父以上の当主になることは間違いないだろう。
現在は領地に滞在している父に替わって、王都で仕事をしてくれている。
お姉様は凄いわよね。婚約者に浮気される私とは大違いよ。
しかもお義兄様は侯爵家の次男だから、恋愛結婚なのに政治的なメリットもあるし。
メイソン伯爵家は姉妹しかおらず、早い時点で姉が婿養子を迎えることは決まっていた。
おかげで子爵家とはいえ長男のトーリとの婚約は、次女のシンシアに回ってきたのである。
というか、こんな言い方しちゃ悪いけれど、お義兄様より家柄も能力も劣っているくせに浮気して婚約破棄って……。
よくやるわ。
「お義兄様、あらかじめお話ししておきますが、多分今日の夜会でお義兄様を驚かせてしまうというか……ご迷惑をおかけすると思います。今から謝っておきますね。ごめんなさい」
全然悪びれないシンシアの謝罪に、切れ長の瞳が一瞬丸くなったが、すぐにその表情は苦笑へと変わった。
「なんだなんだ、何が起こるんだ?でも君の本当の性格を知った時ほどは驚かないよ。むしろ今夜が楽しみになってきた」
「お義兄様のそういうところ、好きですわよ」
義兄は姉との結婚後に、急に本性を現して毒舌に豹変したシンシアを目にした時も、ポカンとした後に大笑いしていた。
そういう余裕のあるところも女性から好かれる理由なのだろうと、シンシアは妙に納得したものだった。
会場であるカートナー侯爵家に辿り着くと、侯爵夫妻とレナードがシンシア達を笑顔で出迎えてくれた。
「よく来てくれたな、二人とも。シンシアちゃんは今夜も可愛らしいな。花が咲いたようだ」
「ええ、本当に!まるで妖精のようだわ。レナードもそう思うでしょう?」
「……そうですね。見た目は……妖精のよう……ですよね……」
手放しで褒める侯爵夫妻と、なんだか奥歯に物が詰まったかのように歯切れ悪く相槌を打つレナード。
こいつー。悪かったわね、中身は妖精じゃなくて!
挨拶後、すれ違い様に手の甲をつねってやりながら囁く。
『上手くやってよね』
『誰に言ってると思ってるの?シンシアこそ覚悟を決めといたほうがいいよ』
覚悟?婚約破棄される覚悟ならとっくに出来てるわよ。
レナードの意味不明な言葉に首を傾げつつ、シンシアはその場を離れた。
義兄が興味深げに見てくるのを完璧な笑顔で交わしながらーー。
しばらくは平和に時は過ぎた。
カートナー侯爵家は言ってみればメイソン伯爵家と同じ派閥に属する味方同士で、招待客も割と気心がしれている。
シンシアは今日も完璧な猫をかぶって笑顔を振り撒いていた。
そんなまさに宴もたけなわといった頃ーー。
「シンシア!」
人々が歓談する中、一際大きな声で呼ばれた。
来た!
シンシアが声のした方へゆっくりと顔を向けると、思った通りトーリが立っていた。
『思った通りトーリ』って、駄洒落みたいで笑えるわね。
シンシアは至って冷静で、状況を楽しむ余裕まであった。
「トーリ様」と静かに名を口にする。
つかつかと近付いてくるトーリの隣には、彼と腕を組んでニヤニヤと笑う感じの悪い女がいた。
この前はよく見えなかったが、これがルイーザとかいう女なのだろう。
「皆、聞いてくれ!俺はこの場でシンシアに婚約破棄を宣言する!」
その瞬間は唐突に訪れた。
わざわざ会場の注目を集める為に呼びかけ、怒鳴るように婚約破棄を突きつけられたことに、あらかじめ破棄を想定していたシンシアでも思わず呆気にとられてしまった。
は?なんで私事なのに全員に聞かせる必要があるわけ?
言い方も偉そうだし。
ここにいる人、大抵はアンタより身分が上よ?
何を考えてるんだか……いや、何も考えてないか。
脱力するシンシアが思わず「想像以上のアホだった……」と呟くと、「なるほど。驚かせるとはこのことか」と義兄は頷き、彼女を守るように前へ出てくれた。
その瞳は恐ろしいほどに冷たく冴えている。
「これはこれはトーリ殿。はて、このような素晴らしい夜には似つかわしくない言葉を耳にしたような……。私の聞き間違いだろうか?悪いがもう一度、メイソン伯爵代理の私にもわかるように言ってもらいたい」
シンシアの義兄は口許に笑みを浮かべているものの、その目は一切笑っていない。
ほとばしる冷気に、トーリが一瞬びくついたのがわかった。
さすがお義兄様!
お父様はこういう時に甘さが出ちゃうから、お義兄様は適役だったわ。
いかに無粋なことをしているかを指摘しつつ、伯爵代理という身分を強調するーーうまいやり方ね。
それにしても、この位でビビるなら婚約破棄なんて言い出さなきゃいいのに。
「な、何度でも言ってやる!お、俺はシンシアとの婚約を破棄し、この愛するルイーザと結婚するんだ!!」
ルイーザの腰を引き寄せ、どもりながらも義兄と対峙するトーリ。
あーあ、言っちゃった。
よくそんな非常識なことを、今のお義兄様を前にして言えたわね。
非常識だとも気付いてないから言えるんでしょうけれど。
ーーああ、貴族達の私に対しての憐れみの目を感じるわ。
これが惨めで嫌だったのよね……でもしばらくの我慢よ!
今や夜会に集まっていたすべての貴族はこちらに注目し、動向を見守っている。
トーリとルイーザには侮蔑の、シンシアには同情するような視線が注がれていた。
「ほう、そちらの令嬢と。貴殿は私の大切な義妹に、今夜のエスコートを断る手紙を昨日になって送りつけ、代わりに浮気相手を伴い、何の話し合いの場も持たずにこの場で婚約破棄を一方的に訴えたとーーはははっ、これは愉快だ!」
不愉快そのものといった表情で、義兄が低い声で笑っている。
かえって怖い。
そして、会場にはトーリの不義理に対する嫌悪感が広がっていく。
そろそろお義兄様がキレそうよね。
一旦止めないと。
計画を知らないお義兄様は、次はきっと私を気遣って「別室にてとことん話し合おうじゃないか」とか凄みそうだし、それじゃ私が「フラれ女」のレッテルを貼られたまま退場することになっちゃうわ。
レナードが入ってくる絶好の瞬間を作らないと。
義兄の圧におどおどしているトーリをチラッと見ながら、シンシアは義兄を止めに入った。
「お義兄様、ありがとうございます。私は大丈夫です。トーリ様に確認したいこともあるので……」
「本当に大丈夫か?無理はするなよ?」
「はい、お義兄様」
労るようにシンシアの肩を抱く義兄だが、わざと心配そうに振る舞っているだけで、彼が茶番に付き合ってくれているのは百も承知だ。
シンシアがトーリに少しも未練がないこともわかっているし、何よりシンシアの本性を知っているのだから、こんなことで心が傷付くほど繊細ではないと熟知している。
まぁその分、プライドは人一倍傷付くのだが……。
臨機応変に効果的な行動をとれる義兄は、色々な意味で今夜の最高のパートナーだった。
シンシアは義兄に場を譲ってもらうと、周囲を順に見渡した。
「カートナー侯爵夫妻、この場にお集まりの皆様、私的な問題に皆様を巻き込んでしまい、申し訳ございません」
シンシアが神妙に頭を下げると、「シンシアちゃんは全く悪くないわよ!」と、真っ先にカートナー侯爵夫人が庇うように声をあげた。
それにつられ、方々から「そうよ」「ひどい話だ」といった言葉が発せられる。
婚約者の不貞ということで、特に女性からの援護が大きいようだ。
「トーリ様、私の何がいけなかったのでしょうか……」
『私に悪いところなんてあるはずがないでしょ』と思いつつ、シンシアはトーリの立場を更に追い詰めようと、わざと弱々しい演技をする。
とことん同情を買ってからのほうが、レナードが登場した時の反応も大きくなるはずだからだ。
「何がいけないだと?お前は可愛げがない上、全部が嘘臭いんだよ!言葉も表情も!!」
「そんな……」
シンシアが傷付いた風に口を手で覆うが、覆った手の中で「あいつ、思ったより鋭いじゃないの……」とこっそり呟けば、義兄が笑いを堪えながらプルプル震えているのが視界に入った。
トーリはなぜかシンシアが猫をかぶっていることを直感的に気付いていたようだが、時すでに遅し。
この場の支配者はとっくにシンシアであり、トーリの言葉は戯れ事で、ただの悪口と捉えられた。
「シンシア様に何て言うことを!」
「シンシア嬢ほどの素晴らしい令嬢はなかなかいないというのに……」
皆がトーリを怒りを込めた目で睨み始めた頃、ようやく待ち望んでいた声がホールに響いた。
「シンシア!」
「レナード様?」
「ごめん、僕は部外者だってわかっているけど、どうしても伝えたいことがあって……」
ようやく今宵の役者が揃い、シンシアは心が沸き立つのを抑えられない。
レナードの登場により、騒動は新たな局面を迎えていた。
うんうん、計画は順調ね!
これでレナードが私に告白さえしてくれれば、「あら、ステキ!幼馴染みの純愛ね~」とか周囲が勝手に盛り上がって、私が浮気された惨めな女という事実は永遠に葬り去られるのよ。
後は照れたふりしてそそくさと退場して、来月辺りに「『幼馴染みとしての愛情』と、『恋愛』は違っていたの……」みたいな、女性が好きそうな破局話を流せばカンペキ!
さぁ、とっとと告白してちょうだい。
シンシアの目が爛々としているのに気が付いたのか、これから起こることを察したらしい義兄がフッと笑ったのを感じた。
「レナード様、どうなさったの?私に伝えたいことって?」
「シンシア、こんな時に伝えるべきことではないってわかってる。でも僕はもう後悔はしたくない。シンシアのことがずっと好きだったんだ!」
「キャーーっ!よく言ったわレナード!さすが私の息子よ!!」
「ああ、それでこそ男だ!」
レナードの告白に真っ先に反応したのは、なぜかレナードの両親、カートナー侯爵夫妻だった。
夫人は感動して泣き始め、侯爵に肩を抱かれている。
シンシアは出鼻を挫かれた。
遅れてホールに歓声が湧き上がった。
特に令嬢達の目はキラキラと輝き、頬を紅潮させながらシンシア達を見守っている。
レナードの告白はバッチリ観衆の心を掴んだようだった。
レナードってばやるときはやるのね。
見た目は格好いいのに、弱気な子犬のような告白に、夫人方もメロメロじゃないの。
バカな婚約者が嫌味な俺様だった分、誠実さが心に響いたみたいね。
「レナード様……お気持ちは嬉しいのですけれど、私は婚約破棄を宣言された傷物なのです。とても釣り合いがとれませんわ」
「そんなことは関係ない!もうただの幼馴染みでは嫌なんだ。僕はシンシアを誰よりもわかっているつもりだし、君の全てを愛しているんだ!」
「レナード様……」
「シンシアは僕じゃ駄目?僕なら絶対君を傷付けたりしない」
「わ、私もレナード様が好きです!本当はずっと好きだったんです!!」
シンシアが目を潤ませながらレナードの告白を受け入れると、ホールは盛大な拍手に包まれた。
まるで演劇のラストシーンのような感動が生まれ、ハンカチで目を拭っている女性までいる。
「なんて純粋な愛なのかしら?これこそが『幼馴染みの真実の愛』だわ!」
「いやー、若い頃を思い出しますな」
「まるでお芝居のようだわ。素敵!」
シンシアが思い描いていた通りに計画は進んでいた。
怖いくらいである。
私って天才じゃない?
こんなに上手くいくなんて。
ちょっとみんなの反応が良過ぎるのが心配だけれど、まあ問題ないでしょう。
「まるでお芝居」って、本当にお芝居なのが笑えるわよね。
私、女優の才能まであったのねぇ。
シンシアが自画自賛していると、今まで静かだったトーリが騒ぎだした。
むしろよく今まで黙っていられたものである。
「待て待てーっ!何を勝手に二人で盛り上がっているんだ!俺の邪魔をするな!こっちはまだ終わってないぞ!」
「え、でもトーリ殿は婚約破棄を希望されていましたよね?ルイーザ嬢とどうぞお幸せに」
喚き立てるトーリに、首を傾げながらレナードが笑顔で的確に突っ込んでいる。
無邪気そうな振る舞いだが、もちろんそれも演技であることをシンシアは見抜いていた。
うーん、あざとい。
さすがレナードだわ。
というか、あのおバカさんはいつまでここにいるつもりかしら?
さっさと退場した方が身のためだと思うけれど。
「余計なお世話だ!何だ、この茶番は。シンシアは俺にフラれて、みっともなく泣き喚けばいいんだ!!」
思い通りにならなかったからか、トーリはとうとう越えてはいけない一線を越えてしまった。
いや、とっくに越えてはいたのだが、許されざる台詞に静かに義兄がキレたのがわかった。
「メイソン伯爵代理として申し上げる。我がメイソン伯爵家は、トーリ・ケンウッドとシンシア・メイソンの婚約を、ケンウッド家有責での破棄として受け入れる。なお、慰謝料を請求する上、今後の援助も打ち切るものとする」
義兄の冷淡な声に、当然の結果にも関わらずトーリは「え?慰謝料?」などと慌て始め、ルイーザも「まずくない?援助なくなっても平気なの?」と小声でトーリに訴えている。
この人達、破棄したあとのことを全く考えていなかったのかしら?
これから社交界でどうやって生きていくつもりやら。
ま、どうでもいいわね。
「そこの二人は、我が家の夜会にはふさわしくないようだ。ただちにお帰り願おう」
カートナー侯爵が命じると、侯爵家の私兵が暴れるトーリとルイーザを強引に連れていってしまった。
強制退場である。
はぁー、これで一件落着ね。
私も疲れたとか理由を付けて、お義兄様と早々にここから退場しましょうか。
シンシアが義兄に声をかけようとした時だった。
「シンシア、せっかくだから僕達の結婚の日取りを決めておいてもいいかな?」
レナードがとんでもないことを言い出したせいで、シンシアは思わず「はぁ?」と素で聞き返してしまった。
上書きってそこまでやる!?
結婚の日取りって、何でそんなものまで必要なのよ?
あくまで一時しのぎの、嘘の告白だったはず……。
シンシアが考えを巡らせている間に、カートナー侯爵夫妻が側までやってきていた。
「それはいい考えだな、レナード」
「そうね!以前は油断している内にシンシアちゃんをケンウッド家にとられて歯痒い思いをしたもの……。今回は早めに手を打つべきだわ!」
は?
ケンウッド家にとられたって……カートナー家は私をレナードのお嫁さんにしたがっていたってこと?
ーーなんだか嫌な予感がしてきたわ。
「そうですよね。なにしろ、この場にはメイソン伯爵代理がいらっしゃる訳だし。話を進めるにはうってつけですから。ね、義兄上?」
レナードは早くもシンシアの義兄を「義兄上」と親しげに呼び始め、シンシアは不安にかられて義兄を見上げた。
お義兄様、なんだか勝手に話が進んでいるけれど、お義兄様ならやんわりと断ってくれるわよね?
察しの良いお義兄様は、さっきのレナードの告白がただの作戦だって見抜いているはず……。
「はははっ、『義兄上』とはまたまた気が早いことで。しかし、ケンウッド家との婚約話はすでに白紙に戻ったも同然。レナード殿とシンシアの新たな婚約を阻むものなどありませんね」
お義兄様ーーっ!
全然わかってないじゃないの!
驚くシンシアに、義兄は含み笑いをしてみせる。
シンシアはここにきて漸く悟った。
あ、私の状況をわかっててわざとやってるのね?
お義兄様はレナードと私を結婚させる気なんだわ……。
この場で唯一の味方にあっさりと裏切られ、シンシアは焦った。
レナードが「してやったり」と言わんばかりの表情で見てくる上、カートナー侯爵夫妻と、いまだホールに残っている貴族達が自分達を心から祝福してくれているのが伝わってくる。
いよいよまずいわ……。
さすがにここで「実は全部嘘でした~。フラれるのがみっともないので、偽の告白を依頼してたんです~」なんて、ばらす勇気は私にはないわよ。
このピンチをどう打開するべきか悩んでいると、シンシアに新たな危機が訪れた。
「レナード、この指輪をシンシアちゃんに。レナードのお嫁さんになる人に渡そうと思っていたのよ」
カートナー侯爵夫人が興奮したように頬を染めながら、夜空を閉じ込めたような濃い青色の宝石がついた指輪をレナードに手渡している。
ひえーーっ、いらんいらん、そんなのもらえないっつーの!
いつの間に用意してたのよ……。
タンザナイトみたいだけれど、そんなデカイ石、色々な意味で私には重すぎるんだってばーっ!
ひきつった微笑みを浮かべるシンシアの前に跪き、レナードがホール中に聞こえるような声で言った。
「シンシア、さっきも言ったけれど、僕は君の全てを愛している。シンシアが僕だけに見せる表情が好きでたまらないんだ。僕と結婚してください!」
指輪を差し出すレナードの前で、シンシアは動くことが出来なかった。
この大勢の中で指輪を受け取ってしまったら、もう後戻りが出来なくなることくらいわかっていたからだ。
万事休す!
なんか感動して受け取れないみたいに思われてるけれど、違うの!
怖くて受け取れないんだってば~!
仕方なくレナードに近寄り、シンシアは周りに聞こえないように小声で文句を言った。
「ちょっと!話がちがうじゃないの!!どうするつもりよ?あなただって困るでしょ?」
するとレナードは少しも動じることなく飄々と返した。
「え?何が困るの?最初からこうするつもりだったし」
呆気にとられるシンシアに、レナードは更に付け加えた。
「シンシア、何でもお願いきいてくれるんでしょ?僕と結婚して?」
なんですって!?
ま、まさか……レナードって、本気で私と結婚したいの?
目を見開いたシンシアに義兄が近付くと、耳元で囁いた。
「シンシアの負けだと思うよ?策に溺れたね。大人しく受け入れちゃえば?」
く、悔しい……。
こんなはずじゃ無かったのに……。
しかし断る理由が思い浮かばないまま、シンシアが震える手を差し出すと、レナードがその指に指輪をはめた。
歓喜に湧くホールの中、レナードは呆然とするシンシアを抱き寄せて囁いた。
「幸せにするからね、シンシア」
その後、トーリの両親が土下座をする勢いでメイソン家の屋敷まで謝罪に訪れ、無事に婚約はトーリの有責で解消された。
ケンウッド家は支援を打ち切られた結果、当主自らが畑を耕すほどまで貧しくなってしまったらしい。
ルイーザは土にまみれるトーリを目にした途端、去っていったのだとか。
そしてシンシアはーー。
「シンシア、来月にはやっと僕も学園を卒業出来るから、いよいよ式を挙げられるね。ここまで長かったなぁ」
「……そうね。お義母様も異様に張り切ってらっしゃるわね……」
結婚式の準備で忙しい合間を縫って、シンシアはレナードとガゼボでお茶をしていた。
いつぞやの、レナードに嘘の告白を依頼したあのガゼボである。
「なんでこんなことになっちゃったのかしら?何がいけなかったの?」
いまだにグダグダ文句を言っているシンシアに、レナードが笑って返す。
「まだそんなこと言ってるの?僕と結婚するのが一番いいと思うよ?気付いていないと思っているみたいだけど、うちならみんなにシンシアの本性もバレてるし」
「うそ!?みんな騙されてるはずよ!」
「そういう単純なところがシンシアの可愛いところだよね。義兄上も言っていたけど」
レナードは義兄と気が合うらしい。
確かに、実は腹黒なところがそっくりだと今ならわかる。
「わ、私の作戦は完璧だったはずなのに……」
テーブルに突っ伏すシンシアに、レナードが楽しそうに言った。
「ね?ちゃんと上書き出来たでしょ?」
終
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