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滅びの魔女と楽園の神官  作者: 崎浦和希
第一章 王国滅亡編
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第二十五話 世界の行く末を握る魔女

 ノインの手がヴィンセントの腕を掴み、軽く引く。


「あなたが精一杯生きていたことを、知ってもらえたらいいと思う」


 かたくなに『記録』に私情を入れたがらなかったのに、ノインは眉を下げ、諦めたように、けれど穏やかに笑っていた。


「なぜ、わたしたちの一族が『記録』を始めたのか、わかった気がするの」


 ノインの空いているほうの手が、いとおしむようにその胸元に触れる。


「残して、伝えたかったの。わたしたちの遠い祖先が見た、素晴らしくて、大切なもののこと。すべてのものがいつかは失われてしまうけれど、どうしても、残したいものがあったのよ」


 微笑むノインが神聖なものであるように思えて、それを壊してしまわないよう、ヴィンセントがそろそろと彼女の腰に触れ、ゆっくり引き寄せると、ノインはヴィンセントを仰いで、幸せそうに目を細めた。


「ありがとうヴィンセント。わたしに、一番大事なことを教えてくれて」

「……僕は、何を?」

「いつまでも残しておきたいと思うほど、大切なものがあるってこと」

「それって」


 ノインが何を指しているのか、わからないはずがない。

 それでも確かな言葉が欲しくてヴィンセントが彼女の頬に触れ、撫でて催促すると、ノインは頬を染めて、くすぐったそうに笑いながら、ヴィンセントの腕の中から抜け出してしまった。


「ふふ……」

「ちょっと、ノイン! それはずるいですよ」


 ノインが意地悪をしているのではなく、ひどく恥ずかしがっていることは、潤んだ瞳や、上気した肌から見て取れた。それを、ヴィンセントはもどかしくも、胸の奥が甘く疼くほど愛おしく思う。

 冷静でおとなびたノインが、ヴィンセントに対してだけ、隙を見せて年頃の少女らしく振る舞う。気を許されて、甘えられて、嬉しくないわけがない。

 けれどヴィンセントのほうも、彼女の甘えを余裕をもって受け止められるほど、もの慣れていないのだ。逃げた彼女を捕まえようとして、うっかり、そばにあった資料の山を引っかけ、雪崩を起こしてしまう。


「きゃあ!」

「ああ……やってしまいました」


 甘い気分から我に返り、崩れた資料を、ノインと手分けして拾い集める。どうせ事が終われば書庫へ戻すのだし、そのときに改めて整理されるだろう、と、適当に積み上げた。


「ねえ、ノイン」

「殿下、いらっしゃいますか」

「わっ」


 ヴィンセントがつんのめった拍子に、また別の山が崩れる。不運にも、その山が近くにあった別の山に向かって倒れたせいで、連鎖していくつかの山が次々崩れ、気づけば執務室の床いっぱいに資料や書類が散らばっていた。


「うわあ……」


 ノインが呆れてため息をつく。入ってきた外務大臣は、まったく悪くないとはいえ、彼がきっかけでこの事態を招いたことに、気まずげな様子だった。


「……どうなさいましたか」


 ヴィンセントはとりあえず、大臣へ顔を向ける。大臣は何かをヴィンセントに差し出そうとし、足下で資料に邪魔されて動きを止められたことで、いったんその手を引っ込めた。


「殿下。とりあえず、片づけましょうか」

「……はい」


 ヴィンセントとノイン、外務大臣という、まさか雑務をするとは思えない面子が揃って床にしゃがみ、散らばったものを拾い集め、崩れてこないようにまた積んでいく。どうにか足の踏み場を作ったとき、大臣はうんざりしたように部屋を見回した。


「早急に整理が必要ですな」

「今日まで、それどころではありませんでしたから……」


 ヴィンセントが苦笑しながら息をつくと、大臣は「そうですな」と同意しつつも、相好を崩した。


「私はこれでやっと落ち着ける気分です」


 大臣が、当初の目的であった書類をヴィンセントに手渡す。それは、隣国との関係修復に関する協定書の最終案だった。急拵えではあったが、両国ともに問題ない落としどころであり、あとは国王の承認があれば隣国との調印式に臨める。


「ご確認ください」


 内容をあらためたヴィンセントは、顔を上げて返事を待つ外務大臣を見返す。


「……この承認は、僕でよいのですか」


 大臣は「おわかりでしょう」と答えた。


「あなたのほかには、誰も」


 ヴィンセントはもう一度書類に目を通し、最後に、羽ペンを取ってサインを入れた。ここ数週間で、今まで生きてきた十八年間での総数を軽く越えるくらい、自分の名前を綴った気がする。

 その中で、これは一番重かった。これまでの承認は主に国内のあれそれに関するもので、しかも急を要するものばかりだから、どこか仮の役割を負っている感じがしていた。

 だが国外に対して、王としての責任を求められれば、もう代理などとは言っていられない。

 ヴィンセントの署名の入った書類を受け取った外務大臣は、それを丁寧に丸め終えたあと、ふたたびヴィンセントを見て、ひと仕事終えたような顔をした。


「ここを片づけるころには、あなたの戴冠式についても、準備を進めねばなりませんね」

「……」

「私は、あなたを『陛下』とお呼びできる日を、楽しみにしておりますよ」


 黙ってしまったヴィンセントに、大臣はいくらか気安い笑みをくれて、臣下の礼を取ってから部屋を出ていった。


「『陛下』ですか……」


 王族としては、ほとんど無いもののように扱われていた自分が。


「思いも寄らないことになるものです」

「わたしもよ」


 ノインが、横からひょっこり顔を出してにこりと笑った。


「たくさんの人がどう生きていたか、どんな結果になったのか、わたしは知っていたの。ときには思いがけないことが起こるんだってことも」


 これで、と、ノインは胸元に目を落とし、指先で服の上から水晶板を軽く探って触れる。


「なのに自分のこととなると、どうしたらいいのかわからなくなって、今も、なんだか夢みたいな気分なの」

「わからないことこそ、ほかならぬあなたの人生のあかしなのではないですか」


 ノインが視線を上げ、ヴィンセントの顔を見る。目を合わせ、ヴィンセントは体ごとノインと正面に向き合った。


「過去にどれほどの人間がいても、ノインは、ノインだけです」


 星の光のような、淡い金の髪を手の甲でそっとよけて、彼女の顎の輪郭に指を滑らせる。


「どうか僕に、あなたの答えを教えてください」


 神官長と外務大臣の邪魔が入って、結局聞きそびれてしまっていたこと。

 もちろん、ちゃんとわかってはいたけれど、ノインの言葉を聞きたかった。

 ノインは胸元から手を離し、その手を、頬に触れていたヴィンセントの手に重ね、緩く握った。


「そばにいるわ」


 ノインがヴィンセントの手のひらに頬をすり寄せる。心地よさそうに目を閉じて、懐いてくる仕草に、ヴィンセントは自分の頬が緩むのを自覚した。


「そばにいたいの。わたし……」


 ノインが薄く目をひらき、視線を動かしてヴィンセントを映し、淡く笑う。ヴィンセントに注がれる彼女の思いは、ヴィンセントの心のなかに、星のように静かで美しく、優しい光を灯した。


「……ヴィンセントが好きだから……」


 恥じらいに消え入りそうな声。自分の感情に戸惑うように、一瞬過ぎった不安の色。

 ヴィンセントだって、まだ自分の思いに慣れたわけではない。いっそう初々しいノインを目の当たりにして、落ち着いていられるはずがなかった。

 高鳴って痛いほどの心臓の宥め方もわからず、そんな自分を持て余して、おそるおそるノインの肩に触れ、そこからゆっくりと彼女の背中に手のひらを滑らせる。自分でも焦れったいほど時間をかけてノインを緩く抱き寄せ、高揚して震える息を吐く。


「嬉しいです。今までの人生で、一番」

「わたしも」


 ノインが力を抜き、ヴィンセントに寄りかかってくる。

 その柔らかな重みを、これから大切に守ってゆかねばと思うほど、それはこの先背負う国より重く、脆く、ヴィンセントを少し臆病にした。

 でも、この手の中にそれほど大切に思えるひとがいるから、どれほど重くても、彼女の生きるこの国、誰かにとって大切な誰かが生きている場所、その世界を、守ってゆこうと思えるのだ、と感じる。


(ノイン。あなたがこの世界の要です)


 ノインに聞かせるには重すぎる心情を、胸のうちだけでつぶやく。

 けれどその気持ちを思い知らせるように、ヴィンセントは彼女をきつく抱き締め、長い間放さなかった。


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