第二十二話 滅亡前夜
大臣たちとの会議を終え、防壁を解いたヴィンセントを待ちかまえていたのは、憤怒のあまり顔色が赤を通り越してどす黒くなった王妃だった。防壁で音を遮断していたため、いつからいたのかはわからないが、彼女は玉座に座る息子を守るように立ち、ヴィンセントを下から睨み上げた。
「お前……」
「王妃殿下。今、あなたの言い分は、何も聞き入れられません」
ヴィンセントは先んじて告げた。さすがに疲れて剣呑な口調になってしまったのを自覚しつつ、いつにないヴィンセントの態度に、王妃が怯んだのは都合がよかった。
「国王陛下は、もう国を守れない。それでは王でいる資格はありません」
「お前がこの子から取り上げたんじゃないの!」
「ヴィンセントに取り上げられるほど、弱かったのはその王だわ」
「ノイン!?」
場に似つかわしくない軽やかな声に、一番驚いたのは、たぶんヴィンセントだ。
ノインはいつの間にかヴィンセントのそばに立っていて、王妃相手にもまったく臆さず、いきり立つ彼女を冷静に見返した。
「何者よ、お前は」
「魔女だ!」
後ろで誰かが大声で叫び、ヴィンセントははっと振り返った。けれど、ヴィンセントの焦りをよそに、動じもせず振り向いたノインはその誰かを鼻で笑った。
「そうよ。なぜ知っているの?」
ノインの一言に、場がしん、と静まる。ノインはなおも余裕の表情で告げた。
「『魔女』は燃えるような金髪に金の目。わたしはそうじゃないのに、よくわかったわね、わたしが本物の『魔女』だって」
ノインの目は、集った貴族たちの中の、一点を射抜くように見据えていた。視線を追って、ヴィンセントも気づく。
「あなた、本当はわたしの容姿を知っていたのに、魔女の見た目について嘘をついていたのね。わたしの家族を皆殺しにしたあなただもの。取り逃がした小娘の正しい見た目を知っていたとしたら、あなただけよ」
ノインは、口元には笑みを浮かべ、氷より冷たく冴え渡ったまなざしを、軍服を身につけた男に向けている。ヴィンセントの記憶より多少老けた男は、ブレン子爵の息子で、あの日、ノインの村を焼いた将校だった。
青ざめた男に、ノインは容赦しない。
「『魔女』の容姿を偽ったのはなぜ? 自分だけが本当の魔女の情報を握って、手柄にしたかったのかしら。それとも、そのころから隣国と取引をしていて、魔女狩りで国を弱らせたかったのかしら」
「は……なん……出任せだ……」
「どちらでもよかったのかもしれないわね。だって、どちらにせよあなたには有利だったもの」
ノインの暴露を聞いていた大臣や貴族たちの目が、一斉に将校へと突き刺さる。本来なら、得体の知れない少女の発言など歯牙にもかけられないはずが、将校が『魔女だ』と叫んだがために、ノインが付け入る隙になってしまった。
「わたしが魔女よ。あなたの欲しがった地位も、財産も何もかもを滅ぼす魔女。でもね、滅びのあとに、何があるか知ってる?」
ノインはみなの注目を浴びながら、振り返ってふわりと柔らかな笑みをヴィンセントに向けた。
祝福するように、彼女が唇をほころばせる。
「誕生よ」
「お疲れさま、ヴィンセント」
「……あなたも」
ヴィンセントは数年ぶりに、王城に一応与えられていた自室へ入った。もとから手入れされていたのか、もしくはヴィンセントが使うとわかって急いで掃除をしたのか、何年も使われていなかったのに、部屋は清潔で、今すぐにでも眠れるよう整えられている。
「急に姿を現すので、驚きましたよ」
「ごめんなさいね。最後に神官長を呼んだほうがいいかもと思って連れてきたのだけれど、つい、わたし自身が出しゃばっちゃったわ」
ヴィンセントを上目遣いに見るノインには、そう言うわりに、あまり悪びれた様子ではない。ヴィンセントが許すとわかっている目だ。
「僕のためだったのでしょう」
「あの王妃、好きじゃないのよ」
素っ気なく言うノインの腕を捕まえ、緩く抱き寄せてヴィンセントは息をついた。
まだここは安全な場所ではないけれど、生まれて初めて、小さな達成感がヴィンセントにはあった。
ヴィンセント自身は何もかもが仮初めで、大臣たちの誠実さがあって初めてどうにか立っていられている。それでもようやく道が見えて来た。
「頑張ったわね」
「本当は、ここが基本のはずでした。王族としては。やっと半人前ですね」
ノインはヴィンセントを労ってくれる気でいるが、ヴィンセントは、ノインこそ労われるべきと思った。
「僕の足りない半分、もしかしたら半分以上を受け持ってくれているのは、ノインですよ」
「……こんなつもりじゃ、なかったのに」
ヴィンセントがゆったりノインの背を撫でると、硬く強ばっていた彼女の体から、少しずつ力が抜けていった。
ノインが強がって、緊張を押し殺していたのには気づいている。大臣や貴族たちの前で、それも、家族の敵を相手にして、平気だったわけがない。
ノインの努力に気づけたことが、ヴィンセントには嬉しかった。
「人を惑わすなんて、ヴィンセントは魔女にふさわしいわ」
「ノインはおとぎ話のほうの魔女ですよね。主人公を導いてくれる、善き魔女」
「導いたかしら」
より強くノインを抱き締めながら、ヴィンセントは彼女の耳元で、「あなたのおかげです」とささやいた。
「まだ終わりじゃない」
「これを始まりにしたいと思います。あなたが言ってくれたように、新たに生まれてくる未来の。この先にあるものが、終わりだとは思いたくありませんから」
「ずいぶん、心強いことを言うようになったわ」
ノインの腕がヴィンセントの背中に回り、そっと撫でられる。
あなたがいるから、と、ヴィンセントは心のなかだけで返事をした。
ヴィンセントは今、この国と、そしてノインを抱えようとしている。その重さが、ヴィンセントの足を地面につけて、強く立たせてくれる。
「滅ぶというのも、必ずしも嘆かわしいことではないのかもしれませんね。新しく何かが生まれる可能性そのものなのでしょう」
「そう……。たくさんの『記録』で見たわ。どんなものも、いつかは滅ぶ。だけれどそのあとには、必ず何かが生まれてくるのよ」
「生まれくるものを、喜びで迎えられるよう……」
腕の中にあるノインが、いつになく熱く感じた。彼女を手に入れたいという焦りが、ヴィンセントの鼓動を速め、肌に汗が滲む。きっとヴィンセントの体温だって上がって、ノインにも変化はわかっているだろうに、彼女は身じろぎもしない。
今なら、ノインはヴィンセントのものになってくれるのかもしれない。期待でざわめく体を、ヴィンセントはノインに縋りつくようにして抑えた。
意地にすぎないのだとしても、彼女に甘やかされて許されるばかりではなく、ノインが心から寄りかかってきてくれるときに、ヴィンセントから温もりを与えて、そして与えられたい。
もう少し。あと少しだ。
この国が生まれ変わるとき、ノインと並んで、その誕生を祝おう。
そうしたら……。
「ヴィンセント、そろそろ休みましょう。明日も早いんでしょう?」
「……はい。ノインの部屋は?」
「隣に従者用の小部屋があるの。そこで休むわ」
名残惜しくノインの体を離す。
宿で共寝をするのにあれだけ抵抗があったのに、今となっては、あの距離が懐かしい。
ヴィンセントは自分の中の俗っぽい気分に照れくさい気持ちになりつつ、そっとノインの頭に触れて引き寄せた。
遠い昔、物語で読んで憧れた光景を思い出しながら、彼女の額に口づける。
「おやすみなさい、ノイン」
ふと惚けた顔をしたノインが、離れようとしたヴィンセントの肩に手を添え、背伸びをする。
頬に触れた柔らかな唇の感触に、泣きたいくらい胸がいっぱいになった。
「おやすみなさい、ヴィンセント」
ノインは微笑み、従者用の小部屋へ入っていく。
就寝の挨拶。ヴィンセントが憧れた『家族』の触れ合い。
自分のなかにあった気持ちのうち、慈しみくらいは許されるだろうと思って、ノインに触れた。返されたものも同じ感情で、それが思いがけないほどヴィンセントを満たした。
ヴィンセントはそろりと自分の頬に手で触れ、彼女の唇の感触をたどって、その指先をゆるく握り込む。
「ノイン、僕はあなたのすべてが……」
その先は彼女へ注ぐべき言葉だと思って、ヴィンセントはひとり静かに唇を閉じた。




