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滅びの魔女と楽園の神官  作者: 崎浦和希
第一章 王国滅亡編
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第十九話 踏み出す力

 ジッと壁の蝋燭が音を立てる。それに我に返って、そっとノインの肩を押した。


「ノイン、隣国が攻めてきたとのことですが、やはりブレン子爵が……?」

「子爵だけじゃなかったみたい。あなたを探して城内をうろついているとき、いくつか噂や、ときには怪しいやり取りを見たわ。さすがに、お城の中では決定的な場面はなかったけれど」

「証拠は上げられますか」

「今すぐには難しいと思う。わたしが証言したって何の力もないし、お屋敷を探れば、もしかしたら」


 先ほどの王妃の発言を聞いていたノインが、不安そうに首を横に振る。ヴィンセントは鉄格子越しに彼女の髪を撫でた。


「隣国は、どれくらい?」

「大臣たちが大慌てだったから、きっと、良くないんだと思うわ。辺境伯領の防壁をなぜか簡単に突破されてしまったって、向こうには魔法使いがいるけれど、こちらにはいないって、言ってた」

「防壁は内通者なのでしょうね。魔法使いは……、力の強い者ほど逃げてゆきましたから、残っているのは神官くらいでしょうが、戦う力はほとんどありません」


 自業自得、と頭に浮かび、ヴィンセントはため息をついた。

 国防の一端を担う魔法使いの亡命に、さすがに不味いとの声もあったはずだ。しかし『魔女』への恐れのほうが上回ったのか、魔女狩りは収まらなかった。ブレン子爵やその仲間が、『魔女』への恐怖を煽ったかもしれない。


「隣国を止めることさえできれば、ブレン子爵らの内通を暴くこともできるでしょう」

「問題はどう止めるかよ。今のままじゃ、交渉の余地さえないわ。魔法使い以外の兵力は?」

「そこまで損なわれていないとは思いますが、しかし、裏切り者が潜んでいる可能性があります。ブレン子爵の息子、彼が率いる隊や、ほかに仲間がいるならそちらも……」

「……もう、国を明け渡して隣国に統治してもらったほうが、マシなんじゃない」


 ノインが呆れ果てたように肩を竦める。

 ブレン子爵や複数の貴族が国を裏切り、政治も、軍事も崩壊寸前。国が今日まで成り立ってきたのは、ひとえに今までの長い平和があって、それが惰性で続いてきたからにほかならない。

 ヴィンセントは力無くうつむきかけ、こらえて顔を上げる。


「それでも、守れるなら守りたいのです。侵略された国が良い目を見ないのは、過去の例からもわかっています」

「いったん隣国を止めても、そのあとの交渉や、このガタガタになった国を立て直す必要があるのよ。誰がそれをするの?」

「……僕が」


 竦んで強ばる喉を無理矢理開いて、ヴィンセントは声を絞り出した。


「これでも王族です。僕にはそうする責任がある。ノイン、あなたは僕と……」

「わかったわ」


 ヴィンセントが言いかけたことを、ノインは強引な割り込みで遮った。

 この先が大事なことなのに、と思って、ヴィンセントが彼女をじっと見つめて言わせてくれないかとうかがうと、ノインはふいと目を逸らして言った。


「そういうことは、もっと別のところで聞きたいの」


 思いがけない彼女の少女らしさに、ヴィンセントは胸の奥をつつかれたような甘さと、反省を同時に感じる。

 確かに今のは、動機も場所もふさわしくなかった。

 そっぽを向いてしまった彼女の耳の下に手を当ててもう一度振り向いてもらい、目を合わせる。


「今のは、聞かなかったことにしてください」

「ええ」


 ノインの望む場所を用意してあげたい。

 明日のことさえ覚束ない自分たちに、とんでもない高望みだ。だが、願いは、じんわりと胸を熱くした。


「まずは、隣国を止めないと。きっと、向こうはこちらを甘く見てる。何か、簡単には陥落しないと示せるものがあれば、転機になるかもしれないけれど……」


 立ち直りの早いノインが、ヴィンセントへと尋ねる目を向ける。ヴィンセントは眉を寄せた。


「こちらの抵抗……力を見せつければいいということですよね。しかし、軍を動かすにも、誰なら信用できるものか」


 ノインは手を胸元に置いた。目を伏せ、じっと意識を集中させているようだ。

 彼女を見下ろしながら、ヴィンセントは自分にも何か手がないかを考えていた。

 貴族にあてはない。頼れるとすれば神官長で、つねに国を思い、職務に忠実、知識も豊富な彼なら、何か策を思いつくかもしれない。だがヴィンセントがこの牢を抜け出して神官長を頼ったとして、王妃に気づかれるまでの短い間に、打開策までたどり着くのか。


 神官長にここに来てもらうことができれば。


 そんなことを思っていたとき、ノインがはっと牢の入り口のほうを振り返った。そして、その目をヴィンセントに向け、心配そうにしながら、地下牢の薄闇へ溶けるように姿を消す。

 ヴィンセントは鉄格子から少し離れ、やがて聞こえてきた足音の持ち主がやって来るのを待った。


「牢番が居眠りなど、どういうことなのッ」


 入り口で、叱りつける声と、それに慌てて弁明する兵士のやり取りがあったあと、王妃が牢に降りてきた。


「お前」


 今度は侍女以外に誰かも引き連れてきたらしい王妃は、挨拶も前置きもなく、体を横に向けたまま、視線だけでヴィンセントを呼びつけた。

 ヴィンセントの内心は、先ほど彼女が訪れたときとまったく変わっていて、冷たい牢に立つ自分の両足がしっかりと石の床を踏みしめ、体を支えているのを感じた。


「服を脱ぎなさい」

「え……?」

「早く」


 苛立つ王妃が舌打ちをせんばかりに言うので、ヴィンセントはとりあえず、簡素なシャツから腕を抜き、上半身をさらした。急なことにさすがに心許なく立ち尽くしていると、王妃が彼女の後ろにいた男を顎でしゃくって、牢の前に立たせる。


「神官長……!」


 会えたらと思い浮かべていた人物に、つい声が弾む。しかし王妃の目もある手前、状況が良くなったわけではないと、すぐに口を閉じて事が動くのを待った。

 神官長はヴィンセントの体をちらりと見て、何かを訴えるように王妃を振り返る。

 王妃は、ひどく嫌なものを見るようにヴィンセントを睨んだ。


「お前が隣国と取引をしたのでないというなら、その身で侵攻を止め、国を守りなさい」

「えっ?」

「お前には、その忌々しい魔力があるでしょう」


 王妃の視線は、ヴィンセントの胸元に向いていた。そこを見下ろし、ヴィンセントは首を振る。


「僕の魔力は、生まれたときに王妃殿下が封じさせたと聞いております。それは、今もそのままです」


 ヴィンセントの胸、心臓の上には、複雑な紋様が浮かび上がっている。

 ヴィンセントの魔力に対する封印だ。

 強大な魔力を持って生まれてきたとは聞かされたが、ヴィンセント本人としては、赤子のときからずっと封じられたままで、強い魔力を感じたことはない。


「だから神官長を連れてきたんじゃないの」


 王妃は素っ気なく、神官長をぎろりと睨む。神官長は途方に暮れた声で彼女に答えた。


「王妃殿下、ヴィンセント殿下の封印は古代魔法によるものです。魔法使いでもない私に知識はなく、また、これを扱える魔法使いは、この国にもうおりません」

「文献でも何でも、調べてやりなさい」

「古代魔法の文献は残っていないのです。今となっては、わずかな魔法使いが、師から弟子へと受け継ぐのみで……」


 ヴィンセントは王妃と神官長の話を聞き流しながら、胸の紋様に触れていた。

 己の封印が古代魔法であったことを初めて知った。もともと、封印を解こうと思ったことはなく、関心もなかったから、ヴィンセントにとっては、自分の体にあるちょっとした痣のようなものだ。

 もし、この封印を解いて、力を手にしていたら何かが違ったのだろうかと思ったのは、ノインとともにいたいという、胸が痛いほどの欲求を覚えたときだった。


「封印が解けなかったら、どうやって隣国の軍を止めるというのッ!?」


 王妃の金切り声が響く。神官長が床に膝をつき、額ずく勢いでこうべを垂れた。


「恐れながら王妃殿下、今のわが国に、隣国を止める力はありますまい。民のためには、国が荒らされる前に、速やかに玉座を明け渡すほうが、まだしも……」

「国王陛下への反逆、かしら。お前の言うことは」

「殿下……」


 神官長の声が落胆を帯びる。

 王妃が、息子である国王を深く愛していることは、ヴィンセントにもわかる。

 だが結局はその国王が、大臣たちを十分に統率できず、貴族と隣国との取引も見抜けず、国の窮地を招いたのだ。これ以上は、考慮すべきは保身ではなく、民の生活だろう。


「もういいわ、この役立たずども」


 言い捨て、王妃は荒々しく牢を出て行った。

 深いため息をつき、立ち上がりかけた神官長を、ヴィンセントは呼び止める。


「何用でしょう、殿下……」


 疲れ切ったような彼を引き留めるのに、少しの申し訳なさを感じつつ、ヴィンセントは牢番をうかがいながら小声で尋ねた。


「今、城で信頼できるのはどなたですか?」


 神官長は目を瞠り、勢いよく顔を上げる。その驚いた表情でヴィンセントを上から下まで眺め、意外そうに瞬きした。


「そのようなことに、なぜご興味を?」

「今さらと思われるかもしれませんが、できることがあるのなら、諦めたくはないのです。ですが隣国と交渉しようにも、僕には何も情報がありません」


 ヴィンセントの答えを聞いた神官長は、普段はもの静かな目をこれでもかと見開き、穴が空くほどヴィンセントを凝視して、しばらく呆けていた。王妃の目をはばかり、無関心に生きてきたとはいえ、そこまで驚かれるほどとは、とさすがに反省させられる。


「神官長」


 ヴィンセントが呼びかけると、彼ははっと頭を振った。


「……大臣はみな忠臣のようです。それに、五つの公爵家や、そこと繋がりの深い家。この国の平和を愛する者たちのようでした」


 神官長は周囲をうかがいながら早口に言い、「しかし私も、政治に深く関わっていたわけではありませんので」とことわってから、牢番の目を気にして立ち去った。

 ややあって、牢の入り口で重いものが落ちるような音がする。ヴィンセントが鉄格子の前で待っていると、ノインがまた姿を現した。


「牢番を眠らせたのですか?」

「そうよ。それよりヴィンセント、封印の紋様を見せてくれない?」

「かまいませんが……」


 まだ服を脱いだままだったヴィンセントは、胸の紋様が見えやすいよう腕を体の横に下ろした。光の玉をうかべたノインが、じっとヴィンセントの胸を見つめる。彼女の左手は、胸元を握りしめていた。


「封印の、古代魔法……」


 しばらくして、小さくつぶやいたノインは、ふと鉄格子の隙間からヴィンセントの肌に手を伸ばした。その指が紋様に触れ、ヴィンセントにぱちりと衝撃が走る。


「え?」

「うん……きっと、いけそう」


 いったん腕を引いて、ノインがヴィンセントの顔を見上げた。


「わたしなら解けるわ」


 ヴィンセントと目を合わせ、ノインの薄灰色の瞳は、意思を問うようにヴィンセントを見据える。


「『記録』の中に、古代魔法の文献もあるの。あなたの封印の記述は、文献の文法から外れていない。理論通りにやれば解ける」

「解けたとして、僕は魔法の訓練を受けていません。使える魔法は限られます」

「あなたの魔力って、どのくらい強いの?」


 ヴィンセントは自分の紋様に指を添えつつ、首をかしげた。


「わかりません。僕が生まれたとき、ずいぶん驚かれたらしいとは聞いていますが」

「魔力だけでそのあたりを吹き飛ばせる程度、あればいいのだけど」


 ノインの口調は気楽なものだった。期待を感じて、ヴィンセントは不安になる。


「ノイン、僕の魔力が大したことなかったら……」

「封じられるほどだもの。それなりにはあるでしょう。わたしには魔力不足で使えないけれど、強い魔法を、わたしはいくつも知っているわ。魔法式だって書ける。あなたの魔力なら、使えるかもしれない」


 わかりやすい希望を口にしながら、ノインはまだ、ヴィンセントの封印を解こうとはしなかった。彼女は一歩下がり、少しだけ距離を開けて、鉄格子を挟んでヴィンセントとまっすぐに向き合う。

 光の玉が、ノインの淡い金の髪をほのかに輝かせている。

 おとぎ話の妖精のような光をまとって、彼女は訊いた。


「どうする、ヴィンセント」


 ヴィンセントはしっかりと彼女の目を見つめ返し、うなずいた。


「お願いします。僕はもう、無力ではいたくない」


 力を取り戻そうともしなかった昔とは、もう違う。

 ノインとの未来を望んだときに、ヴィンセントは、力を求める気持ちを知った。そのときは願っても手に入れるすべがなかったが、今はノインとともに、すぐそこにある。

 未知の力だが、ノインがいるなら、恐れはなかった。

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