第十七話 地下牢
神殿でも王城でも、地下は湿って夜はひんやりと冷たさが滲みてくる。
真冬でなかったことを有り難がるべきかと、ヴィンセントは細くため息をつきながら冷えてきた膝を引き寄せた。
仮にも王兄を、城の一室に軟禁ですらなくいきなり罪人用の地下牢に放り込んだ王妃は、ヴィンセントの国王への面会さえ許さなかった。訴えを聞かず、国王の沙汰も、罪状も何もないまま牢へ入れるなど、専横もいいところだ。
そんな王妃を抑えられない国王のもとで、国がどうなっているのかが、ヴィンセントには気がかりだった。
ブレン子爵が何かを企んでいるという、ノインとの推測が外れていたとしても、国内に隣国と後ろ暗いやり取りをしている何者かがいるのは確実なのだ。一刻も早く密通の当事者と内容を突き止め、危機を回避しなければならない。
今のヴィンセントは、国を滅ぼす魔女などいないと確信している。国を滅ぼそうとしているのは何か別のものだ。魔女狩りなど今すぐやめて、本当の原因を探すことに、全力を注がなければ。
地下牢で座り込んでいる場合ではないのに、城内に助けてくれる味方もいないヴィンセントでは、為すすべがなかった。
『国王陛下を糾弾して、王座を奪う気でしょう』
王妃は兵に拘束させたヴィンセントを見下ろし、嫌悪を剥きだしにした。
彼女の目には怯えが見えた。
彼女の息子である第二王子が生まれてすぐ、まだ幼かったヴィンセントを神殿へと追いやり、政治から遠ざけてなお、彼女にとってヴィンセントは脅威であり続けている。平和が続き、強権よりも王室の安定を重視するこの国では、そう簡単に王位継承権を剥奪できない。正妃の子が優先されはするが、それ以外は生まれた順で決まる。貴族の派閥や、権力争いを避けるためだ。
それにもうひとつ、ヴィンセントには生まれ持った魔力がある。ほとんど封じられて、星読みの力として使うくらいしかできないが、王妃は、彼女の息子にない力がヴィンセントにあるというだけで、気が休まらないのだろう。
どちらも、ヴィンセントにはどうしようもないことだった。それでも、おとなしく神官を務めるだけでなく、王子としての責務を果たそうとしていれば、力になってくれる誰かを得られたかもしれない。
「僕は、後悔ばかりで……」
地下牢に入れられて数ヶ月も経てば、体力も気力も落ちる。このころ、ヴィンセントの心にうかぶのは、諦めの気持ちばかりだった。
まだ夜も早い時間のはずだが、もう寝てしまおうかと思っていたとき、牢の入り口に人の気配を感じて、ヴィンセントは簡素なベッドから身を起こした。
荒い足音は、体重の軽い女性のものだ。そしてこんな場所へやってくる女性を、ヴィンセントはひとりしか思いつかなかった。
ベッドを下り、鉄格子の前へ移動する。
「王妃殿下……」
険しい顔をする彼女に、ヴィンセントは鉄格子越しにひざまずき、礼を取った。
ヴィンセントが挨拶を口にするより早く、王妃は叩きつけるように言った。
「お前、この国を売ったわね!」
「……」
一瞬、何を言われたかわからずに呆然とする。答えないヴィンセントに、王妃は苛立たしげに詰め寄ってきた。鉄格子が無ければ、その細腕でヴィンセントを締め上げかねない勢いだ。
「魔女を探すと言って、隣国と取引をしてきたのでしょう!」
ヴィンセントは息を呑み、状況を悟った。
隣国が攻めてきたのだ。
「怪しいと思ったのよ、突然魔女を探すなどと言い出して」
「むやみな魔女狩りを、無意味に思っただけです。隣国と取引をしたのは――」
僕ではありません。
そう続けようとした。
だが王妃は、ヴィンセントの言葉を最後まで聞かずに激昂し、怒りのあまり、獣の呻り声のように低く、怨みのこもった声で言った。
「殺してやる……」
王妃のような、高貴な身とは思えないほどの、醜い口調だった。王妃自身も、自分の声を聞いてはっとしたように身を引き、付き従っていた侍女を振り返った。
「お前も聞いたわね。この者が我が国を売ったと、証言したこと」
「違います!」
「お黙り! 明日にでもお前を処刑してやるわ」
ヴィンセントは侍女へと目を向けたが、彼女はあからさまにヴィンセントから目を逸らしていた。
「王妃殿下、どうかお聞きください。僕を処刑しても、隣国を止められはしません。取引をしたのは僕ではなく……」
「お前のほかに、誰がこの国を売るというの。何の理由があって?」
「それは……」
おそらくはブレン子爵。だが、確証が得られているわけではなく、もちろん証拠もない。王都に帰ったヴィンセントは、王城内で探りを入れようとしたところを、王妃に怪しまれて牢へ入れられたのだ。政治と距離を取らされ、貴族との繋がりも持たなかったことが、あまりに不利だった。
王妃は、言葉に詰まったヴィンセントを怒りに燃える目で一瞥し、これ以上は視界に入れるのさえ汚らわしいと言わんばかりに顔を背けた。
「殿下、どうか……」
「命乞いばかりは立派だこと」
それだけ言い捨て、王妃はもうヴィンセントを見ることもなく、侍女を連れて去っていった。
いくら権力を握っている王妃でも、仮にも王兄であるヴィンセントを、証拠もないまま処刑できるかどうか。
けれど処刑を免れても、隣国を止め、この国を売った犯人を突き止める力も持たないヴィンセントに、生きている価値などあるのだろうか。
別れ際、ひたむきにヴィンセントを案じてくれたノインの顔がうかぶ。
この数ヶ月、何度も彼女を想った。牢番の噂話に聞き耳をたて、本物の魔女が捕まったという話題のないことに安堵し、無事を祈り続けた。
そばで守ってあげることもできず、祈るしかない自分の無力さは何度もヴィンセントを消沈させ、一方で、彼女との思い出だけは、この冷たい地下牢でもヴィンセントを温めるかのようだった。
隣国が攻めてきた。
この国も、いよいよどうなるかわからない。
「ノイン、この国から逃げて……そしてどうか、幸せに……」




