第十四話 告白と答え合わせ
宿に戻って、ノインとヴィンセントは、昨夜のように身を寄せ合って寝台に腰掛けた。万が一、誰かが扉に聞き耳を立てても、会話を聞かせないためだ。
そういう理由をつけつつ、寄り添っていたかった。
「あの急使が、たとえば子爵令嬢の結婚が決まって、それを大急ぎで国許に知らせようとしていた、なんてことは」
「ありませんよ。子爵にご令嬢はいません」
ノインがため息をつく。
ブレン子爵領への急使と、子どもの運ぶ隣国からの小包。
それらを結びつけるのは安易だろうか、いや、嫌な予感から逃げるような真似をやめなければ、と、ヴィンセントの思考も揺れる。
「ねえヴィンセント、ブレン子爵領に、軍人って多いの?」
「そうですね。子爵領は土地が恵まれていないので、軍人として出稼ぎに出る者が多くいても、おかしくはありません」
「なら、あの急使が軍人だったのも……」
そこまで言って、ノインは険しい顔で黙り込んだ。
「ノイン?」
彼女が苦しそうで、ヴィンセントは心配になり、背を屈めて彼女の顔を覗き込む。目を伏せていたノインは、一瞬、ヴィンセントの視線から逃れようとし、そのあとで思い直したように顔を上げた。
「大丈夫ですか?」
ノインはうなずき、探るようにそっとヴィンセントの手の甲に彼女の指を触れさせる。ヴィンセントが見守っていると、ためらいがちに、ヴィンセントの手に手のひらを重ねた。
ヴィンセントは手首を返して、彼女と手を握り合わせた。甘い触れ合いではなく、互いの拠り所とするためだった。
そのあいだ、彼女の薄灰色の瞳は、ずっとヴィンセントの表情をとらえていた。
ヴィンセントは、彼女が何を言っても、何をしても受け止める心づもりで、彼女の神秘的な瞳を見つめ返した。
「ヴィンセントは、この国を救いたいって思う?」
「……はい」
問いかけの意味を図りながら、正直に答える。何かを偽って、ノインの信頼や、気持ちを裏切る真似はしない。
きっと今までなら、ノインはヴィンセントの嘘くらいでは、傷ひとつつかなかったろう。
今は、些細なきっかけで崩れそうな危うさを感じる。そこまで彼女に踏み込むことを許されたことだけで、心が震えそうだった。
「そうよね。あなたにとっては、愛すべき国だもの」
しばし、間があいた。ノインへの返答は見つかっていたのに、それを口にするのが恐ろしかったからだった。
けれどノインに見つめられていると、恐怖が溶け、心のままの言葉がこぼれた。
「愛すべき国、でした。でも、今は違う……」
「それでも、あなたにとって、大切なのでしょう」
ヴィンセントはうなずきかけたが、結局、首を横に振った。
「……そうです。ですが……」
案じるようにヴィンセントを見上げてくるノインを、切ない思いでじっと見下ろし、目を細める。
「僕は、以前のような国を取り戻したかったのです。旅を始める前は、それができるのだと思っていました」
「『魔女』を見つけたら?」
「……」
ノインがあまりにもさらりと言うので、ヴィンセントのほうが苦しくなった。
魔女――ノインにもう一度会いたかった、その本当の理由は、ヴィンセントの甘えにほかならない。
ノインを見つけられたら、何かが変わると思っていたのは事実だ。ただ、それで救われるのは国ではなく、ヴィンセントだった。
ヴィンセントはたまらず目をつむり、許しを乞うようにこうべを垂れた。
「ノイン。あなたは、僕たちが出会った日を、憶えていますか」
ノインが答えるまでに、少しの沈黙があった。問いかけたとき、彼女が小さく息を吸った気配から、記憶をたどっているわけではないと、答えがわかってしまった。
「僕は憶えています。一度も、あなたを忘れたことはありません」
「馬車から降りるあなたを見て、なんて綺麗な子なんだろうって思ったわ」
「え?」
ヴィンセントが思った出会いの時点とは、少し違う。
思わず目を開けると、ノインは微笑んでいた。懐かしそうに目を細めて、口元は少し照れたように結ばれている。ヴィンセントの視線に気づくと、彼女はさらにふっと唇を緩めた。
「出会った、というのとは、違うかしらね。わたしが一方的に見ただけだもの」
「あの……」
ノインの反応が、想像と違って戸惑う。ヴィンセントの反応を見て、彼女は少し拗ねたようにむっとした。
「高貴な身分の人間となんて、縁のない暮らしだったのよ。そんな女の子にとってはね、身のこなしだけでも、見とれるくらいのものなの」
ノインが口にしているのが賞賛と知って、ヴィンセントの頬に血がのぼる。そんなヴィンセントを、ノインがからかうように、でも嫌味のない朗らかさで笑う。
「身のこなしだけじゃなく、本当に綺麗だもの、あなた。まだ子どもだった昔は、天使ってあんな感じかしら、と思ったの。そのあとに、見た目だけじゃなく、心も綺麗なんだなって、知った」
ノインの声と表情がかすかに翳り、微笑みは保ったまま、その気配は悲しげなものに変わる。彼女の思い起こした場面は、ヴィンセントの脳裏にもうかんだ。
「あの、森で」
何も言えないでいるヴィンセントを置いて、ノインは話を続けた。
「わたしは『記録』を見て、身分の高い人にはたいてい汚いところがあるものだと知っていたから、あなたも、どうせそうなのだと思っていたわ」
口を開きかけたヴィンセントを、ノインが視線で制す。
「でもあなた、あのときあの森で、わたしを心配するんだもの。たとえ何も知らされていなくても、あんな状況では、とっさにわたしを突き出すものじゃない?」
「僕も命を狙われて、将兵たちが味方だと思えなかったんです」
「それでも、わたしを逃したらよけいに自分の身が危ないとか、そういうことも考えずに、まっすぐわたしを見て……」
「見とれたのです、ノインに」
ノインの薄灰色の瞳は、あの夜と全く変わらない色でヴィンセントを見ていた。ヴィンセントを思い、心配する色だ。
「あのとき先に僕を案じてくれたのは、あなたのほうでしたよ。憶えていますか?」
「あなたに見つかって、不味いと思ったの。なのにあなたは、身じろぎもしないから、つい」
「つい、で僕を案じるあなたも、大概です」
決して楽しい記憶ではない。悲惨な夜の出来事だ。
それでも彼女との出逢いをたどっていれば生まれるのは懐かしさで、ヴィンセントは微かな笑みを含む息を吐いた。
そして身を乗り出し、ノインと繋いでいるのとは反対の手を彼女の肩に添えて、彼女と間近に顔を見合わせた。
「僕は、『魔女』があなたであることを知っていて……あなたを探していました。あなたにまた会いたかった。会って……」
ぐ、と息が詰まる。告白する決心をしたはずなのに、唇が震えた。
ノインが、空いていた手でそっとヴィンセントの強ばった頬を撫でた。
「あなたが無事であることを確かめたかった。そして僕は、あなたに償いをして、あの日に何もできなかった僕ではない……無力なばかりではない僕に、なりたかったのです……」
「あなたがわたしを庇ってくれたのだということは、すぐにわかったわ。公に言われた『魔女』の容姿は、わたしのものではなかったから」
そのために、無関係な人たちが大勢犠牲になっていることは、互いに認識していた。そのとき、ノインとヴィンセントの視線でやりとりされたのは、秘密を共有する共犯者の確認だった。
「ごめんなさい、ノイン。あのとき、あなたの大切な仲間が犠牲になるのを止められませんでした。僕が、身分にふさわしい力を持っていればよかったのです。それがないから、身分だけを利用されてしまった」
悔恨に歪むヴィンセントの目元をノインは指先で撫で解し、彼女もまた、秘密を告白するようにささやいた。
「あなたばかりに罪があるわけじゃない。わたしたちはもともと旅をする一族で、冬越えのためにだけ、ひっそり村を作るの。その居場所を国に教えた者がいたのよ」
「それは、なぜ……?」
「わたしたちのような暮らしをしては、一生、街の人々のような豊かさは手に入らない。だから国……どこかの貴族かしらね。それと取引をしたの」
はっと、ヴィンセントは目を見開く。
何かが繋がってゆく。
ノインにも、ヴィンセントが気づいたことは、伝わっているようだった。
「このあいだすれ違った馬の軍人、わたしが見かけたのは、あの日よ」




