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「逃げるが勝ち」と言うが、やっぱり逃げてるだけで勝ったとは言えないと思うのですが……。

作者: ふみ

 第一印象は最悪だった。黒宮結との初対面で日下部右京が抱いた感情は『恐怖』しかない。

 それも『怖そうな人だな』レベルではなく、自然と冷たい汗が流れ出して逃げ出してしまいたい衝動に駆られていた。日下部右京の『本能』が黒宮結との接触を拒絶している。


「……なんだ、『気の毒姫』の次は残念な一年の登場か?」


 黒宮結の隣りにいた大柄の男子生徒が右京を見て溜息交じりに言った。大柄の男子生徒が身に着けている制服の校章は青色で縁取られており二年生であることを意味し、日下部右京は一年生の赤色。


「先輩への挨拶もないのか?……流石に『夜叉』を手懐けたAランク様は違うな」


 後輩を相手にしての明確な嫌味であり、右京としてはこの先輩を先輩と認めて挨拶をしたくない気分にさせられた。それ以上に、この場所から逃げ出したい気持ちを落ち着けるのに精一杯で口を動かすことも出来ない。


「チッ!無視かよ。『Aランク様』にもなると先輩でも凡人相手はしたくないってか?」


 後輩である右京を『Aランク様』と呼んではいるが、見下すような表情を浮かべて完全に馬鹿にしている。右京はそんな態度を見せている男子生徒よりも隣りの黒宮結を意識から外さないように集中していた。

 黒宮結も男と同じ二年生であるが、細身で身長も右京より低い。黒く長い髪に深紅の瞳で美少女としての情報は右京も耳にも入っていた。


 ただ、黒宮結が『気の毒姫』と呼ばれていることも右京は知っている。

 美しい容姿と強気な態度で男子生徒からの人気を集めているが、それに見合わない気の毒な評価を彼女は与えられていた。それでも恐怖を感じる要素などないはずで誰からもそんな話を聞いたことはない。


「……俺を無視して残念な者同士で見つめ合ってるのか?」


 見つめ合っているわけではなかったが、結が右京見ているので右京も結から視線を外せないでいた。

 そんな状況の中で緊張している右京に結は微笑んで、半歩ほど右京へ近付こうとする。右京は少しだけ後退り、黒宮結を『気の毒姫』と呼び始めて油断させている誰かを責めたくなっていた。


◇◇◇◇◇


 右京が通う私立神納木学園は表向き普通の高校となっている。

 都内では有数の進学校として知られている高校ではあったが、入学試験では特定の人間にしか見えない問題が出題されており毎年数十人の特別入学枠が設けられていた。私立となっている点も偽りで公的機関としての役割が大きく、実際には国立になっていた。


『貴方は人間以外の異形な存在と接触したことがありますか?』


 入試で出題された問いに『はい』と答えていなくても読めているだけで合格する可能性は高いが、公的機関への配属を将来的に見据えているため通常学力も測定される。

 また、問題文の表現で『異形な存在と接触』となっているため霊感が強く見たことがある程度では必要なレベルに達していないことになる。


 そして、神納木学園に入学した後は通常の授業が終了すると問題文が読めた者だけに見える地下への階段が現れて特別授業『掃討課』が始まる。


『貴方は人間以外の異形な存在と接触したことがありますか?』


 この問いに『はい』と答えて入学した者は強制的に地下へ向かわされるが、『いいえ』と答えて入学した者は『地下へは行かない』を選択しても許されている。

 日下部右京は『いいえ』と答えていたが階段を下りて特別授業への参加を決めていた。


「……改めて入学おめでとう」


 通常の授業では日本史を担当している男性教師が鋭い眼差しを生徒たちに向けて挨拶をする。昼間の優しそうな雰囲気とは別人のようであり、教室にいる三十三人が緊張した。


「私は全員を無事卒業させるつもりで担当するが、これからは自己責任だ。人として必要なことを学び、誰よりも稼げる大人になってほしい」


 普通に生活している中で起こる科学では説明出来ないとされる現象は表層的なものである。『霊に呪われた』『未確認生命体を見た』等は人間が理解出来る範囲で面白半分に遊ばれているだけに過ぎない。

 霊は人のカタチをしており未確認生命体も似ている動物が存在する程度で不思議ではあるが人間の理解が追いつかない姿では現れない。


「入試の問題文が読めたってことは、君たちに『異形』を見つけることは可能だ」


 問題は『異形』と言われる存在であり、人前に現れることは滅多になく霊などを操り人間を弄ぶ。人の心を乱して世の中を混乱させたり、時には命を奪う。


「『異形』ってのは名前の通りメチャクチャな姿形をしている。まぁ、グロテスクかな?……悪意の固まりと思ってくれて問題ない」


 あまりシリアスに話をすることが得意ではないらしく、それまで厳しい表情で話をしていた教師は昼間と同じように柔らかな表情になっていた。


「世の中には理解に苦しむような悪事を働くヤツがいるだろ?それってのは『異形』からの『腐』を植え付けられてるんだ。……『腐』ってのは『負』でもある」


 黒板を使って二つの感じを並べた。


「この辺りの詳しい説明は改めてするけど、『負』の感情は人を殺す」


 教師が躊躇うこともなく『人を殺す』と言ったので教室にいる全員が再び緊張していた。これが昼間の通常の授業との違いだろう、一般の生徒たちを前にして話さないことを今後は学んでいくことになる。


「君たちには、これから『異形』と言われるものや『異形』に操られているものを退治してもらう力を身に付けてもらう。……在学中の危険も多いが、卒業後には十分な報酬を約束されている。場合によっては真面目に生きているだけでは着けない地位も与えられるかな?」


 高校を卒業して大学生活を送りながら『異形』対策を並行して学ぶことになるが、就職先に就職先に困ることはないだろう。


「もちろん在学中に命を落とすこともあるが、その点は心配ないよ。君たちの存在は最初からなかったことになるからね。……一般の生徒への記憶操作も先生たちがするから混乱も起きない」


 力をつける前に死んでしまえば入学した事実そのものがなくなるらしい。人数に差はあるが毎年必ず誰かは命を落としている。そのことを理解しながらも特別授業への参加を決心させるだけの見返りが社会には用意されているのだ。


「うーん、細かな内容は時間をかけて話をするよ。それよりも早く死なない程度には強くなってもらいたい」


 残酷な言葉に聞こえるが本当のことだった。

 日下部右京としては、この授業に参加出来ている時点で目的の大半を果たせていた。強くなる必要はないが実践授業には参加しなければならず、生きて卒業しなくては意味がない。

 そして、右京も想定していないことが起こってしまった。


◇◇◇◇◇


「……あなたが実習で敵前逃亡をしてしまった日下部右京君?」


 黒宮結は右京へ近づきながら優しく話しかけてきた。右京は結に気付かれないようにジリジリと距離を取ろうとしてはいたが、


「……私が、怖い?」


 と悲しそうな表情で言われた瞬間、右京は動きを止めてしまった。右京の取っている態度は一人の女子に向けるには失礼過ぎるものになっている。


「……あ」


 右京が自分の態度を顧みてしまった瞬間、結は音もなく正面に立ち右京の右肩に触れていた。


「油断しては、ダメですよ」


 結は身長差を埋めるため触れた右肩を自分に引き寄せて右京の耳元に囁いた。優しく柔らかな響きを持った声だったが、右京は死を覚悟した。


「フフッ、怖がらなくても大丈夫ですよ。……でも、それが正解」


 右京は冷たい汗を感じていたが、同時に「正解」の言葉に温かさも感じている。結は『自分を怖がることは正解』と言っていることになり、それは右京にとって非常に危険であることを意味していた。


「結姉ちゃん、学校終わったの?」


 今度は右京の背後から声がした。

 結を視界から外さないようにして右京は声がした方を見てみると、そこにはランドセルを背負った女の子が立っている。その女の子が右京に更なる絶望感を与えた。


――何なんだ一体。……この二人は何なんだ!?


 女の子の見た目は小学校低学年くらいの可愛らしく普通の子であったが、結とは別の嫌な感覚を右京に与えていた。二人に挟まれている状況に右京は絶望してしまっている。


「沙耶、また学園に入ってきたんですか?」

「うん、眼鏡の先生が入れてくれたよ。……学校終わってるなら一緒に帰ろ!」

「そうですね」


 結は沙耶に優しく微笑みかけて返事をした。結の態度は終始柔らかく、右京が異常なまでに緊張して対応している方が違和感ある。


「おい、待てよ!『大蛇』の件はどうなるんだ?」


 蚊帳の外に追いやられていた大柄の男子生徒が慌てて結に呼びかけた。この男子生徒が結と廊下で話をしている場面に右京が遭遇したに過ぎなかった。


「『大蛇』は現状私の物です。……今は、あれがないと困るので渡すことは出来ないですね」

「はぁ?お前が持ってても宝の持ち腐れだ。俺が使ってやる!」

「『使ってやる』?そんな横暴な考え方をしているようでは……」


 そこまで言って結は右京の方を見た。


「日下部君を見習った方がいいですよ」


 結は含みのある言葉を残して沙耶と帰って行ってしまった。右京は命拾いをした感覚しかなく、結の言い残した言葉を考える余裕はない。

 結と沙耶が居なくなって右京はみっともなく壁にもたれかかり座り込んでしまった。


「……助かった」


 右京は逃げ出すこともせず、この場に留まってしまっていた自分を悔いていた。生き残るためには命の危機に対して敏感でなくてはならない。感じ取っていた圧倒的恐怖で動けなくなることなどあってはならない。


「おい!」


 ここには右京以外に残された人物がいた。結がいなくなって右京は冷静に大柄の男子生徒の顔を見る。


「あぁ……、花島先輩、ですね」


 右京も顔と名前はしっており、二年の花島剛毅であることが分かった。この瞬間まで居ないも同然として扱われていた花島は右京の反応を見て苛立ってしまう。


「『気の毒姫』にビビッて、『Cランク』の俺のことなんて眼中にないってか?」

「……そんなこと、ありませんけど」


 落ち着いて呼吸出来る状況になったので右京は立ち上がって花島と向き合った。恐怖心は完全に消え去って何事もなかったように花島と会話する。


「まぁ、そうだよな。『Cランク』でも敵前逃亡するような腰抜け『Aランク』よりは役に立つよな?」

「敵前逃亡って、そんなにダメなことですか?」

「バカかお前は、自分より弱い相手を前にして逃げ出すなんて恥でしかないだろ」

「弱い相手?」

「あぁ、実習での相手は『Dランク』の下級程度だ。お前よりは確実に弱いだろ?」


 右京は『この人は分かってない』と感じてた。『自分より弱い』ことと『勝てる』はイコールでなく、相手は人間を殺すことに罪悪感を持たなっていない存在。


「お前が本当に『Aランク』なのかも怪しいけどな。あんな化け猫が座った場所で強さを測定するなんて胡散臭い話なんだ」

「『お花様』をバカにするんですか?」

「当たり前だろ、猫が座った場所でランクを決めるなんてどうかしてる!そもそも俺が『Cランク』のはずがないんだ!」


 学生の強さを測定するために用いられている方法は、『お松様』と言われる猫と一対一で対面することだった。『お松様』の後ろには『A』から『E』まで五等分された円が床に描かれており、『お松様』が座った場所が強さとされる。

 厳密には同じランクでも中心に近い場所に座ったほど強くなるのだが、強さは変化していくので『異形』と戦うための指標として大まかに使用されていた。


「どんな考え方も勝手ですが、俺は戦うことが目的ではないので」

「そうだな。お前は家業の病院を継げればいいんだよな?」

「病院は姉が継ぎます。俺は、そこで働ければいいだけです」

「臆病な上に志も低いのかよ。『除腐療術』の目を覚醒させたいだけか?」

「はい」


 迷いない答えに腹を立てた花島は突然右京に殴りかかろうとした。だが、その拳はいとも簡単に右京に止められてしまう。


「……申し訳ないですけど、花島先輩は怖くないので逃げずに相手出来ますね」

「クッ」


 体格の差は関係なかった。花島は全力を出しているが右京は余裕で拳を止めている。ランクを別にしても基本性能は右京が遥かに上回っていた。恐怖心で体が強張ることさえなければ相手を圧倒出来る力を右京は持っている。


「……もういいですか?」


 悔しそうな表情を見せている花島を無視することにして、当初の目的であった掲示板を確認する。最初の実習で敵前逃亡をしてしまったことで右京に問題が発生しているとすればパートナーを決めることであった。

 今後の課題には実害を齎している『異形』を駆除する実習も含まれているが敵前逃亡をしてしまった右京と組んでくれる者はいない。大人数で行動すれば警戒心の強い『異形』は隠れてしまうが、単独行動は危険過ぎる。そのため学園での実習は二人一組が原則となっていた。


◇◇◇◇◇


「それで、どうするんだ?」

「まだ決まってません。あの件以降、誰も組んでくれないので無理かもしれません」

「まぁ、一年と二年は奇数になってるから、どこかの組は三人編成にするしかないんだけど……」

「無理です。一人は戦って、一人は防腐する。その役割を交互に交代するんですから三人だとバランスが崩れます」

「うーん、確かに二人一組が基本だから例外は難しいかもしれないが、お前は『Aランク』だから実習程度なら一人でも十分対応出来るはずなんだ」

「それも無理です。……皆で『異形』を見た時も逃げ出したんですよ。一人で向き合うことは不可能です」

「自信たっぷりに言うな。……実習に参加するか依頼を受けるか、どちらかしないと目は覚醒しないと思うぞ」


 昼の通常授業が終わり、右京は担任と相談することにした。日本史の教師で一般クラスでも右京の担任になっている六道心であり、『掃討課』の一年生も担当している。沙耶を学園に入れた眼鏡の先生も六道である。


「……そう言えば、二年生も一人がパートナーを決められてなかったな」

「えっ?誰です?」

「黒宮結だ」


 この一瞬で右京は希望と絶望の両方を味わったことになる。二年生でパートナー探しに困っているのなら右京とでも組んでくれるかもしれないと考えていた。


「……黒宮……結」


 出会う前であれば黒宮結とのパートナーを望んでいただろうが、あの時の恐怖を経験しまった後では不可能になる。

 六道は自分の机に置いてあったファイルを手に取りパラパラと捲り始めた。


「……黒宮結。……『Eランク』だが『大蛇』を解除してる」

「『大蛇』ですか?」

「あぁ、お前の『夜叉』に比べれば劣るが、名前を与えられた装備だな」

「でも、『気の毒姫』って」

「知ってるのか?……あれだな彼女の強気な態度とランクが釣り合ってないから、周りの奴らがそう呼んでるらしい」

「……先生がそれを見過ごすんですか?」

「彼女自身、そう呼ばれていることを認めてるんだ。お前だって『逃亡王子』って呼ばれてるんだろ?」

「事実ですから仕方ないです。……『王子』に関しては親が病院の院長ってだけで付けられてるので、納得出来ませんけど」

「見た目じゃないのか?」

「俺、王子様っぽくしたことないですよ」

「黒宮は姫と呼ばれても遜色ない容姿だから同じ理由かと思ってた」


 そこで右京は結の容姿を思い出そうとしていたが、思い出されるのは恐怖だけで容姿が記憶に残っていなかった。


「……妹。……あまり似ていなかったような?」

「黒宮に妹はいないぞ」

「えっ?だって、ランドセルの女の子が迎えに来てましたよ」

「あの子は妹じゃない」

「妹じゃない?」


 結と同じように右京を恐怖させた存在であり、結の妹だと思い込んでいた。右京の悩んでいる表情を見て、六道はファイルから一枚の写真を取り出し右京に渡した。


「興味があるなら話しかけてみろ」


 渡された写真は黒宮結を正面からバストアップで撮った物であり、ここで右京は初めて冷静に容姿を見たことになる。写真を通しても僅かに恐怖を思い出したが、直接対面した時とは段違いである。

 一般の生徒は『気の毒姫』と呼ばれていることは知らない。その一般の生徒たちの間では美少女としてだけ有名になっているが、写真の中の姿が証明してくれている。


「……これが、黒宮結」


 普通に右京の好みだったことを理解して、何故この少女に恐怖していたのかを考えてしまう。右京は、この少女を前に動けなくなるほどの恐怖を感じていた。


「黒宮も沙耶ちゃんも、人間だ」

「えっ!?……どうしたんですか、突然」

「あれ?これは今のお前に最低限必要な情報じゃなかったか?」


 六道に全てを見透かされているような感覚にさせられた。右京にとって最低限必要な情報であることは間違いない。右京は臆病ではなく、高校に入学するまで誰かに恐怖を抱いたことは記憶になかった。

 実習で『異形』を前にした時に恐怖から逃げ出してしまったが、それは『異形』であったからだと思っていた。黒宮結は『異形』ではなく『異形』を掃討するための学園に通っている生徒でしかない。況してや沙耶はランドセルを背負っている小学生。


「……何を知ってるんですか?」

「教師として必要な情報は持ってるさ」

「怖いですね」

「怖いと言いながら逃げ出さないんだな?」


 この時に右京が感じた怖さは本能から来るものではなく、単純に大人に対する不信感のようなものだった。都合良く言葉を使って答えをはぐらかし、本心を見せない狡猾さを怖いと表現したに過ぎない。


「『異形』の時とは違いますから。……あれは、あの姿は心の奥底にある恐怖まで呼び起こされるような感覚でした」

「動物としての本能か?」

「たぶん。見た目のグロテスクさもありますけど、あれはダメです」

「他人事みたいな言い方をするなよ。お前だって、アレを相手にするんだぞ」

「……はい。……でも、その前にパートナーですね」


 六道は頷くだけで明確な道筋は示してくれない。

 右京の父は総合病院の院長をしており、代々『除腐療術』で『異形』から『腐』を与えられた人間の治療を行っている家系だった。『腐』は『負』として人間を侵食して罪を犯すようになってしまう。その前に取り除くための治療をする目が必要だった。

 その目は日下部の血族に受け継がれているが、目の覚醒を促すために『異形』と接触を繰り返す必要があった。


「目を覚醒させるためには『異形』とも戦わないとダメですか?」

「必ずしも戦う必要はないが、『異形』と接触して逃げるだけってのは難しいかも。……お前の姉さんはそれなりに強かったぞ」

「えっ!?姉を知ってるんですか?」

「同期だよ」


 全く予想していなかった答えが返ってきて右京は驚きから固まってしまう。よく世話をしてもらってはいたが姉との会話は少なく、仕事が忙しくなってからは家で会う回数も少なくなっていた。教師である六道と同期であることも意外だったが、強かったことも知らない。


――病院は私が継ぐから、右京は自由に生きればいい。


 神納木学園に入学することも良い顔をしなかった姉を思い出していた。そして、姉は右京が『逃亡王子』と呼ばれていることを知り、『掃討課』を離脱する方法のメモを家に残していた。


◇◇◇◇◇


 それから数日、パートナー問題の解決策を見つけられないまま過ごした。『掃討課』の授業が終わった後、掲示板に貼りだされた依頼書を無駄に眺めてしまう。

 実習とは別に学生向けの簡単な依頼があり、依頼を達成することで報酬を得られるようになっていた。『掃討課』に参加する学生は人助けをしたいわけではなく、明確な見返りを求めているのだ。


「結局はお金ってことか……。分かりやすくていいけど、それで恐怖心って克服できるものなのか?」


 誰も居ないと思っているので独り言が出てしまう。


「克服ではないですね。本当に恐怖を克服してしまった人は、あちら側に行ってしまいますから我慢しているだけです」


 右京は背後から突然話しかけられたことで慌てて振り返る。聞き覚えのある声で、あの時の記憶が一瞬にして蘇った。


「今日は前回よりも落ち着いて話が出来ると思いますよ」


 そこには黒宮結が立っていた。右京が厳しい視線を結に送るのとは対照的に優し気な微笑みを見せてくれている。


「……黒宮……、結」

「あら、呼び捨てなんですか?」


 確かに前回のように恐怖で体が動かなくなるようなことはなかった。それでも、右京の記憶は結に対する恐怖心を鮮明に覚えていたので緊張感はあった。


「……申し訳ありません。……黒宮、先輩」

「フフッ、冗談ですから気にしないで」


 写真では何度も見ていたが、落ち着いて結の姿を視界に収めることになり少し照れてしまう。間違いなく右京のタイプであり、細身の体形の割には胸が大きかった。


「……どこを見ているんですか?」


 結の表情が厳しくなりバチンッと空気が弾け、前回と同じ感覚が右京の中に生まれた。だが、その感覚は一瞬で消え去っていたが右京は持っていた細長い袋を握り締めている。


「良い反応です」

「……何が……、です?」

「私が怖いのですよね?」

「……先輩を怖がる理由が、ありません」

「理由なんて必要ないです。日下部君の本能が私を怖がっているんです」


 右京が結を怖がっていることを結自身分かっている。その理由も結は分かっていながら結は右京に話しかけていた。


「俺に何か用ですか?」

「はい、私とパートナーになってほしくて日下部君を探していました」

「えっ!?」

「日下部君もパートナー探しに困ってると六道先生から聞いたので」


 右京の頭には六道が笑いかける表情が浮かんでいた。


「確かに困ってますけど、敵前逃亡をした俺では役に立てないです」

「大丈夫です。二人一組でないと受けられない依頼ばかりなので一緒に申請してくれるだけで問題ありません」

「……一緒に依頼を受けるだけ、ですか?」

「はい。戦うのは私一人」


 結は『気の毒姫』と呼ばれ『Eランク』であり、受けられる依頼はなかったはず。そのために『Aランク』の右京を頼っているのであれば理解できるが、一人で戦うことにはならない。


「俺、『Aランク』になってますけど戦闘経験もないので、いきなり依頼は受けられませんよ」

「それも大丈夫です。私がいれば受けられます。……強いて言うのなら、沙耶のお世話をお願いしたい」

「……沙耶?」

「先日、日下部君も会っています。ランドセルを背負って私を迎えに来た女の子」

「……あぁ、はい。……覚えてます」

「私が戦っている間、私の見える場所にあの子と一緒にいてください」

「え?あの子も連れて行くんですか?」

「はい」


 落ち着いて話を出来る状況になってはいたが、話している内容を右京は理解できないでいた。『異形』との戦いの場に小学生の女の子を連れて行くことになれば、その子を危険に巻き込んでしまう。


「そんな、危ないです。……それに『異形』なんて見たらパニックになる」

「心配はいりませんよ。あの子は全てを受け入れていますから」

「受け入れてる?」


 余計に意味が分からない表現になっていた。右京ですら『異形』を前にして逃げ出してしまったのだから幼い女の子が耐えられるわけない。


「沙耶が遊園地に行きたがっています」

「は?」

「国からの支援で生活するには困らないのですが、なかなか贅沢はさせてあげられなくて」

「はぁ。依頼を受けて報酬で遊園地ですか?」

「はい。三人で遊園地に行くとなると、意外にお金がかかるらしいので困っていました」

「三人で?」

「はい。私と沙耶と日下部君です」

「俺も含まれてるんですか?」

「当然です。私たちは遊園地での遊び方を知らないのですから引率が必要になる」


 結は淡々と話を進めているが右京は戸惑いしかない。依頼を受けるためにパートナーを組むことと遊園地に行くことは別問題であるはずだが同レベルで話が進んでいた。


「それに、『異形』と日下部君が欲しい物も手に入るのではなくて?」

「あっ」


 このまま何もせずにいても、右京が望む目は手に入らない。無駄な三年間ではないにしても有意義な高校生活にすることは出来ない。

 ただ、右京が恐怖を感じていた対象は結だけでなく沙耶も含まれていた。


「俺は、あの子、沙耶って子も怖かったんです」

「分かっています。……でも、それは私にどうすることも出来ません。ですが、今は耐えられる程度のはずです」

「え?」

「何でもありません。こちらの話です」


 謎になっていることは一つも解決出来ていない。それでもパートナー探しに関しては前進していることになる。あとは右京の覚悟が決まるかどうかだけだった。


「私たちが危なくなったら、日下部君は気にせず逃げてくれて構いません」

「逃げて、構わない?」

「はい。逆に逃げてくれないと困ります。私たちを助けようなんて考えないでください」


 結は右京が『Aランク』だから誘っているのではなく『逃亡王子』だから誘っていることになる。その理由が意外過ぎて困惑しかなかった。


「パートナーって、信頼関係で成立するものですよね?」

「はい。私は日下部君が本能に従って動ける人だと信じています」

「……恐怖心」

「はい。みんな、そのことに対して鈍感すぎます。その点では誰よりも日下部君を信頼しています」


 逃げ出したことを否定されることはあっても肯定されたことは初めてだった。そんな右京のことを信頼していると断言している結の考えは理解できなかったが、右京は認められていることが単純に嬉しかった。


「……黒宮先輩って『Eランク』ですよね?」

「はい。『Eランク』です。でも、絶対に大丈夫ですので戦いは任せてください」

「それでも危なくなったら逃げていい?」

「はい。気にせず逃げてください」


 信頼に足る根拠は何もなかったが、右京を信頼してくれていると言う結を信じてみたい気持ちにさせられている。結が『Eランク』だとしても学園に入る依頼程度であれば逃げることは可能だ。


「……遊園地に連れて行ってあげたいだけなんですよね?」

「はい。沙耶にご褒美を上げたいんです」

「それなら、それほど報酬は高くない依頼でも平気ですよね?」

「はい。平気です」


 ここで断ったとすればパートナーが見つかる可能性は次の新入生が入るまでなくなってしまう。入ってきたとしても『逃亡王子』を選ぶとは思えず、これが最後の機会なのかもしれない。

 前向きな思考ばかりではなかったが後ろ向きな思考でもなく、信頼されているという言葉に心を動かされてもいる。


 奇妙な信頼関係になっているが、右京は『気の毒姫』と『逃亡王子』のコンビが成立するのも面白いかもしれないと考えてしまっていた。


――悩んでいても仕方ないか


 態度は強気だが低ランクと高ランクだが逃げ腰の二人で学園最弱かもしれないコンビの誕生になる。

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