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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

作者: 秋月乃衣

 

 重厚な両開きの扉を開け、システィーナはそこに足を踏み入れた。王宮の敷地に存在する静謐な聖堂。厳かで神秘的な空気に萎縮しそうになりながら辺りを伺い、恐る恐る歩みを進めた。

 宗教画が描かれているステンドグラスからの差し込む光が、システィーナの白くきめ細やかな肌を照らす。

 癖のない薄水の髪に、大きな琥珀の瞳。華奢な体を包むのは、華美すぎない品のある菫色のドレス。


 広い聖堂をある程度進むと、奥に佇んでいる見慣れた姿が視界に飛び込んできた。システィーナの視線の先には、一人の青年。

 彼の濃紫の髪は光りに当てられ、輝きを増している。宝石のような美しい紅玉の瞳。繊細な面立ちの彼はこの国の王子であり、システィーナの婚約者。


 途端、システィーナの小さな薔薇色の唇が弧を描く。


「クロード様」

「システィーナ、よく来てくれたね」


 呼びかけると、穏やかな微笑みを返してくれる。


 システィーナがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、クロードの涼やかで良く通る声が聖堂内に響いた。


「今日は君に、大事なことを伝えるために来て貰ったんだ。実は先日、パメラが聖女である事が判明してね。おいで、パメラ」

「え……」


 呼ばれて横手から出て来たパメラはクロードの方へ歩み寄り、照れた様に頬を染める。

 対してシスティーナの琥珀の瞳は、困惑の色を浮かべた。

 これがわざわざ自分が聖堂に呼ばれた理由なのかと、戸惑いが隠せない。

 確かにこの国、イデオンにとって聖女が見つかるのは大変喜ばしい出来事である。


「それはおめでとう、ございます」


 システィーナは淑女の礼をして、祝辞を述べる。

 パメラは緩いウェーブのかかった、美しい碧色の髪を持ち、システィーナより一つ年上の令嬢だ。

 彼女は隣国、ヴェルザスの出身で現在王妃の侍女を勤めている。


 状況がいまいち飲み込めず、困惑するシスティーナへ、にべもなくクロードの言葉が向けられる。


「そしてシスティーナ、貴女は聖女たるパメラへ日常的に嫌がらせをしていたと報告が上がっている」

「え?」

「よって君との婚約を破棄する」


 冷めた瞳に婚約者を写し、言い放つ言葉はまるで氷の刃のようだ。それは鋭利な刃物となって、システィーナの心に深く突き刺さる。


「そして僕の妃には、パメラを迎えたいと思っている」

「クロード様、何をおっしゃっているの?わたしには全く身に覚えが……」

「その女を捕らえよ」


 震えながらも反駁しようとするシスティーナの言葉を、クロードは遮った。

 その命令と共に、神殿の奥に潜んでいた騎士達がシスティーナを取り囲む。


「待って下さい!クロード様!こんな……」


 いくら濡れ衣を着せられていたとしても、深窓の令嬢であるシスティーナは身がすくみ、大した抵抗も出来ないまま、捕縛されようとしていた。

 この状況なら逃げようとしたとて、無駄な抵抗に終わり、更に罪を重ねてしまう結果になるだろう。

 今は彼らに従うしかなく、疑惑を晴らすのはその後だと思った。


 ──大丈夫、きっと疑惑は晴れる筈。

 そう心中で呟くシスティーナがふと上を見上げると、二階席から見下ろす人物と目があった。


「王妃様……」


 ポツリと呟いたがそのまま歩くことを促され、騎士達に囲まれながらシスティーナは聖堂を後にした。



 ◇


 システィーナは王宮敷地内の、石で造られた塔の中へと監禁されていた。貴族用の独房である。


 一体何日、この薄暗い牢で過ごしただろう。三日を過ぎてから、数える気力もなくなっていた。

 もうすぐ春を迎えようとする季節だが、石造りのこの塔では冷たい空気が、足下に絡み付いてきて寒い。


 独房といっても貴族用の部屋とあって、殺風景ながら簡素な寝台とサイドテーブルが備え付けられている。

 申し訳程度の小さな窓は日当たりが悪く、鉄格子が嵌められている。


(このまま大切な人達に会えないまま、わたしは断頭台に登るのかしら……)


 聖女を害したと、覚えのない罪を着せられたシスティーナの疑惑は、晴れるどころか遂には断頭台に登ることが決定された。


 この牢に入れられた直後は混乱しつつも、すぐに両親が助けに来てくれると信じきっていた。

 しかし幾ら待っても両親の訪れはない。

 たまに役人が決定事項を告げに来るのみで、看守の目さえあまり感じられない。

 完全に世界から孤立したように錯覚し、精神は疲弊していった。

 そのためか、元々華奢だった身体は一層痩せたようだ。


 何をするでもなく、呆然と寝台で横になっていたシスティーナの瞳から、一雫の涙が溢れた。

 ここに来てから幾度も涙を流し続け、十六年間生きてきてこれ程涙を流したことはない。お陰で涙はとうに枯れ果ててしまったかと、思いこんでいた。


 同時に何故このような事態になってしまったのかと、頭の中はもう何度目か分からない考察で占められる。


 自分が現在このような状況にいるのは『パメラ』に関係があるらしい。


 パメラは王妃が祖国から呼び寄せた、同郷の侍女である。王妃はパメラが甚くお気に入りのようで、お茶会などにも招待客として彼女を呼んでいた。

 システィーナ自身、自分は王妃にあまり好かれていないと感じている。それもパメラが現れてから顕著に感じていた。


 だからといって、システィーナはパメラに危害を加えたことは誓ってない。

 そもそも彼女とは、あまり関わった記憶さえないのだ。


 身に覚えのない罪で独房へと閉じ込められたシスティーナにとって、この状況は到底受け入れられる訳がない。


(婚約を破棄したいからといって、このように無実の罪を着せるなんて……)


 婚約者であったクロードは、その美しい見た目もさる事ながら、内面は穏やかで思慮深い。システィーナにとって、彼はずっと理想の王子様だった。


 やはりシスティーナとの婚約破棄は、パメラとの婚姻を結びたいための強硬手段だったのだろうか?

 そのためだけに婚約破棄だけでなく、無実の罪を着せるとは……優しかった婚約者がこのような強引で残酷な行動に出るなどと、システィーナは未だ信じられない思いでいた。


 単純に、婚約破棄だけすれば良かった話ではないのか。それとも他に思惑があるのだろうかと、必ず疑念が生じてくる。

 しかし幾ら考えても答えに行きつかず、思考は深い迷宮を彷徨い続けていた。


 流石に眠気も皆無となり、特に何をするでもなく上半身のみを起こす。そして寝台の上に腰掛けたまま視線を移し、ぼんやりと窓の方を見た。

 この位置から外は見えず、意味も無くただ一点を見つめるのみ。


 刹那、カタンと微かな物音が聞こえた気がした。


 音がした方を見やると、暖炉がある場所だ。

 一度でも火を焚べたことがあるのか、不明な暖炉である。

 暖炉には特に異変もなく、家鳴りの様なものかと、システィーナが視線を逸らしかけたその時──。


「お嬢様」


 確かに声が聞こえた。聞き慣れた、涼しげで落ち着いた声が暖炉の方から。

 正確には暖炉の横手の床が少し浮いており、その奥にある真っ黒な瞳と目があった。

 床の一部が、隠された跳ね上げ戸となっていたようだ。


「レイ……!?」

「しっ、見張りは大丈夫ですか?」

「今は大丈夫よ」


 黒の瞳と髪を持つ侯爵家の使用人レイだ。システィーナは声を顰めて返答した。


「簡潔にお伝え致します。今日から丁度二週間後、お嬢様の処刑が決定してしまいました」

「そんな……」

「ですがそうなる前に、明後日の夜に俺が必ず助けに参りますから、それまでの間もう暫くお待ち下さい」


 システィーナは期待と不安の入り混じった感情で、頷いた。


「分かったわ」

「では明後日、必ず……」


 跳ね上げ戸が静かに閉じられていく。

 縋りたい気持ちをぐっと堪え、今は静かに見送った。


 迎えに来ると約束してくれたレイ。

 本当に来てくれるだろうか?

 システィーナには、レイを信じるしか道は残されていない。レイが本当に来てくれるか、それともこのまま助けが来ず、断頭台へと上がるのか──。




 ◇


 ──二日後の夜


 再び暖炉横の跳ね上げ戸が開いた。

 レイが迎えに来たのだ。


 促されるまま、システィーナは戸の内部へと降りていった。

 どうしてこの様な隠し通路を、彼が知っているのだろうか。

 様々な疑問が頭に浮かぶが、今はそのような悠長な時間はない。


 見つかれば再び牢に閉じ込められ、殺される。

 レイが声を出しても良いというまで、決して声を出さずにその背中の後を追う。


 レイが下げる一燈を頼りにカビた、嫌な匂いが鼻につく地下通路を歩き続け、ようやく地下から地上へと出ることができた。


 既に王城の敷地の外だった。そこは古びた礼拝堂の中。一息つく間も無く、レイが瞳に真摯な色を宿して言葉を紡ぐ。


「朝になれば、お嬢様がいなくなったと気付かれる筈です。出来るだけ王城から離れつつ、港に向かいます。このまま国外へと脱出しましょう」

「国外……」

「お嬢様の疑いが晴れるまで、この国を出ます」


 いくら濡れ衣といえど、自分はこの国では犯罪者であり、脱獄犯──改めて突き付けられる現実に、心が締め付けられそうだった。


「大丈夫、俺が必ずお嬢様をお守り致します。旦那様や奥様とも、そう約束致しました」

「お父様、お母様……」


 自分は親に見捨てられた訳ではなかったのだ。今はそれだけで、僅かに安堵した。

 すぐにでも屋敷に帰って、両親に会いたい。

 しかし両親と無事に再会するために、まずは生き残らなければならない。


 気持ちを一新し、システィーナは国を出る決心をすると、レイに連れられて港へと向かった。



 ◇


 空が白み始める頃、システィーナとレイの姿は船乗り場にあった。そして二人は朝一で出航する船へと乗り込み──船旅を経て辿り着いたのは、ヴェルザスの港町。


 いずれ外交などで訪れる機会があるとシスティーナは思っていたが、まさかこの様な形でヴェルザスへ足を踏み入れるとは、露程も思っていなかった。


 独房から逃れて以降、システィーナの装いは、レイの用意してくれた旅装となっている。目立つ髪はフードで隠して行動しているが、ここ隣国で生活していても「イデオンにて、処刑が決まっている侯爵令嬢がヴェルザスへと逃げ込んだ」との情報は入ってこない。


 他国にいる人間を裁くのは難しいのだろう、ヴェルザスに来てからというもの、平穏無事に時間が流れていた。

 現在レイが持って来た路銀で生活しているが、それが尽きても侯爵から預かっている宝石類を売りながら、当分不自由なく暮らしていける。


 自分の帰りを待ってくれている両親の支援あって、ようやく自分は生きることが出来ている。そして何よりレイが側にいてくれることが、システィーナの大きな心の支えとなっていた。

 彼がいなければ、買い物の仕方すら分からなかった程だ。


 港町から移動し、現在は街道沿いにある商業都市へと身を寄せている。ここを生活の拠点として、一月が経過しようとしていた。


 宿では隣接する二部屋を借りている。ヴェルザスでの暮らしに、システィーナは大分慣れつつあった。

 侍女がいなくとも一人で着替えをしたり、少しずつ自分の力で出来ることを増やしている。最近では、お茶の淹れ方も覚えた。

 そして現在システィーナは宿の自分の部屋で、街の通りを眺めている最中である。

 レイが買い出しに行った後、システィーナはこうして彼の帰りを待つことが多い。


 商人が多く訪れる町とあって人口も多く、行き交う人々の活気で溢れている。

 しばらくそうやって町の様子を眺めていると、レイの姿を見つけた。

 荷物を抱えて宿の方へ向かっている様子から、買い物を終えた後だと予想がつく。

 宿に入り、階段を登ってこの部屋の扉をノックするのに、そう時間は掛からないはずだ。


 レイは外出した後、宿へと戻るとシスティーナへ帰宅を知らせるため、この部屋を必ず訪れて報告してくれる。


 レイが戻ったら一緒にお茶の時間にしよう。そう頭の中で呟きながら、浮き足だった様子で扉前に立ち、レイを待つ。

 少し経って扉が叩く硬い音がし、システィーナはすぐに扉を開けた。


「お帰りな──」

「見つけた、システィーナ」


 最後まで言い終わらず、言葉が霧散した状態で固まるシスティーナの眼前には、イデオンの王子クロードが立っていた。


 紅玉の瞳でシスティーナを見下ろすクロードは、にこりと微笑みを浮かべる。


(クロード様……!?)

「久しぶりだね、システィーナ」


 かつて自分の婚約者だった筈のクロード──以前と変わらぬ微笑みを浮かべる彼が、何故ここに居るのか。そして今一体何を思っているのか分からず、システィーナはただ恐ろしかった。


 動きも思考も停止してしまったが、なんとか扉を閉めようと、震える身体に力を込める。

 だが華奢なシスティーナの力がクロードに敵うはずがなく、簡単に阻まれてしまい、扉は大きく開かれた。


(どうしてクロード様が……レイはどこ……)


 宿生活に慣れ、つい扉の向こうにいるのは誰なのか、確認を怠ってしまった浅はかな自分を呪う。どうして今日に限ってと。


(もう少しでレイが戻るはずなのに……)


 クロードの後ろに控えていた使用人姿の女、二人のうち一人が素早くシスティーナの背後に回り込む。

 あっという間に抑え込まれ、身動きが取れない中、辛い記憶が頭に過ぎる。

 ──このままイデオンに連れ戻され、再びあの寒くて寂しい独房へと戻されるのだろうか。


(それだけは絶対に嫌!)


 レイが戻れば、きっと助かる。一縷の望みに縋る様に、彼の名を呼んだ。


「いやっ、レイ、レイっ!!」


 だが口を塞がれ、それ以上叫ぶことは叶わなかった。

 もう一人の女がシスティーナの顔の前に手を翳す。途端システィーナの全身から力が抜けていく。遠のく意識の中、クロードの「丁重に扱え」といった指示が聞こえたのが最後、そのまま眠りへと堕ちていった。


 ◇


 暗闇の中、ガタゴトと律動を刻む音と揺れで、システィーナは意識を取り戻した。薄っすら瞼を開けると、目の前には女が二人腰掛けている。長い黒髪を一纏めにし、眼鏡を掛けた女と、濃茶の髪を短くした女。クロードと共にいた、システィーナを捕らえた二人である。

 使用人の格好をしているが、システィーナを捕える時に見せた動きは素人のそれではなかった。確実に戦闘の訓練を受けたプロだということが、システィーナの素人目でも分かった。


 現在システィーナは馬車で運ばれているらしく、女達の向かいの席に寝かされている。


(わたしが捕まったままだということは、レイは間に合わなかったの……)


 意識を失う直前の記憶を手繰り寄せ、事実に絶望してしまいそうだ。


(このまま何処に連れて行かれるのかしら……やっぱりイデオンに……?)


 上体を起こすことは叶わないが、体感として馬車は山道を走っているようだった。

 クロードの目的は一体何なのか、システィーナには見当が付かない。


 システィーナは再び瞼を閉じる。

 イデオン王宮の牢へと閉じ込められていた時の自分を、助けに来てくれたレイを思う。彼の姿を思い浮かべると、やはり完全に希望を捨てきれない。


 馬車が止まり、システィーナが降ろされたのは、山の上にある神殿だった。

 神殿の中へ入るよう促され、渋々足を踏み入れる。


 奥まで進むと、祭壇の前で背を向けて立っている元婚約者が視界に映る。システィーナの元婚約者、クロードがゆっくりとこちらを振り向いた。


 この既視感は、婚約破棄を言い渡されたあの日のことを思い出されるからだ。

 ついにイデオンの聖女が見つかり、それがパメラだということ。その聖女を害した自分は婚約破棄を言い渡され、挙句捕縛された。


 あの時の言葉、声が鮮明に蘇る。脳裏に焼き付いている。


 違いといえば、以前はイデオン王宮にある聖堂で、現在はヴェルザスの神殿ということ。

 この二カ国は異なる神を崇拝し、互いに自国の神を世界の主神と信じ、もう片方を邪神としている。相反する両国は長きに渡り、関係は良好なものではなかった。

 いつ争いが起こるのか、緊張の続く両国の友好のため、ヴェルザスからイデオン王に輿入れしたのがクロードの母コルネリア妃である。


 クロードは目の前の、古い大きな箱型の物に手を触れながら口を開く。

 材質は何か分からないが、鉄や鋼のように固そうに見える。


「これがヴェルザスの神が眠る箱だよ」


(神?)


 人が何人か入れる程の大きさはあるが、そこに神が入っているとは甚だ疑問である。御神体のような物だろうかと、システィーナは心中で首を傾げた。


「パメラ、聖女である君の力を貸してくれるね?」

「はいっ」


 呼ばれて祭壇下にある、横手奥の間からパメラが兵を引き連れて出てきた。鎧に刻まれた紋章を見るに、彼らがヴェルザスの兵だと分かる。

 ヴェルザス兵を祭壇下に待機させたまま、パメラのみが階段を登ってくる。

 頬を染めながら駆け寄ると、うっとりとした瞳でクロードを見上げた。


 彼女も来ていたのかと、システィーナは心中で独りごちた。

 そしてクロードは、パメラに向けた優しい声音とは真逆の硬い声を響かせる。


「レイ」

「はい」


 システィーナは、まさかという思いで、声がした自身の背後を振り返った。


「え……レイ?」


 漆黒の髪に瞳を待つ青年。紛れもなく、見慣れた自分の従者がそこに立っていた。「どうして?」と声も出ないシスティーナの横を、一切顔を向けずにレイは通り過ぎていく。


 祭壇まで辿り着いたレイは片膝を立て、恭しくクロードに剣を捧げた。


「ここまでご苦労だった」


 受け取ると、クロードは鞘から剣を抜く。

 システィーナはその剣を見たことがある。王宮に飾られている歴代の王の姿絵、その中に描かれているイデオンの宝剣。


(どういうこと?レイはわたしを裏切ったの?わたしをここへ連れてくるのが目的……)


 この神殿に連れて来るために、レイは自分を助けたのだろうか。いや、それにしては回りくどすぎる──システィーナの思索の糸を、クロードの声が断ち切る。


「神に生贄を捧げる儀式を始めよう。システィーナ嬢を前へ」


 両脇に立つ女二人に促され、システィーナは祭壇まで連れて行かれた。

 恐ろしくて堪らないのに、抗う気力すらなくなってしまったようだ。

 クロードが剣を掲げる。

 生贄を捧げると言ったクロードは、その剣で何をするつもりなのだろうか。生贄とはきっと自分のことなのだろう。


 そうシスティーナが確信したその刹那、視界が黒で覆われる。


「お嬢様」

「レイっ!?」


 レイがシスティーナを庇う様に、目の前に立ったのだ。


(何故わたしを庇うの……?)


 クロードが剣を振り上げたのは、きっと何かを斬るため。そしてレイは何故自分を庇うのか。

 疑問の言葉を頭に並べた途端、システィーナは一瞬で身体中の血液が、凍りつく程の錯覚を覚えた。

「駄目!」と叫びながら目の前の背中に抱きつく。


「お嬢様、俺は大丈夫です」


 咄嗟に瞑ってしまった瞼を開け、状況を把握しようとシスティーナは辺りを見渡した。

 クロードの剣は、パメラの胸を貫いていた。


「か、はっ……、どう……して……」

「ひっ……!?」


 血を流しながら問い掛けてくるパメラに何も答えぬまま、クロードは剣を引き抜く。

 鮮血がびしゃりと箱に飛び散った。


 レイはこの惨たらしい光景を見せないよう、自分を庇ってくれたのではないか。そんな考えが頭に過ぎりながら、顔を背けたシスティーナの耳に怒号が響く。


「貴様!!」

「操れていなかったのか!?」


 ヴェルザスの騎士達が、鞘から抜いた剣を手に構えていた。

 怒気を纏い、向かってくる騎士達に、クロードの従者である二人の女が身構える。


「殿下、システィーナ様、お下がりください」


 従者の取り出した暗器が弧を描く。黒髪を靡かせ、剣先を避けながら隠しナイフを投じる。


 パメラを刺した宝剣とは別に、クロードの腰に携えられていた剣を借りたレイが応戦する。


 レイは相手の剣を受け流し、敵の剣が翻る前にその身を突いた。

 金属の交わる音に、システィーナはただ震えた。


 ようやく神殿内に静寂が戻ると、辺りには無数のヴェルザス兵が転がっている。

 死体に向けてくつくつと、喉を鳴らして笑うクロードの瞳には、剣呑な光が宿っていた。


「操られていたよ、最初の三日程はね」


 その言葉にシスティーナは驚き目を見張るも、すぐに背後を振り返った。

 祭壇に置かれた箱がガタガタと音を立てて震え出したのだ。不気味な光景にたじろぐシスティーナをよそに、毅然と箱の方へとクロードが歩み寄る。


「さぁ、ヴェルザスの神のお目見えだ」


 徐々にズレていった蓋が床に落下する。

 箱は更に四方に開かれ、中から出てきたのは古びた兵器のような物だった。


「これがヴェルザスの神が宿る古代兵器か」

「兵器……」


 御神体は箱ではなく、中の兵器の方だったのかとシスティーナが理解した瞬間……。


『ア……アァ……』と呻き声を上げるそれに、システィーナは驚きすくみ上がる。


「生贄を欲するヴェルザスの神は、王族や聖女の血で蘇るとされている。そのような禍々しい存在……やはりヴェルザスの神こそが、邪神だと僕は考えるんだけど、システィーナもそう思うよね?」

「……」

「でも神だろうが邪神だろうが、そんなことはどっちでもいい。

 魔法で操った僕の口から、システィーナに婚約破棄を言い渡すなんて……。あの女、コルネリアも、コルネリアが信仰するヴェルザス神も僕は絶対に許しはしない」

「!?」


『イデオン……』


 兵器から不気味な男性とも女性ともとれない声が、苦しげに呟かれる。やはりクロードの言う通り古代兵器に神が宿り、封じられていたらしい。


「お前の聖女が息絶えて、中途半端な復活となったようだね。昔文献で読んだんだ、過去にヴェルザスは自国の聖女を生贄に捧げて、神を眠りから目覚めさせたことがあるらしい。そしたら力の源である聖女を失って、中途半端な復活になってしまったと。

 聖女の血で蘇った癖に、聖女がいなければ力を発揮出来ないなんて、滑稽で笑えてくるよ」


 声を出して笑い声を上げたクロードが振り返る。


「ごめんねシスティーナ、少しだけ力を貸してくれるかな?共にあの禍々しい神を滅ぼそう」

「え?」

「こちらは神器であるこの剣も、聖女も揃っているから大丈夫」


『神器』と呼ばれるその剣をシスティーナに握らせ、クロードは背後から手を回す。そして彼は剣を握るシスティーナの手に、自身の掌を重ねた。


 システィーナの全身を熱が駆け巡り、頭の中に誰かの声が流れ込んでくる。システィーナはその声を、すぐにイデオンの神だと理解した。

 剣から光が放たれ、光弾は古代兵器を真っ二つに両断し、破壊した。


 呆然とするシスティーナは、倒れているヴェルザス兵を目にした途端、我に返る。


(このままヴェルザスとの関係が悪化すれば、最悪戦争になってしまうかもしれないわ……)


 システィーナの心情を汲み取ったかのように、クロードが口を開く。


「これは僕があの女に魔法で操られた上で起こった出来事なんだから、あの女とヴェルザスの責任だよね。魔法の掛け方を誤ったか、それともイデオンの王子は操られたせいで、気でも狂ったのかもね」


 あの女とは、クロードの実母である王妃コルネリア。自身の母を「あの女」とまで呼ぶクロードは、王妃を恨んでいるのだろう。

 そして操られていたフリをしていたクロードが、実は正気だったと知るヴェルザスの人間はもはや、死体となって転がっている。


「極秘任務のお陰でヴェルザスの兵は少数だったが、長居するのは危険過ぎる。早めに……いや、その前に」


 クロードはシスティーナに片膝をつく。


「君を傷付けて本当にすまなかった。心から謝罪したい。これからも僕の婚約者でいてくれるだろうか……?」

「えっ、は、はいっ」


 人が見ている中で、王子に跪かれたシスティーナは狼狽しながら返事をしたが、その声は裏返っていた。

 何より、辺りに死体が散らばった中では流石に異様過ぎた。


「ありがとう。では、イデオンへ帰ろうか。システィーナ」


 ◇


 イデオン王宮、王族専用の中庭にクロードはシスティーナを招いていた。


 テーブルの上には菓子と温かい紅茶が並べられている。


「心穏やかで優しく、慈悲深い。そして婚約者であるシスティーナをこよなく愛するこの僕を、魔法で操って婚約破棄や投獄を告げさせるなんて……。絶対に許さない。しかし操られていたとはいえ、システィーナに酷いことをしてしまった。同時に敵を欺く為に正気を取り戻した後も、まだ魔法に掛けられたままのフリをしていた。本当にすまない……」


 システィーナはクロードから手を握られ、もう何度目かも分からない謝罪を受けていた。


「心穏やかで優しいなどと、殿下はご自身で仰るのですね」


 システィーナの後ろに立つレイは、短く溜息を吐いて呆れた様子を見せる。


「今この場には僕達しかいないのですから、殿下などという呼び方は止めて下さい兄上」


 現在三人しかいないこの庭園で、レイを兄上と呼ぶクロード。

 システィーナがイデオンに帰国してから、知らされた真実の一つがレイの正体。

 レイという名は偽名であり、彼は謀反の疑いを掛けられたイデオンの第一王子。

 追放された先で、コルネリアが向けた暗殺者に殺される筈だったところを、密かにシスティーナの父によって助けられていた。

 その後彼は正体を隠して、表向き侯爵家の使用人として働いている。

 身分を隠すため、自身の髪と瞳の色を変えて生活しているが、レイの本来の髪は銀色らしい。


(だから、独房からの抜け道なんて知っていたのね……)


 レイの頭の中には、王宮敷地内に存在する秘密の通路や扉が記憶されているらしい。彼はクロードの腹違いの兄である。


「それはそうと、妃殿下への処遇は慎重になられた方がいいかと」

「分かっています。戦にならないよう慎重に動きつつ、ヴェルザスへの嫌がらせになるよう思案中です」


 微笑んでいるが、瞳の奥は剣呑な色を帯びていた。クロードが腹黒いことも、黒い笑みが似合うことも以前のシスティーナは知らなかった。

 二人のやり取りを眺めていたシスティーナの手を、クロードは再び握る。


「これからは絶対に、あの女にはシスティーナへ手出しをさせないから」


 クロードは実母を「あの女」呼ばわりしたままだった。

 コルネリアがイデオン王に輿入れしたのは、両国の友好のためだった筈だ。

 しかしヴェルザスの真の目的はイデオンの聖女を探し出し、生贄として捧げて自分達の神を目覚めさせること。

 そしてイデオンを内部から乗っ取り、破滅に導くための物だった。

 目的の為ならば、実の息子すら傀儡として利用しようとした魔女が、コルネリアだ。


 コルネリアは、聖女が触れると輝くとされる宝石に細工を施し、システィーナがイデオンの聖女であることを隠した。

 代わりにヴェルザス神の聖女パメラを、イデオンの聖女だと偽りの宣言をしていた。


 ◇



 そしてクロードは本来の彼に戻った筈なのに、以前より頻繁にシスティーナとの距離を、物理的に詰めてこようとする。お陰でここ最近、システィーナの心臓はすぐに落ち着きを無くしてしまう。


「あ、は、はいっ、ありがとうございますっ?」


 またもや声がひっくり返ってしまい、恥ずかしさのあまりシスティーナはすぐに話題を切り替える。


「でも、レイは本当に今のままでもいいの……?」

「はい。お嬢様にお仕えさせて頂くことこそが、俺の幸せですから」


 彼は王族であることを明かしてくれた後も、システィーナに仕え続けると頑なに言い張って聞かない。


「僕は兄上の意志を尊重します。システィーナの側にいらっしゃる限り、僕も兄上といつでも会えるということですからね。それはそうと、兄上も一緒にお茶は如何ですか?すぐに用意させます」


(クロード様って、かなりのお兄ちゃんっ子よね……)


 政権争いの元となりそうな二人だが、本人達は仲の良い兄弟と伺える。しばしばシスティーナは、二人のやり取りを微笑ましい思いで眺めていた。

 立ったままお茶を飲むレイは、ティーカップをソーサーに置くと、クロードに向けて静かに告げる。


「私はお嬢様の幸せを一番に願っております。ですので、泣かせたりしたら容赦致しませんよ殿下」

「手厳しいな」


 言いながらクロードは笑い、大好きな二人に囲まれてこの上なく幸せそうだった。

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