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『返り血を浴びた夜には』③

「うそ……」


 暫く続いた重たい沈黙は、ハンナの絶句によって破られた。


 向かい合う彼女とノルンが挟むテーブルの上には、すっかり空になった大皿が一つ。付近の長大なソファには、クッキーの食べカスを口に付けたまま寝息を立てる二人の幼女。

 互いにもたれかかって安らかな表情でいる二人は、実に絵になる光景だった。

 普段ならそれに誰もが顔を弛緩させてしまところである。


「本当よ。ただ交渉上手のあの人のことだから、無事でいる可能性が高いのが唯一の救いね」


 だが、胸を突き刺すような報告を受けたハンナは、当然それどころではなかった。


「ヨルムさんが、そんな……っ!」


 なにせ長い期間宮廷や宮殿に潜伏し、順調に諜報を行ってきた同志であり――革命派の指導者が突然、消息を絶ったのだから。

 勿論、敵地に赴いている以上はそのような事態は起こり得る。

 しかしながら不可解だ。


「もしあの人の身柄が国の手に下っているのなら、それなりに居場所が掴めるはず……」


「そうね。今の宮廷内じゃ役人たちの統率も難しい。だから密かに緘口令を敷いたとしても、情報の出所があるはずよ」


「でも実際はその過程すら不明……」


「ええ。連絡の取れたクロッグ君も、それだけのことしかつかめていなかったわ……」


 沈黙が流れる。


 ノルンの夫にして革命軍の指導者であるヨルム。彼はハンナにとって同じ志――国家転覆――を目指す仲間で在り、家族のような存在だ。

 両親を失った彼女に彼は居場所を与えてくれた。


 そんな彼の安否が不明。

 最悪の場合は、死。


 常に最悪を想定した心構えでいろと教えられていた彼女だったが、いざその場面に出くわすと子供のように頭を振って、それを否定したくなる。


「そうなると、ヨルムは公女殿下への接触を図った可能性が出てくるわ。彼女の傍には当然彼が控えているでしょうから、対話が成立しない内に無力化されてしまったと考えればこの奇妙な現状にも納得がいくわ」


 ノルンが口にした彼が、この国において最も強い騎士のことを指しているのだとハンナは瞬時に悟る。

 実際に目にしたことは無いが、彼にまつわる逸話はどれも常識が通用しない内容だ。

 千にも及ぶ歩兵の大群を日が落ちない内に殲滅したとか、剣の一振りで閃光を生んだとかである。

 俄かには想像ができない。だが同時に、ハンナは自分の見聞の狭さを自覚しているので

それが誇張だとも思ってはいなかった。

 気づけば黙り、そう思案していた彼女に構わずノルンはこう言う。


「……私だって立場上仲間を切り捨てることも選択しなければならないのは分かっているわ。けれど、どうか、お願いできないかしら……」


 ノルンはおっとりとした容貌からは想像できないほど、屈強な精神を持ち合わせている。

 彼女は夫のヨルムが窮地に瀕しているというのに、淡々とハンナの耳に言葉を届けていた。そんな彼女は言外にこう託したいのだ。

 真相を探ってきてはくれないか、と。


 しばらく思考を巡らせていたハンナは、次には覚悟を決めたようにゆっくりと頷いた。

 彼女の役目――ヨルムから提示された人物の暗殺――が一区切りついた矢先の出来事であるため、彼女の精神と体力はとっくに休息を訴えている。

 しかし、それは今のハンナにとってどうでも良いことだった。何故なら、同志を救い出せる希望がまだあるのだから。

 そも、彼の働きかけによりハンナの暗殺が成り立っていたのだから、どのみち計画の頓挫という大きな誤算が発生してしまう。


「きっと、救い出して見せる。まだ恩だって返せていないもの」


 重々しく響くハンナの、感情を押し殺したような覚悟の言葉。

 それはノルンの顔に、普段通りの柔和な笑顔を取り戻させた。


「ありがとう。……とはいっても、貴方も限界でしょう? 今日はゆっくりと休んでね」


 ノルンはそう言うと、ハンナを見送るように小さく手を振った。

 疲労から来る眠気が限界に達していたハンナは早速、その言葉に甘えるように狭い一室を後にするべく、扉へ向かう。

 二人の娘に毛布を掛けるノルンの姿を尻目に彼女は今度こそ退室した。


「俺も連れてけよ」


 途端に投げられる生意気そうな少年の声。廊下に出たハンナが横を向けばウルが壁に背中を預け、なにか覚悟を秘めたような表情でこちらを見ていた。


「明日、また宮廷に向かうんだろ? 親父のこと探しに」


「そうだけど……」


「連れてってくれよ」


 じゃあ、と捲し立てるウルにハンナは即答した。


「駄目。今までのことで警備はどんどん厄介になってきてる」


 貴方じゃ足手まといにしかならないと、非常な口調で事実を述べる。


「はあ!? い、いいか、俺は最近、元素魔術【魔炎Ⅱ】まで覚えたんだぜ? 虫みてぇにぎっしりした衛兵どもを、この魔術で一掃だ!」


 急いで表情を得意げな様子に貼り変えたウルは、右手人差し指をツンと顔の横に立たせた。

 そして指先に淡い燐光が宿ったかと思うと、次には極小の炎が出現。


 これこそが、魔術だ。


 どれだけ才能の無い人間だろうと、適切な努力を怠ることさえなければ、必然的に使用できる古代の叡智である。

 ハンナはウルのささやかな成長に瞳孔を開いた。

 ウルには魔術の才能がない。それも致命的なほどに、だ。

 もはや欠陥とすら言えるくらいに、彼は例外的に魔術行使に不可欠な量の魔力を、その身に宿さずに生まれた。

 原因こそ不明だが、魔術に博識な者たちはそんな有り得ない現象を目の当たりにすると口々に『魔力に嫌われている』と口にしたという。


 つまりはそれくらい、彼から魔術の素養がごっそりと抜け落ちている点を踏まえれば、初級魔術ではあるものの【魔炎Ⅱ】を習得できたという事実を飛躍とすら表現できるのは当然と言えた。


 ちなみに保有する魔力量は出産された段階で増加がほぼ停止する。

 肉体の成長に伴って魔力量は増加するのだが、それも最初期に保有していた値に比例するため、やはり元より少なかった者が期待を置けないのが常なのだ。


「習得できたのは喜ばしいことだけど、せいぜい脅しが聞く程度だよ。幾らこの国でも、騎士ともなれば魔術の対処法を学んでいるし、別の魔術で対抗してきたりするから」


 ハンナの冷静な指摘によりウルの顔が、床を向く。

 しばしの沈黙。


「で、でもよ。きっと……きっと役に立つからさ、頼むよ」


 そしてウルの喉から漏れたのは、か細い声だった。

 もう一押しで諦めるだろうと判断したハンナは、僅かに体に入った力を抜く。

 ウルは不器用な人間だ。それでいて、革命軍に属する誰よりも人間らしい。

 剣を持って人と対峙すればその剣だこだらけの手を震えさせ、隠密の訓練もすぐに集中力を途切れさせてしまう。


 そして、彼はたとえ敵であろうと、自らの犠牲も厭わずに命を奪わないで済む方法を模索するような優しさがある。が、それは組織からすれば致命的だ。

 ここでは一般社会などではなく、殺人も略奪も、監禁も拷問も必要とあらば躊躇せずできるような人間が求められるのだから。

 勿論、ウルはそのままでいて欲しいとハンナは思っている。

 そうすれば、いつか自分が人の道を今まで以上に踏み外したときに、きっと助けてくれるだろう。

 と、打算的な思惑を胸に秘めつつも、本来次代を担うまだまだ子供な彼は、危険に身を投じずとも良い人間であるはずなのだ。


 でも。


「俺は、お前だけに手を汚させるのが嫌だ。我が儘なのは知ってるぜ? 馬鹿な俺でもそのくらいはさ」


 もしかしたら初めて見たかも知れない、健気に笑う寂しげな彼の表情。

 一歩譲ろう。彼女はそう腹を括った。

 少年の優しさが自分に向けられただけで、ハンナの精神の天秤は一瞬にしてウルの方へ傾いたのだ。

 身勝手だと自責するハンナは、手をぎゅっと握り締めた。

 そして手だけではなく、決意も固める時である。


「分かったよ。ウルは優しいね」


 そう言って、目前の少年――いや、同志の頭を撫でる。彼の栗色の髪はとても触り心地が良い。

 そうして堪能できてしまうほどに、なんと長い間彼に触れることを許された。

 子供扱いされることを極端に嫌う彼からすれば、とても珍しい傾向である。


「よっしゃあ!」


 しばらくの間、ハンナの言葉を反芻していたウルは、そして勢いよく跳ねた。


「いやー駄目もとだったんだけどな? お願いしてみるもんだなー! ま、俺が行くからには安心しろよ。俺の【魔炎Ⅰ】で奴らを屠ってやるぜ!」


 調子の良いことを述べるウルに苦笑するハンナ。しかし次の瞬間「ん?」とひっかかりを覚える。


「……【魔炎Ⅱ】じゃなかった?」


「ま、まあ。男たるもの時には見栄を張らなきゃ、な……?」


「……」

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