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『返り血を浴びた夜には』①

 月光が差し込む室内で、姿勢よく椅子に座る壮年の男は一枚の紙と向き合っていた。


 金刺繍の制服越しに分かる逞しい体の持ち主である彼は、ロンド・シーグエンスという。

 おおよそ一般人にはない存在感を放っているのだから、彼が世俗から遠く離れた位置にいる人間であることに疑う余地はないだろう。


「事態はいよいよ深刻だな……」


 そう嘆息した彼は現に、ここアドレア公国の国防大臣に任命されている人物である。

 ロンドは現在、宮廷を騒がせている事件の数々によって出た被害者たちに目を通していた。


「総合魔術局副局長に続き総務大臣ときたか……」


 彼の口から列挙された人物たちは『何者か』によって暗殺された者たちだ。

 その『何者か』の正体は今、アドレア公国政府と敵対している組織のいずれかの手のものであることが推測できる。


 民衆が公国の政策に強く反発したことで結成された、反体制派。

 不明な点が多く、世間では存在が囁かれている程度の、革命派。


 これら二つの組織はいずれも公国政府の立場を脅かす勢力であり、公国と正面から衝突する反体制派との抗争は、実に十年以上も続いている。

 対して革命派。

 政府との表立った武力衝突は未だなく、現時点においては反体制派と公国が共倒れする瞬間を虎視眈々と狙っているのではないかという噂がある程度で、組織の情報も有力なものがないというのが現状だ。


 日を重ねるごとに増えていく犠牲者。

 幾ら護衛を増やそうともそれを難なく沈黙させ、瞬く間に標的を仕留めるほどの実力を持つ『何者か』。

 国家の役人たちを震え上がらせるのには、その二文だけで十分だった。


「そろそろ私の首も、狙いに来る頃合いか?」


 標的となる者は、いずれも誉れ高い地位にいる人間だ。

 そうなると、若くして官僚にまで上り詰めたロンドは格好の獲物ということになるだろう。

 だが過去に騎士団の団長を務めていた故の余裕なのか、彼は不敵な笑みを浮かべる。

 自然とかつての闘争を思い出して、体が小刻みに震えた。


 直後だった。


「……っ!」


 背後に、ただならぬ気配を感じたのは。

 殺気というには余りに複雑なもつれを感じさせるような、純度の低い存在感。

 先ほどの武者震いではない純粋な怖気が、彼を反射的にその場から退避させた。

 豪快な音を鳴らして割れる窓ガラス。


 そして――。

 その音が鳴りやまぬ内に、それは姿を現す。


 闇夜に溶け込む黒色の外套。

 その下に覗く色褪せた装束。

 暗殺者といって想像されるような典型的なその格好は、しかし誰がその身なりになるかでまるで印象が異なることを、ロンドはこの時初めて知った。

 飾り気のない装いから窺えるのは、華奢な輪郭。

 立ち姿や着地の軽い身のこなしも、華麗の一言に尽きる。

 文学的に表現したくなるほどの見事な動作は、一瞬の間だけロンドに自らの置かれた立場を忘れさせた。


 だが、次の瞬間。


 体勢の整わないロンドの目前で、小柄なナイフが空を斬った。

 これが暗殺者なりの挨拶とでもいうのだろうか。

 そんな疑問が湧いて出たのも束の間、彼は衝撃を受ける。

 簡素な仮面から覗くのは命奪う者であるはずなのに、それをさも当然と言って憚らないような、無機質な瞳。

 感情の一切を断ち切った不透明な、その視線。

 無数の汗が全身を伝い、幾度目かも知れない怖気が全身を風のように走り抜けた。


「シーグエンス様! 如何され……っ!?」


 異常な物音を聞きつけた騎士二人が、そこで駆け付ける。

 そして目にするは、ナイフを逆手に持った侵入者。

 問いを飛ばすまでもなく、それが――それこそが例の『何者か』であることを、彼等はすぐさま理解した。

 震えの止まらない腕で、槍をなんとか構える。


「き、貴様! その方から離れろ!」


 底知れぬ恐怖心をかなぐり捨て、うち一人が絶叫するように侵入者へ勧告した。


「……」


 すると、意外にも騎士のその言葉を受けて、侵入者は構えを解く。

 続けて指示通り後退し――。

 ――低く、腰を落とした。

 果たしてその行為が、大人しく騎士たちに従った結果なのか。

 彼等がそれを知るには、余りにも未熟すぎた。

 そして未熟すぎた故の結末とは、実に呆気ないものである。

 衛兵たちは、若干の油断が生まれたのか気を僅かに緩めてしまい――。


 刹那。


「防げっ!」


 即座に護衛対象の上司から声が掛かかるも、手遅れだった。

 ロンド、それから侵入者に向けられようとした二人の瞳は大きく見開かれる。

 侵入者はもう、先の立ち位置からは姿を消しており――。

 その埋め合わせをするように、それは目前へと迫っていた。


「ぁぐっ……」


 断末魔と呼ぶにはあまりにか細い声が、切り開かれた喉元から漏れる。

 少しの間を置いて思い出したかのように噴出した鮮血は、ナイフが描く軌道上に乗り解放を喜ぶように辺り一面を赤く染め上げた。

 その光景を見届けることしかできなかったもう一人の騎士とロンドは、まるで時間を止められたかのように唖然とするしかない。

 故にもう一人の衛兵は自分の死すら知らぬ間に静かに床へ倒れ伏すのも、当然の帰結と言えた。


 そして幸福とすら思える死を見届けた二人の双眸は、次には交わる。

 片やナイフの血を払い、片や帯剣していた得物を抜く。

 ロンドは余裕がないばかりか、後悔の渦に苛まれている最中でもあった。

 奇妙な気配を感じてすぐに回避したことで、いま自分は息をしている。

 だが一方で、忠実な二人の部下を死なせてしまったのだ。

 いかに瞬く間の出来事とは言え、もう少し冷静かつ迅速な対応をするべきであったはずだ。

 きっと、その後悔はいつまでも消えることは無く、今後自分を呪う動機となるのだろう。

 それも今この状況を切り抜けられれば、の話だが。


「貴様は何者だ!」


「……」


「いい加減口を開け。……沈黙も時には聞き飽きる」


 勿論、言葉のやり取りなど最初から期待していない。

だが、こうして時間を稼いでいる内にも他の騎士たちが駆け付けてくれることだろう。

 質で勝てる見込みはない。

 だが、量なら。

 そんな希望を見据える彼は、長年愛用していた剣をようやく構える。

 少しでも時間を稼ぐために。


「貴様らは一体何がしたい? いや勿論、国家転覆を目論んでいるあたりだろうことは知っているさ。だが、その後はどうするつもりだ? 国の再建を託せる者に目星でも付けてあるのか? 人の命を二つ……いや、既に数十は奪っているのだ。それくらいは答えるべきだろう」


「……教える義理はない」


 責任を問うロンドの刃のように鋭い言葉は、遂に、侵入者の閉ざされた亀裂をこじ開けるに至った。


「っ! ……ほう。随分と可愛らしい声だな。やはり女……それも年端のいかない小娘ときたか。……だが妙だな。普段はもっと少女らしい振る舞いをしていそうな気配がある」


「……」


 侵入者が殺気をまとうのを感じた。

 これ以上の時間稼ぎは不可能。

 そう悟ったロンドの表情にはいつの間にか不敵な笑みが取り戻されていた。


「久しぶりに剣を抜くのだ。少し手を抜いてはくれないものだろうか?」


「それはできない。絶対に」


 最初で最後の会話は、互いの魔術行使を最後に幕が下りる。

 同時に開始されるのは、あまりにも短い命のやり取り。

 血は赤く、剣は鋭く、生命はやがて尽きる。

 当たり前が取り巻くその舞台では勿論、強者は弱者に敗す。

 その言葉通りのことが、小さな国の小さな歴史として刻み込まれたのだった。


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