悲劇の始まりの日
ドログは大事な婚約者の悲劇の始まりに想いを馳せた。
ヘンリエッタとドログの出会いは4歳。
スダー伯爵とペタン男爵は友人で頻繁にスダー伯爵家を訪問していた。
ヘンリエッタはある理由でスダー伯爵領から出られずドログはヘンリエッタの遊び相手として招かれ、姉のノノレンも時々同行していた。
当時はヘンリエッタは白い髪と銀の瞳を持つ小柄で天真爛漫な女の子。今とは逆で無口なドログとおしゃべりが大好きなヘンリエッタ。ヘンリエッタは初めての同い年のドログを一目で気に入りすぐに仲良しになった。
「ドログ、森に行こう!!新しい歌を覚えたの。聞かせてあげる」
ヘンリエッタは遊びに来たドログの手を繋いで、スダー伯爵邸の裏にある森を目指す。ポカポカの陽だまりの中、お気に入りの場所に連れて行き座り込む。手を繋いでいるドログにニッコリと笑いかけ空を見上げて姉に教わった歌を大きい声で歌う。
「スダー家の女性はお空の神様に祈りの歌を捧げるんだって。気持ちを込めれば神様に声が届くんだって。神様はいつもヘンリ達を見ていてくださるの。だからヘンリは感謝を込めて歌うの。弟が生まれたこと、お天気が良いこと、ドログと遊べること」
ドログはやかましい姉のおしゃべりは苦手でも、ヘンリエッタの綺麗な声を聞くのは好きだった。綺麗な森の中で手を繋いで楽しそうに歌うヘンリエッタの隣で過ごすのも好きな時間だった。無表情で無口なドログと遊びたがるのはヘンリエッタだけだった。森で遊んでいた二人が帰ってきたのをノノレンが出迎えた。
「無口なドログと一緒で楽しい?」
ノノレンが楽しそうにドログに話しかけるヘンリエッタに聞く。
「うん。楽しいよ。それにわかるから。ドログは言葉にしないけど、お顔に書いてあるよ。ドログが褒めてくれるから、歌のお勉強もがんばるよ。ドログが好きな歌はね、」
姉のノノレンは無口なドログがよくわからなかった。ただドログはいつも父のスダー伯爵家への訪問に同行するので楽しいのかと思うことにした。無言な弟が少し心配だった。年を重ねてもドログの無口は変わらず、二言口に出せばマシだった。それでも生活に支障がなく挨拶の言葉を覚えさせれば話すが私的な場面では常に無口。
ヘンリエッタはいつも楽しそうにドログと傍から見れば一方通行に見えるおしゃべりを楽しんでいた。子供には独特の世界があると知っている大人達は温かく見守っていた。そしてヘンリエッタの歌声に耳を傾け子供達が健やかに育つことを祈っていた。
ヘンリエッタが5歳の時に良家の子女の集まるお茶会が開かれた。主催者の嗜好で身分を明かさずに交流が深められるようにと準備が整えられたいた。
お茶会は家名を名乗らないルールで貴婦人達は子女の様子を観察していた。
スダー伯爵領から出たことのなかったヘンリエッタは目の前に広がる大きな庭園に夢中になり歩いていた。両親にお行儀よく過ごしなさいと言われたヘンリエッタは綺麗な花を見つけたことを今度ドログに話そうと思いながら散歩を楽しんでいた。ニコニコと笑顔で楽しそうに歩いているヘンリエッタに声を掛けたのは栗色のまっすぐな髪を持つアンジェラだった。侯爵令嬢のアンジェラはお茶会の趣旨がお見合いのための、品定めと気付いていた。初めて見る白い髪の少女に声を掛けると純粋な笑みを返され、思惑もない心のままのおしゃべりを楽しんだ。アンジェラにとってヘンリエッタの話す世界は未知で溢れていた。たなびく雲を見上げれ一つ一つの雲に名前をつけて物語を考えるヘンリエッタの遊びにアンジェラも夢中になり庭園の外れのベンチでおしゃべりを楽しんでいた。
夢中で話をしている二人は近づく影に気付かなかった。突然頭を強く叩かれ意識を失い倒れ込んだ。その光景をアンジェラを探しに来たマイケルが見てしまい、騎士の制服を着た男に頭を殴られ共に攫われた。
ヘンリエッタは目を覚ますと手を縛られ馬車の中にいた。
ヘンリエッタは縄を解こうとしても引き千切れず、馬車が凄い速度で動いているので攫われたのを理解しアンジェラと知らない男の子が眠っているのを見て考えた。
「ヘンリ、この歌はもし攫われたら空に向かって歌うんだ。きっと助けがくるから、信じて待つんだよ」
ヘンリエッタは父に教わった騎士の行進を歌いはじめる。ヘンリエッタの歌でアンジェラとマイケルが目を覚まし馬車が止まった。
「お嬢ちゃん静かにしてくれるか。悪いな。用があるのはアンジェラって嬢ちゃんだけなんだ。でも見つかるわけにはいかないからな」
王宮騎士の制服を着た男が馬車の中に入り3人を値踏みするような視線を向けた。
「もう一人のお嬢ちゃんは売ったら高値が付くだろうな。その坊主も」
怪しく笑う男にアンジェラが目を吊り上げて睨みつけた。
「用があるのは私だけです。二人を解放してください。それなら大人しく従います」
「強気だねぇ」
「違う。こっちがアンジェラだよ。それは私の妹だ」
金髪と青い瞳の少年と白い髪に銀の瞳の少女、栗色の髪と瞳の少女を男は見比べた。
「マイケル?何を言いますの!?」
「入れ替わりごっこしてたんだよ。お嬢様がこんな元気なわけないだろう。アンジェラはこっちの歌ってたの」
マイケルはヘンリエッタに視線を向け頷けと訴えた。ヘンリエッタはアンジェラが捕まるよりも自分の方が勝機があると思い頷く。ヘンリエッタは護身術を習い足の速さも自信があった。駆けっこをして一度もドログとノノレンに負けたことはなかった。
「違います。彼女は」
「もう遊びは終わりだよ」
マイケルは選民意識が強く身分の高い命が優先されるのは当然という思考の持ち主だった。自分よりも身分の低いヘンリエッタよりも身分の高いアンジェラの身を迷うことなく優先した。男には目を吊り上げて睨む少女よりおっとりと歌を歌っていたお淑やかな少女のほうが侯爵令嬢に見えた。ヘンリエッタはマイケルの言葉を信じた男に担がれ馬車を降りて黒いローブを着た男の前に連れていかれた。
「違う。アンジェラは栗色の髪だ。」
「あっちか!?あのガキ!!」
男達がヘンリエッタを抱えて馬車に戻るとマイケルが縄を解いていた。
「お前!?舐めやがって!!」
「駄目!!やめて」
ヘンリエッタが叫ぶと剣を抜こうとした男の手が止まる。
「嬢ちゃん、痛い思いしたくなければ黙ってな。殺されたくないだろう?」
「おやめなさい。私は言う通りにします。だから二人を解放しなさい」
強気に睨むアンジェラにローブの男が笑った。
「立場がわかってないな。お前の父親にどんな目に合されたか。散々舐めた真似をした上に・・・。そんなに大事なら教えてやろう。大事な者を失う絶望をな」
ヘンリエッタは両親の神様はいつも見ているという教えを信じて目を閉じて祈った。
どうか死なないように。みんなで生きて帰れるようにと。
目を開けるとローブの男の手がアンジェラに伸び、マイケルが騎士の服を着た男に拘束されていた。
「ジェラに触らないで!!神様、助けて」
ヘンリエッタの叫び声に強風が吹き、ローブの男の腕が風で切断され血が飛び散り男は吹き飛び意識を失う。
「動くな。動いたら殺す」
マイケルに向けられる剣の切っ先を見て、ヘンリエッタは恐怖で泣きながら叫んだ。
「助けて。死にたくない。みんなでお家に帰りたい。お父様、」
強風で男の首が飛んだ。血が舞い、マイケルもヘンリエッタもアンジェラも男の血で真っ赤に染まった。マイケルは顔を真っ青に、アンジェラは震え、ヘンリエッタは固まっていた。
「バケモノだ!!」
「アンジェラ様!!」
捜索していた王宮騎士団の騎士達が血まみれの3人を見つけて駆け寄った。
「その白いバケモノを殺せ!!こいつは人の形をしている悪魔だ」
マイケルが声を荒げヘンリエッタを指差した。
「こいつがやった!!こいつが、殺した」
騎士達はマイケルが錯乱していると思っていた。動かない騎士達に痺れを切らしたマイケルが剣を取り上げ、ヘンリエッタに近づく。
「白いバケモノが」
剣を向けられたヘンリエッタは恐怖で意識を失い騎士がマイケルを羽交い締めにして押さえつける。
3人は無事に保護され、それぞれの家に送り届けられた。
ヘンリエッタは目を覚ますと自室にいた。
侍女により体は綺麗に清められ、血を洗い流すと髪色が白から白銀に変わっていた。
「ヘンリ、起きたか。気分はどうだ?」
スダー伯爵の声にヘンリエッタはゆっくり体を起こした。
「私はどうして」
「覚えているかい?」
ヘンリエッタは顔を真っ青にして震え出した。
「起きたら、馬車にいて、ヘンリが神様にお願いして、人を、人を」
スダー伯爵が錯乱するヘンリエッタを抱きしめる。
「ヘンリ、大丈夫だよ。気にしなくていい」
「ヘンリは、人を、ヘンリのお願いが」
「神の裁きがおきたんだ。ヘンリは気にしないでいい。ヘンリの所為ではないよ。今日は休みなさい。怖い夢を見ただけだ。お話をしようか」
スダー伯爵は愛娘の好きな兎の絵本を開いて読み聞かせた。
ヘンリエッタの耳に父の話は入らず、血しぶきの舞った光景が浮かんでいた。開かれたページの兎の絵を見て呟いた。
「抱っこしたかったな。温かいかな。でもヘンリの手は駄目かな・・」
ヘンリエッタは目を閉じて眠りについた。スダー伯爵はどうか良い夢が見られるように、心の傷が癒えるようにと祈りながらヘンリエッタの髪色の変わった頭を優しく撫でた。
翌朝ヘンリエッタが目を開けると、腕に重みを感じた。布団を持ち上げると腕の中には冷たい兎の死体があった。
「うわっ」
侍女がヘンリエッタの声を聞き中の様子を見て、慌ててスダー伯爵夫妻を呼びに走った。
スダー伯爵は震えるヘンリエッタと兎の死体を見て無情な現実に気付く。
とうとう目覚めてしまったヘンリエッタの力に。