秘密の恋人の求婚
貴族子女が通う学園で多くの生徒達が行く末を見守る秘密の恋人達。家の利のある婚姻を結ぶのが当然の世界でも恋に憧れる者も多かった。
第二王子の婚約者である侯爵令嬢アンジェラは教室の窓からふわふわの髪を持つ愛らしい姫の手を取りエスコートしている婚約者を眺めていた。第二王子も姫も忍んでいるつもりだが一切忍んでいない。庭園の花を手折り、姫の髪に飾る王子をうっとりと見つめる姫。優秀で厳しく躾けられた第一王子と違い甘やかされて育ったため恋に夢中な婚約者。アンジェラは淑やかな笑みを浮かべながらこれからのことを考えていたが耳にかすかに聴こえる歌声を拾い思考を放棄した。
「今日も歌っておられますね。叶わぬ恋であっても止まらぬ想い。貴族として宿命はわかってますが」
「夢見てしまいます。お美しいお二人が」
校舎から離れている人気のないベンチには近づかないという暗黙のルールがあった。美しい白銀の髪を持つ少女が隣に座る恋人のために歌うのを邪魔しない。互いに婚約者を持つ二人は公的の場では決して近づかない。触れ合いたくても触れ合わない。それでも抑えきれない気持ちを抱えて放課後に忍んで逢瀬を繰り返す。互いの婚約者よりもお似合いの二人に見惚れる美しいものが好きな生徒達は心の中で応援していた。いつか美しい二人が煌びやかな会場でダンスする姿が見れればいいと。
学園で一番人気の秘密の二人とは違い冴えない容姿のおしゃべり好きな男爵令嬢だけがうっとりと語る友人達の言葉を無言で聞いていた。
卒業式が近づいても秘密の恋人同士の関係は秘密のまま。恋心に見切りをつけて大人への階段を昇ろうと多くの生徒が学生時代の思い出として胸に刻みながら、卒業パーティーを楽しんでいた。和やかに終わると思っていた卒業パーティーの最中に事が起こった。
「私は愛を見つけてしまった。アンジェラ、婚約を破棄してほしい」
「殿下のお心のままに。殿下の幸せを心からお祈りしております。忠実なる臣下として王家のご決断に異を唱えません」
「感謝する。君に不満は一つもない。運命の姫にさえ出会わなければ」
「私への謝罪はいりませんわ。どうか私ではなく愛する方に」
第二王子がよく響く声で婚約者の侯爵令嬢と婚約破棄を宣言した。卒業パーティーを楽しんでいた生徒達は動きを止めて、驚き、期待、不満、呆れなど本音を隠して空気を読んで真剣な顔を作り王族の話を聞く姿勢を作る。婚約者に背中を押されるままに第二王子は姫に求婚し秘密の恋人が公の場で結ばれた。
「おめでとうございます。心から祝福致します。私と違いお似合いですわ」
侯爵令嬢アンジェラは切ない笑みを浮かべながらも二人に祝福の言葉を述べる。侯爵令嬢の言葉に空気を読んだ生徒達も祝福の言葉を続け、抱き合い口づけを交す王子と姫に笑顔で拍手を送った。会場中の視線を集め自分達の愛が認められ祝福されていることに上機嫌な第二王子は姫の腰を抱きながら高らかに宣言した。
「場を乱した詫びに今日一日はどんな無礼も見過ごす。もしも親の決めた望まぬ婚約に抗いたい者がいるなら力を貸そう」
上機嫌な笑みを浮かべる第二王子と愛らしく微笑む姫を生徒達は表面上は盛大に祝福した。生徒のほとんどは貴族として利のない相手との婚姻は自身の破滅が待っていると良く知っているので安易な行動に走らない。第二王子と姫の婚約は国として利があり、アンジェラは第二王子のためと儚げな笑みを浮かべながら友人の姫の恋路を表面上はささやかに裏では盛大に協力していた。
国としても貿易で栄え豊かな国の姫との婚姻は良縁であり、国益のために婚約破棄された侯爵家には多額の賠償金も手に入り王家に恩も売れるとアンジェラが二人の関係を一番喜んでいた。淑やかな侯爵令嬢は父の宰相譲りの策略家。儚げな笑みで王子達を祝福する美しい侯爵令嬢の姿に涙を我慢する生徒もいたが本性に気付いている者は少なかった。
第二王子の言葉でも欲望に忠実に動く者はただ一人を除いてはいなかった。
学園一の美男子侯爵家嫡男のマイケルはようやく見つけた令嬢に笑みを浮かべて近づく。王子の許しがなくても、二人が出会った学園での最後の日に伝えるつもりだった。人の賑わう会場の中で学年が違う小柄な愛しい人を見つけるの容易ではなかった。
「ヘンリエッタ、愛している。君の憂い私が全て払うから私の妻になってほしい」
白銀の妖精と謳われ神秘的な美しさを持つ伯爵令嬢ヘンリエッタの前に跪き優しく手を取り、とろけるような甘い顔で告白するマイケルを生徒達を期待の眼差しで見ていた。ヘンリエッタは甘さを帯びた青い瞳を白銀の瞳で見つめ、やわらかく微笑んだ。見目麗しい夫婦の誕生の瞬間に生徒達は現実を忘れて息を飲む。放課後に校舎から離れたベンチに座り、マイケルの隣で甘い言葉に耳を傾けやわらかな笑みを浮かべるヘンリエッタは有名だった。二人には婚約者がいるため、公には認められない二人の恋をこっそりと見守っていた。マイケルのファンも美しい恋人同士の光景にうっとりしながら応援していた。白銀の髪と瞳を持ち神秘的な空気感を持つヘンリエッタには悪意や敵意を向けられない。嫉妬してもヘンリエッタの瞳を見ると清らかな気持ちになり、礼をして道を開けてしまう。大多数の生徒達は忍びの恋の成就の瞬間を期待して待っていた。
マイケルはヘンリエッタの笑みに立ち上がり華奢な体に手を伸ばした。抱きしめようとするマイケルの握ったままの左手をヘンリエッタは右手で包み込んだ。今までは触れようとすると笑顔で首を横に振り婚約者への義理を守る淑女の鑑のようなヘンリエッタから初めて触れられ舞い上がるマイケルは極上の笑みを浮かべた。見守る女子生徒達が瞳を潤ませ頬を赤らめうっとりと見惚れる。ヘンリエッタはやわらかな笑みを浮かべマイケルの手を見つめながら首をゆっくりと横に振る。沈黙が続く中ヘンリエッタはずっと握られている手の指をそっと解き、礼をしてマイケルの前から立ち去り人混みの中に紛れていく。
「ヘンリエッタ!?」
現実を理解できずに茫然としたマイケルは我に返りヘンリエッタを探して追いかけた。ヘンリエッタにも生徒達の視線が集まっていたのですぐに見つかった。そしてマイケルはヘンリエッタが腕を抱いている長い前髪で額を隠す大柄で学園一冴えない年下の男爵家次男のドログを睨みつけた。ドログ・ペタンはヘンリエッタ・スダーの婚約者であり、マイケルにとっては愛しい少女を束縛する憎い男である。
「ヘンリエッタ、ペタンとの婚約は私が穏便に解消するよ。優しい君が心を痛めないように両家に悪いようにはしない。だからその薄汚い手の男から離れて」
ドログからヘンリエッタに視線を移し、優しく微笑むマイケルが手を伸ばす。ヘンリエッタはやわらかな笑みを浮かべてゆっくりと首を横に振る。
「恥ずかしがらないで。私はヘンリエッタを愛している。君のためならどんなこともしてあげるよ」
自分の腕を抱きマイケルを見て微笑み続けるヘンリエッタにドログはため息が漏れるのを慌てて飲み込んだ。ドログは誤解だらけの婚約者のことを良く知っている。
学園ではヘンリエッタは淑やかな伯爵令嬢と囁かれている。
社交界に足を運ばないスダー伯爵令嬢の欠点は極度の恥ずかしがりやで無口なこと。ヘンリエッタが口を開くのは歌う時だけ。興味本位でヘンリエッタに近づいても美しい笑みに見惚れ、背徳感に駆られて制止してしまう。独特の空気を持つヘンリエッタに近づく者はほとんどいなかった。それでも常に微笑みを浮かべ、淑やかに佇み学園の片隅で美声を披露し歌うスダー伯爵令嬢は男女ともに鑑賞用として人気があった。そしてもう一つの欠点は冴えない熊のような婚約者がいることだった。
婚約者が勘違いされても貧乏男爵家次男には何もできない。そしてヘンリエッタには最凶の味方が付いているのであまり心配していなかった。
「リエッタ、言葉にしないと駄目だよ」
ドログの言葉にヘンリエッタはやわらかく笑ったまま首を傾げる。
「無駄?話したくないって、俺が代弁しても信じないよ。え?追い出されたら一緒に逃げてって…。いや、伯爵は追い出さないよ。貴族の務めだろう?言葉で語るのは」
ヘンリエッタはやわらかく笑い首を横に振る。
「嫌だって、うん、俺にはわかるよ。でも身分の高い方もいるし、殿下が無礼講と言ったから関係ないって」
大柄な熊のような外見のドログがボソボソと独りで話す様子を生徒達は冷たい視線で見ていた。武術以外に取り柄のない貧乏男爵家の次男が名門伯爵家の美しい令嬢の婚約者の立ち位置にいるのは様々な憶測を呼んでいた。ヘンリエッタがドログと無言で過ごす光景はマイケルと一緒の時のような笑みはなく明らかに義務として一緒にいるように見えていた。
白銀の美少女がいつも腕を抱く長い前髪で額を隠している大柄な男。熊に捕えられた美しい少女を助けるためにマイケルはドログを鋭く睨みつける。
「お前、いつもヘンリエッタを脅しているんだろう!?冴えない男が彼女の隣にいるなど」
「リエッタ、お願いだから話して。守ってくれるでしょ?いや、俺は物理以外は無理だよ。物理でもいいって。腕さえあればやっていける?兄上達に迷惑が、大丈夫?亡命する準備はバッチリって。国王陛下の前で一曲披露すれば受け入れてくれるって、いつ行った!?王都で偶然会ったのか。広場で歌うのは危ないからいつも声を掛けてって、勝手に人が集まって来たって」
「ドログ、二人の世界は後にして。この状況は迷惑よ」
微笑むヘンリエッタにブツブツと一人で話すドログ、鋭く睨みつけるマイケルという異様な光景が繰り広げられていた。終わりの見えない光景に男爵令嬢ノノレンは弟に呆れた声で注意をした。ドログはおしゃべり好きの姉から小言が始まる前に言葉を返す。
「リエッタは言い出したらいつも折れないから」
「ドログがいつも通訳するからでしょ?」
「見ればわかるよ。こんなにわかりやすいのに」
「私には同じように微笑んでることしかわからないわ。その笑み以外ならなんとなくわかるけど」
「リエッタの目を見ればわかるよ。笑みだって違う。リエッタは一度話さないと決めた相手は絶対に話さないんだよ。どんな高貴な相手でも言葉の重みを知らない者とは話さない。それを許されるのがスダー一族でありリエッタだよ」
「偉そうに。昔は」
ドログとノノレンが姉弟喧嘩を始めた。
マイケルはヘンリエッタを甘い顔で見つめながら口を開く。
「ヘンリエッタ、私が守る。だから正直に」
ドログ達の喧嘩を微笑みながら見ていたヘンリエッタがゆっくりと口を開けて、ボソリと呟く。
「全てが間違いです」
マイケルの耳に小さい声は聞こえていなかった。マイケルは都合の良い言葉しか拾わない人間だった。先ほどまで生徒に祝福され上機嫌に笑っていた姫が、マイケル達に生徒達の視線が奪われたことに一瞬眉を吊り上げたのに気付いた第二王子達の様子を儚げに見ていたアンジェラが仲裁するために近づいた。王子と姫の婚約は祝福しても、もう一つの秘密の恋人の仲は祝福出来なかった。
「ヘンリはいつも瞳で語ります。愛しい方の言葉を聞き取れないなら身を引きなさい。従妹として忠告しますよ。マイケルは一度もヘンリの言葉を拾わなかった?」
ドログがアンジェラに気付き姉弟喧嘩を止めて、ヘンリエッタと見つめ合う。アンジェラは終わらない二人の無言のやり取りに口を挟む。
「ドログ、無言の会話はやめてください。私もある程度はわかりますが、全てはわかりませんのよ」
「口に出すのは俺には」
「私が許します。マイケルよりも私のほうが、ね?」
ドログは微笑んでいるアンジェラの本性も怖さも知っている。怖い婚約者を持った第二王子に同情し、この国で一番怖く逆らってはいけないのはアンジェラと思っている。
「ここで話すのはご勘弁を」
大衆の視線に曝されて話す度胸は貧乏貴族のドログにはない。
「場所を変えましょう。皆様、どうか私達のことは気にせずお楽しみを」
アンジェラは淑やかに笑い、マイケルに視線を向ける。
ヘンリエッタはドログにやわらかな笑みを浮かべ腕を解いた。
「リエッタも行くよ。嫌でもアンジェラ様のお願いだよ」
アンジェラはドログの言葉に頷かず、動かないヘンリエッタの顔をじっくりと見つめた。
「ヘンリ、苺とチョコのケーキは後で部屋に届けさせますよ。あら?私もご一緒していいんですか。わかりました。では今は私にお付き合いを。手のかかる身内がいると大変ですのよ」
ヘンリエッタは静かに頷きドログの腕を抱き、アンジェラの後について行く。マイケルの出す手には視線も向けず自分達を見ている生徒達も一切気にせず足を進めた。
生徒達は戸惑いながらも第二王子と姫の機嫌が急降下しているのに気付いて称賛を始めた。王族のために道化を演じる生徒達。そして全てが覆されることを知らぬまま生涯忘れることのない卒業パーティーが再開された。