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巫術


 椀になみなみと注いだ絞ったばかりの新鮮な乳を腹に入れると、ジュチの朝食とも言えない時間は早々に終わった。

ものほしそうな視線を椀に向けるが、もちろんそれで椀から食べ物が湧いてくるわけもない。モージが理由もなく罰を取り下げる筈も当然なかったので、義妹から同情の視線を向けられながらも侘しい時間を過ごすこととなった。

 二人は絞った乳をたっぷりと鍋に入れ、そこにアーロールと呼ばれる恐ろしく硬い乾酪と削った少しの干し肉を投入した乳茶を堪能した。食後にはやや酸っぱみのある馬乳酒(アイラグ)を飲んで腹の調子を整える。

 馬乳酒は酒と名がついているものの、遊牧民から見れば普通の飲み物と変わらない。酒精(アルコール)も弱く、子供でもパカパカ空ける者がいる程度には飲みやすいし、栄養もある。モージもこれが大の好物で、これしか飲まない日があるくらいだった。 

 そんな朝の時間を心地よく過ごし、腹を空かせた義息の恨めしげな視線をこともなげに受け流しながら、ようやくモージがどっこらしょと立ち上がった。


「ツェツェク、ジュチを連れて少し出かけてくるよ。すぐに戻るから大人しくしてな」

「どこに行くの?」

「族長のところさ。さあ、良い子にしな。なに、そう時間はかからない」


 首を傾げた問いかけに諭すように答えたモージだが、すぐにその目にツェツェクのふくれっ面が映った。


「ジュチは族長のところに何しに行くの? 私も行きたい」

「駄目だ。今日は私と一緒に歌と踊りを覚える日だよ」

「本当!? やった!」


 不満そうなふくれっ面が一転、花が咲くように顔をほころばせる。それこそ今にも踊りだしそうな様子に年長者二人の顔が微笑ましいものを見た顔になる。基本的に幼いツェツェクには甘い二人なのだ。

 活動的で活発なツェツェクは歌うのも踊るのも好きだった。モージの教えは厳しかったが、身体を使う分野ではひと際物覚えのいい彼女はさして苦にしなかった。自ら好んで修練に励み、最近はメキメキと力を付けつつある。


「ツェツェクならきっと良い《舞い手》になれるな」

「当然さ。なんせ私の義娘(むすめ)だからね」


 出来の良い末っ子を自慢する家族らも何とも言えない()()()である。

 《舞い手》とはつまり歌と踊りを通じて天神(テヌン)とその眷属、精霊(マナス)と交信する巫女(シャーマン)である。天神に捧げる奉納の神楽舞と祝詞(のりと)は美しく見事な程より力のある神が降りてくるとされる。故に一流の《舞い手》は一流の巫女でもあった。

 モージの発言も単なる身内贔屓とは言えない。モージ自身が部族を代表する《舞い手》であり、ツェツェクはその教えを幼少から授かっている。十に満たない歳ながら、生来の運動神経の良さも相まってこの年から光るものを見せる少女は長じれば良き《舞い手》になるだろうと期待されていた。《舞い手》として将来を嘱望されるツェツェクは部族の宝として大切にされている。

 その価値は一介の養い子に過ぎないジュチは勿論、ジュチと同い年の族長の息子よりも更に高い。

 それは練達の巫女が祭事を司る部族の精神的支柱というだけではなく、現実に部族の命運を左右する()を持っていることに起因する。

 その力を人々は巫術(ユルール)、あるいは精霊術と呼ぶ。

 精霊と交信する力を持った(かんなぎ)が祈りを通じて超常的な現象を起こすこの世界の魔法であった。特に歌唱と舞踊の果てに神憑(かみがか)り…一種の入神(トランス)状態に入り込み、己の精神を本来知覚できない精霊の世界(アストラル・サイド)へと近づけることが出来る《舞い手》は、巫術の使い手の中でもより高位の術者とされる。

 火勢を強め、突風を起こし、雨を降らせ、大地を動かす…自然に干渉する祈祷(アミスガル)。あるいは霊眼を以て精霊の世界を覗くことで天気や疫病の訪れといった自然の運行を予見する天眼(テンヌド)

 部族の存亡すら天の気まぐれであっさりと決まってしまうこの世界ではどちらも極めて実用的な力である。


(とはいえそこまでお手軽で便利って程でもないんだよな…)


 本来精霊のいる世界とジュチ達がいる世界は近いようで遠いのだとモージは言う。その境界を飛び越えることは資質を持った人間が相応の準備をして取り掛からねばならない難事なのだ。(かんなぎ)が精霊に捧げる祈りは恐ろしく深く集中する必要があると言われている。更により大きな事象を起こすには多くの人間が儀式を行い参加者たちの祈りを束ねる手順を踏む必要があるとも。


「巫術ももっと手軽に使えればいいのになー」

「罰当たりなことをお言いでないよ。本来人の御世は人が何とかするのが当たり前なのさ。何でもかんでも精霊に頼んで何とかしてもらおうってのは自分の怠け心に過ぎないよ」


 尤も幼い少年はそれを不便と捉え、身も蓋もない感想を率直に漏らしてモージに頭をはたかれていた。


「ま、例外も無いではないがね」

「例外? なにそれ」

「お前も知っているこわーい魔獣。飛竜(ドゥーク)のことさ」


 飛竜と聞いてビクリと背中に一筋の寒気が走る。かの魔獣のおっかなさは昨日の一件で骨の髄まで刻み込まれていた。色々と考えの足りない馬鹿息子へ覿面に脅しが聞いたことを見て取ったモージが一つ頷き、義娘への教育の意味も込めて講釈を続けた。


飛竜(ドゥーク)竜馬(ジルフ)は私ら(ヒト)よりもずっと()()()()()()()だからね。私たちが必死に祈り歌と踊りを捧げて精霊に話を聞いてもらうのに対し、彼奴らは呼吸するのと同じくらい自然に精霊に語り掛けて合力してもらえるんだね」

「……それってなんかズルくない?」

「ハッ! 人は人、魔獣は魔獣。そうあれかしと天神が生み出したんだから、必ずそこには意味がある。大体この丈高き草原から峰深き山岳、果て知らぬ湖沼に至るまで最も増えて地を治めているのは飛竜でも竜馬でもなく、人なんだ。当の人間様が文句を言っては罰が当たるってもんさ」


 浅慮な発言を鼻息一つで笑い飛ばして諭す女傑。とはいえまだまだ幼い少年には中々その悟った考えは受け入れがたいものであった。 


(何言ってるのか分からねー。こう、()()()? みたいに手っ取り早くて凄い力があればもっと部族みんなも楽に暮らしていけるのに)


 と、少年は前世の記憶を思い起こしつつ、現実に22世紀の猫型ロボットがいればいいのにと愚痴る前世の貧乏苦学生と同じノリで心の中で不満をこぼしていた。求めるものがなんとも漠然としている辺りも色々と近い。


「そういえば…」

「なんだい?」

「ちょっと聞いてみたかったんだけど、精霊って一体どんな姿をしているんだろう?」

「突然何を言い出すかと思えば…。まあいい、これは私の師匠から聞いた話だが」


 モージ曰く、精霊とは世界の運行をつつがなく回すために天神(テヌン)が遣わした多種多様、無数無量の小さな眷属らしい。その姿を()()巫術者によれば、その姿は無数に光輝く小さな鬼火のようだという。

 それを聞いてジュチはがっかりしたような、ああやっぱりというような落胆とも納得とも言える心情になった。


(こいつも最初は精霊ってやつかと思ったんだけど……違うな。うん、違う)


 今も己の肩で暇そうに尻尾をプラプラと振り回して遊んでいる火蜥蜴に目を向け、そう確信する。

 姿がそもそも違うと言うのもあるが、その緊張感のない自然体からは神秘的な存在である精霊が纏う威厳とかありがたみが全く見受けられない。己以外に見えず、尻尾に火が付いているのを除けばちょっとデカい蜥蜴だ。

 そんな毒にも薬にもならない浮遊霊じみた存在を丁重に無視することにしたジュチは、族長のところへ足を向ける前にツェツェクに声をかけることにした。


「ツェツェク、俺はちょっと族長の天幕に行って家事手伝いをしてくるよ。きっと何かお土産貰ってくるからな」

「これ、馬鹿を言ってないで真面目にやるんだよ」

「えへへ。楽しみにしてるね」


 軽口を叩く息子に拳骨をポカリと頭に落しながら叱る老母。そんな二人を見てはにかむように笑うツェツェク。そこには紛れもない一家団欒の風景があった。


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