大王鷲
念願の霊草、纏まって群生するそれにジュチが手をかけようとしたその時。
『――――――――ィィィ――――――――』
切れ切れと、高い高い音の連なりが微かにジュチの耳に届く。
そして岩壁に張り付くジュチを巨大な影が覆う。
(なんの…)
音だろうかと、その身にかかる異変へ思考を巡らせる刹那の時が過ぎ去り―――全てが怒涛のように動き出した。
『KYREIEEEE―――!!』
今度はハッキリと、天を突き刺すような甲高い鳴き声が響き渡る。天空を飛翔する巨躯がその身を震わせて放つ大音声は地を揺らし、断崖に立つジュチ達の身体もまたビリビリと振動に揺れた。
恐れていた《魔獣》が現れたのだ。
「大王鷲…!?」
ジュチが呻く様に叫んだ名の通り、鳴き声の主はこの断崖の主たる巨大な鷲の如き《魔獣》に他ならない。
その巨体が太陽を遮り作り出す影はジュチとエウェル程度、十組いようとすっぽりと覆って余りある巨大さだ。
(でっ、けぇ…!?)
ジュチが空を見上げると晴天の下を悠々と翔ける巨躯の怪鳥がいた。
広げた翼の大きさは果たして如何ほどか! 正確な目算は難しいが、飛竜の体躯にも負けない巨大さ。翼は太陽の光を受けて赤みを帯びた黄金色に輝き、油断なく地上を見据える瞳には確かな知性が宿っている。
飛竜すら食い殺す大魔獣との触れ込みに負けていない、感嘆すら覚えそうな力強さだった。
(なんて…)
美しく、力強いのか。
思わず放心してしまいそうなほどその巨躯には美々しさと強壮さで満ちている。かつてスレンと触れ合った時にも感じた強大な《魔獣》特有の生命力を遠間からも脈々と感じ取れた。
その大魔獣を無心に見つめていると、ふと視線が合った気がした。
ゾクリ、と背筋に氷を突っ込まれたような悪寒が走る。ひどく無機質な、獲物ですらない排除すべき障害物と見定めているようなソレ。視線が合う、ただそれだけで死の恐怖がジュチを捕らえた。
(死…―――)
一瞬、気が遠くなる。
フワリとした浮遊感、気絶に伴う脱力が快感さえ伴う感覚へとジュチを誘う。そして死の淵へと文字通り転がり落ちていく―――、
『ジュチくん、しっかりして!』
寸前に、風精を通じた叱咤がジュチの鼓膜を叩き、我に返らせた。
窮地からジュチを救ったのはもちろんフィーネだった。何とか意識が薄れるのを押さえたジュチは再びしっかりとエウェルの鞍を握り、体勢を立て直した。
『大丈夫! 大王鷲がジュチくんを襲うより私達が抑え込む方が早い! だからジュチくんは焦らずに逃げて!』
「分かった!」
通じているかは分からないが、一声諾と返し、エウェルに合図して出来る限り駆け足で岩壁を下り始める。
その直前、最後の土産とばかりに、手にかけていた霊草を強引に引き抜いて懐にしまった。
「急ぐが、焦らない…。急ぐが、焦らない…!」
失敗は何時だって余裕がない時に生まれるものだ。
こういう状況でこそ、落ち着いて動きべきだった。もちろんただ念じるだけで実践出来るなら世話はないが。
それでも能う限り慎重にジュチとエウェルは少しずつ岩壁の段差から段差へ、岩棚から岩棚へ歩を進めていく。
「ジュチくんは…よし、大丈夫。下りられてる」
その様をスレンに乗って天へと翔け上がり、見守るフィーネ。
一瞥し、ひとまず離脱を始めた少年を確認すると、あとは一切の意識を眼前のガルダへと集中させた。
『KYREIEEEE―――!!』
天を切り裂くような甲高い鳴き声を上げるガルダ。巨躯から放たれる音の波は風と衝撃を生み、天空を荒れ狂わせた。
その双眸には同格の敵手たる飛竜を映し、並々ならぬ警戒を宿していた。
「貴方の縄張りに踏み込んで、ごめんなさい。でもこっちも譲れないの…! 押し通らせてもらいます!!」
ガルダにとって眼前の飛竜は決して油断など出来ない強敵だ。
だがガルダには勝算があった。ガルダは時にドゥークすら殺め、食らう。二つの種族は格で言えば同等、だが同時に両者の間には決定的な優劣があった。
『RIRIRI―――……』
再びの甲高い鳴き声。
だがそれは肉声であると同時に、精霊界に揺蕩う風と水の精霊に呼びかける祈りでもあった。
おや、なんだか楽しそうだぞと精霊がにわかにざわつき始めるのを、フィーネの精霊界を見通す霊眼が見ていた。
呼びかけに答えた数多の風と水の精霊がこの場に呼び込まれ、嵐の前兆が現れ始めている。
晴天の空へ不自然な程急速に黒雲が現れ、太陽の熱を遮り始めていた。
「やっぱり、一筋縄じゃいかないか…!」
嵐…もう少し言えば嵐が呼び込む水と寒風こそがドゥークの弱点であった。
ドゥークは小さな同類である蜥蜴や蛇と同じく行動に使用する熱量を自らが生み出すことが苦手な変温動物である。
故に自らを動かす熱量の供給はかなりの量を外部からのものに頼っている。
だがその場合、一つの疑問が生まれる。ドゥークほどの巨体を支える莫大な熱量、果たしてどこから生まれてくるのか。
日光? いいや、その程度の熱では到底足りない。地熱? 残念ながら竜骨山脈に非火山帯であり、熱量の供給源と成り得ない。
「火の精よ。荒ぶる炎、怒れる吐息。貴方の朋たる私の友、スレンに宿り、荒ぶって!」
その答えこそが精霊、火精である。
飛竜、ドゥークはその身に共生する火精から行動に必要な熱量を得るのだ。だが水精が優勢な場所では火精は働きを著しく弱めてしまう。そして寒風で体温が急激に下がれば、動きも自然と鈍らざるを得ない。
そして同格の魔獣同士でその弱体化は致命的。
故にガルダはドゥークにとって天敵に当たる《魔獣》なのだ。
『KYREIEEEE―――!!』
急速に黒雲が生まれ、嵐の先駆けとなる雨が降り始める。それを見たガルダは勝ち誇るように天高く鳴いた。
だが次の瞬間、ガルダの勝ち鬨は唐突に途切れることとなる。
「風精よ、水精よ。嵐に巻かれ、自由に遊ぶ貴方。ごめんなさい、此方は貴方を拒絶する。
どうかそのまま彼方の果てへ飛び去って!」
精霊の力を借りる巫術において、二人の術者が相反する願いを精霊に届けた場合、彼我の干渉力が優劣を決める。平たく言えばより精霊に意志を届かせる=声が大きい方の願いが通るのだ。
この場合、声の大きさとは単純な肉声の大小ではなく、どちらの術者がより精霊界に近いかで測られる。
そしてこの現世に肉を持って生きる命において、精霊界に半身を置くフィーネよりも精霊と強く結びつく者はほぼいないと言い切っていい。まして彼らが巡り合う可能性などほとんどゼロだ。
『KY、KYREIEEEE―――!!』
故に当然フィーネとガルダの主導権争いの軍配はフィーネに上がった。空を覆う黒雲はまるで時を逆回しにするかのように消え去り、雲一つない晴天へとその姿を移り変える。
何とか精霊に呼びかけ、彼方へと飛び去って行く精霊達を引き留めようとするガルダ。だがその努力は功を為すことなく、虚しく囀りが響き渡るのに留まった。
「スレン、後はお願い―――!」
『グ、ル…! グルゥウウウウウウウオオオオオォォ―――!!』
主人の願いに応え、スレンが放つ大咆哮が《精霊の山》の山間に轟き渡る。
宣戦布告とばかりにガルダへ向けて放たれた大咆哮は指向性を伴い、ビリビリとガルダの巨躯を揺さぶった。これ以上なく明確な敵対の意志に、ガルダの瞳にも強烈な戦意が宿った。
『KYREIEEEE―――!!』
応じるようにガルダもまたスレンへ向けて大咆哮を返した。大風を起こし、スレンへ叩きつけるオマケ付きで。スレンも火と風の精霊に親しき《魔獣》、当然のように同規模の大風を起こし、風と風がぶつかり合う!
轟々と暴風が吹き荒れ、その中心に飛翔するのは二匹の《魔獣》。
片や、竜骨山脈の覇者とすら謳われる飛竜。
対するは格でその飛竜と肩を並べ、時に食い殺す大王鷲。
『―――――――――――…………』
大咆哮と暴風を伴う敵意を交換した両者は、一転して静けさすら伴う睨み合いへ移行する。
互いが互いを殺し得る強敵と認め合ったからであり、互いに円を描くように飛翔し合いながら僅かな隙を探り、一筋の優位を得るための試行錯誤である。
ギチギチと、一本の太い繋がいまにも螺子切れる寸前のような緊張感が両者の間に満ちる。
絶え間なく動き合い、探り合い、僅かでも有利な位置取りを得るための試行錯誤を続け…
刹那、有るか無しかのよどみに似た間隙を空間が孕む。凶悪な殺意と敵意が空間すら歪めた。そう錯覚を覚える知覚困難な何かを二頭は感じ取る。
『KYREIEEEE―――!!』
『グルゥウウウウウオオオオオォォ―――!!』
その何かを好機と断じた二頭の《魔獣》は迷うことなく咆哮を上げ、激突した。
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