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二律背反


 闇エルフの少女との再会は叶った。

 久しぶりに顔を合わせた彼女と挨拶を交わし、友誼を確かめ合い、ざっくばらんに話そうとの言葉も貰った。


「フィーネ、助けて欲しい。俺たちは部族を助けるために、《天樹の国》に来た。フィーネの助けが必要なんだ」


 となればジュチは早速本題に入る。

 世間話に花を咲かせるような余裕を持っていないし、回りくどい頼み方は騎馬の民の流儀ではない。

 元より小器用な性質でもないジュチに出来ることは、フィーネとの友誼に期待し、真っ直ぐにその助力を恃むことだけだ。


「うん、もちろん。何でも、は出来ないけど私が出来ることなら」


 そして頼み込まれたフィーネは何故か一瞬だけ身を震わせると、それ以上の遅滞なく諾と頷いた。

 その迷いの無さはいっそジュチが戸惑うくらいだ。


「……いいのか? まだ何も言っていないのに」

「いいの! お母様もお友達は助けるものだって言っているもん! 私だってジュチくんが困ってたら助けてあげたいって思っているんだよ? それに、()()助けが必要なんでしょう?」

「ありがとうな。世話になった分は絶対に返すから」


 この恩は必ず返さねばなるまい、と幼いなりに心へ誓いを刻む。

 友達とは対等なものだ。

 貸し借りを一方的に積み上げる関係は絶対にそうと呼ぶことはない。

 助けてもらうことを当然と思った瞬間に、フィーネとの間にある絆は消え失せる。

 それはジュチにとって忌むべきことで、そうなった時自分で自分を許せないだろう。


「エへへ、そういうことなら期待しちゃうからねー?」

「う゛…。お、男に二言はねぇ…!」


 上目遣いに悪戯っぽく笑い、サラリと言質を取りにかかるフィーネ。

 見栄を張ったジュチはその罠にあっさりと引っかかる。

 フィーネならばそう無茶は言うまいという多少の打算はあったが、まさか少女の胸中でそれ以上の感情が渦巻いていることは予想もしていない。

 少しずつ外堀が埋められていく弟分に微妙な視線を向けるアゼルだった。


「それで、ジュチくん達に何があったの?」

「ああ、実は…」


 ()()然々(しかじか)と。

 ジュチは言葉足らずだが朴訥な語り口で部族を襲う《子殺しの悪魔》とそれを退けるための霊草採取の任について語った。

 時折アゼルが補足を入れながらのたどたどしい語り口だったが、語り終えるのにそう時間はかからない。

 聞き手が聡明なフィーネで、アゼルの補足も的確だったから、理解が不足するということも無かった。

 だが気になったのは、話の途中から明らかにフィーネの顔色が悪くなったことだった。

 特に件の霊草が《精霊の山(マナスル)》の断崖絶壁に群生する白い花弁の花、永遠の花(ムンフ・ツェツェク)であることを聞いてからがその変化は顕著だった。


「……フィーネ?」

「あ、ううん。何でもない…ことも無い、かな?」


 その変化に疑問を覚え、どうかしたのかと意を込めて名を呼びかける。

 慌てたように何でもないと答えようとして失敗する。

 その優れない顔色と返答に()()があるのだ、とジュチも察する。

 フィーネはフゥー、と肺腑の空気を全て吐き出すように息を吐くと。


「……少しだけ、いま聞いた話について考えさせて」


 そう、真剣な表情で時間が欲しいと語るフィーネ。

 頼み込む立場であるジュチ達に否と言えるはずもない。ジュチはもちろん頷いた。


「………………………………………………………………………………」


 フィーネはジュチやスレンへ忙しなく視線を向けながら、唇を噛み占めるように沈思黙考を続ける。

 そうして長い、余りにも長い沈黙を挟んだ末に。


「……ごめんなさい、ジュチくん。私じゃ助けになれない…。ううん」


 目を伏せたまま、沈痛な仕草で拒絶の意図を込めて首を振る。

 いいや、それだけではなく―――。


「貴方達が《精霊の山(マナスル)》に行くと言うのなら、私は止めなきゃダメなの。ジュチくんの友達として」


 はっきりと、使命感すら湛えた決意を込めてジュチ達の任を阻むと答えた。


 ◇


 先ほどまでの穏やかな空気が一転し、ヒリつくような緊張感が場に満ちる。

 ジュチの視線に籠る感情が負の方向に傾きつつあることに気付きながらも、フィーネは毅然として胸を張った。

 自身の内側で暴れる感情を務めて無視しながら。


「……何でだ?」


 そして感情を抑えるための沈黙を一拍挟み。

 ジュチの口から漏れたのは、そんな当然の疑問だった。

 口調は何とか平静を取り繕えているものの、感情面はそうではない。

 むしろ今にも口を衝いて出そうな激情に頭が煮えつつあった。


「何でそんなことを言うんだ、フィーネ。分かるだろう、お前だって…!?」

「分かるよ! 分かり過ぎるくらいに分かる! 私もアウラが病に倒れて、もうずっと眠ったまま! このままだったらどうしようって気が気じゃない!! きっとジュチくんも同じでしょう!?」


 徐々に激するように言葉に籠る感情を荒げるジュチ。

 だがフィーネはそれ以上の感情を込めた悲鳴じみた言葉で応えた。

 ジュチもフィーネも鏡合わせのように義妹(ツェツェク)妹分(アウラ)が病で倒れている。

 お互いの気持ちがまるで自分のことのように分かるから、ジュチはまるでフィーネに裏切られたかのように衝撃を受けていた。


「それが分かるんなら…!?」


 何故だ、と最早怒りすら込めてフィーネを睨む。

 これが理不尽な八つ当たりだと頭の片隅で自覚しながらも、幼い少年は自制が利かなかった。


「落ち着け、ジュチ」


 故にそれを抑えるのは、部族の年長であり、兄貴分であるアゼルの役目だった。

 今にもフィーネに向けて詰め寄りそうなジュチの肩を掴み、その怒りを抑え込む。


「でもアゼル…!」

「俺は諦めろ、とは言っていない。事情を聞け、と言っている。それにお前の抱く怒りは必要か?」


 激した感情をアゼルにも向けると、氷のように冷静な声を返される。

 熱くなりすぎた頭に冷や水をかけられたジュチは我に返り、二人に向けて謝った。


「……ごめん。熱くなった」

「ううん、私こそごめんね」


 フィーネの言い方も直截に過ぎた。

 捉え方によっては協力できないどころか邪魔をするとも聞こえる。

 もちろんそれ以上にジュチが冷静さを欠いたことに責任があるが。


「ハァ…」


 と、思わずフィーネは深い深いため息を吐く。

 たっぷりとした憂鬱さの籠ったそれは、フィーネの複雑な心情をうかがわせるに十分だった。

 図らずもそれが全員の頭に冷静さを取り戻すための一拍の間となる。


「……私も、ジュチくんと同じ気持ちなの。本当に、そっくりそのまま。だって私が求める霊草も同じように《精霊の山(マナスル)》に生えているんだから」

「あの時言っていた霊草か」

「うん。多分だけど私が探していたものとジュチくんが求めているものは名前こそ違うけど同じ霊草だと思う」


 永遠の花(ムンフ・ツェツェク)、あるいは高貴な白(アーデルヴァイス)

 どちらも霊地である《精霊の山(マナスル)》の断崖絶壁でのみ群生する白い花弁の霊草である。

 ここまで特徴が一致していれば、確かにどちらの名も同じ霊草を指している可能性はある。


「……場所まで分かっているのに、フィーネが向かっていないってことは」

「もちろん理由はあるよ。私が《精霊の山(マナスル)》へ向かうのを諦める理由が」

「それは?」


 と、問われてフィーネは何故かチラリとスレンを見遣った。

 飛竜は恐ろしく強力な魔獣だ。竜骨山脈の生態系におけるほぼ頂点の地位にあると言っていい。

 だが例外もある。ある、あるのだ。

 飛竜と同格でありながら、明確に優位を取れる強大な《魔獣》が存在する。

 その名こそ―――。


「……大王鷲(ガルダ)が、ジュチくんの言う永遠の花の群生地に巣を構えたの」

大王鷲(ガルダ)?」


 聞き覚えのない名前に、ジュチは咄嗟に魔獣らしきその名を鸚鵡返しに問い返す。


「そう、大王鷲(ガルダ)。本当はここよりもっと南西の南方亜大陸(エネトヘグ)に生息する鷲に似た《魔獣》。草原で牛馬を鷲掴んで住処まで持ち帰る巨体の持ち主で、嵐を呼びこんで太陽を陰らせるくらい強力に風と水の精霊を従えているの」


 ジュチとアゼルの脳裏に《天樹の国》へ向かう旅路に垣間見た巨影が思い起こされる。

 あの巨大な影は雌羊の抵抗をものともせずに鷲掴み、悠々と天を飛翔していた。

 飛竜に匹敵すると言われても納得の出来る凶悪な存在感。

 恐らくはあれがそうなのだ、とジュチとアゼルの中で理解が腑に落ちた。


「別名は竜蛇殺し(パンナガーシャナ)。時に飛竜(ドゥーク)すら食い殺す、最悪の《魔獣》なの」

飛竜(ドゥーク)を…? おいおい、そんな化け物が―――」


 いるはずがない、と飛竜の強大さを知るジュチは反射的に否定しようとする。

 しかしフィーネの暗く落ち込んだ表情が万言よりも雄弁に真実なのだと語っていた。


「本当、なのか…。そんなとんでもない《魔獣》が存在するのか?」


 言葉だけでは大王鷲(ガルダ)の実像は掴めないが、飛竜(ドゥーク)を食い殺すという一事だけでその強大さは否が応でも理解できる。

 飛竜(ドゥーク)こそ竜骨山脈最強の生物。

 その認識は生涯覆ることは無いと思っていたのだが、それは誤りだったらしい。

 世界は広い、ということなのだろう。

 だがそれを実感するのがよりにもよって今この時でなくても良かっただろうにとつい天神を恨みがましく思ってしまう。


「本当はこんな北方に来ることなんて無いはずなの。でも、来た。来ちゃった。いま《精霊の山(マナスル)》の周辺は入山を禁止されているから誰も入れない。入ったら大王鷲(ガルダ)に捕まって食べられちゃうからね」


 だからこそ《精霊の山(マナスル)》に近いこの国境周辺の警戒も薄いのだという。

 ジュチは必死に頭を回し、抜け道や見落としが無いか一つ一つ潰していく。


「……巣を構えた群生地以外の別の場所は?」

「無いよ。散々探し回ったし、岩戸登りの人達にも確かめたから間違いない」

大王鷲(ガルダ)が巣を作る前に採取したものはないのか?」

「採取が難しい霊草だから基本的に必要な時だけ採ることになってるの。少なくとも《天樹の国》には備蓄は無いかな」

「代わりになるような霊草はどうだ? 」

「分からないけど、ジュチくん達の部族の人が罹っている病気も見ていないのに薬師の人も迂闊なことは言えないと思う。……私も考えられるだけ、考えたの。アウラを何とかして助けられないかって」


 ジュチの問いかけに一つ一つ首を振るフィーネに確かに、と頷く。

 何よりこの情の深い少女がジュチが咄嗟に考え衝く程度の見落としをするはずがない。

 考えられるだけ全ての可能性は潰し、その上で諦めるという選択肢を選んだはずだ。


「な、なら…」

「気持ちは分かるよ。私も同じだもん。でも…」


 それでも何とか言いつのろうとするジュチを押さえ、フィーネは言の葉を舌に乗せる。

 とても言いづらそうに、それでも言わなければならないのだと決意を込めて。


「諦めて、部族の元へ帰って。私、ジュチくんが死んじゃうところなんて見たくないよ…!」


 (まなじり)に涙さえ湛えてジュチへ懇願するフィーネ。

 そしてジュチはフィーネの涙混じりの懇願に、咄嗟に応える言葉を持たなかった。

 フィーネの言葉はどうしようもなく()()()

 そして前世の知識を持ち合わせているだけの少年が、この袋小路を快刀乱麻に立つ名案など思いつくはずもない。

 だからジュチは潔く諦め、大人しく部族の下へ帰路に就くべきだ。

 だがもちろん感情は全く逆を叫んでいた。

 部族の皆を、ツェツェクを見捨てるなと。

 選びようのない二律背反に、ジュチは追い込まれた。


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