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世界で一番の君へ  作者: ひおり
孤独の箱庭 ××××
9/18

第九話 ウェルニッケ領域

これはラブコメ

 『地獄』という言葉を聞いて、これから先、真っ先に思い浮かべるのはきっとこの光景だろう。

 すれ違った人が殺された。助けてくれといった人が殺された。何もしていない人が殺された。

 泣き叫ぶ人、祈る人、死んでいるヒトをすり抜け、向かうのは幼馴染の家。

 昼間のはずなのに、俺の好きな色は隠され、黒い雲が覆う。

 あちこちで火の手が上がり、サイレンやら警報やらの音が鳴り響く。

 息も絶え絶えにたどり着いた幼馴染の家は、真っ白な壁は、影が蠢き、その白さを飲み込もうとしていた。


「××!」


 その光景に、思わず彼女の名前を叫ぶ。もちろんそれに返事なんてない。

 幸いにも、まだ扉は機能を果たしている。

 ダメ元で扉を引くと、案外あっさりと俺を受け入れてくれた。

 影に殺されるかと一瞬緊張が走ったが、それは杞憂に終わった。

 どうも俺は攻撃の対象になっていないのかもしれない。そうじゃなかったら、俺の運動神経じゃ無傷でここまでたどり着かない。

 学校からずっと履いていた上履きを脱ぎ捨てて、昨日お邪魔したばかりの彼女の部屋へと向かう。

 二階へと上がる階段を駆け上がってから愕然とする。

 床のおおよそ八割が影に覆われていただけでなく、その影はどう見ても彼女の部屋から溢れていた。


「無事か!?」

「…………や……と……?」


 か細い声が、俺の問いかけに応える。

 その声を聞いてほっとしたのもつかの間。


「来ない、で……!」


 それは、おおよそ記憶にある中で初めての彼女からの拒絶だった。

 初めての反応に、一瞬思考が停止する。

 彼女は何度も「来ないで」と口にするが、やがてその声に嗚咽が混ざったことに気づくのは、思考を停止した頭でも簡単だった。

 嗚呼、うん。

 こんなに拒絶されても、やっぱり俺は泣いている彼女をほっておくことはできないらしい。


「入るよ」


 返事を待たずに、唯一残っている扉のドアノブに手をかけ、そのまま開く。

 その瞬間、ダムから放水されるように、触手のような影があふれ出てきた。

 しかし、それらが俺を串刺しにしたり、引き裂いたりすることは無く、そのまま濁流のように階段を流れ落ちていった。

 一瞬あっけにとられながらも、部屋の中に足を踏み入れると、そこに広がっていたのは、闇だった。

 可愛いぬいぐるみも、夢いっぱいのクローゼットも、俺の好きな色のカーテンも、何もかもが闇に飲まれ、その中心で幼馴染がうずくまって震えている姿があった。


「や……と…?」


 扉が開いた音に反応したのか、うずくまっていた彼女が顔を上げる。

 長い髪の隙間から見える瞳は闇を宿し、星空のような輝きはとっくに失われていた。


「うん、俺だよ」


 さらに部屋の中へと足を踏み入れ、彼女との距離を詰める。

 暗闇に目が慣れて気付いたことは、黒い影のようなものが彼女を中心に渦巻いているということだ。

 信じたくないけれど、多分これがあの惨劇の――地獄の原因なんだと、無駄に冷静な頭で分析する。


「だめ、来ないで……。見ないで……」


 いやいやと首を振って拒絶する彼女。

 それでも俺はこの子をほっておけなかった。

 その頬に伝う涙をぬぐってあげたくて。

 泣かなくていいのだと、抱きしめたくて。

 何が起きてこうなったのかなんてどうでもよかった。

 ただ、幼馴染が泣いている。その状況をどうにかしたくて手を伸ばす。


「大丈夫。俺はここにいる。ずっと××のそばにいる。俺は、××だけの味方だから」


 白い頬に手を伸ばして雫をぬぐいとる。

 少しだけ彼女の瞳が見開かれる。

 幼子をあやすように、空色の髪を撫でながら言葉を続ける。

 其処に策略も心理的効果も何もない。

 ただ。

 ただ、彼女の泣き顔なんかより、笑っている顔を見たくて必死に。


「約束したでしょ。俺はずっと一緒にいるって。俺が今まで約束破ったことある?」

「…………無い……」

「うん。だから、怖いことなんて何もないし、俺は××がそばにいてくれればなんだって良いから」


 だから。こんなところで一人で泣かないでほしい。

 それはきっと、とても寂しいことだから。

 彼女は、寂しがりやだから。

 きっと、こんなのは耐えられないだろうから。


「だから」

「……一緒に、いて、くれる…?」


 俺の言葉の続きを、腕の中の彼女が紡ぐ。

 彼女の言葉を肯定するように頷くと、ようやく彼女が笑った気がした。


「本当に、本当? ずっと一緒にいてくれる?」

「もちろん。言ったでしょ。『俺のお嫁さんにする』って」


 まっすぐ彼女の目を見てあの日の約束を口にする。

 俺と彼女の、いちばん最初の約束。

 どんなにたくさんの約束を積み重ねようと、俺がどれだけ年を重ねようと変わることのない、一番大事な約束。

 それは、こんな非常事態を前にしたところで変わることは無い。

 俺の返答に、幼馴染は果たしてどんな顔をしたのか。

 多分、笑ってくれているんだと思う。そうだとしたら満足だ。

 彼女の笑顔があるなら、海の中だろうと草なの中だろうと、どこだって良い。

 ふと、意識が遠のく。

 最初に視界がシャットアウトされ、次に彼女の声が聞こえなくなる。

 それでも、腕の中の幼馴染のぬくもりだけは、いつまでも残っていた。

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