第七話 性愛期
そういえばジャンルはラブコメでした
「夜斗、一緒に帰ろう」
教室に押し込められた二酸化炭素と喧騒が校内に放たれた放課後。
隣のクラスの幼馴染が、教室の扉からひょこっと顔を見せた。
クラスメイト達からは「彼女のお迎えだぞー」なんてヤジが飛んだり飛ばなかったり。
それでも、俺と幼馴染が一緒に帰るのは、幼稚園の頃から毎日行われていた行為であり、十年以上続いていた習慣を、今更やめるというのも変な話だった。
だからこうして、彼女はクラスが離れた今でも律儀に迎えに来てくれるのだった。
こういうマメなところが彼女の可愛いところの一つだと、常々感じる。
適当にカバンの中に机の中身を突っ込み、同級生たちと軽い挨拶を交わして教室を出る。
「ねぇ夜斗。今日どこか遊びに行きたい」
「りょーかい。どこに行こうか」
部活に向かう足音や、雑談に交じって二人で廊下を並んで歩く。
風のうわさでは、校内イチの仲良しカップルなんて呼ばれているらしいが、俺も彼女も付き合っているつもりはない。幼馴染としての付き合いなら、絶賛継続中なのだが、恋情がそこに挟まる余地が果たしてあるのかないのか。
閑話休題。
下駄箱で靴に履き替え、すでに部活動が始まっている校庭を横目に二人で学校の敷地を出る。
そろそろ秋風が涼しく感じる季節。
空は、カラリと澄み渡る青空が続いていた。
二人であてもなく駅前の方まで出る。
ここまでくれば、あとは幼馴染が目についた店にふらっと足を運ぶのについていくだけだ。
彼女のお気に入りの服屋の前を通れば、「新しいの可愛いー」なんて足を止めるし、クレープ屋の前を通れば、行ったり来たりと悩みだす。
そして俺は自他ともに認める程度には幼馴染に甘いので、彼女の好きな甘いクレープを差し出す。
「なんでわかったの?」
「付き合いの長さ故、とか」
ちまちまと、小動物のようにクレープを食べながら彼女が尋ねる。
チョコソースとバナナとアイスとその他諸々を包んだクレープを、幸せそうにほおばる彼女の顔が見たかったとも言う。
なんて内心を、自分用に買ったタピオカミルクティーと一緒に飲み込む。
「夜斗は私に甘いねー」
「そう?」
「そうだよ。そんなんだとお婿に行けないよ」
そこは安心してほしい。
彼女が覚えているかは別として、すでに婿先に宛てはある……といいなぁ。まだ約束が残っているといいな。残っていなかったらまた約束をすればいいか。
「でも、夜斗が誰にもお婿にもらえなかったら、私がお婿さんにしてあげるからね」
「其処は俺が『お嫁さんにしてあげる』って言うところなんだけれどなぁ」
俺が苦笑すると、幼馴染は夏の日の海帰りみたいに顔を真っ赤にさせてあたふたしたかと思うと、そのまま残りのクレープを一口に食べた。
口の小さい彼女は苦しそうにもごもごと咀嚼を繰り返したのち、やっと飲み込んで口を開いた。
「な、な、お、覚えて……」
よかった。あの約束の記憶は、俺だけのものじゃないみたいだ。
「覚えてるよ、約束は全部」
次の誕生日にはどこか二人でご飯に行く約束も、夏休みに水族館に行く約束も、テストの点数で勝ったら何かおごる約束も、ずっと一緒にいるという約束も。
それから、最初の約束も。
彼女との思い出に、忘れていいものも、忘れたいものもひとつも無いから、今日までちゃんと全部覚えている。
「そ、そっか…」
恥ずかしそうに、けれど笑顔で彼女がはにかむ。
あぁ、うん。俺は、彼女のこの表情が好きだ。幼馴染が幸せそうに笑うと、こっちも幸せになる。
そんな彼女を間近で見ていたいから、今日までずっと一緒にいたんだと思う。
そしてそれは、これからも変わることが無いんだろう。
「えへへ、夜斗大好きだよ」
やわらかい両手で俺の手を包みながら彼女が言う。
こんなにも、彼女からの『大好き』がこそばゆく、恥ずかしく、うれしく思うのは、多分初めてだ。
くすぐったいけれど、悪くない。むしろ、嬉しい。
「ね、ね。今日暇でしょ? このままうちに遊びにおいでよ」
両手で俺の手を引いたまま、幼馴染はこちらの返事も聞かずに自分の家に向かって歩き出す。
もちろん、それにノーと答える口は何処にもないので、二つ返事で頷いて一緒に彼女の家への道を進んでいく。
今日はパパもママも帰りが遅いんだって。と嬉しそうに話す彼女。なんだかラノベか恋愛ゲームみたいな展開だな、と陳腐な感想を抱いた。
彼女の家に一番近い信号まで来ると、見慣れた人を見つけた。
彼女と同じ空色の髪の、背の高い青年。
「あ、お兄ちゃん」
彼女が声をかけると、その青年――彼女の兄である柘榴さんが振り向く。
隣の幼馴染が可愛い代表なら、その兄である柘榴さんはかっこいい代表だ。
これが遺伝子か、と顔を合わせる度に思い知らされているのは内緒だ。
「おかえり。夜斗くんも一緒だったんだ」
「こんにちは」
愛想よく笑う彼は、幼馴染の兄ということもあってそう浅くない付き合いの仲となっていた。
「その様子だと、また無理やり連れてこられたんでしょ」
「そんなこと無いですよ」
俺は嫌なことはちゃんと断れる性格なので嘘ではない。
幼馴染の誘いは、どんな誘いを差し置いても参加したいイベントランキング一位というのも事実だ。
「いつも仲良くしてくれてありがとうね」
柘榴さんの言葉は、本心からくるものだろう。
幼馴染は可愛いが、お世辞にも人付き合いスキルがあるとは、贔屓目に見ても言いにくかった。
そういったこともあってか、過去に一度だけ、柘榴さんから「あの子のことよろしくね」と言われたことがある。
こちらとしては、そんなこと言われなくてもそのつもりだったので、特に何も反論もせず頷いたのを覚えている。
人見知りで怖がりな彼女は、いつも俺のそばにいた。
幼いながらに、頼られるのは悪い気はしなかったし、そんな彼女が可愛いとも思っていた。
信号が青に変わり、三人で並んで渡る。
信号を渡って曲がったすぐ先に、幼馴染の家はあった。
白い壁と、広い庭。以前にこの庭でバーベキューに誘われたこともある。
幼馴染がカバンから鍵を取り出して差し込む。
鍵には、小学校の修学旅行の時、彼女の色っぽいという理由で俺が買ってそのまま渡した瑠璃色の安っぽい石のキーホルダーがつけられていた。
まだ使ってくれているんだな、とうれしくなる半面、今度はもっとちゃんとしたのをあげたいとも思った。
「ただいまー」
「お邪魔します」
彼女の声に返事は無い。
それでも幼馴染はおかまいなしに俺を部屋に案内した。
柘榴さんは「ゆっくりしてね」と言って自分の部屋に入っていく。
彼女の部屋は、空色のカーテンが印象的な、いかにも女の子といった部屋だ。ついでに、余裕で五、六人は入れちゃいそうなくらいには広い。最も、この部屋がそんな大人数で満たされることは多分無いけれど。
そういえば、彼女の家に来るのは久しぶりかもしれない。
くるりと部屋を見渡してみると、おおよそ変わったところは無いけれど、ところどころ部屋に似つかわしくないものがあった。
例えば、壁の隅に貼られたお札のようなものとか、例えば、カーテンに隠れているアミュレットのようなものとか。
「夜斗がうちに来るの久しぶりかな?」
「そうかもしれない。最近は外で遊ぶことが多かったし」
彼女はカバンを置いてベッドに腰掛けると、手招きして俺を呼んだ。
もちろんそれを拒否する理由も無く、幼馴染と並んで座る。
二人分の重みを受けたベッドが僅かに沈んで俺たちを包み込む。
「ねー夜斗」
「どうした?」
「ずーっと一緒にいてくれる?」
「もちろん」
そうありたいと思ったから、素直にうなずく。
それは嘘も虚飾も何もない、本心だけを込めた言葉。
俺の言葉に、幼馴染がノータイムで抱き着く。
受け止める姿勢なんてとっていなかったので、そのまま重力に逆らうこと無くベッドに二人でダイブする。
「じゃあ、私のこと、お嫁さんにしてくれる?」
「それは一番最初にした約束だからね」
さらりと流れる空色の髪を撫でながら、世界で一番幸せだなぁと感じる。
そして声に出さないけれど、一人決意する。
彼女と、彼女との約束だけは全部守る。
世界で一番の君へ、一人誓いをたてた。