Ⅱ-nd. *その頃の〜元カレ*
仕事も終わって、帰宅途中の男がいた。名は佐木直夏と言った。名だけ見ると、女性と思われる事も在るのだが、当人は気にした事が無かった。スグナと言う名は気に入っている。彼の父親にも母親にも『夏』の字が入っていた為に、『ひとりくらいは』と、三男にしてようやく夏の字を入れた彼の両親には、直夏の他に二人の息子がいた。三人兄弟の末っ子の彼は、少し変わった所はあるが、何の不満も無い両親の元で、擦れる事も無く名の通り『素直』に育った。難を言うなら彼はのんびりとした雰囲気の長兄や、兄とは全然似た所の見られ無い次男とは、余り遊んだ記憶が無く、寧ろ近所に住む歳の近い幼馴染との方が兄弟の様に過ごした。
幼馴染の兄達は、自分の実の兄ーー大和と言う長男と特に仲が良いのだが、直はそういう事は気にしない質だった。かえって自宅にいるよりも、幼馴染の自宅での方が実兄との遭遇率が高く、自宅にいるよりも話をする機会が多かった程だ。今は兄は結婚もし、子供もいて、自宅にはいない。別に居を構えた。弟が二人居た為だろうとは思うが、今は自分も実家暮らしでは無く、仕事場近くに借りている部屋で生活している。なので実家には父、母と次男で在る兄だけが居る。次男は仕事優先なのかもてないのかーーまだ独身で在った。とは言うが直の二つ上なので、彼は今27に成ったばかりだ。直夏は25歳、…もうそろそろ自分も結婚を…と内心で計画していた所だった。 ただ、彼は欠点と言うべき点として、余り言葉を包まない。偽るのが嫌いなのだ。
長男、大和はーー父に似ているのだろうと思った。父も屈託の無い明るさの他に、穏やかも持った人だからだ。正直……直は兄、大和が羨ましかった。大和が誰かを怒らせているのを見た事が無かったからだ。 兄貴みたいに出来たら…喧嘩に発展する事は…なかった…よな。
そう思ったのは、そう、彼ーー佐木、直夏は、3年程前から付き合っていたーー友理奈に、昨日泣かれて言い訳等もする暇も無くーー帰られてしまい、その後ずっと音信不通なのだ。勿論先程彼女の部屋を訪ねてみた。一晩たったので、少し機嫌を直してくれたかもと、期待してだ。けれど。彼女の部屋はあろう事か、しんとして、…冷たかった。時間は夜の10時になる所だった。………え? 直は内心相当焦った。 彼女に無理を言って、手に入れていた合鍵。 嫌と言うよりは無くされる事を懸念されたらしいーー失礼だなと思ったが、実は直の欠点のひとつで、鍵やUSB等を無くす癖が在るーー実際には紛失では無く、鞄の何処かに押し込んでしまう癖が在るらしく、気を付けているのに、仕事等で集中しすぎている時に、やらかす。大きな物ならばそれでも直ぐ鞄から出て来るのは道理だが、其れが小さな物になると、言わずもがなな…。反省はしている。ただ其れを、特に鍵等を無くすと、鞄から鮮やかに見付けてくれるのが友理奈の仕事だった。鍵を無くして申し訳無いが、仕方無く夜遅目の時間に彼女の部屋に避難したのが始まりだ。理由を話すと、直の許可を取ってから、鞄の普段使わないファスナーの内ポケットの中に入れられた鍵を、直ぐに見付けてくれた。直夏が呆気に取られると、『だって探しても見付からないんなら、普段使った事が無い所でしょ?』〜と、スピード解決の理由を説明していた。 ただ、そういう時の直の感心は、感情が余り表情に表れていない直夏の表情からでは友理奈には何も伝わっていなかったのだと気付いたのは……昨日の二人の大喧嘩の時だったのだ……
…10時過ぎても帰って来ないって、…確実におかしいな…友理奈だしな。友理奈は真面目で、本人はそうは思っていないが、平日仕事以外の理由で、帰宅が遅くなる事は無い。遅くても…8時には帰って来る…よな。帰りにスーパーに寄ったとしても、遅過ぎる。……何処行った?
悪い事しか想像出来ずに、直夏は自分の身体からさあっと音を立てる様に、血の気が引いて行く様に感じた。実際この場に他に誰かいたのならば、それは気のせいでは無く、事実だった。