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渇愛 ~ずっと貴方のもの~  作者: 堂山鉄心
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 この間はどこまでお話させてもらいましたでしょうかねぇ?

 あぁ――。そうですねぇ。

 私が夫と別れたところまででしたねぇ。

 その先ですか? 

 本当によろしいんですか?

 また長い話になりますよ――。


 あの方と初めてお逢いしたのは30代も半ばを過ぎようかという頃のこと――。私は未だ、あの倒錯の世界に住んでおりました。

 えぇ、その頃はすでに先生ともお別れしていたのですが、私には残された代償のためにもお金が必要だったのです。

 それは、お金を頂いたお客様の前で演じる調教会というものでした。私は、芸名を与えられ、良家の奥様という役柄を演じ続けておりました。沢山の知らない人たちの目や、カメラのレンズの前で凌辱の限りを受けるのです。

 とても人様に言えるような内容のものではありません。それでも私自身――辛いことがなかったかといえば嘘になりますが――。やはりその世界が嫌いではありませんでした。

 私を必要としてくれる世界。臆病で、愛されることに飢えた女は、それ以上を望むことをしませんでした。


 ところがある日――。

 その頃はすっかりお友達になっていた、私をこの世界へと導いてくれたYさんに連れられて、ある親睦会のようなものに参加させてもらいました。それは、Yさんのお友達――もちろん、皆さんその世界の住人ばかりです――。が、集まるパーティーだったのです。とはいえ、ただの飲み会のようなものではあるのですが、少し妖しげなバーに集まり、20歳前後の若い女の子を中心に、みんなで賑やかに騒いだりしていたのです。そこでも、人見知りの激しい臆病な私は、連れてきてくれたYさんと共に、端の方で大人しく飲んでおりました。


 そこで――。

 出会ってしまったのです。

 その方は、一人遠方から来られた方で、一見とても怖そうに見えたのに、その実、私たちの席に来られると、意外に柔らかな物腰と気さくな話し方でYさんとお話しを始められました。とにかく良く気のきく方で、Yさんとばかり話すのではなく、さりげなくこちらにも話題を振ってくださる話し方は、その見かけとは違い、とても丁寧で優しく、臆病な私を怖がらせるどころか、逆に妙な親近感まで与えてくださったのです。久しぶりに、とても楽しい時間ではあったのですが、家の遠い私はどうしても最終の電車で帰らなくてはなりません。そこでYさんは、あの方にビルの一階まで私を送ってくださるように頼んでくれたのでした。

 私の方にも幾らかの期待があったことも否めません。酔いも手伝い、また、あの方の紳士的な振舞い方に少し油断もしていたのでしょう。

 私はエレベーターに乗った途端に、いきなり髪を掴まれ、壁に背中を押し付けられて唇を奪われてしまったのでした。そのあまりに傍若無人な振る舞いに、何故か私は嫌悪感を抱くどころか、逆にときめきを覚えてしまい、エレベーターを降りたところでお互いの連絡先を交換し合った時などは、正に天にも昇るような気持ちでした。


 それからあの方とのお付き合いが始まったのです。

 あの方は、いろんな意味で私がこれまでに出会ってきた男性とは大きく違い お付き合いと言っても、世間でいうそれとは少し違って、私に絶対服従を命じられてくるのでした。

「結果として従えたかどうかは問題ではない。お前に、私に従いたいと願う意思があることが肝心なのだ」

 何度も何度も繰り返し聞かされてきた言葉です。それまで私の羞恥心を煽るような行為を好まれた人には何人も出会いましたが、あの方は、それ以外にも肉体的な苦痛を与えることを好まれました。精神的にも肉体的にも追い込まれ、すっかり逃げ場を失くした私は、淫らに溢れ出してしまうことしか出来ませんでした。

 何とかこの方に応えよう。苦しいことも辛いことも、あの方に愛してもらいたい一心で頑張りました。

 あの方は決まってこうおっしゃいます。

「私はお前が耐えられることしかしない。お前が出来ることしか命じることはない。それをお前は信じることが出来るか? 信じることが出来るのなら、耐えられないのはお前の努力が足りないからだ」

 その禅問答のような言葉は、時に私を安心させ、時に私を混乱させながらも、私はあの方に従い、深く愛していったのです。


 今まで、相手に愛されることだけを強く望んだ私がそのことを強く実感したのは、お付き合いを始めて半年ほどが経ったころ。私は、あの方にご家庭があるのは知っておりましたが、実はそれだけではありませんでした。特に隠していた訳ではないそうなのですが、あの方は、私の他にも何人かの女性を抱えていたのでした。


 何度も繰り返してまいりましたが、私は常に愛に飢えている女です。

 夫との別れも、元はと言えばそれが原因なのでした。

 そこであの人はこう言いました。

「私に家庭があるのは知っていたのだろう? 妻は良くて、何故他の女ではいけないんだ?」

 女の浅はかなところです。男と云うのは、妻に対して女を意識していないという――。思い違い。つまり、愛されているのは自分だけだという驕りがあったのでしょう。

「私は、私が私でい続けるために、常に複数の女を所持していなくちゃならないんだ。仮に誰か一人に絞ってしまった時、必ず私がその女に対して妥協し、阿ってしまうような場面が出てくる。そうなったら最後、私は私でいられなくなる。私は、私が私でい続けない限り存在することが出来なくなるんだよ」

 何とか仰りたいことだけは分かりましたが、当時の私には、到底理解し、納得の出来るものではありません。それに対してあの方はただ――「選ぶのはお前だ。それと、間違っても私を変えようなどと無駄な努力はしないことだ。納得出来ようが出来まいが、お前がさっきの話を聞いて、それでも私と一緒に居たいのか、居られないのかを選べ」とだけ仰いました。


 即答など出来るものではありません。泣くだけ泣いて、これ以上ないくらいに悩みました。

 出会ってから今日までの日々。常に私の一歩前を歩いて、私を導いてくださる存在。

 この身体に――。この心に刻み付けられたあの方の烙印。


 私はついに、愛されることよりも、愛することを選んだのでした。


 とは言え、もちろん男女のこと。それからも平穏な日々ばかりが続いたわけではありません。精神的に不安定なときなどは私からお別れを願い出たこともありました。あの方は、その度に泣いて詫びる私を迎え入れてくださり、私は益々あの方をお慕い申し上げるのでした。

 時が過ぎ、私は調教会の仕事を辞め、更に厳しい仕事につきました。あの方の会社が倒産された折には、初めてあの方が私に弱い部分を見せてくださいました。私の体力も年々衰え、日々の過労が堪えるようにもなってきました。それでも私の為に、年老いた両親の住む家を奪ってしまうことなど出来るはずもありません。

 全ては身から出た錆。あの方の側にいられるのなら、いかなる艱難辛苦も乗り越えられるのでした。私に、愛されるばかりではなく、愛することの喜びを教えてくださった人。出来の悪い従者ではありましたが、私なりに、懸命に仕えさせていただいたという自負だけは持っています。


 そして――。いつかあの方が予告されていた通り――。あの方もお年を召され、脚を悪くなされてからは、一度もお逢いすることが叶わなくなってしまいました。

 それは悲しいなどというものではありません。

 気が狂うほどに――。寂しかったし、辛かったものです。


 でもね――。

 まだ、あの方がお元気な時に仰ってくださった言葉が――。その言葉だけを支えに今日まで生きながらえて来たようなものなのですよ。


 その言葉ですか? 嫌ですよぉ――。。お笑いにならないでくださいましね。

 あの方はね――。

 あの方は、こう仰ってくださいました。


――物事には全て終わりが在る。不変のものなどはどこにもない。私にも終わりはあるし、お前にも終わりが来る。私たちの関係にも、いつか終わりはあるのだ。ただし、例え身体は交わせなくとも――。例え逢うことが叶わなくとも――。お前は死ぬまで私のものだ――。とね。


 嫌ですよぉ――。本当に恥ずかしい。年甲斐もなく、つい調子に乗ってしまって――。

 ごめんなさいね。

 いえいえとんでもありません。お金なんて欲しいと思ったことは一度もありませんよ。もちろん結婚も望んではおりませんでした。

 いえ――それはむしろ諦めた――と言った方が正しいのかもしれませんね。

 ただ私が望むことはたった一つ。

 私が一人で身寄りもなく死んでいく時にこの手を……


 いえ、止めておきましょう。

 これとてやはり贅沢というものでしょう。

 はい。私の話はここでおしまい。

 今度は貴方が話してくださいな。

 ところで今度はいつ? 

 そぉ――。来週は来られないのですね。

 いえいえ。無理はいけません。

 貴方の都合の良い日で構わないんですよ。

 それではまた――

 ありがとうございました。

 おやすみなさい。






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