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渇愛 ~ずっと貴方のもの~  作者: 堂山鉄心
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 いつもいつもすみません。気に掛けていただいて……

 えぇ、えぇ。こんな年寄りには話し相手になってくださる方がいるだけで嬉しいものです。

 何ですか? 本当に何でも良いんですか?


 そうですねぇ……。

 それなら今日は――。私の娘時代の話でもさせてもらいましょうかねぇ――。


 えぇ、えぇ。今でこそ、こんな皺くちゃのおばあさんになってしまいましたけどね。こんな私にだって貴方……もちろん華やかな娘時代があったのですよ。

 想像も出来ないでしょう?

 でもね……。確かにあったのです。

 こんな私にもね。眩いばかりに輝かしい季節が――。

 嫌ですねぇ――。恥ずかしげもなく、こんなことを人様に言えるということが年を取ったということなのかもしれませんねぇ。


 小さな頃は良く笑う子でねぇ……。そのくせ負けん気だけは強い、生意気でとても困った子だったと――。亡くなった母も姉も、そう申しておりました。

 こんな話で良いんですか?

 お若い方には退屈でしょうに……。



 最近、妙に私を気にして訪ねてきてくれる人がいる。

 聞けば、この地域の寝たきりの老人宅を定期的に訪ねては話を聞くのが趣味だという。

 この年になると、話し相手がいるということは、本当にそれだけで嬉しいものだし、毎朝来てくれる介護の人たちには本当にいくら感謝してもし足りないというくらいに一生懸命やってくれるのだけれど、やはりどこか事務的で味気ない。

 けど、自分の若い頃と照らし合わせて相手の人のことを考えると――。一体何が楽しくてこんな寝たきりの年寄りの話を聞きにくるのか? と――。少しくらい訝ってみるのも仕方がないことではありませんでしょうか?。

 もちろん最初はちゃんと警戒しました。とはいえ、ちょっと調べてみればすぐに分かるのですが、私には盗られるような大した蓄えもありません。

 でも、確かに近頃は僅かな年金まで根こそぎ持っていこうとする輩がいると聞くし、油断は出来ないとも思っていたのですが、どうもこの若者は少し様子が違う。

 それに、どこがどうとは言えないけれど、何だか遠い記憶の――。

 そう、何だかとても懐かしい香りのする若者で――。つい、気を許して、甘えてしまっていたのです。




 小学校に上がった頃から、私はいわゆるイジメに合っておりましてね。

 やはり、小さな頃の生意気な性格も災いしたのでしょうか?

 クラスの女の子達の輪に上手く溶け込めなくて、随分哀しい――。辛い思いもしたものです。

 3人兄弟姉妹の真ん中の子には往々にしてあるという話ですが、私の場合もその例に漏れず、人との会話というのが少し苦手ではありました。要領の良い姉と、甘えん坊の妹に挟まれた、いわゆる〝真ん中の子〟。母は主に、〝良い子〟である姉に用事を言いつけ、〝手の掛かる〟妹の面倒ばかりを見ていました。


 今にして思えば何と浅はかなことなのでしょう。私とて昔は〝末っ子〟だったのです。

 けど私の心の中は、ただ〝愛されたい〟この想いだけが大きく占めるようになっていました。


 でも、中々相手にしてもらえない真ん中の子は、どうしたって無理矢理にでもこちらを注目させるために、時に突拍子も無いことを言ってみたり、突然目立つ行動を取ってみたりするのです。けれどお察しの通り、それは大抵逆の効果しか生みません。私の言動は段々と皆に疎んじられ、相手にされなくなっていき、その結果、益々奇異な言動を繰り返すーー。という悪循環を生むのです。

 もちろんそれは、家の中だけに留まるものではなく、学校でも変わることはありませんでした。


 言葉――。

 それは、とても便利で力強く、時に温かく、時に優しい魔法の道具。でも、それと同時に、時にはとても恐ろしい、全てを根こそぎ奪い去っていく凶悪な武器にもなりえます。

 私は言葉に恐怖し、極端に目立つことを恐れ、そのうち奇異な言動さえ出来ない、とても大人しい、臆病な女の子になっていました。


 その頃私のクラスには綺麗な目立った子が一人いましてね。

 あるとき、私にこう言うんですよ。

「あなたのその長い髪は、見ていてとても不潔で汚らしいわ。明日までに切ってきて」

 そりゃあ悩みましたよ。母が、それはそれは大事に扱ってくれていた自慢の髪です。毎日丁寧に洗い、綺麗に櫛を通していた、それは数少ない母娘の絆を保つ、細い細い糸のような意味を持つ大切な髪だったのです。


 でもね――。

 イジメというのは、受けたことのある人にしか分からない――、本当に恐ろしいものなのです。それは、私と母が長い年月をかけて大切に育んだ自慢の髪を自ら切り落としてしまうほどに――。

 その髪に、突然誰にも告げずに鋏を入れてしまった私を、母は烈火のごとくに怒りました。

 母にすれば哀しかったのでしょう。裏切られたという想いがあったのかもしれません。


 それ以外にも――。命じられて、人様の物を盗んだこともありました。友達を裏切るようなこともさせられました。

 怖かったのです。とにかく恐ろしかったのです。

 誰にも相手にされないことの恐怖。

 これは第一子に生まれた子供には一生掛かっても理解されない類のものなのかもしれません。そして決して逃げることの適わない状態に置かれて攻撃されることの恐怖。

 これも実際にイジメられた人間にしか分かりません。


 そのうち私は、私自身のことが大嫌いになっていってしまったのです。

 私なんてこの世からいなくなってしまえ!

 何度自身に向けて発した言葉でしょう。

 その言葉は、己を守りながらも、同時に己を傷つけていきました。そして私は身を守るために殻を作り始めるのです。最初は薄い膜のようなものだったそれは、段々と硬い、自分でも割ることが困難なくらいに硬い殻へと成長していきました。


 中学生になり、高校へと進学した私が、自分から好きになる男性よりも、自分を必要としてくれる男性を選ぶようになったことも、そういった過去の傷が原因だと言えなくもありません。

 その後大人になった私は、過去を断ち切るためにも、都会の街へと出て行きました。そしてその街では、こんな私でも求愛してくださる男性が少なからずいたのです。

 ところが、何と言っても、求められることにはそれほど慣れていません。求められるままに何人もの男性と関係を持ったこともありました。時には悪い男に染められて、いけないお仕事に身をやつしたこともありました。とはいえ、私のこのちっぽけな人生において、最も華やかに輝いていたのもまた、この20代という年代ではあったのです。


 しかしそれは、恋多き――。と、言えば聞こえは良いかもしれませんが、ただただその場の楽しさや快楽を追いかけ続けただけの虚しく刹那的な年代だったような気もします。

 煌びやかな洋服。

 美味しい食事。

 美しい音楽。

 素敵な男性。

 そのどれもが、私を心から満足させることは出来ず、過ぎてしまえば、宴の後の白々しさが残るばかりであったような気もします。


 30代を向かえ、さすがの私もそろそろ〝結婚〟というものを意識し始めます。私も女である以上、やはり一人の男性に生涯愛されることこそが幸せであると信じていました。また、若い頃とは違い、現実的なことを充分に理解し、また覚悟しながらも、心のどこかで結婚とはそういうものだと、固く信じて疑わなかったということがあったのかもしれません。しかし、頭の中で覚悟したつもりになっているのと、現実にその事実を突きつけられるのとでは、やはりその意味するところも、受ける衝撃の度合いも違ってきます。


 私が嫁いだ男性は、優しい上に、決してお金に不自由する人ではなく、私の実家を、私と老いたる両親のために大きく改築した上で一緒に暮らしてくれるような人でした。私は当然のように仕事を辞めて家庭に入り、休みの日には2人でゴルフやドライブ、温泉巡りなどを愉しみ、時には夫のカードを使い、今から考えればとても贅沢な買い物を当たり前のように愉しんだりもしました。


 ところが、一見誰からも羨まれるようなこの生活にも終わりが来ます。夫は結婚後1年もしないうちに他の女性と関係を持つようになっていたのです。


 私は苦しみました。

 愛してもらえない――。

 このこと以上に私を苦しめることなど、この世の中にはありません。当時の私にはどう考えてもその原因が分かりませんでした。一度でも若さを武器に戦ったことのある女ならば、負ける原因も若さ抜きには考えられなくなってしまうものなのです。

――若い子には勝てない――。


 その時――。〝魔が差した〟とでも言うのでしょうか?

 それでも、私に〝あてつけ〟の気持ちが全く無かった――といえば、それはやはり嘘になります。私は、かつて独身時代にお付き合いのあった、Yさんという男性からの呼び出しについつい軽い気持ちで応じてしまうのです。その人は、私とお付き合いしている当時と違い、その頃すでに、私の知らない世界の住人になっていたのです。

 そこにあるのは、支配と服従。苦痛と羞恥。めくるめく快楽を伴う淫靡な倒錯の世界。


 女は鏡。自分が愛されたい男性の求める性の鏡なのです。

 世に淫らという言葉がありますでしょう? 愛されることに飢えている女は、概ねこのように、愛をくださる男性が求めるまま淫らになっていくものなのです。自ら淫らになれれば、そのことがもたらす官能もまた大きくなります。

 そうして世に言う〝淫らな女〟というものが出来上がっていくのです。

 私は溺れました。それは、私をこの世界に連れてきた、昔お付き合いしていた彼ではなく、その世界に住むまた別の住人。私はその人のことを〝先生〟と呼んでお慕いするようになりました。

先生がくださる倒錯の世界へ。

 恥辱にまみれ、淫らに彩られる快楽の極致。人前で嬲られ、どこででも犯され――。先生は私を人前で辱めることだけに留まらず、他人にこの身体を投げ与え、先生の目の前で淫らに乱れる私を冷ややかに罵ったりもしました。

 精神も、そして肉体をも辱められ、最後には私を抱きしめてくださいました。

 私はついに、本当に私を求めてくれる世界を見つけたのです。



 そして破局はやってきました。

 夫は浮気の証拠を残すようなヘマをやる人ではありません。裁判では、私の一方的な裏切りが原因という結論で協議離婚が成立しました。

 ほんの僅かな期間の悦楽。その代償は私から夫に支払う慰謝料。私が倒錯の世界に引き込まれてから後に使用したカード・ローン。そして、一生掛かっても返せるかどうか? という、莫大な家のローンという、決して小さくはないものでした。

 そんな私の男性遍歴を見るにつけ、数多いとは言えない女友達は、皆一様に「貴女は男運がない」と同情してくれました。

 でも、私には分かっていたのです。悪いのは、私の男運ではなく、人から求められることだけを望む私自身であったことを。幼い頃から様々な形で植えつけられてきた、他人に求められることに対する渇望。

 これが、私の〝男運〟の悪さの一番の原因でありました。


 

 え? この先ですか? 長い話になりますよ。

 でも、今日は私も少し疲れたみたいです。

 若い頃にした無理が祟っているのでしょうかねぇ――。

 今日はこの辺で休ませていただきます。

 いいえ。何をおっしゃいます――。

 こちらこそ、毎回毎回、貴方の来るのが本当に楽しみなんですから。

 はい。

 それではまた――。

 おやすみなさい。


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