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キングオブウェイスト

 百里ヶ浜北東端の行司岬には三十キロメートルに渡る砂丘を一望できる展望台が整備されている。そこから東に向かって、太平洋岸に垂直に切り立つ絶壁が続いている。東洋のドーバーと称賛される扇面ヶ浦だ。国道を走っているだけでは、この絶景には全く気付かない。そのかわり海とは反対側の丘陵に風力発電の巨大な鉄塔が数十基も林立しているのに驚かされる。夏は断崖から吹き上げる浜風、秋は黒潮をなぞって上陸する台風、冬は戸根川越しに吹き降ろす木枯らし、そして春は北関東の台地をさらう西風と、年中吹きつける強風を利用した国内有数のウィンドファームへと変貌したのだ。不法投棄全盛のころと比べると隔世の感があるが、雄大に回転する白いプロペラの下には、数百万トンの産廃が今なおじわじわと環境を侵食しながら眠っている。

 特別支援学校の脇から防波堤に降りる切り通しの通路には、ダンプの進入を阻止する巨大なコンクリートの車止めが設置されていた。かつて伊刈が土木事務所に依頼して設置したものだ。立入禁止の立看板を無視して急峻な坂道を降りていくと、赤壁レッドクリフのように雄大な情景が目前に広がった。前面には太平洋の海原、後背には五十メートルの赤土の断崖、湾曲した防潮堤に打ち寄せる波頭が数キロの泡の回廊となってギザギザの岬を巡っていた。

 逢うならここでと希望したのは安座間だった。いまにも波に飲まれそうな護岸に立った深紅のワンピースが青い海原に映えていた。

 「こんなきれいなところはないわ。ここが不法投棄現場だったなんて信じられないわね」首だけ振り返って彼女は軽く会釈した。「香港でのお話、考えてもらえたかしら」

 「その話はあとにしましょう。向こうの岬の裏まで行くと、もっときれいな場所があるはずですよ」

 伊刈は手を差し伸べて護岸の散策へと誘った。彼女はうれしそうに握り返してきた。

 「あなたのおかげで犬咬の不法投棄は終わったのね」

 「そうなんでしょうか。このごろ違うような気がしてるんです」

 「どういう意味かしら」

 「どうして不法投棄は終わったのか。ほんとうはなにが起こっていたのか、今でもまだ疑問がすっかり解けたわけじゃないんです」

 「なくしただけじゃ満足できないのね」

 「栃木の親分、つまりあなたのボスが撤収命令を出したんでしょう。不法投棄を始めたのも終わらせたのも、結局はヤクザだったってことですか」

 彼女は大きな目をしばたたいた。

 「そこまで知っているあなたがやっぱりきれいにしたよ。私たちもみんなそう思ってるわ」

 「どうして僕は抹殺されなかったんでしょうか」

 「その計画は確かにあったわね。だけど守ろうとした人もいたのよ」

 「あなたもそうですか」

 「私にそんな力はなかったわ」

 「すべては逆だったんじゃないでしょうか。誰かがなくしたのではなく、自然に溶けていく夏の氷山のように、不法投棄は自ずからなくなったんじゃないでしょうか。僕たちは時代に流されていく氷山の上で、ゴッコ遊びをしていただけなんじゃないでしょうか」

 「確かに私にとっては楽しいゲームだったわね」

 「そうして遊んでいるうちに、また彼らは戻ってきた。月が欠けては満ち、潮が引いては寄せるように」

 小さな岬を回り込むと、崖の上から流れ落ちる滝が現れた。まるで太平洋から白い龍が昇天していくようだった。

 「こんなにすてきなところがあったのね」

 「正直に打ち明けますが、ここは僕の秘密のデートスポットだったんです。夜になるともっとロマンチックですよ。新しい恋を試すたびに、いつもここをドライブコースに取り入れていました。でも、最初の夜の感動は二度と再現できませんでしたね」

 「あなたがあんなに必死になって犬咬をきれいにしたのは、まさか恋人との思い出の地を取り戻すためだったのかしら」

 「人がなにかに本気マジになる理由なんて、そんな他愛のないことなんじゃないですか」

 「相変わらず憎いことを言うのね。それにみんな騙されてしまったのよ」彼女は伊刈の手を離し、壊れた護岸をどんどん歩いていった。

 「この先は危ないですよ」

 「でも、行けるところまで行ってみたいの」

 「彼らもまた戻ってくるんでしょうか」

 「彼らって」

 「穴屋たちですよ」

 「どうかしらね」

 「この数年間はいい時代でしたね。猫も杓子も中国、中国とゴミの輸出にばかり目がいっていました。でもリーマンショックから潮目が変わりましたね」

 「また戻ってくるかどうかは、あなた次第ね。みんなまだ、あなたのことが怖いのよ」

 「時計の針が一回転して元に戻るように、あの時代がまたぶり返しそうな気がします」

 「もっと先まで行ってみたいわ」

 「僕は自分の居場所に戻りますよ」

 「それってどういう意味かしら。まさか、またGメンに戻るつもりなの?」

 「もう、戻れません」

 「それじゃ私のボスの依頼は?」

 「情報を集めるには役所はいいところですよ。あなたが言っていたSMGの計略はほんとうのようですが、それが日本にとっていいことなのか悪いことなのか、まだわかりません。それを考える時間を少しだけください」

 「あなたってやっぱり変ってる。私は信じて待っていていいのかしら」

 満ち潮が足もとの傾いたコンクリートを洗い始めた。一度は見えていた信頼がまた消えてしまうように、あと数分もしたらすべてが波に沈んでしまいそうだった。彼女はパンプスを脱ぎ捨てて、裸足で護岸に立ち上がった。

 「いいでしょう、最後まで行ってみましょう」

 「不法投棄現場に立っていたあなたは講演会場にいるあなたよりかっこよかったわよ」

 「昔の話を始めたら、もうその人間は終わりが近付いている証拠ですよ。海に一度没した洞穴をまだ探してみる価値がありますか」

 「ここに洞穴があった時代の姫に生まれてみたかったわねえ」

 彼女はワンピースが汚れるのも気にせず、護岸の隙間に僅かに堆積していた白砂に寝転がった。つられて伊刈も寝そべると、遥か上空に、トンビが旋回しているのが視界に入った。どんな獲物を狙っているのか、とても興味を覚えたが、まさか自分たちを狙っているのだとは思いもしなかった。

 「伊刈さん、もうあなたの思いは決まっているんでしょう」

 「ええ、最初から。香港であなたにあったときから、いえ、お会いする前からもう決まっています」

 「あなたの思うとおりにやってほしいわ。会長にはそう伝えておく」

 「わかりました」

 「私の思いも最初から決まっているわ。初めてお会いしたときから、私のボスはあなたになったのよ。あなたは私たちを支配するために現れたキング・オブ・ウェイストなのよ」

 「いいえ、僕は何も持っていないし、何も支配する気はありません。僕が欲しいものはなんにもない状態、つまりゼロです」

 「そのゼロの世界に私を連れて行ってちょうだい」

 じわじわと満ちてくる潮が彼女のいくらかたくましい足首を洗い始めていた。

 「必ずゼロを実現しますよ」

 伊刈は彼女の手を引きながら立ち上がった。

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