日報問題から見えてくる「失われた25年」
南スーダンPKOにおける日報隠蔽が問題になっている。
が、正直、今、この問題で騒いでいるジャーナリストのインタビューを読んで唖然とした。
余りにも事を知らなすぎる。彼の主張は国内的にはマトモなモノだろう。しかし、私には世界を知らない無知な主張にしか見えなかった。
どれほど無知かというと、国際連盟脱退程度には無知だと思う。
かのジャーナリストは2013年の衝突に際して、なぜ撤退しなかったのかと問うが、その意味について思い至らないらしい。
この様な意見が反論も受けずに罷り通る日本の現状には悪寒さえ覚えるのだが、誰もが平気らしい。
この主張の何が問題か。
そう問われても、直ぐに答えられる人は少ないだろう。日本ては、その様にしかPKOは見られていないから仕方がない。
まず、現在のPKOとは如何なる物かを知る事から始めよう。
現在のPKOでは、市民保護の責任という考え方が採られている。
これは何かというと、PKO要員が暴動や襲撃を発見した場合、或いは難民や市民から要請を受けた場合、相手の如何に関わらず非武装の民間人を保護する責任が伴うと言うもの。
当たり前じゃないかと思ったなら、日本の参加五原則を見てほしい。或は政府をはじめとした主要な見解を。
そこには、市民保護など一言も触れられていないばかりか、衝突、交戦を避ける。あまつさえ、現地が混乱すれば撤退すべしとなっていないだろうか?
既に、日本のPKO法や参加五原則を守るのであれば、参加すること自体が不可能な事に気づくと思う。
では、国連はいつからこんな方針を掲げたのか?
日本の報道では、2016年の暴動とされているが、これは大きな間違いだ。では、2013年か?
それも違う。
国連は2010年にPKOの方針として、市民保護の責任を掲げた。コンゴPKOでは、その方針にそって武力行使が行われ、コートジボワールPKOでは、前大統領の拘束が行われた。
そうした実践例を得て、発足時点から「市民保護の責任」を任務に加えたのが南スーダンPKOだった。
お分かりだろうか。南スーダンPKOとは、当初から日本のPKO法と参加五原則を前提に参加不可能な活動だった。後の戦闘など何の関係もないし、衝突に際して、国連がPKO部隊に武装勢力排除や重武装部隊の増強を行うのは自然な流れだった。
派遣後になって慌てる日本がおかしいと、そうは思わないだろうか。
しかし、件のジャーナリストに限らず、日本では、誰も「なぜ、法律や原則とかけ離れたPKOに派遣したのか」は問わない。
それどころか、ごく少数の識者やジャーナリストを除いて、「市民保護の責任」について言及すら出来ない。
ましてや、市民保護の責任が採用された経緯などは報じられてすらいない状態だ。
さて、なぜ、私が件のジャーナリストをこき下ろしているか、大半の読者は思想の違い程度な思ってはいないだろうか。
それも無いとは言わない。しかし、先に書いたように、平気な顔して国際連盟脱退を歓迎する記事を書いた戦前のジャーナリストに彼は重なるからというのが大きい。
スレブレニツァ裁判をご存知だろうか。
スレブレニツァとは、旧ユーゴスラビアにおける内戦に際して、虐殺が起きた街なのだが、今、そこに国連部隊として駐屯していたオランダ軍の責任が問われている。
既にオランダ政府に責任ありとの判決が各所で出ているわけだが、これも日本では、殆ど知られていない。
ユーゴスラビア内戦のさなか、スレブレニツァは国連によって安全都市が宣言され、国連保護軍が展開した。
この時の国連保護軍の交戦規則はざっくり言って「武装勢力は攻撃するな」だった。
安全都市宣言はあったが、武装勢力はそれを無視して街を包囲した。保護軍は武装勢力を攻撃出来ないから、警告しか行えない。
そうしている間に、避難の交渉で女性や子供の避難は認められたが、男性の避難は拒否される。
街に浸入した武装勢力は住民を建家の裏に連れていくが、保護軍は何も出来なかった。
そして、保護軍自体も街から追い出されるのだが、この際に奪われたヘルメットや車輌が逃げ惑う住民達を騙すために使われてしまう。
内戦終結の後に武装勢力の指揮者は拘束され、人道の罪に問われたが、住民達には、保護軍が守ってくれず、あまつさえ見殺しにした行為も問題視して、保護軍の派遣国であったオランダを訴えるに至った。
この事件を見てなお、「武器は使うな」と安易に言えるのだろうか?
次に被害が出る街は自衛隊の駐屯する街かも知れないのに。
この、スレブレニツァの事件はその後に大きな議論になる。国連と国際社会では。
問題を纏めたブラヒミ・レポートが世界を賑わせた頃、日本では、PKO法の改正が話題になっていたのだが、スレブレニツァの事件やブラヒミ・レポートは話題になっていない。
スレブレニツァの事件が2010年の市民保護の責任を明確にし、武器の積極的使用をPKOに求める切っ掛けとなった。
そしてもうひとつ、同じ年にアフリカで起きた虐殺事件もPKOが変わる切っ掛けとなっている。
ルワンダ虐殺である。
ルワンダ虐殺はある日突然起きたわけではない。それ以前から政情があり、PKO派遣も実施されていた。
しかし、大統領の飛行機事故によって事態は悪化してしまう。
事故に関して、PKO派遣国であったポルトガルが名指して批判される事態が起き、PKOが敵視される状態が生まれてしまう。
国連はこの事態に撤退の判断を行いと実行に移したのだが、その後に起きたのが、かの大虐殺だった。
この二つの事件について、ブラヒミ・レポートでは、武器の使用が適切に行われたら、住民は守れたかもしれない、PKOは虐殺の予見がある様な場合には撤退せず、抑止力として踏みとどまるべきではないのかと提言している。
この提言にそって10年の議論の末に決められたのが、先に挙げた市民保護の責任であり、その前提として、それまで、紛争当事者に対しては中立を守るのとして、武器の使用を認めなかった事を改めて、合意、協定違反や国際法違反に対しては、躊躇なく武器の使用も行う、公平の原則へとその方針を転換させている。
これらは全て、日本が東ティモール派遣やテロ特措法、イラク派遣の議論をしていた時に行われていたモノだった。
日本では、目先の憲法解釈ばかりを問題にして、国連や国際社会の大転換から一切目を逸らしていた。
まるで戦前の様に。
ここまで読めば判ると思うが、件のジャーナリストは、この、今や世界の常識となった考え方に反した事を口走っている。悪いが、タレントがガングロにして世界から顰蹙を買ったのと変わらないほど酷い認識の発言だ。
それが殆ど批判なく流れている日本の現状それ自体が世界の常識から乖離した別世界なんだと改めて認識するしかない。
憲法解釈を気にする以上、市民保護の責任や公平の原則を国会で議論することは叶うまい。この現状が続く限り、世界の常識を受け入れる日は訪れないのだが、件のジャーナリストはそうした視野は持ち合わせて居なかったのか。
現在の参加五原則を見てみると、
1・停戦合意の成立
2・当事者による受け入れ同意
3・中立性の厳守
4・停戦合意の崩壊時には撤収
5・武器の使用は最小限度
となっている。
しかし、3は既に公平の原則へと転換されているため、中立性の厳守を前提とするなら、2010年以後に発足したPKOには参加できない。
そして、4も同様に、今の南スーダンPKOの様に、内戦の危機には、その予防や抑制のために、更なる増強をする方針に転換されている。実際、南スーダンからの撤収に際して、4の要件に言及しなかったのは、国内問題よりも、国際情勢に対する配慮があった。危険だから撤収するなどと言ってPKOの足並みを乱す事は出来なかったから、「任務達成」と強弁するしかなかった。
では、なぜゴラン高原からは危険を理由に撤収出来たか。それは、日本の参加五原則が国連で通用していた時代に始まったPKOだったからと言える。
そして、5も今では通用しない。市民保護の責任がある以上、場合によっては武装勢力の排除すら必要となる。コンゴPKOは極端な例だが、小規模勢力の排除は現実的に想定される。
武装勢力の排除を否定するなら、当然、参加は出来ない事になる。
こうしてみると判るが、「PKOとは何か」というはじめの一歩から問い直さないと、今後、自衛隊をPKOに派遣する度に南スーダンの様な問題が頻発するようになる。
理由は判ると思うが、日本の法律とPKOの実態が著しく乖離しているからに他ならない。
安保法制における駆けつけ警護というのがあるが、あれはルワンダ派遣に際して必要とされた内容であって、南スーダンで適用可能なシロモノではなかった。
日本の現状はブラヒミ・レポート以前の位置にある。その事を念頭に、今後のあり方をゼロから考え直す時期に来ていると思う。