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とある男のあほらしい世界論。

作者: 駆巡 艤宗

私は、ふと考えてしまった。


「この世界は、なぜ存在しているのか」


という事について。


ーーーーー


物語でよくあるだろう。


いわゆる「悪役」を倒すべく、決意して冒険に繰りだし、様々な経験をしながら「悪役」を倒し、ハッピーエンドを迎えるという、ストーリー。


そのストーリーは、我々にとってはただの「物語」かもしれないが、主人公にとっては「人生」だ。


するとそこには、主人公を取り巻く「世界」が存在し、「仲間」だっているかもしれない。


山や谷、都市や村。


すべて存在しているからこそ、世界が生成され、主人公がそこに存在することが出来ると私は思うのだ。


ーーーーー


とすると、だ。


私たちのこの世界は、本当に「現実」なのだろうか。


そもそも、「現実」というものは存在するのだろうか。


もしこの世界が「物語」の中の世界なら……?


ありえなくはないはすだ。


例えば私たちが本当に物語の中だとしても、私たちは普通に生活できるし、その生活こそが、世界を形成していると私は思う。


とすれば、必ずこの世界にも「主人公」が存在するはずだ。


そして、その「主人公」が決意した瞬間、この世界が始まったことになる。


たとえその主人公が私より若いとしても、その瞬間に、世界が始まるのだ。


ならば、私が、いや、私たちの生きてきた過去とは何なのか。


私のこの理論から考えれば、それは単なる「幻想」だ。


私は今確かにここに存在しているが、私の過ごしてきた少年時代は今ここには存在しない。


つまり、単なる幻想と同等なのである。


物語の主人公だってそうだ。


物語は、その主人公が生まれた時から始まる訳では無い。


その主人公が、ある程度の自立心や、理性が、知能が発達した状態で、決意した時、物語は始まる。


物語に書かれている事は、その世界にとって存在しているものだ。


だが、主人公の赤ん坊時代など、せいぜい過去の記憶の空想くらいだ。


そう、それは、「過去の記憶」という存在であって、実際には存在しなかったのである。


なぜなら、主人公が決意したその瞬間から、物語が始まっているからだ。


物語が始まっていなければ、それはその世界が、時間軸が存在していないのだ。


つまり、至極単純に言ってしまえば、その主人公が決意する1秒前ですら、単なる「過去の記憶」である。


そんなことが、我々の世界でも同じだとすれば。


その物語の作者は、その「物語」という名の世界での「創造神」であるように、


我々の世界も、創造神という名のまた別の次元に存在する一人の生物によって作られたのだとすれば。


今、この瞬間に、この世界が始まり、同時に時間が始まったと言っても、なんら過言ではないのである。


主人公は、私かもしれないし、そこにいる女性かもしれない。


今私の横を自転車ですり抜けていった少年かもしれないし、そこに座ってバスを待つ高校生かもしれない。


あるいは、「あなた自身」なのかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 昔の哲学書を読んでいるような、大変奥深い内容になっていると思います。 特に最後に語りかけるのは興味深いです。 小説の冒頭へうまく調節して載せれば、作品の深みが増すのではないのでしょうか?…
2017/12/17 10:56 退会済み
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