第92話:悩み
ラヴァル廃棄街――“現代”で言えばスラム街と呼ばれそうなその場所は、ラヴァルと呼ばれる城塞都市の東から南東にかけて広がっている。
廃棄街という名前に反し、その場所では多くの人々が生活を営んでいた。人口は千人を優に超え、二千人にも届くと言われている。
町並みは雑多の一言に尽き、大通りと呼ばれる五メートルほどの一本道を除けば、あとは好き勝手に家を建てたような有様だ。大通り以外の道は、家を建てたことで自然と作られた小道でしかないのである。
ラヴァル廃棄街の周囲は土壁と木の柵で囲われているが、すぐ傍に存在する城塞都市と比べれば貧相極まりない防備だろう。魔物が存在する“この世界”では、土壁や木の柵など気休め程度にしか役に立たないのだ。
町から一歩外へと出れば、魔物に襲われて命を落とすことも珍しくはない。少なくとも、ただの民間人が町の外へと出れば一日を生き延びることすら困難なほど、危険な世界なのだ。
そんな危険な場所――ラヴァル廃棄街から十分ほど歩いた場所には、早朝にも関わらず二つの人影があった。
一人は、身長が170センチほどの男性である。ろくに手入れをしていないのかぼさぼさの赤毛と赤い瞳が特徴的であり、大剣を振り回している。
上半身を守る革鎧を装備し、手足を守る手甲や脚甲を付け、そして革製の靴を履くその姿は冒険者と呼ばれる職業に就く者ならば珍しいものではない。珍しいものがあるとすれば、刃渡りが一メートルを超える大剣を軽々と振り回していることだろう。
男性――レウルスは縦横無尽に大剣を振るうと、最後の締めと言わんばかりに大剣を振り下ろし、傍にいた男性へと視線を向ける。
「どうっすかね、おやっさん」
「そうだな……」
おやっさんと呼ばれた男性――ドミニクは顎に手を当て、何かを考えるように目を細める。
身長は180センチを超え、筋骨隆々と評すしかない肉体は頑健そのものだ。ただしレウルスと異なり、防具の類は装備していない。片刃の大剣を地面に突き刺し、レウルスの動きを見ることに集中していた。
「俺も我流だからな……詳しい技術についてはどうこう言えん。だが、悪くはないと思うぞ」
「そうですか……」
夏の盛りも過ぎ、秋の足音が聞こえ始めた季節。早朝は涼しいにも関わらずそれまでの運動で汗を流していたレウルスは、額の汗を乱暴に拭いながら呟く。
ラヴァル廃棄街に所属する下級上位冒険者――それがレウルスの肩書きである。ドミニクは既に引退しているが、元々は上級下位という冒険者の中でも上位の存在だった。
レウルスがドミニクに求めたのは、自身の戦い方について助言が欲しいというものである。
レウルスは元々“この世界”の人間ではない。否、正確に言えばこの世界の人間で合っているのだが、平成の日本で生きた記憶があるのである。
転生と呼ばれる事象によって第二の生を歩むレウルスだが、元々は平成の日本人なのだ。剣を握ったことなどなく、今世においても剣の振るい方は全てが我流である。
レウルスの戦い方は、身体能力の高さに物を言わせた力押しだ。この世界には魔物だけでなく魔法も存在し、レウルスには自身で『熱量解放』と名付けた能力が備わっている。
魔力を大量に消費しつつも身体能力を劇的に引き上げるという能力だが、レウルスはここ最近“壁”にぶつかっていた。
「お前も、この町の冒険者も、全員が実戦の中で戦い方を磨いてきた。正当な剣術とは違う……同じように我流の俺には『悪くない』としか言えん」
「そうですよね……はぁ、どうしたもんか……」
ドミニクの言葉を聞いたレウルスは深々とため息を吐く。ここ一ヶ月ほど自分だけで試行錯誤し、その成果をドミニクに見てもらったのだが、レウルスとしては納得ができるものではなかった。
これまでは技術云々を気にしたことはなかったが、その考えを改めざるを得ない事態に巻き込まれたからだ。
事は一ヶ月ほど前に遡るが、冒険者として他所の廃棄街の救援依頼を受けたのである。その際紆余曲折があり、何故か火龍と一対一で戦うことになったのだ。
その戦いの最中、ドミニクから譲られた大剣が砕けてしまった。それがレウルスの心に影を落としている。
「もっと丁寧に扱ってたら、おやっさんの剣も砕けなかったんじゃないかって……」
レウルスは元々ラヴァル廃棄街の人間ではない。シェナ村という場所で生まれ、成人となる十五歳まで農奴として生きてきた。
幼い頃は毎日小川から水を汲んで運び、ある程度育てばシェナ村の外にある畑で農作業を行ってきた。それが十五歳の成人を迎えるなり、今度は鉱山奴隷として売り飛ばされたのである。
幌馬車に乗せられて“出荷”されていたのだが、移動中にキマイラと呼ばれる強力な魔物に襲われ、逃げ出すことに成功したのだ。
その後は命からがらラヴァル廃棄街まで逃げ延び、目の前のドミニクに救われた。ドミニクは言わば命の恩人であり、そんなドミニクから譲られた大剣を駄目にしてしまったのは痛恨の極みだった。
肩を落として落ち込むレウルスの姿に、ドミニクは苦笑を浮かべる。
「俺がお前に譲った剣は、たしかに魔法具だった……だが、アレは魔法具の中ではそこまで上等なものではない。むしろ最下級の、ギリギリで魔法具と呼べる程度の代物だ」
「そうなんですか?」
「ああ……お前の力に耐え切れなくなったのだろう。いや、そもそも火龍と一対一で戦うことを想定していなかったんだが……むしろよく途中までもったものだ」
レウルスからすれば、ドミニクの大剣以上の武器を知らない。切れ味と頑丈さはレウルスの雑な戦い方にもピッタリで、唯一無二の相棒だったのだ。
そして、そんな“相棒”が砕けたことでレウルスは新たな問題に直面していた。
「でもおやっさん、あの大剣でも最下級っていうけど、この町には売ってないじゃんか」
それは、レウルスに扱える武器がないという問題である。現在振るっている武器は他所の廃棄街――マダロ廃棄街と呼ばれる場所で、当座の武器として譲ってもらったものだ。
刃渡りは一メートルと少々。片刃ではあるが切れ味は普通で、ドミニクの大剣のように『強化』の『魔法文字』が刻まれているわけではない。
あまり考えたくないことだが、レウルスが『熱量解放』を発動した状態で全力で振るえばすぐに折れそうである。
それならばと武器が壊れないように技術を磨こうにも、技術というものは一朝一夕で身につくものではない。
ラヴァル廃棄街には大剣の扱いに関してレウルスに指導できるだけの技術を持つ者もおらず、八方ふさがりの状態だった。
「あれは他所から流れて来たものだからな……それに、今度の武器の材料には火龍や中級上位の魔物の素材を使うのだろう? 並の鍛冶師ではまともな武器にはならんぞ」
ラヴァル廃棄街にも鍛冶師は存在するが、その腕は並の域を出ない。
件の火龍、ヴァーニルと戦って気に入られたレウルスは、褒賞として火龍の爪と鱗を贈られている。さらに、マダロ廃棄街を脅かしていた中級上位の魔物の素材もいくつか手に入れているのだ。
それらを使い、レウルスの膂力で振るっても壊れない武器を作る――それを成せる人材がラヴァル廃棄街にはいないのである。
「ナタリアにも情報を集めてもらっているのだろう? 今は焦らず、腕を磨くことだ」
「それしかないか……はぁ……」
ここ最近癖になっているため息を零しつつ、レウルスは一人の女性を思い浮かべた。
それはドミニクが口にしたナタリア――冒険者組合の受付を務める女性の顔である。
年齢は二十台半ばと思われる、不思議な魅力を持つ美女だ。ただし、その外見以上に得体の知れない怖さもある。レウルスは腕の良い鍛冶師の情報を集めてほしいとナタリアに頼んだのだが、一ヶ月近く経っても良い返事が得られていなかった。
そうやってレウルスとドミニクが言葉を交わしていると、ラヴァル廃棄街の方から時刻を知らせる鐘の音が響く。それを聞いたドミニクは地面に刺していた大剣を引き抜き、レウルスを促して歩き出した。
「そろそろ店に戻らんとな……開店の準備もある」
「うっす。今日はありがとうございました」
ドミニクは料理店を営んでおり、レウルスは常連客である。かつてはドミニクの料理店の物置に居候していたが、今では自分の家を持ち――それでも毎日のように料理を食べに行っていた。
(とりあえず、家に帰るか……)
家にいる同居人達の顔を思い出しながら、レウルスはドミニクの背中を追って駆け出すのだった。
ラヴァル廃棄街の大通りに面したドミニクの料理店――その裏手にレウルスの家は建っている。
木の柱と土壁、そして木の屋根で造られたその家は、日本の家屋と比べれば貧相という他ない。それでもレウルスからすれば“自分の家”であり、大切な場所だった。
ドミニクと別れて家の扉を開け、中に足を踏み入れる。するとそこは二メートルほどの幅と五メートルほどの長さがある土間になっており、壁に視線を向けてみると三つの扉が存在していた。
真ん中の扉を開ければレウルスの部屋に続いており、左の扉を開ければ小さいながらも倉庫に続いている。そして右側の扉は同居人の部屋であり――レウルスは中の気配を確認してから扉を開けた。
「んぅ……ぬ、む、むぅ……」
「しゅごおおぉぉ……しゅごおおぉぉ……」
扉を開けるなり聞こえてきたのは、呻くような寝息と軽快ないびきである。その二つの声に気を引かれたレウルスが視線を向けてみると、木製の寝台の上に二つの人影があった。
一つは、桃色がかった長い金髪を持つ少女――エリザである。
吸血種と呼ばれる存在で、レウルスと『契約』を結んだ少女だ。
もう一つの影はエリザとよく似た背格好の少女――サラである。
こちらはレウルスに対して一方的な『契約』を結んだ火の精霊で、レウルスがエリザと『契約』を結んでいた影響か、エリザと似た外見をしていた。
ただし髪と瞳の色は真紅であり、性格の違いもあって寝ている時以外はそこまで似ていないというのがレウルスの感想である。
そんな二人だが、寝ている間に一体何があったのか、エリザの上にサラが乗っているのだ。寝台とサラに挟まれているエリザは苦しそうな寝息を立てており、サラは心底幸せそうに顔を緩ませている。
家を建てた当初はエリザと二人暮らしで、すぐに同居人が増えるとは思っていなかった。そのためエリザとサラが同室になっているのだが、寝ている姿だけ見れば姉妹に見えないこともない。
レウルスは二人が寝ていることを確認すると、扉をそっと締めて家から出る。そして家の裏に回り――思わず頬を引きつらせた。
レウルスの家の裏には、他の住人の家がある。しかしながら一メートルほどの小道があり、そこに一人の男性が膝を突いていたのだ。
ドミニクに勝るとも劣らぬ長躯に、黒い修道服越しでもわかる隆起した筋肉。短く切りそろえた髪は白一色で、首には女性を象った首飾りが下げられている。
精霊教と呼ばれる宗教を信仰する男性――ジルバが地面に膝を突き、目を瞑って一心に何事かを祈っているのだ。
家が建っているため、小道には日が当たらない。日中ならばともかく早朝の今は薄暗く、黒い修道服を着たジルバは闇に溶け込む不審者のような様相だ。
その光景を見たレウルスは、頬を引きつらせたままで声をかける。
「おはようございます、ジルバさん……」
「ええ、おはようございますレウルスさん。今日も良き一日になりそうですね」
レウルスが声をかけると、ジルバは目を開けて笑顔で挨拶を返す。早朝にも関わらず“絶好調”らしいが、レウルスとしては言いたいことがあった。
「あの、ジルバさん? 近くに精霊がいるから祈りたいって気持ちは理解できるんです……理解できるんですけど、近所の人が見たら腰を抜かしそうなんで止めてもらえませんか?」
「はははっ、大丈夫ですよ。人の気配を感じたらすぐに隠れますから」
「そういう問題じゃなくてですね!? 家の裏に無言で祈りを捧げる人がいるって状態が怖いんですよ!」
笑って言い放つジルバに対し、レウルスは噛みつくように吠えた。
火の精霊であるサラは、精霊教を信仰するジルバからすれば生きた信仰対象である。そのため、毎日のように押しかけては祈りを捧げているのだ。
性質の悪いことに、ジルバは言葉通り人の気配がすれば隠れているのか、周囲から苦情が来たことはない。ジルバは高い戦闘能力を持つのだが、それを最大限に発揮することで周囲に配慮しているらしい。
ただし、レウルスは魔力を感じ取れるため、ジルバが祈りに来た初日に気付いた。
家の裏に妙な魔力があるな、と武器を片手に確認したら、暗闇の中に膝を突いたジルバがいたのである。その光景を見た衝撃はすさまじく、悲鳴を上げなかった自分を褒めたいぐらいだった。
「申し訳ございません……己の信仰心を制御することもできず、恥じ入るばかりですよ」
「せめて教会の方から祈ってください……」
そう言ってレウルスは深い溜息を吐く。
ジルバは頼り甲斐があり、優れた人格者でもあるのだが、宗教が絡むと厄介である。特に、過去に精霊を害したグレイゴ教が絡むと非常に危険だった。
「いえ、今日はレウルスさんにも用事がありまして」
「俺にですか? もしかして、良い鍛冶師が見つかりました?」
目を輝かせて尋ねるレウルスだが、ジルバの表情は渋い。
「いえ……私も個人的な伝手を使って方々に確認を取っているのですが、扱う素材が素材だけに難航しています。火龍の爪と鱗については伏せ、せめてカーズや翼竜の素材を扱える腕を持つ鍛冶師を探しているのですが……」
結果は芳しくないらしい。
火龍の素材は非常に高価なため、口の堅い鍛冶師であることが大前提だ。それでいて腕の良い鍛冶師――中級上位の魔物であるヒクイドリや翼竜の素材を“適切”に扱える鍛冶師がいないらしい。
「我々精霊教徒の伝手を使えば見つかるのでしょうが……」
「その場合、ヴァーニルの素材をどうやって手に入れたのかって話からサラの方にまで話が伝わりそうですよね」
「ええ……私が強権を使っても良いのですが、それはレウルスさんとしても好まないでしょう?」
ジルバの言葉にレウルスは頷く。ジルバの強権が嫌だというよりも、精霊教に借りを作るのが嫌なのだ。
ジルバ個人に対してならば、レウルスとしても助力を願うのはやぶさかではない。現に鍛冶師について情報を求めており、ジルバもその願いを快く引き受けていた。
だが、火の精霊であるサラのことを思えば、精霊教にどっぷりと浸かるわけにもいかないのだ。レウルスとしてはなるべく早く新しい武器が欲しいのだが、そうもいかないようで落胆が募るばかりである。
高名な鍛冶師というのは、既にどこかしらで工房を営んでいるものだ。代金さえ払えればどうにかなるのかもしれないが、レウルスの社会的な身分は冒険者――奴隷よりはマシという程度でしかない。
冒険者であるレウルスの依頼を受けてくれて、火龍の素材を扱える技量を持ち、なおかつ素材の出処に関して口を閉ざしてくれる鍛冶師。
そんな都合の良い人材は中々存在しないようだ。
「『強化』の『魔法文字』を刻むぐらいなら私でもできますが、武器の元々の質が悪いとどうにもなりません。レウルスさんが全力で振るえばすぐに壊れるでしょう」
「……一応、今使ってる剣に『強化』の『魔法文字』を刻んでもらっていいですか? 寄付を弾みますから……」
今のままではまともに戦えない。戦うにしても、武器が壊れることに怯えながら戦うことになる。
「いえいえ、レウルスさんにはサラ様のことと合わせて日頃からお世話になっていますから。それぐらいならお安い御用ですよ」
「すいません、お願いします……」
そう言って頭を下げるレウルス。せっかく入手した上等な素材も、それを扱える者がいなければどうにもならないのだ。当座を凌げる程度ではあるが、“一応”使える武器が手に入るのは歓迎するべきだろう。
「どこかに腕の良い鍛冶師がいねえかなぁ……」
レウルスはそう呟き――その日、冒険者組合でナタリアが一つの情報をもたらす。
「坊やはドワーフという亜人を知っているかしら?」
どうも、作者の池崎数也です。
昨日3章が完結しました……というわけで、早速4章を開始します。
PCが壊れた時以外、なんだかんだで毎日更新が続きましたが、これからは毎日更新も途切れるかもしれません。ただ、2章が終わった時に似たようなことを書いて結局毎日更新していたので、また駆け抜けるかもしれません。毎日更新が途切れたら作者が力尽きたと思ってください。
前話のあとがきで評価ポイントが伸びていると書きましたが、今日はそれ以上に伸びていました。1000ポイント以上伸びててビックリですよ……ご感想と合わせて感謝感謝です。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




