第89話:依頼達成
火龍ヴァーニルと戦い、一日が過ぎた。
『祭壇』にて丸一日を休養に当てたレウルスは、ヴァーニルとの戦いで負った傷の大部分がふさがったことを確認して大きく頷く。
エリザとの『契約』によって自己治癒力が高まっているのもあるが、ジルバが治癒魔法を行使して治してくれたのである。
ヴァーニルの顔面を殴ったことで折れた右手はまだ少しばかり痛むが、骨自体はつながっているのか動かすのにも支障はない。ヴァーニルが仕留めて来た巨大な翼竜を片っ端から平らげたため、魔力的な意味でも満ち足りていた。
『しかし、よくもここまで食べたものよ……レウルス、貴様本当に人間か? 実はスライムが『変化』で人の姿に化けているわけではなかろうな?』
感心したように呟くヴァーニルの視線の先では、骨と皮だけになった翼竜の“残骸”が転がっている。
氷魔法を使える者がおらず、内臓や肉は早めに食べる必要があったとはいえ、ヴァーニルの目から見ても異常なほどにレウルスは食べていた。
もちろん、レウルス一人で全て食べたわけではない。翼竜の七割ほどはヴァーニルが食べていたため、ヴァーニルなりの冗談だったのだろう。だが、人智を超える火龍に人外扱いされたレウルスとしては断固抗議するしかない。
「ちゃんと人間だっての……両親も人間だし。というか、『変化』って?」
『魔力を纏って姿を変える上級の補助魔法だ。高位の魔物には『変化』を使える者も多い。『変化』で人に化け、人間社会に溶け込む変わり者もいるからな……出会ったら気を付けると良い。『変化』が使えるだけで手練れと思え』
「ふーん……さすがにそんな奴にゃ会わんだろ。あと、俺はちょっとばかり大喰らいなだけだ」
そう言って、齧っていた骨を放り投げるレウルス。
今回の騒動の“原因”を解決した証拠としては、巨大な翼竜の皮さえあれば事足りるだろう。十メートル近い翼竜となれば、中級上位の中でも最上位――それこそ中級最上位とでも言うべき魔物だ。
ラヴァル廃棄街に持ち帰るには巨大で重すぎるため肉と内臓は食べたが、皮や牙、爪といった素材があれば翼竜の大きさも伝わるだろう。
ヴァーニルが協力すれば一匹丸々持ち帰ることもできただろうが、さすがに火龍を引きつれてマダロ廃棄街に帰るわけにはいかない。そんなことをすれば、中級の魔物が襲ってきた時とは比べ物にならない騒動になるはずだ。
下手すればマダロの町から完全装備の軍隊が出撃してくるかもしれない。それでもヴァーニルには敵わないだろうが、周囲一帯が灰燼と化す危険性があった。
「……よし、そんじゃ帰るわ」
一晩経って怒りも過ぎ去ったのか、あるいは真正面から殴ったからか、レウルスはヴァーニルに対する感情を割り切ったように告げる。
これからマダロ廃棄街に戻り、嘘で塗り固めたでっち上げの報告をする必要があるのだ。
――今回の騒動は、ヴェオス火山の麓で遭遇した巨大な翼竜に因って起こったものである。
――レウルスはこの翼竜と遭遇し、交戦。エリザやジルバと協力して何とか仕留めることができた。
――その際ドミニクの大剣や短剣が壊れ、マダロ廃棄街の冒険者達から譲られた防具もボロボロになった。
――なお、翼竜と交戦する際、“見知らぬ少女”を保護。この少女は火炎魔法が使えるということで、近くの村から無理矢理翼竜退治をしてくるよう追い出されたらしい。
そんな事実と全く異なることを、真顔で報告しなければならない。救いがあるとすれば、精霊教徒であるジルバも口添えするため信憑性に関して疑われないことぐらいか。
事実を全て報告しても、到底信じられないだろうという点には目を瞑るしかない。
――火の精霊の『祭壇』を発見し、火の精霊が顕現したと思えばレウルスと一方的な『契約』を結び、それに気づいた火龍が腕試しに現れた。
そんな報告をしても、到底信じられないはずだ。少なくともレウルスがそれを聞く立場だったならば、無言で首を振って休養を勧めるだろう。
一対一で戦った挙句、『試練』を乗り越えたということで様々な“お宝”を渡された。そのようなことまで付け足せば、余計に信じられなくなるはずだ。
ヴァーニルから渡された報酬は、『魔石』と呼ばれる魔力を蓄えた特殊な鉱石が一つに、火炎魔法が扱いやすくなる『宝玉』が一つ、雷魔法が扱いやすくなる『宝玉』が一つ。
更にヴァーニルの鱗と爪という、最高級の素材まで渡された。他にも金貨と銀貨を渡されたが、それ以外の報酬が規格外過ぎてインパクトがない。
余談ではあるが金貨は50枚、銀貨は200枚ほど入っていた。これだけでも破格の報酬なのだが、『魔石』一つ買えない額でしかないらしい。
(一応、日本円にしたら700万円くらいあるんだけどな……)
たしかに金が目的で今回の依頼を受けたが、家のローンを完済するどころかもう1軒家を建てられる額だ。『魔石』などを売ればこの何十倍以上の金になると聞き、レウルスとしては火の精霊以外にも問題を招き寄せそうで嫌なところである。
「せめて銀貨だけは置いていって……いやいや、金に綺麗も汚いもないし、あるだけあった方が良いし……でもやっぱり問題が起きそうな……これも姐さんに相談かなぁ」
金貨と銀貨はリュックの底に詰め、その上に砕けてしまったドミニクの大剣の破片を盛ることで隠している。マダロ廃棄街で誰かにリュックの中身を見られても良いようにという配慮からだが、気付かれないことを祈るしかない。
ドミニクの大剣の破片は可能な限り集めており、ラヴァル廃棄街まで持ち帰るつもりだった。さすがに難しいだろうが、もしかすると復元できるかもしれないと期待しているのである。
『ふむ……次はもっと持ち運びしやすいものを用意しておくか』
「そういう問題じゃ……ああもう、ツッコミを入れるだけ無駄か」
ヴァーニルの言葉に疲れたような声で答え、レウルスは背を向けた。エリザ達も既に出発する準備を整えており、あとは出発するだけなのだ。
「じゃあね、ヴァーニル。色々と世話になった……って、言っていいのかしら? うん、まあ、一応、ありがとうね?」
『さらばだ、火の精霊よ。契約者と共に壮健で在れ』
ヴァーニルと元々の知り合いだったサラは、どこか名残惜しそうである。それでもこの場に留まる気はないのか、ヴァーニルの言葉に頷くと笑顔でレウルスの隣に並んだ。
「さあ行くわよレウルス! 世界がわたしを待ってるわ!」
「待ってないし、ここに残っていいんだぞ?」
両腕を突き上げ、気合十分といった様子で叫ぶサラ。レウルスはそんなサラをあしらうと、リュックを背負ってため息を吐く。“慣れ親しんだ重さ”ではないことが、違和感となって圧し掛かるのだ。
それでも、砕けてしまったものは戻らない。レウルスはもう一度だけため息を吐くと、ヴァーニルに見送られて火の精霊の『祭壇』を出発するのだった。
「レウルス君! 無事だったか!」
火の精霊の『祭壇』を出発し、半日かけてマダロ廃棄街に戻ったレウルスだったが、門前で周囲を警戒していたと思わしきウェルナーと顔を合わせるなり、驚いたようにそんなことを言われた。
「無事だけど……何かあったのか?」
「何かって……ヴェオス火山の方から閃光と轟音がしたから心配してたんだよ!」
「あー……」
どうやらヴァーニルが撃った白色の光線は、マダロ廃棄街にいても見えたらしい。レウルスが大剣で弾いたことでヴェオス火山の山腹に穴を開けたのだが、それが原因なのだろう。
(あの赤トカゲ、なんて威力の魔法を撃ちやがったんだ……)
内心だけでヴァーニルへの悪態を吐くと、レウルスは努めて自然な苦笑を浮かべる。
「厄介な魔物に遭遇しちまって……今回の騒動の原因だと思うんだけど、これがまた強くてさ。武器も砕けちまった」
そう言って背負っていたリュックの口を開け、バラバラになった大剣を見せる。その破片の下には金貨と銀貨が詰まっているため、内心では冷や汗をかいていたが。
「それは、ジルバさんが背負っているアレかい?」
そう言ってウェルナーが視線を向けた先にあったのは、皮だけになった翼竜を運びやすいよう丸めたものである。ジルバはその視線に気づいたのか、背負っていた翼竜の皮を地面に下ろして広げ始めた。
「十メルト近い翼竜か……なるほど、たしかにコイツが暴れていたのなら他の中級の魔物も縄張りから追い出されるだろうね」
レウルス達が戻ったことが伝わったのか、ダリオなどの冒険者達も門前に集まり始める。そしてジルバが運んできた翼竜の皮を確認し、それぞれが驚いたように表情を歪ませていた。
「あれだけの魔法を撃てたとなると、上級下位に匹敵するか?」
「でもよ組合長。でかいだけってことはないのか?」
「馬鹿なことを言うなよダリオ。でかいってことは、その大きさに育つまで生き抜いてきたってことだ。こいつが町に来てたらやばかったな……」
マダロ廃棄街の冒険者組合長であるロベルトや、上級下位の冒険者、そしてダリオは翼竜を見ながら口々に言い合う。
ウェルナーもその会話を聞いていたが、ふと気になったように首を傾げた。
「ところで、なんで皮だけなんだい? いや、爪や牙もついてるけどさ」
「食べました」
「え?」
聞き間違いかと首を傾げるウェルナーに、レウルスは真顔で繰り返す。
「お腹が空いたので食べました」
「そ、そうかい……すごいね」
ヴァーニルが大部分を食べたが、レウルスも食べたので嘘はついていない。ヴァーニルが七割、レウルスが二割九分、残りをエリザとジルバが食べただけだ。
食べた分だけ魔力に変換されているのか、腹は膨れたものの満腹になった気はしないレウルスである。
「えーっと……そ、そうだ、あの女の子はどうしたんだい?」
十メートル近い翼竜の肉を全部平らげたという発言をしたからか、一歩後ろに引いていたウェルナーが話題を変えるように尋ねた。
ウェルナーが話題の矛先に選んだのは、マダロ廃棄街を見て目を輝かせているサラである。その隣ではエリザが目を光らせており、サラが妙なことを口走ろうとすれば即座に止める予定だった。
「森の中で会ったんだ。あの翼竜を倒してこいって言われて、村から追い出されたらしくてね……一応火炎魔法が使えるんだけど、裸同然で彷徨ってたよ」
「翼竜を火炎魔法で倒してこいって……」
それは無謀も良いところだろう、とウェルナーは頬を引きつらせながら呟く。
「家族もいないらしくてさ。拾っちまったもんは仕方ないから、俺が引き取ろうと思って連れて来たんだ」
「サラさんはレウルスさんに懐いていましてね。私が教会で引き取ろうとしたのですが、嫌だと言われましたよ」
レウルスが説明していると、そこにジルバが加わる。
「そうなんですか……」
「はい。ラヴァル廃棄街の教会では捨て子を育てていますし、これも“精霊様のお導き”だと思ったんですがね」
にこやかに話すジルバだが、レウルスとしては吹き出すのを堪えるのに必死だった。精霊の導きも何も、サラ自体がその精霊なのだ。
「とりあえず、原因らしき魔物は仕留めることができました。数日マダロ廃棄街に留まり、他の魔物が寄ってこないか確認したいと思います」
「俺もそうするよ。とりあえず疲れた……あと、武器が全部砕けたしもらった防具もボロボロなんで、また何か貸してください」
そう言ってレウルスが笑うと、ウェルナー達も納得したのか頷くのだった。
そして、マダロ廃棄街に戻って一週間後。
中級の魔物どころか下級の魔物すらほとんど寄ってくることがなく、マダロ廃棄街の冒険者組合長であるロベルトは、騒動が終息したと判断した。
「世話になったな。これは依頼の達成報酬だ」
ラヴァル廃棄街へと出発するその日、レウルス達は早朝からマダロ廃棄街の門前に立っていた。そんなレウルスにロベルトが近づき、一抱えもある巨大な袋を渡してくる。
「……なんでこんなに大きい袋が?」
報酬は大金貨3枚と魔物の素材代だったはずだ。そう思って首を傾げるレウルスだが、ロベルトは袋を叩きながら言う。
「武器も防具も壊れちまったんだろ? これはお前さんが倒した魔物の素材の一部だ。翼竜の鱗やカーズの皮が入れてある。ラヴァル廃棄街に戻ったら使うと良い」
「……あ、ありがとう。助かるよ」
火龍の爪や鱗があるため、必要かと言われると判断に困るところだ。レウルスは頬を引きつらせながら受け取る。
金銭だけでなく魔物の素材まで渡してくれたのは、ロベルトなりの厚意なのだろう。素材が入った袋とは別に渡された布の小袋には、金貨が10枚も入っていた。
(嬉しい……嬉しいんだけど、なんか嬉しくない……)
この複雑な心境を、どう表現すればいいかレウルスにもわからなかった。
素材と報酬の金貨だけでなく、ラヴァル廃棄街に戻る際の武器と防具がないからと、冒険者組合に置かれていた装備をもらっているのである。
ドミニクの大剣とは比べようもないだろうが、それでも一メートルを超える大剣を譲り受けたのだ。防具も革製だが、十分使用に耐え得る頑丈さである。
(当分の間、『熱量解放』は使わないでおこう……)
ただし、大剣だけは別だ。魔法具でもないため、『熱量解放』を使った状態で振り回すとすぐに限界を迎えそうである。
「また機会があれば立ち寄ってくれ。その時は歓迎させてもらうよ」
レウルスの複雑な心境を知ってか知らずか、見送りに来たウェルナーが微笑みながらそう言う。その隣にはダリオの姿もあり、レウルス達を見送るようだ。
「それじゃあ行くわよ! しゅっぱーつ!」
別れを惜しんでいると、そんなことを叫んでサラが駆け出す。サラにとってはマダロ廃棄街の面々は親しくないため、別れを惜しむ感情はないのだろう。
サラは初めて出会った時とは異なり、今は外見に見合った服装をしている。ラヴァル廃棄街に戻れば冒険者として登録させるため、魔法使い用の装備を売ってもらったのだ。
麻布でできた服の上下に、薄手の革マントを羽織った姿はレウルスの目から見ても人間の少女にしか見えない。しかし、サラの存在がこれからどんな厄介事を招くか――。
(……ま、それはその時になってから考えるか)
ジルバの尽力で、全てが上手くいく可能性もあるのだ。自分にできることをしていれば、どうにかなるだろうとレウルスは楽観的に考える。
楽観的に考えなければ、不安で仕方ないという面もあったが。
「それじゃ、帰るかね……」
それでも、今ばかりはラヴァル廃棄街に帰れる嬉しさが勝る。
冒険者になって初めてとなる救援依頼は、こうして幕を下ろしたのだった。
3章は多分次でラストです。