第88話:火龍の報酬
――合格だ。
ヴァーニルは満足そうに笑って言うと、話を続ける。
『もしも貴様と共に在る火の精霊が死んだとしても、それは武運が拙かっただけのこと……我も文句は言わぬ。貴様ならば火の精霊を良き方向へ導けるだろう』
そう言って笑うヴァーニルとは対照的に、レウルスは今にも噛みつきそうなほど剣呑な表情を浮かべながら首を横に振った。
「いや、だから人の話を聞けよ。火の精霊はいらないんだって何度言えば理解してくれるんだ? そんなことよりも剣を直せテメエ。もう一発殴るぞ」
「そんなこと!? 今わたしってば“そんなこと”扱いされた!? ちょちょちょっ、レウルス? アンタわたしがどれだけ貴重で有能で素晴らしい存在かわかって言ってんの!?」
抗議するように飛びついてくるサラ。レウルスはそんなサラを左手一本で押し返すと、据わった目を向ける。
「知らん。いらん。『祭壇』に帰れ」
「冷たくない!? あんまり冷たくすると泣くわよ!? 思いっきり泣くわよ!? 泣きながらアンタの後ろをずっとついて歩くわよ!?」
「うるせえ……俺は今、過去最悪に機嫌が悪いんだ……」
地面に転がるドミニクの大剣の柄を拾い上げ、心底不機嫌そうに呟くレウルス。
シェナ村で過酷な労働を強制されていた頃でも、ここまでの激情を覚えたことは少ない。村の上層部に命じられ、過労死した幼子の死体を埋めさせられた時並にレウルスは機嫌が悪かった。
「レウルス……無事で良かった……本当に、良かった……」
「ああ、悪いなエリザ。心配かけた」
それでも、涙を流す一歩手前の表情で駆け寄ってきたエリザには怒りをぶつけない。疲れたと言わんばかりにため息を吐くと、火傷で爛れた左手とヴァーニルを殴ったことで骨が砕けた右手をエリザに見せる。
「これ、治せないか?」
「わたし……いや、ワシの治癒能力でもすぐには無理じゃろ。ここは素直にジルバさんに頼んだ方が早いと思うぞ? 一応、レウルスに流す魔力を増やすよう意識してはみるが……」
エリザとの『契約』で高い自己治癒力を発揮しているレウルスだが、小さな傷や浅い火傷ならばともかく、重傷と呼べるほどの傷はさすがにすぐには治らない。
それでもなんとかならないかと尋ねるが、エリザは首を横に振るだけだ。
「ちょっと! わたしとその子で態度が違いすぎでしょ!? なんで!? ねえなんでよぉ!? わたしにも優しくしてよ!」
「これまで一緒にいた時間、信頼関係、かけられた迷惑の酷さ……むしろなんで同じ扱いをしてもらえると思うんだ?」
抗議するようにサラが抱き着いてくるが、レウルスの返答は冷たかった。サラは怯んだように視線を逸らすと、それを見たエリザが小さく笑う。
「ふっ……」
「小馬鹿にされたっ!? 喧嘩売ってるなら買うわよ!?」
そう叫んでエリザに飛び掛かろうとするサラだが、レウルスが左手で頭を押さえているため動けない。そうして騒いでいると、神妙な顔をしたジルバが近づいてくる。
「お疲れさまでした……と言うのも変な話でしょうね。良ければ怪我を治療しますが?」
「本当に疲れましたよ……お願いします」
『熱量解放』を切れば激痛でのたうち回ることになりそうだ。そう考えたレウルスが素直に両手を差し出すと、ジルバは治癒魔法を使って治療を始める。
だが、ジルバは治療中にも関わらずその視線をヴァーニルに向けた。
「さて、火龍ヴァーニル殿。こうしてレウルスさんは貴方の課した試練を乗り越えました。“約定”を果たしていただけますね?」
『ふむ……それもそうだな。約定は守らねばなるまい』
そういえば、戦う前にそんな約束を交わしていたな、とレウルスは他人事のように思った。
ヴァーニルの強さとドミニクの大剣が砕けたことで、頭の中から吹き飛んでいたのである。
ジルバはそんなレウルスの心情を察したのか、苦笑しながら言葉を付け足す。
「それともう一点……サラ様を託せるかどうか試すのは、精霊教徒の立場としては否定できません。ですが、貴方との戦いで壊れた剣はレウルスさんにとって掛け替えのない物でした。相応に補償していただきたいのですが」
『ぬっ……』
「サラ様を守り抜くためにも、レウルスさんの力に耐えられる武器は必要でしょう? レウルスさんの意思を無視して試練を課したのですから、その辺りは融通を利かせていただけると助かるんですがね」
レウルスが率先してサラを守るかは別として、使える武器がなくなってしまったのは事実だ。ドミニクの大剣もだが短剣も失っており、今のレウルスは素手で戦うことしかできない。
『……しばし、待つが良い。先の約定と合わせ、何かないか探してこよう』
そんな言葉を残し、翼を広げたヴァーニルが飛び立つ。レウルスは無言でヴァーニルの後ろ姿を見送っていたが、そこに悔やむようなジルバの声が届く。
「……まあ、私が言えた義理ではないんですけどね」
その言葉を聞いたレウルスが視線を向けてみると、ジルバは申し訳なさそうに目を伏せていた。
「火の精霊様が顕現する姿を見て、我を忘れていたようです。ヴァーニル殿との戦いでも助力ができれば良かったのですが……」
そう言って、ジルバは頭を下げる。そこには心からの謝意が宿っており、レウルスは思わずため息を吐いた。
精霊教が信仰している相手――それこそジルバからすれば神のような存在が目の前に現れたのだ。さすがのジルバといえど、冷静ではいられなかったのだろう。
その辺りの感覚は、無宗教のレウルスには理解できない。しかしながらある程度想像することはでき、頭を下げた。
「俺もいきなり『契約』を結ばされて気が立っていましたから……すいませんでした」
互いに謝罪し合い、ひとまずは水に流す。レウルスとしてもこれからジルバに色々と世話になるため、余分な悪感情は精算できる時に精算しておいた方が良いのだ。
「ところでジルバさん、“今後”のことについてなんですが」
「サラ様の扱いをどうするか、ですね」
サラは火の精霊であり、この場に置き去りにしても追いかけてくるだろう。そうなると最初から傍に置いておいた方が騒動も抑えられるため、レウルスは精霊教徒であるジルバに知恵を借りることにした。
「ええ。サラは『契約』を解除するつもりはないみたいですし、代役が見つかるまでだとしても色々と厄介事を呼び寄せそうなので……」
既に、火龍と一対一で戦うという特大の厄介事を呼び寄せたのだ。今後どんな厄介事が襲い掛かってくるのか、レウルスとしては頭が痛い話である。
「私としてはサラ様の御意思を尊重したいところですが……ここは、サラ様をエリザさんと“同じ扱い”にするしかないですね」
「というと?」
レウルスが問うと、ジルバはエリザ相手に騒いでいるサラへと視線を向けた。
「依頼の最中、魔物に襲われていた村娘をレウルスさんが助けた。話を聞くと口減らしに村から追い出されたところで、行く当てがない。それを聞いたレウルスさんが同情して面倒を見る……そんなところでどうでしょう?」
「火炎魔法が使える村娘って時点で怪しさ満点ですが、魔法の扱いが下手で暴発させる危険性もあったから……なんて付け足しますか。正直、それでもかなり苦しいですけど」
魔法が使える人間というのは非常に少なく、それが属性魔法となると希少性は増す。そんな人間を追い出すなど、村の利益にはならないだろう。
「ジルバさんが拾ったことにできませんか?」
「私はそれでも良いのですが……」
レウルスの提案に、ジルバはサラを見ながら頷く。だが、話が聞こえていたのか当のサラが反発した。
「嫌よ! わたしはレウルスについていくの! 精霊教に拾われたなんて話になったら、そのまま教会に連れて行かれて飾られちゃうわ!」
「お前精霊教をなんだと思ってるんだよ……いや、俺も他人のことを言えた義理じゃねえけどさ」
むしろ飾っておいてくれないかな、などと思ったのは内緒である。
「サラは依頼の最中に助けた“人間”で、行く当てもないから俺が面倒を見る……それでいける……か? いや、無理だろ……せめて組合長や姐さんには説明しないとまずいか」
「私も口添えしますから……」
レウルスは治療を受けつつも、サラの扱いについてジルバと話す。
意外にも、と言っては失礼なのだろうが、ジルバはレウルスがサラをぞんざいに扱っても文句を言わなかった。
もちろんレウルスがサラを害そうとすれば止めるのだろうが、サラを人間の娘として扱う以上、不必要に畏まっては即座に精霊だと気づかれるからだろう。
「グレイゴ教の糞共は我々精霊教徒が相手をしますし、気付かれないよう配慮もします。サラ様には人間の娘として振舞っていただくしかありませんが……」
「ん? なによ?」
そう言って首を傾げるサラだが、ヴァーニルの魔法を受け止めた時に発動した火炎魔法で服が焼失していた。今は炎を身に纏っているが、炎を消せば全裸である。その有様で普通の村娘と通すのは無理がありすぎるだろう。
「だ、か、ら! ワシにそっくりな体で裸になるでないわっ!」
「えー……こっちは被害者なんだけどー? なんでもっとこう、豊満な体じゃないのよ。ちゃんと食事してる? 上から順にすとーん、すとーん、すとーんって感じじゃない」
「――死ね」
本気の声色で呟き、エリザがサラに飛び掛かる。そしてサラが纏う炎を物ともせずに組み伏せると、両肩を掴んで揺らし始めた。
「ワシだってもっと大きくなるわい! 今は成長期なんじゃ! ふざけたことを抜かすとその口を縫い合わせるぞ!」
「えっ、ちょっ、やめっ! た、助けてレウルス! こ、殺されるうぅっ!」
唐突に始まったキャットファイトに、レウルスはそっと視線を逸らす。
「……まあ、エリザに歳が近い……歳が近い? 同性? の友達? っぽい何かができると思えば、俺としても受け入れるのはやぶさかではないですが……」
「私も協力しますから……」
エリザとサラが騒ぐのを聞きつつ、治療を受けること一時間。
最初の十分ほどで『熱量解放』を解き、痛みを堪えながら両手と右足の傷が少しずつ治るのを見ていたレウルスは、巨大な魔力が近づいてくるのを感じ取って視線を向けた。
一体どこに行っていたのか、遠くの空にヴァーニルの姿が見える。一時間も何をしていたのかと思ったが、徐々に大きくなるその姿を見て眉を寄せた。
「……なんだ、アレ」
「翼竜ですね……それもかなり大きな」
空を飛びながら向かってくるヴァーニルだが、その後ろ脚には何故か巨大な翼竜をぶら下げていた。すでに息絶えているのか、翼竜が暴れる様子もない。
『待たせたな』
そう言ってヴァーニルが空から下りてくる。それと同時に翼竜の死体も地面に落ちてくるが、最早驚くこともなくレウルスは尋ねた。
「その翼竜は?」
『我の庭で一番強力な個体を仕留めてきた。南東の方にいてな……これを貴様が請け負った依頼の“原因”にしろ』
「……どういうことだ?」
ヴァーニルが運んできたのは、十メートル近い翼竜である。これまでレウルスが見た中でも一番巨大で、いくら火龍とはいえヴァーニルが後ろ脚で掴んで運べるのが不思議なほどに大きい。
『中級の魔物が人里に現れるという話だったが、ここ数年、我の庭の魔物が増えていてな。“目的”も達した故これからは極力間引くようにするが、貴様ら人間としては騒動の原因が形として残った方が良かろう?』
「つまり、その翼竜が暴れていたから他の中級の魔物が追いやられた……そういうことにしろと?」
生きていれば、たしかに強力そうな翼竜である。他の中級の魔物が縄張りから追い出されるほどかと言われれば首を傾げるだろうが、“倒したことになる”レウルス達が話を盛って伝えれば納得されやすいだろう。
『うむ。実際のところは……まあ、火炎魔法を扱う魔物が多い方が火の魔力が満ちやすいから放置していたのだが、こやつはラパリ方面に縄張りを持っていてな。こやつに追われたカーズがマタロイへと移動していたのだ』
色々と聞き逃せない情報が含まれており、レウルスは思わずサラへと視線を向ける。
「それってつまり、サラを顕現させやすくするために魔物を放置してたってことじゃ……」
『そうなるな。ただ、我の予想以上に増えておった。これほど増えるにはあと十年はかかると思ったのだが……』
そう言って、ヴァーニルは不思議そうに首を傾げた。
魔物を放置していたのはヴァーニルの意思だが、魔物の増え方がその予想を大きく超えていたらしい。
『だが、それももう終わりだ。これからは気兼ねなく我が喰らうとしよう。そうすれば自然と数も減るだろう』
「それはそれで魔物が逃げ出すんじゃないか……」
ヴァーニルの縄張り周辺から魔物が逃げ出し、人の住む場所に現れたのでは意味がない。だが、ヴァーニルからすれば違う意見があるようだ。
『数が減って食べるものに困らなくなれば、わざわざ人間を狙うこともなかろうよ。それに、しばらくの間は我も気を付けておく』
「……助かるよ」
いくら中級の魔物の魔物といえど、ヴァーニルからは逃げられないだろう。数日はマダロ廃棄街に滞在して様子を見る必要があるだろうが、ヴァーニルが運んできた翼竜と合わせて依頼は達成できそうである。
『それと、“コレ”は我からの贈り物だ。受け取るが良い』
そう言うなり、右の前脚で握っていた“何か”を地面に置くヴァーニル。ドシャリと重い音を立てたそれは、乾いた血痕らしき斑模様が付着した布袋である。
「……なんだ、その、触ったら呪われそうな袋」
地面に置かれた布袋はそれなりに大きいが、赤黒い血痕が目について仕方ない。思わず躊躇するレウルスに対し、ヴァーニルは爪を器用に操って布袋を開封する。
『我の縄張りに入って暴れていた者達の遺品だ。すまんが、武器の類はなくてな……代わりにめぼしいものを見繕ってきた』
布袋の端を爪で摘み、ゆっくりと持ち上げていく。すると、布袋の口から少量の金貨と大量の銀貨が転がり出てきた。他にも紫色の石や赤色の石、黄色の石が一つずつ姿を見せ――それを見たジルバが目を見開く。
「それは……もしや『魔石』と『宝玉』では?」
『うむ。そこの吸血種と火の精霊には必要だろう? 精霊の契約者……レウルスにはこれをやろう』
そう言って、ヴァーニルは握っていた左の前脚を開く。すると、そこにも布袋があった。ただし、こちらは血で汚れていない。
「『魔石』と『宝玉』っていうのも気になるんだけど……これは?」
『これか? 我の爪と鱗だ』
事もなげに告げ、布袋を放るヴァーニル。慌ててレウルスが受け止めてみると、布袋の中に赤い鱗が十枚ほどと五十センチ近い赤い爪が入っているのが見えた。
「……これでどう戦えと?」
まさか、爪で殴れとでも言うつもりなのか。レウルスはジト目になるが、ジルバが慌てた様子で口を開く。
「火龍の鱗や爪ならば、上質な武具の材料になります! 買おうと思って買えるものではないですよ!?」
ジルバが慌てるぐらいには貴重な素材らしい。レウルスとしては、ドミニクの大剣に釣り合うのかと眉を寄せていたが。
「『魔石』は魔力の増幅に使えますし、『宝玉』は属性魔法を扱いやすくする天然の魔法具です! 買おうとすれば数百万ユラは必要ですよ!」
だが、さすがに数百万ユラと聞いて言葉を失う。日本円で換算すれば、数億円ということだ。
(なんだそれ……売ったら……いや、出所を探られて売れないか? 金は欲しいけど、そんな大金を得たらグレイゴ教徒以外にも目をつけられそうだな……)
咄嗟に売り払うべきかと考えるレウルスだったが、売ったら売ったで新たな問題を招き寄せるだろう。
売れないことを見越した贈り物なのか、ヴァーニルは巨大な口を笑みの形に変える。
『それらを上手く使えば、我にも届き得る武具が作れるだろう……再戦の時を待っているぞ?』
火の精霊サラに続いて新たな爆弾を投下するヴァーニルに対し、レウルスは今日だけで何回吐いたかわからない、深い溜息を吐くのだった。