第87話:火龍 その4
第86話を予約投稿し忘れたため、12/17の朝に投稿しています。
ご注意ください。
“その音”が何なのか、レウルスには理解できなかった。
――正確に言うならば、理解したくなかった。
ヴァーニルの剛腕から逃れたレウルスは、無意識のうちに地を蹴ってその場から離脱する。縮まった距離を活かして近接戦闘を挑むはずが、手元から聞こえてきた音によって中断を余儀なくされたのだ。
「…………」
ヴァーニルの挙動に注意を払いつつも、レウルスは両手で握っていた大剣を無言のままで持ち上げる。
レウルスが握っているのは、恩人であるドミニクから譲られた大剣だ。
ラヴァル廃棄街に辿り着く原因となったキマイラを討ち、エリザを狙うグレイゴ教徒を切り伏せ、数えきれないほどの魔物を屠ってきた大剣である。
切っ先から柄尻までの長さはおよそ二メートル。鯨包丁に似た形状の片刃の大剣は、これまで苦楽を共にした唯一無二の相棒である。
切れ味も然ることながら、『強化』の『魔法文字』が刻まれた頑丈な魔法具。その大剣に、一目見ただけでわかるほどの大きなヒビが入っていた。
『強化』の『魔法文字』による恩恵か、即座に刀身が崩れ落ちるということはない。
だが、それでも――ドミニクから譲られた大剣は限界を迎えていた。
『何を呆けている?』
「っ!?」
かけられる声と同時に、大木のようなヴァーニルの巨腕が振るわれる。それに気づいたレウルスは咄嗟に大剣を振るおうとするが、すぐさま中断して後方へと跳んだ。
既に限界を迎えている大剣で打ち合えば、すぐにバラバラになるだろう。あと数合打ち合えれば奇跡の領域で、下手すれば次の一合で折れるに違いない。
『どうした? 逃げるだけか!』
それまでの勢いをなくしたように回避に専念するレウルスに対し、ヴァーニルは挑発の声と共に再び火球を撃ち始めた。その一発一発は下級の威力しかないのだろうが、今のレウルスにとっては非常に厄介である。
「く、そおおおおおおおぉぉっ!」
可能な限りは火球を回避し、どうしても回避しきれないものだけ大剣で切り払う。火球を斬るごとに、大剣を振るごとに、ピシリ、ピシリとヒビが広がっていく。
刀身に魔力を込めて振り回しているため、火球を斬り裂いてもそこまで衝撃はない。それでも、『熱量解放』を使ったレウルスの膂力に刀身が耐えられないのだ。
「――っ!?」
そして、ついに。
中級の火炎魔法と思われる巨大な火球を斬り裂いた衝撃で大剣の限界を超えた。
最後の足掻きと言わんばかりに巨大な火球を相殺こそしたが、大剣は柄だけを残して砕け散る。
『……ふむ、『強化』だけの魔法具にしてはよくもったが、限界だったか』
そう言いつつも、ヴァーニルは火球を放つのを止めない。巨大な火球を織り交ぜつつ、大小様々な火球を機関銃のように乱射する。
大剣が砕け散ったことで重心が崩れ、体勢を崩したレウルスには火球の雨を回避することはできなかった。呆然とする暇もなく殺到する火球が炸裂し、レウルスの体が爆炎に飲み込まれる。
爆発の衝撃はすさまじく、マタロイの冒険者達から譲り受けた防具を焦がしながらレウルスの体をボールのように吹き飛ばした。
それでも五体満足なのは、防具の質が良いからだろう。レウルスは五十メートルほど吹き飛ばされたものの、両足から着地して衝撃を押し殺す。
だが、追撃の火球が目の前に迫っていた。それに気づいたレウルスは大剣の柄を地面に落とし、全身に魔力を漲らせながら右足を蹴り上げる。
レウルスが繰り出した蹴撃は火球を蹴り割り――大剣のようにはいかず、そのまま爆発した。その衝撃で再びレウルスの体が吹き飛ばされ、今度は着地することもできず地面を転がっていく。
「がっ……ぐ、ぎぎ……」
右足が焼けるように熱い。レウルスは噛み割らんばかりに歯を食いしばると跳ね起き、追うようにして飛来していた火球を睨み付ける。
「ガアアアアアアアアアァァッ!」
足では上手くいかないと、今度は左拳を叩きつけた。『熱量解放』による魔力を可能な限り乗せ、真正面から火球を粉砕する。
『武器がなくてはずいぶんと粗末な動きよ……だが、戦意はなくさんか!』
下級の火炎魔法とはいえ、拳一つで粉砕したレウルスの姿にヴァーニルは笑う。しかし、いくら『熱量解放』を使っていても素手で火球を殴り壊した代償は大きく、レウルスの左拳は爛れるようにして皮膚が燃えていた。
それでもレウルスは揺らがない。むしろ激情を瞳に乗せ、真っ向からヴァーニルを睨み付ける。
ヴァーニルの魔力が再び高まり、口の前に巨大な火球が生み出された。その火球は激しく回転し、やがて竜巻のように渦を巻く。
『その様でコレは防げるか!』
放たれたのは、炎の竜巻だ。それはレウルスを体ごと飲み込む大きさで、大剣があった時ならばともかく素手では防ぎようがない強烈な一撃である。
着弾までほんの一秒程度。その間にレウルスは腰の短剣を抜くと、順手に握って正面に構える。
ドミニクの大剣と違い、主に魔物の解体にしか使わないような短剣だ。その強度は比べようもなく、レウルスが魔力を込めて全力で振るえば一撃で砕け散るだろう。
そもそも刀身が短く、魔力の刃を放てたとしても炎の竜巻を斬り裂ける保証はない。それでもレウルスは全力で魔力を練り上げて振りかぶり――。
「ああもうっ! やりすぎなのよばかあああああぁっ!」
レウルスを庇うようにして、炎を纏ったサラが飛び込んできた。そして両手を突き出したかと思うと、ヴァーニルが放った炎の竜巻を受け止める。
一体どのような魔法か、あるいは火の精霊としての特性なのか。サラはその体を焦がすことなく炎の竜巻を受け切り、背後のレウルスには一切届かせなかった。
「ちょっとヴァーニル! アンタ本気でやりすぎでしょ!? レウルス死ぬわよ!? 死んじゃうわよ!? 興が乗ったとかそんな理由ではっちゃけてるでしょアンタ!」
正面から火龍の魔法を防ぎ切ったサラは、両手を振り上げて抗議するように叫ぶ。そんなサラの行動に、ヴァーニルは視線を鋭いものに変えた。
『邪魔をするか、火の精霊よ』
「な、なによぅ……怖くなんてないんだからねっ! 邪魔も何も、レウルスはわたしの契約者でこれからずっと一緒なんだからね! レウルスを試すならわたしも一緒じゃないとおかしいでしょうが!」
『ふむ……』
胸を張って断言するサラに対し、ヴァーニルは何かを考えるように表情を変えた。剣呑な雰囲気も僅かに和らいでおり、それを察したサラは畳みかけるように口を開く。
「アンタもうアレよ!? これ以上レウルスを傷つけるっていうなら、わたしも黙ってないわよ! わたしが相手になって」
「――どけ」
「ぷぎゃっ!?」
ヴァーニルに向かって叫んでいるサラを、レウルスが横にどけた。血が滴る左手で強引に押しのけると、右手に短剣を構えて前傾姿勢を取る。
「はっ? はああぁっ!? ちょ、ちょっと!? アンタそこは大人しくわたしに庇われるべきでしょ!? 傷だらけっていうか血がダラダラ出てるじゃない! ここは大人しくしてなさいよ!」
火傷と出血の痛みを感じていないように、継戦の姿勢を見せるレウルス。そんなレウルスを驚愕の眼差しで見るサラだが、レウルスがサラを見ることはなかった。
「理由ができた」
「はあ? 理由? 一体何の話?」
レウルスの呟きを聞き、サラは困惑したように首を傾げる。その言葉の意味するところが理解できなかったのだ。
レウルスは百メートル近く離れているヴァーニルを睨み付けると、短剣の柄を潰さんばかりに握り締める。
ヴァーニルとレウルスの間には、大剣の破片がいくつも転がっていた。地面に転がる多数の金属片を見たレウルスは、身の内から湧き上がる激情を押し殺すことなく歯を剥き出しにして獰猛に笑う。
「――あの火龍をぶん殴る理由がだ!」
そう叫び、全力で駆け出す。ぐつぐつと腹の中で煮えたぎる憤怒を燃料に、一歩ごとに加速していく。
『ほう! 来るか!』
サラが割り込んだことで落ち着きを取り戻し始めていたヴァーニルだが、レウルスが向かってくるのを見て歓喜の声を上げた。そして即座に火球の乱射を再開する――が、今度はレウルスを捉えることができない。
皮肉なことに、大剣を失ったことでレウルスの速度は先ほどと比べて段違いだった。火球を蹴り割った際に右足を火傷したというのに、その影響が感じられないほどの速度で疾走する。
ヴァーニルとの間にあった距離はおよそ百メートル。レウルスは飛来する火球を避けるためにジグザグに走りながらも、三秒とかけずに走破する。
『速くはなったが――それだけではなぁ!』
だが、大剣を失ったレウルスよりもヴァーニルの方が速い。その巨体が嘘のような速度で後方に跳躍すると、“引き撃ち”するように火球を乱射する。
発射速度は機関銃でも、放たれる火球はまるで砲弾だ。レウルスを追うように、あるいは進行方向を先読みして放たれる火球の群れが着弾し、轟音と共に地面や石を吹き飛ばし、派手な火柱を上げる。
「オオオオオオオオオオオオオオオオォォッ!」
十、二十、五十、百と放たれる火球を回避しながら距離を詰め、レウルスが吠える。今度ばかりはヴァーニルも引かず、その巨大な腕を振りかぶって迎撃の体勢を取った。
『そんなナマクラの短剣でどうするというのだ!?』
先ほどまでレウルスが振るっていた大剣ならばともかく、魔法具でもない短剣など警戒するに値しない。一度打ち合えばそれだけで微塵に粉砕されるだろう。
地面を駆けるレウルスに対し、ヴァーニルは真上から前脚を振り下ろす。その勢いとヴァーニルの頑強さが合わされば、鋼鉄の塊が高速で飛んでくるようなものだ。
直撃すれば即死し、掠めても腕の一本は千切れ飛び、生身で防御しても全身の骨が粉砕される。故に、レウルスが選ぶのは回避一択だ。
『熱量解放』によって強化されているのは身体能力だけではない。相応に向上した動体視力を駆使し、隕石のように降ってくる巨大な前脚を紙一重のところで回避する。
それでも、紙一重ということは命中していないということだ。レウルスは死の気配が首筋を締め上げているのを感じつつも、全力で跳躍する。
そしてヴァーニルの前脚を足場にして駆け上がると、一気にヴァーニルの顔の高さまで到達した。
「目玉一つはもらうぞ!」
そう叫び、体ごとぶつかる勢いで短剣を突き出す。跳躍の勢いと体重を乗せて突き出した短剣はヴァーニルの左目に突き刺さる――よりも先に、閉じられた瞼によって防がれた。
火龍は瞼も頑丈なのか、短剣は左目を抉ることなく根元から圧し折れる。
『そのように狙いを宣言して、馬鹿正直に食らうとでも思ったか?』
ヴァーニルは呆れたように呟き――レウルスは笑った。
「おうよ――歯ぁ食いしばれ!」
ヴァーニルの鱗を左手で掴み、落下しそうになる体を強引に固定。そして『熱量解放』による腕力に物を言わせて体を引き上げると、固めた右拳をヴァーニルの横っ面へと叩き込む。
『ぬっ!?』
短剣による刺突を防ぐため左目を閉じたヴァーニルには、レウルスの行動が見えなかった。そのため左頬にレウルスの拳を受け、驚いたような声を漏らす。
――だが、それだけだった。
いくら『熱量解放』による強化があるとはいえ、人間が素手で殴ったところで火龍を撲殺するのは不可能だ。世界を探せばそんなことができる人間もいるのかもしれないが、レウルスはそこまで人間を辞めていない。
むしろ、殴りつけた右手から骨が折れる音が響いた。レウルスの行いは鋼鉄を素手で殴るようなものであり、その反動で拳が砕けるのも当然だろう。
「“宣言通り”、一発ぶん殴らせてもらったぞ」
激痛に苛まれながらレウルスは地面へと落下していくが、その顔はどこか満足そうだった。大剣を折られた埋め合わせには程遠いが、驚いたヴァーニルの顔で少しは溜飲が下がる気持ちである。
「でも、これが限界かぁ……情けねぇ」
武器は全て失った。落下中の体は既に死に体であり、ヴァーニルならば地面に着地するまでに三度はレウルスを殺せるだろう。
レウルスは覚悟を決めて反撃を待ち――そのまま何事もなく地面へと着地する。
「…………?」
思わず、といった様子でレウルスは顔を見上げた。本来ならば即座に距離を取るべきだったのだが、追撃がなかったことがそれほどまでに不思議だったのだ。
『まさか、我の顔を殴りつける人間がいるとはな……』
そんなヴァーニルの呟きには、どこか呆然とした響きがあった。それを聞いたレウルスは追撃としてヴァーニルの胴体に前蹴りを叩き込みつつ、不機嫌そうな声を漏らす。
「親父にも殴られたことないのにってか? ああくそ、火龍の父親なら人間じゃねえか。いきなり喧嘩吹っ掛けて来たと思ったら、そのまま殺しにかかるとかどんな教育受けてんだテメェ」
他人のことを言えた義理ではないが、ドミニクの大剣が折れたレウルスは前蹴りを連打しながらヴァーニルを睨み付ける。
「おら、こいや赤トカゲ。次は顔と言わず目ん玉から脳味噌まで殴り抜いてやる」
大剣があれば、そのまま首を狙っているところだ。しかし大剣は粉々になっており、短剣と拳が砕けたレウルスには最早悪態をつきながら蹴り付けることしかできない。
ここまでくれば、開き直るしかなかった。ヴァーニルが何を考えているのかわからないが、レウルスも燻る怒りを抑えることはできない。
『フ――』
そうやって胴体を蹴り付けるレウルスの姿に、ヴァーニルが小さく声を漏らす。
『ハハハハハハハハハハハハハッ!』
そして、その笑い声は大笑へと変わった。その声量はすさまじく、遠くの森から一斉に鳥が飛び立つほどである。
至近距離にいたレウルスは耳を塞ぐ暇もない。鼓膜が破れそうな声量の笑い声で脳が揺れ、その場でたたらを踏む。
『手加減していたとはいえ、宣言通り我の顔を殴りにくるとはな! なるほど、気に入った! 我が『契約』を結びたいぐらいだ!』
「ああん!? 耳がイカレて何言ってるのか聞こえねえよ!」
ヴァーニルの声が大きすぎるため、レウルスは鼓膜が破れないようにするので精一杯だった。それでもヴァーニルから戦意と威圧感が消えているのを感じ取り、レウルスは怪訝そうな視線を向ける。
ヴァーニルはそんなレウルスを見下ろすと、巨大な口を吊り上げて笑った。
『火の精霊の契約者よ。貴様は粗削り過ぎるが、我と敵対しても最後まで戦いから逃げなかった。それどころか、効かなかったとはいえ我に一撃入れてみせた……火の精霊を託すには十分だろう』
ひとしきり笑うと、ヴァーニルが真剣な声色で告げる。
『――合格だ』
それは、今回の戦いの幕を下ろす言葉だった。
どうも、作者の池崎数也です。
前書きで書きましたが、前話を予約投稿し忘れました。
小説家になろう様で清書して、いただいたご感想の返信をして、そのままスパーンと忘れていたようです。
まだ力尽きたわけではないですよ!
というわけで今日も更新です。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。