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第85話:火龍 その2

 火龍――ヴァーニルの言葉を聞いたレウルスは、冗談であることを切に願った。


 地上に降り立ったヴァーニルは、見上げる必要があるほどに巨大である。全長は30メートルを超え、地面に降りてもその顔は地上から10メートル近い高さにあった。

 それでも、その巨体ならば動きも遅いだろう――そう思うのは早計だ。『強化』のような魔法が存在する以上、30メートルを超える巨体がレウルスよりも機敏に動くこともあり得た。


 体格の良さというのは、一種の才能である。体が大きいというのはそれだけで脅威であり、火龍ほどの大きさならば才能どころの騒ぎではなくなるだろう。

 体の大きさもそうだが、体重も相応にあるはずである。少なくとも数トン、重ければ数十トンは体重がありそうだ。


『ここでは『祭壇』が壊れそうだな……あちらで試すとしよう』


 そう言うなり、火龍の姿が掻き消える。そして一瞬遅れて重さを含んだ音が響き、地面が揺れた。

 反射的にレウルスが視線を向けると、そこにはほんの一秒とかけずに二百メートル以上移動した火龍の姿があった。人語を操れることもそうだが、『強化』程度の魔法ならば当然のように使いこなすらしい。


(あの巨体だもんな……そりゃ一歩一歩が大きいよな……)


 逃げても瞬時に追いつかれる。そう悟ったレウルスは、他人事のように内心で呟いた。

 先ほどの言葉を信じるならば、今から火龍と戦わなければならないのだ。


(こりゃ死んだな……)


 一度火龍が見せたその動きだけで、レウルスは己を死を確信する。


 以前、ジルバに火龍を倒せる人間について尋ねたことがあったが、実際に火龍を見た今となっては“そんな人間”が存在するわけがないと思えた。


 間違っても一対一で敵対する相手ではない。


 並の魔物を遥かに凌駕する巨体に、その巨体に見合った身体能力。火龍というだけあって火炎魔法の扱いも達者だろう。その上、膨大な魔力を持ち合わせているため『強化』の恩恵も凄まじいことになる。

 更に重ねて言えば、火龍は飛べるのだ。上空から魔法を連射するだけで町の一つや二つ、容易く灰燼に帰すだろう。国を滅ぼせるというのも、冗談でも誇張でもないのだ。


 おそらくは何百年と生きているであろう火龍は、その長い年月で培った知識や経験があるはずだ。レウルスが苦戦したヒクイドリの戦巧者が児戯と思えるほど、巧みな戦術を見せても不思議はない。


(今からでも手のひらを返して、サラを大事にするから見逃してくださいと言ったら……どっちみち殺されるか)


 あれだけ拒否の姿勢を見せておきながら、危険が迫れば手のひらを返す。もしもレウルスが火龍の立場ならば、サラを任せるに足らないと判断して躊躇なく殺すだろう。

 かといって、万が一この場を切り抜けたとしても今度はサラの同行を火龍が認めることになる。火龍とサラの間柄はわからないが、どちらに転んでも厄介極まりない状況だった。


 そもそも、“価値”を示せと言われても何をしろというのか。火龍は既に臨戦態勢を取っているが、打倒しろとでもいうつもりか。

 気が乗らないどころの話ではない。レウルスとしては、この世界で生きてきて三指に入る理不尽さを味わっていた。


「あのっ、ご、ごめんね? わたしとしてはアンタがそこまで嫌がるとは思っていなかったし、ヴァーニルがあんなことを考えるって思わなくって……」


 どうにか戦闘を回避できないかと思考するレウルスに対し、サラが気まずそうな顔をして謝ってくる。それを聞いたレウルスは、不機嫌全開の顔で睨み付けた。


「そう思うなら今すぐ『契約』を解け」

「えっと……その、ごめん。それだけは無理。また何十年も意識だけで漂うのは嫌だから……」

「……どういうことだ?」


 それまでの元気の良さはどこに行ったのか、サラは沈痛な面持ちになる。


「精霊っていうのは、普通の生き物みたいに簡単に生まれるものじゃないの。わたしの場合、この地域一帯の魔力を長年集めて“わたし”が造られた……って、ヴァーニルから聞いたわ」

「……俺と『契約』を結んだのは?」

「“わたし”がわたしになるため……サラという形を得るため? あと、レウルスのへんてこな魔力があれば実体化も楽になるかなって……」


 一応、サラも目的があってレウルスを『契約』の相手に選んだようだ。選ばれたレウルスとしては、この状況を招いた元凶でしかないため同情はしないが。


「長い間と言っておったが、それはどのくらいなんじゃ?」


 しかし、サラの言葉に何か引っかかるものがあったのか、エリザが食いついた。サラは二度、三度と首を傾げると、腕組みをして天を仰ぐ。


「うーん……さすがに数えきれなくなったから覚えないけど、百年……は経ってない……かな?」

「――――」


 その返答に、さすがのレウルスも言葉を失った。


 今でこそこうやって自由に動けるサラだが、意識だけだったということは自身の意思で動き回ることもできなかったのだろう。

 どれだけの時間が経ったか曖昧なのも、長い間この場に“在り続けた”ことで年月の感覚が摩耗したのか。


 火龍の縄張りという人も魔物近づかない場所で、何の変化もなく数十年、下手すれば百年近く生き続ける。

 それはまるで、性質の悪い拷問のようだ。同じ場所に居続け、他者との交流もなく意識のみでただ生き続けるなど、人間ならば早々に発狂しそうである。


「そういえば“わたし”が生まれてから10……20年ぐらい経ってから、人間の大軍がヴァーニルを倒そうと攻めて来たことがあったかな? そのあともたまに人間が来てヴァーニルに挑んでたっけ……」


 人間の大軍というのは、ジルバから聞いたマタロイの軍勢だろう。その後に来た人間というのは、おそらくグレイゴ教徒である。


「それぐらいしか覚えないけど、“わたし”の意識がはっきりとしてから『契約』できると思った相手はレウルスが初めてなの」


 黙ってサラの話を聞いていたレウルスだが、ここにきて初めてサラの声色に悲しさが宿る。


「勝手に『契約』したことは謝る……ごめんなさい。でも、もう一人は嫌なの! ワガママだってこともわかってる! お願い……」


 そこまで言って、サラは音が立つほどの勢いで頭を下げた。


「――わたしをこの山から連れ出してくださいっ!」


 深々と頭を下げたサラの姿に、レウルスはため息を吐く。


(最初からそう言えばいいものを……)


 いきなり『契約』を結んでレウルスの逃げ道をなくさず、一から事情を話していれば印象も変わっていただろう。そうすればレウルスもここまで邪険に扱うことはなかった。


 おそらくは、人と話したことがない弊害がそうさせたのだ。ヴァーニルとはこれまでも話していたと思われるため、態度や口調もヴァーニルの影響があるのかもしれない。

 サラのおおよその事情は理解した――が、“背負う”かどうかはまた別の話である。


「レウルス……その、サラを連れ出してやることはできんか?」


 だが、先ほどは角を突き合わせていたエリザがサラを庇うように言う。そのことに少しだけ驚いたレウルスが視線を向けると、エリザはレウルスの服の裾を掴みながら悲しそうに言葉を吐く。


「“一人”は寂しいのじゃ……それが何十年ともなれば、ワシには想像ができん」


 家族を殺されて天涯孤独の身になったエリザにとって、サラの身の上話は他人事ではないのだろう。それでも自力で“自分の居場所”を見つけることができた分、サラよりも境遇的には易しい。


「アンタ……」


 それまで頭を下げていたサラだったが、エリザの言葉を聞いて驚いたような顔をする。そしてエリザをまじまじと見つめ、僅かに顔を赤くしながら視線を逸らした。


「……あ、ありがと」

『話は終わったか?』


 サラが礼の言葉を言うなり、ヴァーニルが割り込んでくる。二百メートル近く離れていてもレウルス達の会話が聞こえていたのか、特に文句もなさそうな様子だった。


『火の精霊の契約者よ、事情は理解できたな?』

「できたよ……できたけど、一方的に戦いを挑まれてもやる気なんて起きねえぞ」


 理不尽な要求を受けたレウルスは、全てが面倒になって敬語を放り捨てる。しかしヴァーニルは気にしないのか、それを咎めることはなかった。


『ふむ……ならば殺すだけだが?』

「サラの話を聞いてそのまま殺そうと思える辺り、アンタも大概だな……一つ確認したい。戦うのは俺だけか?」

『無論だ。そこの吸血種は貴様と『契約』を結んでいるが、はっきり言おう。我の相手にはならん。いるだけ邪魔だ。貴様一人で戦う方が生き残れる確率も上がるだろうよ』


 殺す気満々のヴァーニルだが、その言葉ももっともだろう。ヴァーニルの前でエリザが『詠唱』を行う暇などなく、レウルスとしても『詠唱』の間守り抜けると思えない。

 そして、仮に『詠唱』が完了したとしても疲弊したヒクイドリに撃ち負ける威力の雷魔法しか使えないのだ。火龍であるヴァーニルに通用するとは思えなかった。


「精霊教徒として私も手助けしたいのですが……」

『ならん。これは契約者が火の精霊を託すに足るかを確認する試練だ。邪魔をするならば先に殺す』


 レウルスとしては最悪なことに、ジルバの助力も得られないらしい。ヴァーニルの言葉には一切の嘘が感じられず、仮にジルバが手を出せば真っ先に殺すだろう。

 この場での圧倒的強者はヴァーニルであり、いくらジルバといえど太刀打ちできる相手ではない。レウルスは何度目になるかわからない、深い溜息を吐いた。


「……それなら二つ、条件をつけさせてくれ」

『ふむ……“ある程度”は加減するが、何かあるのか?』

「俺がアンタの言う試練を達成できたら、アンタの縄張りの周囲で暴れている魔物を大人しくさせてくれ。俺は元々依頼を受けて来たんだ。それができるなら……まあ、俺にも利益があるってことで受け入れるよ」


 火龍と戦うということに比べれば、ささやかな望みだろう。レウルスが出した条件を聞いたヴァーニルは鷹揚に頷く。


『よかろう。それで、もう一つの条件は?』

「俺が死んでもエリザとジルバさんは見逃してほしい。この条件、受けてくれるか?」

「レウルスッ!?」


 二つ目の条件を聞いたエリザが驚いたように目を見開いた。そして慌ててレウルスの言葉を撤回させようとするが、それよりも先にヴァーニルが応える。


『なるほど、受諾した。我が名、我が魂に誓ってその約定を果たそう』


 これで最低限ではあるが“戦う理由”ができ、エリザ達の安全も確保できた。レウルスは大剣を肩に担ぐと、ヴァーニルに向かって歩き出し――エリザがレウルスの腕をつかんだ。


 その力は強く、レウルスが振り返ると思いつめたようなエリザの視線とぶつかる。


「レウルス……レウルスが死んだらわたしも火龍に挑むから。勝てないけど、少しでも傷をつけて死ぬから……」

 

 その言葉には、一切の嘘が感じられなかった。仮にレウルスが死ねば、言葉通り火龍に向かって突撃しそうな剣呑さが滲んでいる。


「おいおい、縁起でもないこと言うな。というか、そんなことをされたら二つ目の条件を出した意味がないんだが……」


 レウルスは体ごと向き直り、膝を折ってエリザと目線の高さを合わせた。そしてその頭を優しく撫でると、エリザの手を解いて今度こそヴァーニルのもとへと向かう。


「一応聞くけど、試練とやらの達成条件は?」

『答えると思うか?』

「いや、聞いてみただけだよ」


 『祭壇』から二百メートルほど離れ、固まった溶岩や噴石が転がる平野でヴァーニルと向き合う。そうして向き合ってみると、今から眼前の“化け物”と戦うのだと思い知らされてレウルスを恐怖が襲った。


 一体どんな基準で試練を課すのかわからないが、例え手加減をされても一度直撃を許すだけで死ぬだろう。それほどまでに体重差があるのだ。

 レウルスは大剣を右肩に担ぐと、柄を両手で握って腰を落とす。そして気息を整えると、ヴァーニルの顔をじっと注視した。


(ドラゴンと剣一本で戦う、か……どこの冒険譚だって話だよ、くそったれめ)


 掠れた前世の記憶を拾い上げてみても、そういった物語はいくらでも存在していた。しかし、いざ自分がその立場になってみると、目の前の理不尽な生き物と敵対する愚かさに泣けてくる。


 それでも、ここまできた以上、逃げられるはずもない。逃げようとしても、ヴァーニルが逃がさない。

 まともに戦えば十中八九どころか確実に死ぬであろう相手。その巨体も然ることながら、暴風のように感じられる魔力も規格外だ。


 ――『熱量解放』。


 故に、レウルスも最初から出し惜しみなどしない。試練とやらの開始の宣言を待たず、大幅に引き上げられた身体能力を駆使してその場から姿を消す。


『む?』


 ヴァーニルはレウルスの体から吹き上がる魔力の量に目を細めつつ、レウルスの動きを目で追う。


 姿を消したレウルスは、ヴァーニルの首と同じ高さまで跳躍していた。そして大剣を全力で振るい、ヴァーニルの首を“斬り落とす”つもりで鋭利な刃を叩きつける。

 試練と言いつつもヴァーニルが殺す気でいる以上、レウルスもそれに応えるまでだ。


「――死ね」


 一撃で仕留めるつもりで放った斬撃は、ヴァーニルの表皮を僅かに傷つけるに留まる。鋼鉄を斬りつけてしまったかのような硬質な手応えが両手に伝わったが、それを無視するようにレウルスは獰猛に笑った。


 試練の結果とやらも、ヴァーニルの基準で決まるのだろう。だが、レウルスとしては“そんなもの”に付き合う義理もない。

 冒険者らしく、これまで通りに、殺して喰らうだけだ。ヴァーニルの首を蹴りつけて地面に降り立つと、レウルスは大剣を一振りして右肩に担ぎ直す。


「おら、かかってこいや赤トカゲ。ずいぶんと食いでがありそうな図体しやがって……その首、叩き落として骨まで喰らってやるよ」


 挑発するのは、怒りを覚えたヴァーニルの攻撃が少しでも単調になることを期待してだ。攻撃が苛烈になって死ぬ確率が上がるだけかもしれないが、できる小細工はするべきである。


『フ――ハハハハハハッ! 我を喰らうと言ったか!』


 レウルスはそう思っていた。だが、ヴァーニルの反応はレウルスの予想を超えていた。


『そうだ! 良いぞ人間よ! 抗うが良い! 諦めて絶望を享受するなど家畜にも劣る! “それでこそ”だ! その価値を、その命の輝きを見せてみろ!』


 怒るどころか、嬉々として魔力を漲らせるその姿。それを見たレウルスは、大剣の柄を強く握りしめながら思った。


(対応を思いっきり間違えた気がする……)


 どうやら、不意打ちと挑発はヴァーニルを“ご機嫌”にする効果しかなかったようだ。かといって今更逃げるわけにもいかず、レウルスは覚悟を決めて駆け出すのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公がシェナ村で体験した事と同等の理不尽を味わってるな…。自分の気持ちを汲んで欲しいと語るが、相手の気持ちも考えずに追い詰めて責めるのは辛い物があるな。まぁ、産まれたての赤子の様なもんだか…
[一言] なんだか主人公が著しく短慮かつアホになって不快感すごい
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