第83話:火の精霊
「――断る」
火の精霊――サラの言葉をレウルスは真正面から叩き切る。
その返答にサラの笑顔が固まったが、レウルスとしてはそれに構うつもりはなかった。
「…………」
無言で事の成り行きを見守るジルバに視線を向け、それとなく立ち位置を変える。ジルバもそんなレウルスの動きに気付いてはいるのだろうが、何かしらの妨害をすることはなかった。
「……よく、聞こえなかったわ。だからもう一回言うわね?」
ゆっくりと移動し、エリザを庇うように立つレウルス。そんなレウルスに対しサラは繕ったような笑顔を向ける。
「わたしと一緒にこの山から出るのよ! 一緒に旅をして、色んな場所に行きましょう!」
先ほどと言葉が違っているのは、レウルスが躊躇することなく拒否したからだろうか。サラはレウルスを上目遣いに見ながら言葉を投げかけるが、レウルスの返答は変わらない。
「なら俺ももう一回言うぞ……断る」
サラに視線を向けることすらせず、ジルバの一挙手一投足を注視しながらレウルスは言う。
――そんなものは、お断りだと。
「ちょっ、なんでよ!? わたしと『契約』したじゃない!」
「知らん。他を当たれ。というか、出ていくなら一人で勝手に出ていけ。一方的にそっちから『契約』を結んだだけだろ……早く『契約』を解け。そこにいるジルバさんなら喜んで『契約』を結んでくれるだろうよ」
いつでも『熱量解放』を使えるよう意識を集中しつつ、レウルスは冷たくあしらう。
『契約』が云々というならば、精霊教徒であるジルバなど打ってつけなのだ。相手が精霊とあらば、喜んで『契約』に応じることだろう。
「嫌よっ! 『契約』を結んで数分で解除なんて冗談じゃないわ! そもそもそっちの人間じゃわたしと『契約』を結べないし顔も好みじゃないもの!」
「好みの問題かよ……『契約』が結べない?」
「そっちの人間は火炎魔法が使えないでしょう? 魔力がわたしに全然合わない感じがするわ!」
両腕を振り上げて不満を表明するサラ。その言葉を聞いたレウルスは眉を寄せる。
「俺も火炎魔法は使えないぞ……そもそも魔法が使えないんだが?」
「アンタは別よ! すごく美味しそうな魔力の匂いがプンプンするし、実際にわたしと『契約』が結べたじゃない! きっとそのへんてこな魔力のおかげね!」
サラの発言はいまいち要領を得ないものの、『契約』を結べる何かがレウルスにはあるようだった。しかし、レウルスとしては“そんなこと”よりも聞きたいことがある。
「……『契約』を解除するつもりはないんだな?」
「ええ! わたしはアンタについていくの! やっと“わたし”になれたんだし、こんな場所からはオサラバよ!」
「そうか……」
サラの返答を聞き、レウルスの声が一段低くなる。
正直なところ、突然火の精霊だ『契約』だと言われてもピンとこない。だが、現時点でも明確に理解できることがあった。
――間違いなく、サラの存在は様々な“問題”を引き寄せるということだ。
サラの存在が知られれば、精霊教だけでなくグレイゴ教も何かしら企むはずである。例えグレイゴ教にサラの存在が知られずとも、ジルバがこの場にいる時点で精霊教には隠しようがない。
レウルス個人としては、サラがグレイゴ教徒に襲われようが無視できる。しかしサラと結ばれた“一方的な”『契約』がある以上、レウルスも無関係とはいかないだろう。
その『契約』をサラが解除しないと言っている以上、レウルスにできることがあるとすれば――。
「剣を引いてください、レウルスさん……私としても、“できれば”貴方とは敵対したくありません」
「俺もですよジルバさん。ですが、俺に“厄介な問題”を背負い込めと言うんですか?」
レウルスがサラの首元に意識を向けたことに気付き、ジルバが間に割って入る。拳こそ構えていないが、身に纏う気配は既に臨戦態勢だ。
「えっ? あの、ちょっと?」
レウルスとジルバの間に漂う剣呑な雰囲気に気付いたのか、サラが困惑したような声を漏らす。
「レウルスさんの懸念は当然のものでしょう。ですが、精霊様を傷つけるというのなら看過できません」
「でしょうね。しかし、ソイツは『契約』を解除しないと言っている……“将来の危険”は俺も看過できないので」
大剣を肩に担いで前傾姿勢を取るレウルスと、拳を構えるジルバ。
「貴方は我々精霊教徒の“客人”です。その上で精霊様と『契約』を交わされたとなれば、我々もこれまで以上に協力を惜しみません……それでもですか?」
「……協力してくれると言うのなら、ソイツと『契約』を結べる人を用意してください」
ジルバと睨み合うレウルスだが、至近距離でやり合って勝てるはずもない。そのため妥協案を口にした。
「俺はあなたに恩がある。その恩を返すためなら、新しく『契約』を結べる人が見つかるまでの代役なら務めます。それ以上は――」
「嫌よそんなの! わたしはレウルスがいいのっ!」
レウルスの言葉を遮るサラ。その声色は切羽詰まっていたが、レウルスはジルバと睨み合ったまま見向きもしない。
「俺はもうエリザと『契約』を結んでいるんだ。他を当たれよ」
「一人じゃなきゃダメなんて決まってないでしょ!? 実際にわたしと『契約』を結べてるんだし、わたしも連れて行ってよ! 断られてもついていくけどね!」
(“憑いていく”の間違いじゃないのかソレ……)
駄々をこねるように言い募るサラに対し、レウルスは内心だけでため息を吐く。一体何がサラをそうさせているのかわからないが、他の人間と『契約』を結ぶのは嫌なようだ。
そこまで考えたレウルスは担いでいた大剣をゆっくりと下ろす。そして、ここにきて初めてサラに視線を向けた。
「な、なによぅ……アンタがうんって言うまで諦めないんだからね!」
レウルスがじっと見つめると、サラはバツが悪そうに視線を逸らす。それでも『契約』を解除しないと言い張る辺り、『契約』の相手としてレウルス以外を選ぶつもりはないようだ。
レウルスは深々とため息を吐き、完全に戦意をなくしたように大剣を下ろした。すると、それを見たサラは目を輝かせる。
「気が変わった? 連れて行ってくれる!? わたし火炎魔法が使えるし役に立つわよ! その辺の魔物なら黒焦げにしちゃうんだからっ!」
「なあエリザ。『契約』ってどうやれば解除できるか知ってるか?」
嬉しそうに騒ぎ始めるサラを放置すると、レウルスは背中に庇っていたエリザへと声をかけた。『なんでよー!』とサラが騒いでいるが、レウルスは取り合わない。
「ワシ……ううん、わたしの場合、レウルスとは双方向の『契約』だから、わたしとレウルスが合意すれば『契約』は解除できる……と思う」
実際にしたことがないからわからないけど、と付け足すエリザ。その表情はどこか不安そうで、それに気づいたレウルスは膝を折って目線の高さを合わせる。
「エリザはもう、俺の身内で家族だ。お前に危害を加えるならグレイゴ教徒だろうが叩き切って守ってみせるし、勝てないなら一緒に逃げてやるさ」
「ほ、本当……に?」
「お前が飽きるまで一緒にいるって言っただろ? 後ろで騒いでいるのは……どうするかねぇ」
エリザと『契約』を結んだことは後悔していないが、サラとは一方的に『契約』を“結ばれた”だけだ。エリザの話から推察する限り、サラが『契約』を解除しようとしない限りこのままだろう。
「う……うぅ……」
真っ赤な顔を伏せ、小さく唸るような声を漏らすエリザ。そんなエリザの頭を撫でながら思考するレウルスだったが、『契約』の解除についてサラが権利を握っているのならばどうしようもないのだ。
(さすがに叩き切ってはい解決、とはいかんよなぁ……ジルバさんが敵に回ったら即座に殺されそうだし)
叶うならば今すぐにでもサラとの『契約』を解除したいが、それも無理となると今後どうすれば良いのか悩んでしまう。様々な問題を引き寄せる危険性を考えると、疫病神に取り憑かれた気分だった。
「ちょっと! わたしを無視しないでよ! というか、“そっちの”と扱いが違い過ぎない!?」
「一方的な『契約』を結んでおいて何を言ってるんだ……そもそも、どうやって『契約』を結んだんだ?」
エリザが『契約』を結んだ時は、血を吸ったり『詠唱』に似た文言を口にしたりと、それらしい手順を踏んでいた。それだというのにサラはそれがなく、レウルスとしても疑問に思ってしまう。
「え? アンタが“わたし”に名前をつけてくれたじゃない。だからこそわたしはわたしに……サラになれた」
どうやら、多摩川のアザラシ並にシンプルな名前を口にしただけで『契約』が成されたようだ。
「これはもうあれよ、『契約』どころかわたしを作り出したってことね! なんかそれっぽい呼び方した方がいい? お父様? 創造主? ご主人様?」
「寝言は寝て言え。人の夢の中に勝手に入ってきて、名前を尋ねさせたと思いきや『契約』に至るとか性質が悪いどころの話じゃねえぞ」
前世で架空の存在だった悪魔とて、もう少し慎み深いだろう。そう思うレウルスだったが、『契約』が既に結ばれている上に解除もできないのだ。ここまでくると、今後のことを考えた方が建設的である。
「……とりあえず、火炎魔法が使えて精霊と『契約』してもいいって人を探してくださいね?」
「はい……ですが、既にレウルスさんが『契約』を交わされている以上、サラ様が他の人間と『契約』を交わすとは思えないのですが……」
『契約』を解除するかどうかもサラ次第だ。その辺りは擁護できないのか、ジルバも勢いがない。
「俺はサラを受け入れたわけじゃないですけど、最低限は面倒を見ます。なので、なるべく早くお願いしますね?」
ジルバへの恩と義理を返すのだと思えば、最低限とはいえサラを受け入れるのも吝かではない。
グレイゴ教徒に目をつけられないよう、まずは“外見”からどうにかする必要があるだろう。何せサラは炎を全身に纏っており、目立つことこの上ないのだ。
「サラ」
「わたしを連れて行ってくれるのね!?」
これまでの話をちゃんと聞いていたのか、サラは弾かれたように反応する。そのテンションの高さとは対照的に、レウルスのテンションはどん底に近い。
「その炎は消せるのか?」
「ああ、これ? 消せるわよ! でも、炎を纏ってたら火の精霊って一目でわかるでしょう?」
「わかったら困るから消せって言ってるんだよ!」
目立つこともそうだが、近くにいると熱いのだ。そのため炎を消すように言うと、サラは素直に炎を消す。
「これでいい?」
「ああ……って、おい。お前、服は?」
「服?」
身に纏っていた炎を消したサラだったが、炎の下は全裸だった。その事実にレウルスは頭を左手で押さえ、痛みを堪えるように眉を寄せる。
何か理由があるのか、目つきや髪の色、瞳の色を除けばエリザによく似たサラである。エリザの服を着せれば問題ないと思ったレウルスだったが、それよりも先にエリザが悲鳴を上げた。
「ぎゃああああああぁぁっ! な、何をしているんじゃ貴様っ! れ、レウルスも見るでないっ! 見ちゃだめっ!」
「はあ? なんでアンタが騒ぐわけ? というか、アンタがレウルスと『契約』を結んでるせいでこんな体になったのよ? 『契約』の最中に割り込んでくるから――」
「ワシの体に似てるっていうなら余計駄目に決まっておるじゃろうが!」
叫びつつ、慌てた様子でリュックを漁り始めるエリザ。しかし、今回は中級の魔物の調査ということで着替えの類はほとんどなく、昨晩温泉に入った際にも体を拭く布を使ったぐらいであとは着回しているのだ。
そうやって騒いでいると、同じようにリュックを漁っていたジルバが黒いシャツを取り出す。ジルバはレウルス達と違って着替えを用意していたらしく、恭しくシャツを差し出した。
「サラ様、私物で恐縮ではありますが、今はこれで我慢していただけますか?」
「使っていいの? というか、アンタ誰?」
ジルバからシャツを受け取っていそいそと着ながら、サラは首を傾げる。今更になってジルバの素性が気になったようだ。
「申し遅れました。私は精霊教徒のジルバと申します。以後お見知りおきを」
「うげっ……」
何故か嫌そうな顔をするサラだが、ジルバは気にした様子もない。そんな二人のやり取りを眺めていたレウルスは、疲れたように何度目かになるため息を吐く。
ところどころ穴が開いた天井からは明るい光が差し込み始めており、いつの間にか夜が明けたらしい。それに気づいたレウルスは軽く寝なおしたい気持ちになった。
それでも、ここに来たのはマダロ廃棄街の依頼を遂行するためである。サラのこともあるため一度マダロ廃棄街に戻った方が良いだろうが、中級の魔物が出没する件についてはそこまで調査が進んでいないのだ。
「はぁ……これから大変そうだ」
依頼もそうだが、サラの扱いをどうすれば良いのか。なんとも厄介なものに目をつけられてしまったとレウルスは考える。
グレイゴ教徒に知られないよう祈るしかないが、こればかりはどうなるかわからない。ただでさえ精霊教徒であるジルバに知られているのである。今後、何が起きようともおかしくはない。
それでも、なるようにしかならないのが人生である。レウルスは諦め半分で自分を納得させると、大剣を肩に担いで歩き出した。
夜が明けてきたということは、夜行性以外の魔物も目を覚ますということである。火龍の縄張りの中ということもあって魔物の気配はないが、周囲の確認は必要だろう。
そう考えてレウルスは『祭壇』の入口に向かい、外へと足を踏み出した。すると、太陽に雲がかかったのか足元に大きな影が差す。
(ん? 今日は天気が悪い……って、今は“夜明け”だぞ!?)
太陽は山際から顔を覗かせているのだ。間違っても頭上から影が差すということはあり得ない。
反射的に空を見上げたレウルスだったが、そこにいたものを見て思わず呟いた。
「……今からでも、『契約』の解除ってできねえかな」
早速厄介なものを――それも最大級に厄介なものを引き寄せたようだ。
――レウルスの頭上に、火龍がいた。




