第77話:調査 その1
“今後”の方針を決めたレウルス達は、時間も惜しいということですぐにマダロ廃棄街を後にした。
レウルスとエリザ、そしてジルバの三人で組み、今回の騒動の原因を探るべくマダロ廃棄街周辺の調査を始めたのである。
なお、マダロ廃棄街の防衛に関しては、ウェルナー達マダロ廃棄街の冒険者が請け負った。ジルバの治癒魔法によって少しは動けるようになったため、防衛の戦力として数えられるようになったのだ。
ただし怪我が完治したわけではなく、負傷を堪えての戦いとなる。仮にヒクイドリが襲ってくれば太刀打ちできないだろうが、戦闘に気付いたレウルス達が戻るだけの時間は稼げる――かも、しれない。
かといってレウルスとエリザ、あるいはジルバがマダロ廃棄街に残ってしまえば、周辺の調査の方が進まなくなってしまう。そのため中級の魔物がマダロ廃棄街を襲わないよう祈るレウルスだった。
(俺達の進行方向から来てくれれば良いんだけどな……)
そんなことを思いつつ、レウルスは先頭を歩くジルバに視線を向ける。現在はマダロ廃棄街の南東に向かって歩いているが、極力森や林を避けるよう進路を取っており、どうしても通る必要がある時は草を踏み鳴らしながら進んでいく。
これは整備された道もないからであり、当面は獣道程度になるが“歩きやすい場所”を増やしていく予定だった。
今ならばレウルスが交戦した戦巧者のヒクイドリが襲ってきたとしても、大きな問題にはならないだろう。ジルバと組んで二対一で戦えば、然したる負傷もなしに勝利できるはずである。
(そういえば……)
先頭をジルバが、殿をレウルスが、そして真ん中にエリザを配置して歩きながら、レウルスは今回の騒動についてジルバが口にした三つの予測を思い出す。
その予測にはジルバを“豹変させる案件”は含まれていなかった。偏見かもしれないが、ジルバが“その可能性”を口にしないのは不思議に思えたのだ。
「ジルバさん、一つ質問してもいいですか?」
「なんでしょうか? 周囲の警戒を欠かさない程度になら構いませんよ」
答えるジルバの声色は、普段と比べて少しだけ硬い。今はまだマダロ廃棄街からそれほど離れていないが、これから火龍の縄張りに足を踏み入れることに対して警戒しているのだ。
「今回の件、グレイゴ教が絡んでる可能性はないんですか?」
だからこそ、余裕がある今のうちに確認するしかない。実はジルバが何か情報を隠していたとしても、それを知らずに突発的な戦闘に巻き込まれるのは避けたいのだ。
「ふむ……あの腐れ外道共に襲われたレウルスさんなら、それを疑って当然ですか。私の気が回らずに申し訳ない……完全に否定できるわけではないのですが」
そう言って、ジルバは自身の所見を述べ始める。
「ヴェオス火山の火龍といえば、この大陸でも名が知れた魔物です。そうなると当然グレイゴ教も知っているわけですが、成体の属性龍が相手となるとあのごみ溜めにぶち込むべきクソ共でも倒すのは難しいでしょう」
さらりと毒が混ざった口調で答えるジルバ。その口調と声色に驚いたエリザがレウルスに飛びついてくるが、レウルスはそれを抱き留めながら話の続きを聞く。
「以前エリザさんを狙ったことから考えても、火龍より“倒しやすい”相手を作り上げようとしている……そう考えると、何の勝算もなく火龍に手を出すとは考えにくいですね」
「……勝算なしで暴れて、それに巻き込まれた中級の魔物がこっちに逃げて来たって可能性は?」
いきなり町中で毒付きの短剣を突き刺してくるような相手である。強力な魔物に殺されるなら本望だ、などと言いながら突撃している可能性もあった。
「もちろん、あの魔物の糞にでもするしか役に立たない奴らのことです。考えもなしに突撃して、迷惑を振り撒いている可能性は否定できませんよ。ただ、長年殺し合ってきた私の勘は“違う”と言っています」
「はははっ……それは、さぞかし当たりそうな勘ですね」
ジルバの言葉を聞いたレウルスは、思わず乾いた笑い声を漏らしていた。ジルバがそこまで言うのなら、今回はグレイゴ教が関わっている可能性はほとんどないとみて良いだろう。
「私としては、火龍の縄張り内で生息していたカーズが繁殖して増えた結果、活動範囲が広がったのではないかと考えています。その結果、火龍を除いてこの近辺の魔物同士の力関係が崩れたのではないか、と」
「なるほど……作為的なものではなく、あくまで自然にそうなったってことですか」
「ええ。ラパリ側でも火龍を刺激しないよう、ヴェオス火山の周辺には兵士を最低限しか置いていないはずですからね。カーズだけでなく、他の魔物にとっても棲みやすい場所と言えます」
実際に他国に足を踏み入れたことがあるジルバの言葉だ。その説得力は高く、レウルスはなるほどと頷かされる。
「のう、ジルバさん。火龍の縄張りだというのに他の魔物がいてもいいのか? 食べられそうなんじゃが……」
それまで話を聞いていたエリザがジルバに尋ねる。火龍の庇護下に入るとしても、どんな扱いを受けるかわからないのだ。
「火龍は上級の魔物ですからね……高い知性があると言われています。もしかすると無暗に戦わない性格なのか、それとも縄張り内に手ごろな“餌”があると判断して見逃しているのか……」
縄張り内にいても良いが、食べられても文句は言うなということか。手近なところに食料を確保しているのだとすれば、レウルスとしては妙な親近感を覚えてしまう。
「そうだよな、腹が減るのは嫌だもんな……」
「何をしみじみと言っておるんじゃお主は……」
うんうん、と頷くレウルスだが、エリザはジト目を向ける。
たしかに中級の魔物を捕食する存在と聞けば恐ろしいが、火龍とて霞を食べて生きているわけではないだろう。この地域の食物連鎖の頂点として君臨し、縄張り内で餌となる魔物を増やしている可能性も否定できない。
魔物の繁殖力がどの程度かはレウルスも知らないが、人間は生まれるだけでも時間がかかる上に、成長するのにも時間がかかる。その点、魔物ならば体の大きさと相まってさぞかし“食べ応え”があるだろう。
「いきなり襲ってくることはない……そう思いたいところですが、火龍の思考を理解できる者など本人ぐらいでしょう。警戒だけは怠らないでください」
「了解です。まあ、火龍っていうぐらいだし、でかい魔力を持った魔物が近づいてきたら嫌でも気づきますよ」
レウルスの場合、相手が巨大な魔力を持っていればその大きさに比例して気付ける距離も増える。キマイラでも数百メートル先の魔力を感じ取ることができたのだ。火龍ならば数キロ先にいても気付ける可能性が高い。
だが、そんなレウルスの考えをジルバは否定した。
「たしかに火龍は莫大な魔力を持っているでしょうが、それを隠して接近してくるかもしれません。振り返ったら火龍がいた、ということも十分あり得ます」
「脅かさないでくださいよ……」
そう言いながら、振り返って背後を確認するレウルス。これで背後に火龍がいればただのホラーだが、幸いにも火龍はいなかった。
「というか、火龍みたいな強力な魔物が魔力を隠すって……」
「火龍と呼ばれるだけあって、火炎魔法の扱いに長けていると聞きます。この国でもかつては火龍を討伐しようとしたことがあるらしいのですが、その時は上級の火炎魔法で軍が薙ぎ払われたそうです」
何十年も前のことですが、と付け足すジルバ。それを聞いたレウルスは思わず頬を引きつらせる。
「……そんな強さの魔物に勝てる人間っているんですか?」
昨日戦ったヒクイドリが放った魔法でも中級魔法でしかなく、それでもマダロの城壁に穴が開きそうな威力があった。上級の魔法となると、最早想像もできないレウルスである。
「さて……いるとしてもごく僅かでしょうね。人並外れた魔力と魔法の才能に、龍種ほどの巨体を相手にしても近接戦闘を行える技量。それらが揃っていればあるいは、といったところでしょうか?」
「も、もう少し詳しく聞いても?」
ジルバの予測ならば信憑性もありそうだ。そう考えたレウルスが話の続きを促すと、ジルバは足を止めて顎に手を当てる。
「そうですね……あくまで私見ですが、火龍が相手だと考えて想定してみましょう。その場合、火炎魔法以外の属性の上級魔法を複数扱える才能と技量があり、なおかつ連発できるほどの魔力を持っていること。これが前提条件でしょう」
火炎魔法を除いたのは、火龍に火炎魔法を使っても効果がないからだろう。複数の属性で上級魔法が必要というのも、攻撃手段は複数あった方が良いという考えからだと思われた。
「そして、負傷に備えて高度な治癒魔法も使えて、さらに長期戦を見越して『強化』を始めとした補助魔法が使える……そこまでいけば十分勝ち目があるかと」
氷魔法、風魔法、雷魔法、水魔法、地魔法の中から複数の属性で上級魔法を使うことができ、その上で治癒魔法も使えて補助魔法も得意。さらに近接戦闘も行えるオールラウンダーで、魔力量も莫大。
「……マタロイは大国らしいですけど、一人ぐらいはいるんですかねぇ」
「はははっ、あくまで私見ですよ。一つの属性魔法で上級に至ることさえ極めて困難でしょうし、火龍に対抗できるだけの魔力となると生まれ持っての才覚が必要です」
「魔力ねぇ……『魔計石』で言えば何色ぐらいですか?」
『魔計石』は保有している魔力量に応じて色を変えるという特性がある。どんな基準で色を変えているかはレウルスも知らなかったが、七色に変化し、なおかつ色の濃淡で細かい魔力量を測ることができるのだ。
「一番上の赤色でしょうね。紫色で“並”の魔法使い一人分の魔力量と言われていますが、その程度ではどんなに魔力の扱いに長けていても中級魔法を一度撃てるかどうか……火龍が相手では容易く消し飛ばされるでしょう」
「……上級魔法を撃つにはどれぐらい魔力が必要なんですか?」
「私は属性魔法が使えないので聞いた話になりますが、緑色から黄色の間……普通の魔法使い十人分前後の魔力が必要らしいです。威力もそれに見合ったものらしいですが、使い道は限られるでしょうね」
『魔計石』は色が変化するごとに魔力量が倍――紫色で一人分、藍色で二人分、青色で四人分、緑色で八人分といったように、倍々で増えていくそうだ。
それを聞いたレウルスは頭の中で数を倍にしていく。
(1、2、4、8、16、32、64……64!?)
あくまでジルバの私見だが、どうやら火龍と戦うには常人の魔法使い64人分の魔力が必要らしい。
それだけの魔力を持ち、複数の属性で上級魔法を扱うセンスがあり、近接戦闘を行えて、治癒魔法や補助魔法も得意。
「……いくらなんでもそれは盛り過ぎでは?」
「それぐらいでないと火龍の相手はできないという予想です」
「ちなみにですけど、ジルバさんは……」
十回に一回ではあるが、火龍から逃げ出せるという自己分析をしていたはずである。それならばジルバも相当の実力者だとレウルスは思った。
「私の場合、魔力は最大でも緑色……八人分にも届きません。それに属性魔法が使えないので遠距離攻撃ができませんし、正直に言ってしまえば火龍とは相性が最悪なんです」
近づく前に消し炭にされます、と付け加えるジルバに、レウルスは至極真面目な表情で提案する。
「万が一火龍と遭遇したら、会話で乗り切りましょう」
「知性はあるでしょうが、コモナ語を話せるかが問題でしょうねぇ」
「その時は吸血種であるエリザが通訳をするということで」
「いきなり話を振られたと思ったらとんでもない無茶振りじゃな!?」
話半分に考えたとしても、明らかに敵対して良い相手ではない。レウルスはそう結論付け――遠くに魔力を感じた。
「……あっ」
「あっ、ってなんじゃ。なんでこの流れでそんな声を出したんじゃ!?」
反射的に魔力を感じ取った方向へと視線を向けるレウルス。そんなレウルスの様子にエリザが抗議するが、ジルバは真剣な表情でレウルスが視線を向けた方向へと向き直る。
「魔物ですか?」
「多分……まだ魔力が小さいですけど、距離的に数百メートル……じゃない、数百メルト先……ですかね?」
話をしていた最中に魔力を感じ取ったため、レウルスは今からでも逃げられないかと考えてしまう。しかしながら感じ取った魔力からはそこまで強烈な威圧感もなく、ただの中級の魔物の可能性もあった。
(嫌な予感はする……でも、キマイラと同じぐらい……か?)
距離があるため判然としないが、今すぐ回れ右をして逃げたいと思うほどではない。キマイラと同等と思えば逃げ出してもおかしくないが、レウルスも少しは強くなったのか、以前ほど怖いとは思わなかった。
「近づいてきてますね……けっこう速いです」
そう言いつつ、レウルスは背中の大剣に手をかけた。相手もレウルス達の存在に気付いているのか、あるいは偶然なのか、一直線に向かってきている。
「数は?」
「感じ取れる範囲では一匹です」
「もしかすると、魔力を抑えた火龍かもしれませんが……相手が見えるまでレウルスさんは剣を抜かないように」
周囲に木が生えていない場所へ移動しつつ、ジルバが指示を出す。ジルバも拳を構える様子はなく、レウルスが見ている方向を注視していた。
「レウルス……」
エリザは不安そうな顔をするが、それでも逃げるようなことはしない。レウルスの隣に立ち、唇を真一文字に引き結んで震えを押し殺している。
「……きた」
魔力が近づいてくる。距離がなくなるにつれて、感じ取れる魔力の量も大きくなる。
『グルルルルルルッ』
そして、姿を見せたのは一匹の魔物だった。
頭から尻尾まで含めれば五メートルを超える巨大な体は硬質な鱗で覆われ、鷲に似た二本足で屹立するその姿は威風を纏っている。
爬虫類を思わせる頭部は獰猛な気配を漂わせ、蝙蝠の羽に似た翼が腕から伸びていた。そして尻尾は蛇のようであり、その先端には鋭利な棘が複数生えている。
――その外見を表すならば、ドラゴンという一言で事足りるだろう。
至近距離で感じ取れる魔力はキマイラやヒクイドリと同等かそれ以上であり、その魔物を見たレウルスは戦慄と共に呟く。
「あれが――火龍!?」
「いえ、あれは翼竜ですね。中級上位の魔物です」
今しがたジルバに聞いた火龍にしては威圧感が少なすぎるとは思ったが、どうやら違ったらしい。それでも中級上位の魔物と聞き、レウルスは大剣を両手で握って肩に担ぐ。
「つまり?」
「マダロ廃棄街を脅かす敵ということです」
視線を向けてみると、ジルバも右拳を構えながら腰を落としている。
どうやら倒しても構わない敵らしく――それを確認したレウルスは大剣を構えて駆け出すのだった。