第76話:追加依頼
ヒクイドリと戦闘をした翌日。レウルスは料理店を訪れたダリオに連れられ、マダロ廃棄街の冒険者組合へと足を向けていた。
「……なあ、その嬢ちゃんは何があったんだ?」
「さあ? 寝て起きたらこうなってた」
マダロ廃棄街の大通りを進む途中、ダリオが興味半分不審半分といった顔つきで尋ねる。その問いかけにレウルスは真顔で答えたが、そんなレウルスの背後には顔を真っ赤にしたエリザが続いていた。
「な、なんじゃ!?」
「こっちがなんじゃって聞きたいよ」
宣言通り熟睡したレウルスだったが、目を覚ますとエリザがしがみ付くようにして眠っていたのである。
マタロイは前世の日本と比べれば夏でも過ごしやすい気候だが、さすがにしがみ付かれていては暑くて敵わない。引き剥がすとエリザも目を覚ましたのだが、レウルスを見るなり顔を朱に染めていた。
エリザから感じられる魔力の量は、ヒクイドリ相手に魔法を放った前と同等かそれ以上である。レウルスが眠った後に血を吸ったようだが、妙に恥ずかしそうな様子だった。
ヒクイドリとの戦闘でそれなりに血を流したレウルスだったが、貧血になるほどではない。エリザがどれほど血を吸ったのかはわからないものの、貧血になっていない以上それほど多くはないのだろう。
(うーん……吸血種だからと言うべきか、女の子だからと言うべきか……)
戦闘時に魔力が足りなくて魔法が使えないという“オチ”はなさそうだが、恥ずかしそうにしているエリザを見るとレウルスとしても反応に困る。
当のレウルスは一晩ぐっすり眠ったことで体調は万全だ。ヒクイドリとの戦いで負った怪我もほぼ完治しており、戦闘にも支障がないほどである。
ジルバが治癒魔法を使ってくれたこともそうだが、エリザとの『契約』で高まっている自己治癒力が寝ている間に頑張って働いてくれたらしい。
そうなるとあとはエリザが平静に戻ってくれるだけなのだが、これは時間を置けば治るだろうとレウルスは判断した。
「しかしよぉ、お前昨日かなりの怪我じゃなかったか? あのジルバって旦那が治癒魔法を使ったにしても、傷の治りが早すぎるような……」
「昔から傷の治りが早くてね。というか、それぐらいじゃないと下級冒険者なのに救援依頼を任されたりしないって」
エリザが吸血種だということは伏せ、そういうことにしておくレウルス。ダリオは納得したように頷くと、レウルスの姿を見て苦笑する。
ヒクイドリとの戦いによって革鎧が吹き飛んだレウルスは、辛うじて原型を保っている手甲と脚甲を身に着けて腰の裏に短剣を固定し、大剣を背負っているだけだ。
一番無事な防具は靴であり、その時点でヒクイドリの攻撃力の高さが察せられた。正直なところ手甲もボロボロで燃え尽きる寸前だったのだが、ないよりはマシだと思ってつけているだけである。
「装備についても相談する必要があるな……っと、ここが組合だ」
そう言ってダリオに案内された冒険者組合は、ラヴァル廃棄街にあるものと外観的には大差なかった。多少大きさの違いがあるのだろうが、外から見る分にはどちらの方が大きいかわからない程度の違いでしかない。
そんなことを考えながらレウルスが冒険者組合に足を踏み入れると、そこにはウェルナーやジルバだけではなく、見たことがない男性が複数いた。
その中でも一番目を引くのは、ジルバよりも年上と思わしき中年の男性である。ジルバ達は組合の内部に置かれた机を囲むように座っていたが、その男性はその中でも上座に座っているのだ。
他の男性も上座に近い位置に座っている。ただし、それぞれ包帯を巻いているが。
「組合長、連れてきたぜ」
そう言ってダリオが声をかけたのは、上座に座る男性だった。どうやらマダロ廃棄街の冒険者組合で長を務めているらしく、レウルスに鋭い眼差しを向けてくる。
しかし、その視線もすぐに和らいだかと思うと、友好的な笑顔へと変わった。
「ウェルナーとダリオから話は聞いている。救援依頼を受けてラヴァル廃棄街から来てくれたんだってな。俺はマダロ廃棄街の冒険者組合の長、ロベルトだ」
「ラヴァル廃棄街所属、下級上位冒険者のレウルスです。こっちはエリザ」
「下級下位冒険者エリザじゃ……です」
組合長――ロベルトの挨拶に応えるレウルスとエリザ。その自己紹介を聞いたロベルトは愉快そうに笑う。
「ハハハッ、あの鳥の魔物を下級の冒険者が倒したって聞いた時は、ダリオがビビッて錯乱したのかと思ったが……噂は聞いているぞ『魔物喰らい』」
ニヤリと笑うロベルトは、外見だけで判断するならば五十代だろうか。茶色の髪には白色のものが混じっており、負傷をした影響か顔つきも年老いているように見える。
それでも組合長を務めるだけの覇気が感じられ、レウルスは困ったように笑った。
「そのあだ名は……いや、訂正するのも面倒なんで流しますけど、組合長は大丈夫なんですか? あの鳥にやられたって聞きましたけど……」
そう言いつつレウルスが視線を向けたのは、この場にいるにも関わらずいまだに発言していない男達だ。それぞれ負傷の痕があるが、その振る舞いには場数を乗り越えてきた落ち着きがある。
「おう。恥ずかしながら、うちの上級と一緒に戦ってまとめてやられちまった。傷の方は……そこのジルバって人が“最低限”治してくれてな。動けるようにはなかったから、こうして顔合わせをしているわけだ」
マダロ廃棄街としては、外部の勢力である精霊教徒のジルバの手を借りるのは躊躇しただろう。それでも、今回の騒動ではそうも言っていられないらしい。
「私もそれなりに魔力がありますが、今回はどれほどの戦いになるかわからないので魔力も全ては使えず……我が身の非才を嘆くばかりですよ」
「ああいや、アンタを責めてるわけじゃねえんだ。俺達冒険者の癖というか……とにかく、感謝しているのは本当だ。有事に備えて精霊教の教会を受け入れても良いって思うぐらいには感謝してるぜ」
それはロベルトなりの冗談だったのか、それとも本気だったのか。それはわからないが、ジルバは首を横に振る。
「それは嬉しい申し出ですね。とはいえ、今回はレウルスさんの個人的な知り合いとして力を貸したまでのこと。どうかお気になさらず」
「……宗教家ってはもっとあくどいもんかと思ったんだがな」
――いえ、その人はグレイゴ教さえ絡まなければ良い人なんです。
そんなことを言いかけて、レウルスは口を閉ざす。ロベルトの気持ちも十分にわかるが、わざわざ言葉にする必要もないだろう。
「それは置いておくか……俺が倒れている間はウェルナーに代行させてたが、起き上がれたからには俺が指揮を執るしかねえ。とはいえ、だ……」
ロベルトは腕を組むと、眉を寄せて悔しそうな顔をする。
「俺を含め、うちの町のモンじゃあの鳥一匹も倒せねえ。初めて見た相手で戦い方がわからなかったって言い訳したいが、レウルスは初見で倒したって話だしな」
「ジルバさんが来てくれなかったら、二匹目の鳥に殺されてましたけどね……」
まさか、あれほど巧みな戦い方をする魔物がいるとは思わなかった。レウルスが困ったように頬を掻くと、ロベルトは眉間の皺をより深くする。
「ラヴァル廃棄街に依頼した時は、あの鳥一匹の討伐依頼だった。それが二匹いたって時点で依頼の内容に重大な瑕疵があったわけだが……」
そう言いつつ、ロベルトはジルバをチラリと見る。マダロ廃棄街が退治の依頼をしたヒクイドリはジルバが倒しており、レウルスが倒したのは“予定外”の二匹目だ。状況が錯綜しているというのが実情である。
「それでも依頼の内容が不正確だったのは言い訳できねえ。レウルス、お前さんには謝罪の意味も含めて報酬の上乗せをさせてもらう。その上でこんなことを頼むのは筋が立たねえんだが……」
ロベルトの顔に浮かんでいたのは、苦渋の色だ。他所の廃棄街に救援を依頼したというのに、その依頼内容に重大な間違いがあった。その上で、“これから”のことを頼まなければならないのだ。
「今回の騒動を根本的に解決するためにも、手を貸しちゃあくれねえか?」
そう言ってロベルトが頭を下げる。レウルスはジルバに恩返しをするためどのみち首を突っ込むつもりだったが、ロベルト達からすれば恥の上塗りをしている気分なのだろう。
ウェルナー達も頭を下げており、それを見たレウルスは困ったように笑った。
「顔を上げてくださいよ。金が多くもらえるんなら願ったり叶ったりだ。建てた家の代金、借金してるから返さないといけないんでね」
おどけるように言って、レウルスは追加の依頼を受ける。危険性を考えるとラヴァル廃棄街に帰りたいところだが、このまま放置して帰るのは気が咎めるのだ。
言葉にした通り、上乗せされる報酬に期待しているという面も否定できないが。
「ありがてえ……感謝するぜ『魔物喰らい』」
「いや、だからその名前は……ああもう、良いか。それで組合長、依頼を受けるに当たって防具を貸してもらえますか? 昨日の戦いで鎧が吹き飛んだし、他の防具もガタがきてるんですよね」
組合から貸し出される品質が低い防具でも、ないよりはマシだろう。そう思ってレウルスが頼み込むと、ロベルトは上級冒険者の二人に視線を向ける。
「持ってきてるか?」
「もちろんですよ、組合長」
そう答え、上級冒険者の二人は足元から大きな布で包まれた物体を取り出す。そして包みを解くと、中には数種類の革鎧が入っていた。
「俺達の防具の予備だ。ウェルナーからお前さんの背格好は聞いていたんでな。こいつを使ってくれ」
「俺達が使ってたやつを渡せれば良かったんだけど、火炎魔法を食らってボロボロになっててなぁ……」
上級冒険者の二人は互いに顔を見合わせて苦笑し合う。どうやら彼らもヒクイドリの火球で防具を破壊されたようだ。
「手入れは欠かしていないし、組合から貸し出すやつよりは断然質が良い。お古で悪いが、良ければ使ってくれ」
「お古って……コレ、俺が使ってたやつよりもかなり良いですよ?」
レウルスは目利きができるわけではないが、机に並べられた防具は一見するだけでその頑丈さが理解できた。
レウルスが使っていた防具はキマイラを倒した報酬で新調したが、その材質はそこまで良いわけではない。
角ウサギの革をベースに作られたソフトレザーアーマーであり、急所に硬化させた革を重ねたものだった。“当時”の体の大きさに合わせて作ったため動きやすかったものの、防御力という点では大したことはないのである。
しかし、机の上に置かれた防具は違う。革鎧という点では変わらなかったが、硬化させた革だけではなく金属も使用されているのだ。
基本的な作りはレウルスが使っていた革鎧と変わらなかったが、心臓などの急所を守るために金属板で補強が施されている。それでいて関節の動きなどを阻害しないよう考慮した作りになっていた。
手甲と脚甲も金属が多く使われており、重量は増すが防御力もかなり増すだろう。今のレウルスならば普段から弱い『強化』がかかっている状態のため、極端に動きが遅くなるということもないはずだった。
試しに着用してみるレウルスだったが、少しばかり重いものの着心地は悪くない。上級冒険者の彼らが使っていたこともあり、その辺りにも配慮してあったのだろう。
「悪くない……どころか、かなりいいですよ。本当に借りてもいいんですか?」
さすがに聞くわけにはいかないが、レウルスが使っていた防具よりも遥かに高く、倍以上の値段がするはずである。
「ああ。というか、やるよ。あの鳥を仕留めてくれた礼だ」
「まあ、それを言ったらジルバさんにも礼をしないといけないんだけどな」
「えっ? いやいや、さすがにもらうのは……」
もらえるものは病気以外はもらうが、さすがに防具一式は躊躇してしまう。
「使ってくれや。お前さんにゃデカい恩と借りがある。それを少しでも返させてくれ」
ヒクイドリを倒し、追加で依頼を受けたことを言っているのだろう。ロベルトの言葉を聞いたレウルスは、同じ冒険者として断れないと判断して頷いた。
「それならありがたく使わせてもらいますよ」
“これから”のことを考えると、良い防具はあっても困らないのだ。レウルスが防具一式を受け取ると、それまで黙って話を聞いていたジルバが口を開く。
「それでは、今回の騒動についてですが……私としては、中級の魔物が複数現れている原因が気になります。理由を予測するとなると、三つほど思い当たりますが……」
「三つですか?」
現状について何か予測があるのだろうか。そう思ったレウルスが話を促すと、ジルバは右手で三本指を立てる。
「一つは、縄張り争いに負けた魔物が新たな縄張りを移動してきただけ……これが一番穏当かつ解決が楽です。移動してきた数はわかりませんが、仕留めればそれで片付きますから」
魔物だけでなく、動物でも縄張り争いというものは起こり得る。レウルスとしては、自分が対峙したヒクイドリが負けて逃げ出したというのは信じられないが、たしかにあり得る話だった。
ただし、複数種類の中級の魔物が同時に現れているのだ。その可能性は低いだろう。
「一つは、森の中の餌が足りなくなり、餌を求めて活動範囲が広がった可能性。これも相手を仕留めるだけなので楽ですが、他の魔物もそうであると考えると楽観視できません」
中級の魔物だけが目立っているが、下級の魔物が出てこないとは限らない。マダロ廃棄街には現在エリザがいるため、相手が寄ってきていないだけという可能性もあるのだ。
「そして、最後の一つですが……中級上位の魔物が逃げ出すような“脅威”が存在している可能性」
ジルバの言葉に、重い沈黙が下りる。
レウルスはかつてキマイラという中級上位の魔物と戦ったことがあるが、その時は下級の魔物がキマイラを恐れて森から逃げ出し、ラヴァル廃棄街周辺に移動してきたのだ。
それを考えると、中級の魔物が逃げ出すような相手――それこそ上級の魔物が現れて逃げ出したと考えるのは不自然なことではない。
「……ヴェオス火山って、火龍がいるんですよね?」
そして、レウルスにはその存在に思い当たる節があった。そのため尋ねてみるが、予想に反してジルバは首を横に振る。
「たしかにいますが、今回は“別口”でしょう。元々ヴェオス火山の周辺は火龍の縄張りです。それに、縄張りと言っても他の魔物が皆無というわけではない……むしろ庇護を求めて集まることもありますから」
「別口?」
「おそらくは、ですがね……ラパリに生息しているはずのカーズがこちらまで逃げている以上、“何か”がいると思います」
そう断言するジルバに、レウルスは無言で唾を飲み込む。ヒクイドリ以上の魔物と対峙するなど御免被りたいところだが、かといって逃げ帰るわけにもいかないのだ。
そんなレウルスの不安を見抜いたのか、ジルバは表情を柔らかいものに変える。
「ただ、カーズは中級の魔物の中では賢い方ですからね。ラパリよりもマタロイの方が棲みやすいと判断して移動してきたのかもしれません。その結果、オルゾーや翼竜が刺激されて動きが活発になっているだけという可能性もあります」
「……正解は自分の目で確認しないとわからないってオチですか」
「ええ。何事においてもそんなものでしょう?」
そう言って笑うジルバに、レウルスは深々とため息を吐きながら同意する。
「せめて、手に負える魔物であることを祈りますよ」
「大精霊様に?」
「俺が個人的に信仰している女神様に」
「なるほど、それは御利益がありそうでけっこうなことですね」
レウルスの言葉に笑うジルバだが、レウルスとしては二回命を救ってくれた“女神様”だ。神仏に祈るぐらいならば、実際に命を救ってくれた相手に祈りを捧げた方が良い。
(……あれ? そういう意味でいうと、ジルバさんも命の恩人なんだよな……)
二匹目のヒクイドリから助けてくれたのである。祈れば御利益はありそうだが、物騒な御利益になりそうだ。
まずはマダロ廃棄街周辺の状況の確認からになるだろうが、藪を突いて龍が出てこないことを切に祈るレウルスだった。