第75話:束の間の休息
ジルバに手を貸すと決めたレウルスだったが、当のジルバからはまずは体を治すように言われた。
ジルバの治癒魔法によって全身の傷や火傷はある程度治っており、あとは自己治癒力に任せて一晩眠ればそれなりに動けるようになるだろう。
そのためレウルスは自分で仕留めたヒクイドリの肉を片っ端から平らげ、腹と魔力を満たすと借りている部屋へと向かう。
三メートルを超えるヒクイドリの肉は非常に量があった。ただし雑食なのか味はコメントに困る、筋張ったゴムのような味だったのである。味が良ければ買い取りの素材になったのだろうが、そうなっていない時点で察すべきだった。
それでも関係ないと言わんばかりに腹に詰め込んだレウルスだったが、試しにヒクイドリの肉を食べたウェルナーは頬を引きつらせていた。ダリオも食べていたが、悲しそうな顔になっていた。
「……本当に大丈夫なんじゃな?」
腹を満たしたレウルスの後ろを歩き、何度目かになるかわからない心配の言葉をかけてくるエリザ。『詠唱』の影響でボロボロになった服は着替えており、流した血も拭き取ったため綺麗になっている。
「ジルバさんが治癒魔法をかけてくれたし、歩くぐらいならな……でもさすがに疲れたよ。今日は早めに寝るぞ」
「うん……」
本来ならば魔物の襲来を気にする必要があるが、今はジルバがいる。もしも中級の魔物が襲ってきてもジルバが負けるとは思えず、今晩だけはジルバの好意に甘えてぐっすりと眠るつもりだった。
幸いなこととは言えないが、快適な睡眠を邪魔していた革鎧はヒクイドリとの一戦で吹き飛んだのだ。手甲も脚甲も外し、熟睡して傷と疲労を癒そうと思うレウルスである。
ただ、寝る前にやるべきことがある。
「エリザ」
「なんじゃ?」
部屋に入り、大剣を壁に立てかけたレウルスは寝台に腰を下ろす。それを見たエリザもレウルスの隣に座ると、可愛らしく小首を傾げた。
「今日はよくやってくれた……助けられたよ。ありがとうな」
そう言ってレウルスはエリザの頭に手を乗せ、優しく撫でる。
エリザが自爆覚悟で『詠唱』し、雷魔法を撃ち込まなければ一匹目のヒクイドリを倒せたかどうかわからない。二匹目のヒクイドリにいたってはジルバを“呼び寄せる”結果になったのだ。
エリザの魔法がなければ今頃死んでいただろう。レウルスが感謝の気持ちを込めて礼を言うと、エリザは挙動不審と呼べるほどに激しく視線を彷徨わせる。
「な、なんっ、なんじゃ!? や、やけに素直に褒めるではないか!」
わたわたと両手を振り回すエリザだが、その表情は大きく緩んでいた。どういう表情をすれば良いのか迷っているらしく、慌てふためいている。
それでもレウルスが頭を撫で続けると、やがて大人しくなって上目遣いでレウルスを見上げた。
「わたし……役に、立った?」
おや、とレウルスは片眉を上げる。
――役に立つ。
そのような言葉が出てきたことに驚くレウルスだったが、振り返ってみれば旅の道中も体力不足で足を引っ張っていた感があった。
下級の魔物が寄ってこなかったのはエリザの力だが、体力不足からエリザには不寝番をさせず、レウルスとジルバで二交代をしていたのである。他にも“普通の戦闘”ではエリザが出る幕はなく、後方で大人しくしておくのが仕事だった。
普段は明るく振舞うエリザだが、役に立てないことをだいぶ気にしていたらしい。そのため咄嗟にそんな言葉も出てきたのだろうと判断し、レウルスは笑顔で肯定する。
「おう。エリザが魔法を使わなかったら死んでただろうしな。今日の獲物は共同戦果だ。報酬が入ったら山分けだな」
エリザは『詠唱』して魔法を一回使っただけだが、その一回が重要だった。レウルスとしても住宅ローンがあるためなるべく金が欲しいとは思うものの、今回はケチる必要もないだろう。
普段の魔物退治ならば大抵の場合はレウルス一人で片が付くため、エリザに報酬の半分を渡すことはできない。戦ってもいないエリザに金を渡そうとすると、エリザ本人が悲しそうな顔をするからだ。
だが、今回の戦いでは重要な働きを成した。それはエリザ本人が否定しようとも、レウルスが否定させない。
(“役に立った”って言葉が……まあ、少しばかり引っかかるけどな)
役に立つから一緒にいるわけではないのだ。ただし、それを言葉にしても薄っぺらく感じられるため、レウルスはエリザの頭を撫でる手つきをいっそう優しいものにする。
エリザはそれが心地良いのか、目を細めて嬉しそうに、それでいて恥ずかしそうに微笑む。
そんなエリザから感じられる魔力の量は、ヒクイドリと戦う前と比べて大きく減っている。少しは魔法の扱いに慣れてきたとはいえ、『詠唱』を使って中級に達する威力の魔法を使えば魔力も激減して当然だろう。
(減った魔力は増やさないとな……)
食事で魔力を得るレウルスとは異なり、エリザは吸血種らしく血を吸って魔力を得る。ただし人間ならば誰でも良いわけではないらしく、魔物の血を吸おうともしない。
一番良いのは『契約』を交わしたレウルスだ。互いの魔力を意図的に融通することができれば良いのだが、レウルスもエリザもそんな器用なことはできない。
ただでさえエリザは魔法を使う際に魔力の無駄遣いをしているのだ。魔力を補充できる時にしておくべきだとレウルスは思った。
レウルスは手甲や脚甲、短剣を外して身軽になる。すると、突然装備を外し始めたレウルスをエリザは不機嫌そうな顔で見た。
「……どうしたんじゃ?」
それまで頭を撫でていたというのに、突然中断されたことが気に食わないらしい。レウルスは苦笑すると、自分の体を見下ろしながら問う。
「いや、今日はたくさん魔力を使っただろうし、血を吸った方がいいだろ? どこから血を吸う?」
「……は?」
レウルスの言葉が理解できなかったのか、エリザは目を丸くした。しかし数秒もすると首筋から顔にかけて急速に赤く染まり始め、さらに数秒も経つと顔全体が真っ赤になる。
「はっ……なっ、ななな……何を言うんじゃいきなりっ!?」
「いや、だから血だよ。血を吸ったら魔力も回復するだろ? どこなら吸いやすい? 腕か? 短剣で少し切ればいいか?」
魔法使いは時間の経過と共に魔力を回復するが、その回復量は低い。回復量は個人差があるらしいが、エリザの場合は血を吸えば一気に魔力が増えるのだ。 それならば利用しない手はないだろう――だが、何故かエリザはレウルスの血を吸うのをいつも拒むのである。
針で突けば大量の血が噴き出るのではないか、などと思えるほどに顔を真っ赤にするエリザ。そんなエリザに首を傾げつつもレウルスはリュックを漁り、ラヴァル廃棄街から旅立つ前にナタリアからもらった『魔計石』を取り出す。
すると、レウルスの魔力に反応したのか無色透明だった『魔計石』が色を変え始めた。透明から紫へ、そして紫から濃い藍色へと変わると、色の変化が止まる。
「俺も魔力が減ってるなぁ……あの鳥を食べただけじゃマイナスか」
それでも、思ったよりは減っていない。おそらくはヒクイドリよりも先に食べていた化け熊一匹に加え、ジルバからもらった化け熊の腕一本の分で魔力が増えていたのだろう。
『熱量解放』を使ってヒクイドリと戦った時間はそれほど長くなかったが、相応に魔力を消耗したらしい。
その事実を確認したレウルスは一度頷き、今度はエリザに『魔計石』を握らせる。『魔計石』はレウルスが触っていたからか、濃い藍色から薄い紫色へと通常とは逆に変化した。
「えーっと……紫色で普通の魔法使い一人分らしいから、薄い紫色ならかなり少ないか?」
魔力を使い切って倒れることこそなかったものの、エリザの魔力は残量がかなり少なかった。それを確認したレウルスは笑顔になり、自分の腕を突き出す。
「さあ、吸え」
「い、いやじゃっ!」
「なんでだよ。そりゃ俺もけっこう血を流したけど、肉を食って血も増えるから多少吸われても貧血にゃならんぞ」
シェナ村を離れてラヴァル廃棄街に到着した頃は、最低限の筋肉はあっても脂肪などは一切なかった。
しかし現在ではある程度肉が――筋肉が増えて体も大きくなっている。ヒクイドリとの戦いで出血したが、エリザに少し血を吸わせるぐらいならば何の問題もないのだ。
問題があるとすれば、血を吸うことを妙に渋るエリザだけである。
「ほら、遠慮するなって。またお前の魔法に頼るだろうし、俺の血で良ければいくらでも吸っていいんだぞ?」
いざという時に魔力がなくては魔法が使えず、そのまま死んでしまう危険性もあった。それならば余裕がある時に魔力を回復させておくべきだろう。
「あ、もしかして腕から吸うのが嫌なのか? それなら……」
吸血鬼――吸血種らしく首筋からの方が良いのだろうか。そんなことを考えたレウルスは麻のシャツを脱ぐと、自分の首筋を叩く。
ここ四ヶ月ほどで食生活が急速に改善されたからか、レウルスの体はかなり逞しくなっていた。
毎日のように魔物退治に出かけて大剣を振り回していたからか、腹筋や背筋だけでなく二の腕などもしっかりとした筋肉が付き始めている。ドミニクのように筋骨隆々とまでは言えないが、“戦う者”としての肉体に育っているのだ。
前世で死ぬ前だったならば運動不足かつ栄養不足で体も酷い状態だったが、今ならば健康体そのものである。
「腕が嫌なら首筋から吸っていいぞ。あの鳥に抉られた傷も完治してないしな」
ヒクイドリの爪で抉られた傷は、正確に言えば肩と首の中間付近に存在する。ジルバの治癒魔法によって傷自体は塞がっているものの、少し引っ掻くだけで血が出てきそうな程度にしか治っていないのだ。
血を吸われても吸血種になるわけでもないため、レウルスは純粋に魔力を補充させる目的で血を吸えと言う。だが、エリザは思い切り反発した。
「嫌じゃ! お、お主それはアレじゃぞ! えーっと……そう、事案じゃぞ!」
「おい馬鹿やめろ。事案とか言うな。その言葉は滅茶苦茶効くんだぞ……」
顔を真っ赤にしていたエリザは両手で目を覆い、それでも指の隙間からチラチラと見ながら叫んだ。そして、その叫びを聞いたレウルスは思わず後ずさる。
今世においては問題にならないとは思うものの、“前世の自分”が酷く怯えている。魂が軋むような痛みを訴えてくるのだ。
上半身裸で自分の血を吸うよう年若い少女に強要する――それはたしかに、事案なのだろう。しかもかなり猟奇的な事案である。
しかしその動揺を辛うじて堪え、レウルスは納得がいかないと言わんばかりに首を捻る。
「魔力を補充する必要があるし、俺は別に血を吸われても構わない……あとはエリザの気持ち一つなんだが、何がそんなに嫌なんだ?」
そこまで嫌がるのならば、無理強いはできないだろう。しかしながら魔力の有無が生死を分けることになるため、納得できる理由を聞きたいレウルスだった。
――事案という言葉に怯んだわけでは断じてない。
「えっと……その……」
エリザは顔を真っ赤にしたまま、困ったように視線を彷徨わせている。
実は自分が気づかなかっただけで、何かしらのデメリットがあったのかもしれない。レウルスはそんなことを考えながらエリザの返答を待つ。
「うー…………」
だが、エリザは何も答えない。唸るような声を出しながら涙目でレウルスを見つめるだけだ。
「……は」
「は?」
「恥ずか、しい……から……」
頬に両手を当て、顔を逸らしながらエリザが呟く。その呟きを聞いたレウルスは、無言で額に手を当てて目を閉じた。
(恥ずかしい……恥ずかしい……恥ずかしい、か)
なんとも反応に困る理由が飛び出してきたものだ。魔力を得る方法があるというのに、恥ずかしいという理由で拒まれるとは思わなかったレウルスである。
しかし、エリザの様子は尋常ではない。どうやらエリザにとっては重要な問題のようだ。
(女心は男が何歳になっても理解できんとは言うが……)
吸血種としての問題なのか、それともエリザ個人の問題なのかはわからない。それでも顔を真っ赤にして涙目で唸っているエリザを前にすると、レウルスとしてはこれ以上何も言えなかった。
レウルスは脱いでいたシャツを着ると、寝台に寝転がる。
「よし、寝るか」
「…………えっ」
あっさりと気分を入れ替えたレウルスとは対照的に、エリザは狼狽したように目を見開く。レウルスはそんなエリザに笑いかけると、自分の隣を叩いてみせた。
「無茶言って悪かったな。明日からはジルバさんもいるし、エリザに無理をさせなくてもなんとかなるだろ。ほら、エリザも疲れてるだろ? 今日はもう寝ちまおうぜ」
「う、うん……」
不安そうな顔でレウルスの隣に寝転がるエリザ。そんなエリザの頭をもう一度優しく撫でると、レウルスは目を閉じた。
「俺、今日滅茶苦茶疲れたし、きっと爆睡するな。多分鐘が鳴っても起きないから、明日寝坊しそうだったら起こしてくれ」
それだけを言い残し、レウルスは宣言通りあっさりと眠りに落ちる。ジルバがいるため安心して爆睡できるのだ。
あとはエリザが血を“吸ってくれるか”どうかだが――翌朝、レウルスが目を覚ますとエリザの魔力が回復していたのだった。
最近殺伐としていたのでほのぼの(?)回など。
どうも、作者の池崎数也です。
読者の方からいただいたご感想から一つ補足など。
Q.兵士と冒険者って強さにどれぐらい差があるの?(意訳)
A.拙作では某龍の玉の物語のように戦闘力といった数値は出ませんが、設定だけはしてあるので以下に記載したいと思います。実際の戦闘では状況や相性で勝敗が変動するので、あくまで参考ということで。
※以下の数値はあくまで強さの目安です。
子ども(10歳以下):1~2
一般女性(町民):1~3
一般男性(町民):3~5
多少荒事に慣れた成人男女(武器なし):5~10
正式に武芸を学んだ成人男女(天才、達人除く):5~30
駆け出し冒険者(適性の武器防具込):5~20 ※作中で言うところの下級冒険者
一人前冒険者(同上):20~40 ※作中で言うところの中級冒険者
一流冒険者(同上):40~60 ※作中で言うところの上級冒険者
新兵(適性の武器防具込):10~30
一般兵(同上):30~50
熟練兵(同上):50~65
将軍クラス(同上):65~80
英雄クラス(同上):80オーバー
冒険者の場合、大体が革装備(革製の鎧や手甲、脚甲など)
兵士の場合、大体が金属装備(金属製の鎧や手甲、脚甲など)
作中ではこういった情報を出せないので、あとがきを借りてみました。
具体的にどのキャラがどれぐらいの強さかまでは書きませんが、『一般的には』装備と訓練の差で冒険者よりも兵士の方が強いよう設定しています。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。