第74話:危険地帯 その4
「……お手数かけてすいません」
「いえいえ。相手があのカーズでは仕方がありません。むしろよく生き残りました」
レウルスはジルバに背負われ、マダロ廃棄街へと帰還した。エリザは『詠唱』の自爆だけでレウルスよりも軽傷のため、レウルスを心配そうに見ながら後ろをついて歩く。
ヒクイドリ――どうやらカーズと呼ぶらしいが、一匹目はレウルスが倒し、二匹目はジルバが倒している。マダロ廃棄街に迫る脅威が全て解決したとは言えないが、少しは落ち着けるだろう。
ヒクイドリの死体についてはマダロ廃棄街の冒険者達が回収を代わってくれたため、レウルスは治療を優先するため一足先にマダロ廃棄街に戻ったのだ。
「しかし、何故カーズがこの国にいるんでしょうね……生息域はラパリだけだったはずですが」
「ジルバさんはあの鳥について詳しく知っているんですか?」
レウルスを背負ったまま歩くジルバだが、怪訝そうに首を傾げている。レウルスは『熱量解放』を解除したことで全身から激痛の大合唱が響いていたが、それを堪えながら尋ねた。
「ええ。何度か国外にも行ったことがあると言ったでしょう? その時に遭遇しまして……今回は炎を纏っていなかったので一撃で殺せましたが、仮に炎を纏っていたら手こずったでしょうね」
「は、はは……俺が戦ったやつは炎を纏ってましたよ……土砂で目潰ししてくるわ、フェイント……じゃない、攻撃する振りを何度もされて、キマイラ並に強敵でした……」
「それはそれは……よく御無事でしたね」
レウルスを背負うジルバだが、その両手が白く輝いている。それは治癒魔法の光であり、背負うついでに大火傷を負ったレウルスの腕を治療しているのだ。
どうやらジルバは補助魔法だけでなく治癒魔法も使えるらしく、レウルスの腕も少しずつ火傷が塞がっていく。
エリザとの『契約』によって自己治癒力も高まっており、時間を追うごとに体が楽になっているような感じがする。だが、治癒魔法のように劇的な回復効果はないようだった。
(以前は傷がすぐに治ったんだけどな……切り傷と火傷じゃ違うのか? それとも条件が違う?)
エリザと『契約』を交わした時は、骨が見えるほどの傷を負っても十秒ほどで治ってしまった。しかし今回は回復するべき範囲が広すぎるのか、それとも火球の直撃で痛む内臓の回復の優先しているのか、回復には時間がかかっている。
「レウルス君! エリザさん!」
マダロ廃棄街の門を潜り、大通りを進んでいるとウェルナーが駆け寄ってきた。おそらくは町全体の指揮を執っていたのだろう。ジルバに背負われたレウルスと血だらけのエリザを見ると、その表情を悔しそうに歪める。
「……加勢もできず、申し訳ない」
「いや……下手に加勢をしてたら死んでたよ。俺も死にかけたし……」
ヒクイドリが二匹いたのならば最初から言ってほしかったが、ウェルナーも知らなかったのだろう。二匹目のヒクイドリと比べて一匹目は無傷そのものであり、魔力も潤沢だったのだから。
「……そちらの方は?」
レウルスとエリザの状態を確認したウェルナーの視線がジルバの方へと向けられる。その視線には強い警戒心が浮かんでおり、レウルスは痛む体に辟易としながらも苦笑した。
マダロ廃棄街のような閉鎖された環境では、見知らぬ相手を警戒せずにはいられないのだろう。町の中には精霊教の教会もないのか、大精霊を象った首飾りをつけているジルバを油断ならない目で見ている。
「精霊教徒のジルバさん。俺の知り合いで、“二匹目”の鳥を倒してくれた人だよ」
「あの魔物は一匹ではなかったんですか!? しかし、そうですか……」
ヒクイドリが一匹ではなかったと聞き、ウェルナーは目を見開いて驚く。
それでも、レウルスの知り合いかつ二匹目のヒクイドリを倒したと聞いてウェルナーは表情を和らげた。
「助かりました。礼を言います」
そう言って頭を下げるウェルナー。ダリオならば盛大に文句を言いそうだが、恩人相手に礼を尽くさないのは筋が通らないという思いがあった。
「お気になさらないでください。私はレウルスさんとエリザさんを訪ねようと思っていたところ、たまたまエリザさんの魔法を見て駆けつけただけですから」
「そうですか……」
真意を問うような視線を向けてくるウェルナーに対し、レウルスはしっかりと頷いてみせる。
「この人は問題ないさ。精霊教徒だけど、ラヴァル廃棄街でも“個人”としては色々と付き合いがある人だ……それに、あの鳥についても知ってるらしくてね。どの部位がどれぐらいの値段で売れるか教えてもらおう」
命懸けで倒した獲物なのだ。二匹目のヒクイドリについてはジルバに全てを譲るとしても、一匹目の報酬は受け取りたいレウルスだった。もちろん、ジルバへの礼は別途行うつもりである。
旅の間で世話になったこともそうだが、今回は命を救われたのだ。ジルバ本人は気にしないように言うだろうが、レウルスとしては捨て置けない。
(ラヴァル廃棄街に生きて戻れたら、また教会に寄付しに行くか……)
ジルバ本人に礼をすることもそうだが、教会へ寄付した方がジルバも喜ぶだろう。教会の子どもたちに魔物の肉でもプレゼントするか、もしくは服でも買い与えても良い。
「ああ、ところで……」
そんなことをレウルスが考えていると、ジルバがウェルナーに穏やかな笑みを向けた。
「ウェルナーさんと仰いましたか。あなた……グレイゴ教徒ではないですよね?」
「……はい?」
(これさえなければ本当に良い人なのに……)
そう思わざるを得ないレウルスだった。
マダロ廃棄街の料理店に運び込まれたレウルスは、椅子に座りながらジルバの治療を受けていた。
「レウルス……本当に大丈夫か? 痛くないか? 死んだりせんか?」
「痛いけど死なないからいい加減落ち着け。あと、お前も血だらけなんだから体を拭いて着替えてこいよ」
ジルバが治癒魔法でレウルスの両腕を治している間、エリザがその周囲をウロチョロしながら心配そうな声をかけてくる。レウルスは苦笑を浮かべてまずは着替えるように言うが、エリザは頑として頷かなかった。
「でも、目を離している間に何が起こるかわからないし……」
そう言ってレウルスが負った傷を痛ましそうに見るエリザ。当のエリザも『詠唱』の自爆によって全身傷だらけだったが、吸血種の自己治癒力を発揮して既に完治している。
それでも流れた血まで消えることはなく、全身を朱に染めたままでレウルスの周囲を動き回っている姿を見ると、何も知らない人は幽鬼かゾンビでもうろついていると勘違いしそうだ。
「いいから着替えてこいって。服もボロボロだし、そのまま破れてストーンって落ちてくるぞ」
「誰が引っかかる場所もない貧相な体じゃ!?」
レウルスが指摘すると、エリザは顔を真っ赤にしながら叫ぶ。しかしながらレウルスの言葉が実現する可能性もあったため、顔を赤らめたままで借りている部屋へと大股で進み始めた。
「慕われていますね」
「心配性なだけですよ……アイツの場合、それも仕方ないんですがね」
ジルバが微笑ましそうな顔でレウルスとエリザのやり取りを見ていたが、レウルスとしてはそう答えるしかない。
レウルスも両親を失っているが、“中身”がそれなりに歳を取っているため家族への情はそれほど強くなかった。絆を深める前に魔物に殺された両親に対して嘆く思いはあるが、ほとんど言葉を交わすこともなかったのである。
だが、エリザの場合は違う。吸血種だと知られても自分を守り、故郷を追われても一緒にいてくれた家族が皆殺しにされたのだ。
それ故に、エリザは親しくなった人間を失うことを極端に恐れている。特にレウルスの場合はエリザが吸血種だろうと気にせず、『契約』まで交わしたのだ。“思い入れ”は強いだろう。
「それでジルバさん、あの鳥について詳しく話を聞きたいんですが……」
二匹倒したが、それで最後だという保証もない。化け熊や翼竜と違って情報がない以上、知っている人間から聞くのは当然だろう。
途中で合流したウェルナーもついてきており、マダロ廃棄街の組合長へ報告するためか目が粗い紙でメモを取ろうとしている。
「あの魔物はカーズと呼ばれている魔物で、階級は中級中位です。火炎魔法と補助魔法を使う強力な魔物で、時を経た個体ならば中級上位に数えられます」
(多分、俺が倒した方は中級上位だったんだろうな……あれで中級中位だったら階級詐欺だろうし)
ジルバの説明を聞いたレウルスは内心で呟く。あれほど戦闘経験が豊富な魔物と戦ったのは初めてだったが、戦っている最中は何度も手玉に取られてしまった。
むしろ“あれ”がヒクイドリの標準だったのだとすれば、成熟した個体がどれほど強いのか想像できなくなる。
「魔物としては珍しく、カルネのように複数で行動することが多いですね。単独でいることもありますが、番いもしくは家族で群れを形成して外敵から身を守る習性があります」
カルネ――かつてレウルスが襲われたこともある犬の魔物だ。その時は三匹で襲ってきたが、ヒクイドリが複数同時に襲ってきたらと思うと洒落にならない。
「高値で売れる素材は羽と革、それとトサカですね。羽と革は強力な耐火能力がありますし、トサカは魔力が蓄えられていて魔法薬の素材になります。あとは足の爪周辺が頑丈なので、防具の素材として売れたはずです」
自分で発現した炎を身に纏っても無事だったのだ。羽も革も高い耐火性能があるらしく、レウルスは興味が湧いたように片眉を跳ね上げる。
「ちなみにいくらぐらいで売れるんです?」
「おおよその相場ですが、全身の羽をむしって2000ユラ、革は500ユラ、トサカは1500ユラ前後だったかと。討伐報酬は4000ユラ程度ですね」
ちなみに爪は300ユラです、とジルバが付け足す。
討伐報酬と素材の売値で合計8300ユラ――日本円で言えば83万円程度らしい。キマイラの時よりも若干安いが、それでも十分な大金だろう。
(あれ? でも命懸けと考えると滅茶苦茶安い気が……)
三、四匹倒せば家のローンも返せるが、それはさすがに無茶だ。現にレウルスは重傷を負った上、装備もその多くが使い物にならなくなった。
胴体を守っていた革鎧は爆散し、手甲も焼けて強度が下がっている。それらを新調する代金を考えると、赤字とは言わないがかなり目減りするだろう。
「目的の魔物は倒したし、依頼達成ってことでラヴァル廃棄街に帰れないかなぁ……」
「君たちが帰ったら、そのままマダロ廃棄街が地図から消えそうだけどね……同じ冒険者としては危険を冒せとは言えないけどさ」
マダロ廃棄街がラヴァル廃棄街への救援依頼を出すことになったのは、ヒクイドリが出たからだ。そのヒクイドリはジルバが倒したが、レウルスがもう一匹倒している以上、他にいないとは断言できない。
それだけでなく化け熊も周囲をうろつき、レウルスは遭遇していないが翼竜と呼ばれる魔物もいるのだ。主要な戦力が戦線離脱しているマダロ廃棄街では、到底対抗できないだろう。
「私もマダロの教会から依頼を受けましてね。このままでは一般の信徒にも不安が広がるので、なんとか騒動を収めてほしいと言われまして……」
どうやらジルバも似たような用件でマダロを訪れていたらしい。それが真実かどうかはレウルスにもわからなかったが、わざわざ嘘を吐く理由もないだろう。
「マダロの精霊教徒や精霊教師は自力で解決しようとはしなかったんですか? もしくはマダロ側に掛け合って兵士を出してもらうとか……」
一応確認をするレウルスだが、ジルバは不思議そうな顔をする。
「精霊教はグレイゴ教の糞共と違い、精霊様や大精霊様に感謝を捧げ、日々の糧とすることを教義としているのですよ? 人間の信徒の中には魔物と戦える者などほとんどいませんし、兵士の方にも相談するのが精々です」
(でも精霊教徒の“例外”が俺の目の前にいるわけで……)
密かにウェルナーに視線を向けてみると、『この人は何を言っているんだろう』とでも言いたげな顔でジルバを見ていた。
中級の魔物を一撃で仕留めるジルバはあくまでも例外なのだろうが、ジルバを見ていると他の精霊教徒が戦えないというのも嘘臭く思えてしまう。
もしかするとジルバと比べて戦えないだけで、実際には中級の冒険者クラスの人材がゴロゴロと存在している可能性もあった。詳しく聞くのは怖かったため、レウルスも尋ねることはしなかったが。
「そのため私もあちこちの教会に呼ばれるのですが、今回は解決するのが難しそうですね」
「そうなんですか?」
いっそのことジルバ一人で突撃させれば全部片付きそうな気もするが、当のジルバはそう思っていないらしい。
「ええ……場所が場所だけに、魔物が暴れている“原因”を把握するのも困難でしょう。中級の魔物が一匹一匹行儀良く向かってくるのなら何とかなりますが、カーズが複数で襲ってくる危険性を考えると調査も難しいんです」
「……ジルバさんでもですか?」
先ほど一撃でヒクイドリを殺したジルバならば、例えヒクイドリが十匹単位で襲ってきても瞬殺しそうである。そう考えたレウルスだったが、ジルバは苦笑しながら首を横に振った。
「何か勘違いされているようですが、私など大したことはありませんよ。話に聞いた限り、レウルスさんが戦ったカーズが相手となると無傷で勝つことは難しいでしょう。負けるとは思いませんが、ある程度の負傷は覚悟する必要があります」
(それでも負けるとは思わないんですね……)
そんな言葉を飲み込み、レウルスは頭を振る。レウルスが倒したヒクイドリを相手にした場合、ジルバでも無傷では勝てないらしい。そうなると、今回の依頼の危険度が一気に増したように感じられた。
「一応聞いておきますけど、マダロの町から兵士が出てくるってことはないんですか?」
それならば正規の訓練を受けた兵士に頑張ってほしい。上級ではないが、中級の魔物が複数暴れている現状を鑑みれば出動しても良さそうなものだ。
「あー……レウルス君、それはちょっと、ね……」
レウルスの言葉に反応したのはウェルナーだった。苦笑とも呼べない曖昧な笑みを浮かべ、視線を逸らしながら頬を掻いている。
「廃棄街の“役割”は知ってるけど、今回は度が過ぎてるだろ? あの鳥の火炎魔法を撃ち込まれたら城壁にも穴が開きそうだけど……」
「うん、きっと開くだろうね。でも軍を動かして魔物を倒すとなると、今度は別の問題が出てくるんだ」
「問題?」
それは予算という名の誰もが抗えない問題のことだろうか。しかしながら自分達が住まう町に被害が及ぶとわかっていて、予算を理由に戦わないのは如何なものかとレウルスは思う。
「このマダロ廃棄街から南東に行くと、ヴェオス火山がある。そこは火龍の存在もあって、近隣二国との非戦闘地域になっているんだよ。暗黙の了解程度の話だけど、“兵士”を動かして魔物退治となると、ね……」
「…………」
どうやら予算よりも危険な問題が潜んでいたようだ。レウルスが言葉を失っていると、ウェルナーは肩を竦める。
「僕達冒険者なら……まあ、“自己責任”で山に近づいても良いさ。十中八九死ぬだろうけどね」
「……腕利きの兵士を冒険者ってことにして送り込むのは?」
「それをやったら他の国も同じことをやり始めるよ。そして、それで騒げばさらに大きな問題が起こる」
国同士の争い以上に厄介なことがあるのか。そんなうんざりとした気持ちで顔を顰めるレウルスに、ウェルナーは同感だと言わんばかりに顔を顰めた。
「火龍がね……」
「うん、わかった、わかりました。兵士の手が借りられないってのもよくわかったし、自分が今とんでもない危険地帯にいるってよく理解できたよ」
マダロにも兵士はいるらしいが、専守防衛らしい。マダロ廃棄街が崩壊するような事態にならなければ、本格的に動くことはないようだ。
そして、そんな状況になっても火龍が怖くて必要以上には動けないらしい。
「……火龍ってそんなに強いのか?」
興味半分、怖いもの見たさ半分で尋ねるレウルス。すると、ジルバが真顔になって答えた。
「成体の属性龍は最早魔物の形をした災害と思ってください。どんな性格をしているかによりますが、仮に戦うとなると一国が総力を挙げて挑む必要があるでしょう」
「……ジルバさんでも勝てない?」
「十回に一回、生きて逃げ切れれば僥倖といったところでしょうか……」
勝てる勝てない以前に、逃げることさえ覚束ないようだ。
「よっぽど刺激をしなければ火龍も襲ってはこないでしょう。ですが、襲ってくるかもしれない場所で、中級の魔物が暴れている原因を調査して、それを解決する必要があるのです」
(これはもう、ラヴァル廃棄街に帰っても怒られないんじゃないか?)
救援依頼で要請されたヒクイドリは倒したのだ。これ以上危険に踏み込む必要もなく、さっさと撤退する方が利口だろう。ヒクイドリの討伐報酬と素材の売却額、更に依頼の達成報酬があれば家のローンも払えるはずだ。
レウルスがウェルナーに視線を向けてみると、さすがに命を賭けろとは言えないのか渋面を作っている。
ヒクイドリ一匹倒しただけで死にかけたのだ。その上で火龍が現れるかもしれない場所に赴き、今回の騒動の原因を探れというのは無理難題にもほどがあるだろう。
だが、それでも。
「レウルスさん……このような頼みごとをするのは非常に心苦しいのですが、少しで良いので力を貸していただけないでしょうか?」
つい今しがた“命を助けられた”ジルバにそう言われて、断れるレウルスではなかった。
どうも、作者の池崎数也です。
前回の更新であとがきを書き忘れましたが、感想数が500件を超えました。
毎度ご感想をいただきありがとうございます。作者のモチベーションになっています。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。