第71話:危険地帯 その1
マダロ廃棄街に到着した翌日。
寝泊りをする場所として料理店の一室を借りたレウルスは、化け熊以外に警鐘を鳴らす必要のある魔物が来なかったことに安堵しながら目を覚ました。
四日間という短い期間ながらも、安眠できない旅だったからか少しばかり疲労を感じる。それでもこのまま二度寝するわけにもいかず、レウルスは一度だけ欠伸をしてから寝台から起き上がった。
警鐘が鳴ったらすぐに飛び出す必要があるため、装備一式は身に着けたままである。疲労が抜けにくい原因はそれだろう。それでも長年農奴として生きてきた体は頑丈そのものであり、疲労は感じていても動けないということはない。
「んー……れうるすぅ……」
そんなレウルスと同じ寝台で眠っていたエリザは、魔法使いということもあって装備が少なく、それなりに熟睡しているようだ。寝言でレウルスの名前を呼んでいるが、そろそろ目が覚めるだろう。
レウルスはエリザを起こさないよう静かに寝台から降りようとするが、装備を身に着けているためどうしても音が立ってしまう。その音でエリザは目を開くと、欠伸をしながら体を起こした。
「ふぁ……おふぁよう……」
口元に手を当てて欠伸を隠すこともなく、心底から気を抜いた様子で挨拶をするエリザ。そんなエリザの様子にレウルスは苦笑すると、部屋の隅に置かれていた小さい壺から水を掬い、手ぬぐいに軽く振りかける。
「おはよう。ほら、これで顔を拭け」
「むー……拭いてほしいのじゃ」
どうやら今日は甘えたい気分らしい。レウルスは苦笑を深めながらエリザの顔を拭くと、ついでに自分の顔も拭く。
借りている部屋はそれほど広くなく、木製の寝台と小さな机が一つあるだけだ。床には旅の道具を詰めていたリュックが置いてあり、壁にはドミニクの大剣が立てかけてある。
当面はこの部屋で寝泊りすることになるだろうが、あまりにも殺風景すぎた。それでも寝る場所があるだけまだマシか、とレウルスは内心だけで呟き、壁に立てかけていた大剣を背負う。
いつ、どのタイミングで魔物が襲ってくるかわからないのだ。常に装備を身につけておく必要があり、それは武器の大剣も然りである。
さすがにリュックなどは部屋に置いておくが、急速に『魔物喰らい』の名が広がりつつあるマダロ廃棄街で盗みに入る者もいないだろう。
エリザもしっかりと目を覚まし、準備ができたら部屋から出る。借りている部屋は料理店の二階にあり、建物の構造はドミニクの料理店と同じだった。
「おはようございます……ん?」
一階にある食堂に足を踏み入れると、早朝だというのに人影があった。その人物の顔を見たレウルスは思わず片眉を跳ね上げる。
「えーっと……ダリオ、さん?」
一体いつからそこにいたのか、昨晩一悶着を起こしたダリオの姿があった。ダリオは椅子に座り、レウルスの顔を見るとバツの悪そうな顔をする。
「よお……さんはいらねえ。ダリオでいい」
「そうか? それならダリオ、朝からどうしたんだ? 鐘は鳴ってないよな?」
外の気配に意識を向けてみるが、特別騒がしい様子ではなかった。ダリオも革鎧一式と刀身が一メートルほどの長剣を装備しているが、殺気立った様子もない。
レウルスの問いかけに対し、ダリオは視線を逸らしながら禿頭を掻く。しばらくの間あちらこちらに視線を彷徨わせていたが、やがてため息を吐いて頭を下げた。
「昨日の詫びに来たんだ……いきなり絡んで悪かったな。身内が何人もやられてて虫の居所が悪かったんだ。そこにラヴァル廃棄街から救援が来たって聞いたが、それが中級にもなってないガキだって聞いてな……」
「ああ……」
マダロ廃棄街が置かれている状況は極めて悪い。そんな状況で援軍が来たと思えば、自分よりも年下で冒険者としての階級も下だったのだ。憤る気持ちもレウルスには理解できた。
「逆の立場ならって考えるとその気持ちもわかるし、謝罪はウェルナーさんからもしてもらった。水に流すさ」
「……すまん」
落ち着いて話してみると、存外気の良い男らしい。レウルスは気にしていないと言わんばかりに手を振ると、店主の老人に視線を向ける。
「朝飯は食ったか? もしよければ一緒に食おうぜ」
「おう。それなら詫びに奢らせてもらおうか」
レウルスの態度から怒りを感じなかったのか、ダリオの表情も和らいだ。レウルスはダリオの申し出をありがたく受けると、いつの間にやら背後に隠れていたエリザを連れてダリオの対面の席に座る。
「あー……昨日も気になってはいたんだが、そっちの嬢ちゃんも強いのか? 下級下位って聞いたが、下級上位のレウルスがそんなに強いんだ。そんなナリでも何かとんでもないことを仕出かすとか……」
チラチラとエリザを見ながらダリオが尋ねた。どうやらレウルスと“同類”ではないかと疑っているようである。
「いや、エリザはつい最近冒険者として認められたばかりだし、戦闘ではそこまで役に立たねえよ」
「そうなのか……」
「ただ、下級の魔物がエリザを見ると逃げるし近くには寄ってこないんだ」
「なんだそれすげえな!?」
今のところ戦力としてアテにするのは難しいが、それを補って余りある特性がエリザにはあった。そのため簡単にそれを説明すると、ダリオは目を見開いて驚きの声を上げる。
他にも『契約』を交わしているレウルスの自己治癒力を高めたり、魔力を送って身体能力を強化してもいるのだが、その辺りの情報はエリザが吸血種であることにも絡むため伏せるレウルスだった。
「そういった『加護』みたいなものがあるんだよ。中級の魔物には通じない……かどうかはまだ未知数だけど、エリザがいれば下級の魔物は追い払えるのさ」
「へぇ……こんなちっこい嬢ちゃんがなぁ。装備を見る限り魔法使いだろ? 魔法は何か使えるのか?」
感心したような視線を向けてくるダリオに、エリザは恥ずかしそうにしながらも胸を張る。褒められて嬉しいようだ。
「一応雷魔法が使えるけど、魔力量がな……とっておきさ。できれば使わないに越したことはない」
「切り札か……いいねぇ、光明が見えてきやがった」
ただし、『詠唱』しないと使えない上に自爆して負傷し、なおかつ威力も消費する魔力量に見合わない低さになる。それを切り札と呼んで良いのか、レウルスとしては謎だった。
それでも、エリザがこの場にいる理由と意味を明かしておかなければ、マダロ廃棄街の面々としても扱いに困るだろう。
普段はレウルスが前面に立ち、エリザはとっておきの切り札として後方に控える。嘘は言っていないが、事実とも言い難いそれを曖昧にぼかしながら伝えるレウルスだった。
朝食として水と少々硬い黒パン、さらに昨晩仕留めた化け熊の肉と野菜が煮込まれたスープを食べながら、レウルスはせっかくの機会だと思って尋ねる。
「昨晩は聞きそびれたんだけど、中級上位の魔物は何が出るんだ? 見てのお楽しみとか言わないでくれよ?」
「ああ……その辺りは説明してなかったな」
聞けばレウルスが逃げると思ったのか、ウェルナーも説明してくれなかったのだ。そのためダリオに尋ねてみると、ダリオは顔を顰めながら乱雑に黒パンを噛み千切る。
「翼竜だ……戦ったことは?」
「名前を聞いたことすらなかったよ。しかし、翼竜? 龍種って上級じゃないのか?」
属性龍は確実に上級らしいが、龍種は全体的に階級が高かったはずだ。
「翼竜は亜龍だ。何百年と生きている翼竜なら上級に数えても良いのかもしれねえが、今回は若い個体らしくてな。中級上位で間違いはねえだろうよ」
「ふむふむ……」
翼竜と言うからには、翼が生えた“竜”なのだろう。そう考えたレウルスは思わず額に手を当ててしまう。
「……飛ぶのか?」
もしも相手が空を飛ぶのなら、レウルスの攻撃手段はほぼなくなる。
気合いを――魔力を込めて大剣を振るうと多少離れている相手を斬ることができるが、さすがに空を飛ぶ相手には届かないだろう。射程などは測っていないが、精々数メートルだろうとレウルスは見ている。
いくらなんでも中級上位の魔物を投石で叩き落とせるとも思えず、もしも翼竜が空を飛ぶのなら何かしらの対策を講じる必要があった。
「いや……滑空ぐらいはできるみたいだが、自力で飛んでるところを見たって話は聞かねえな。大きさは4メルトから5メルトで、翼はあるが体ほど大きくないんだ。あと火炎魔法を使ってくる」
しかし、レウルスの問いかけを受けたダリオは僅かに悩んでから否定する。
仮に翼竜が空を飛んでいたら、早速エリザの“切り札”を見せる必要があっただろう。飛んでいる鳥を落とせるかもわからない、博打要素の強い切り札だが。
「地面に足をつけて移動してるなら……まあ、なんとかなるか? それなら中級中位の魔物はどうだ? 名前も知らないみたいだけど……」
翼竜も気になるが、名前すらわからない魔物の方も気になる。そう思ってレウルスが尋ねると、ダリオの顔付きは厳しさを増していく。
「外見は……そうだな、真っ赤な鳥だ」
「鳥? それなら……」
「いや、飛ばねえよ。遠目に見た限りだが、大体3メルトぐらいか? でかい胴体に両足と首をくっつけたような……飛ばない代わりに滅茶苦茶速いんだ。あと、火炎魔法を使ってくる」
鳥の魔物ならば、今度こそ飛ぶのか。そう思ったレウルスだったが、またもや飛ばないらしい。
「……火炎魔法を使う魔物が多くないか?」
だが、飛ばないことは脇に置くとしても、先ほどから火炎魔法を使うとしか聞いていない気がする。昨日交戦した化け熊も火炎魔法を使ってきたが、この地域には火炎魔法を使う魔物が集まっているのかと真剣に悩むほどだ。
「土地柄……かねぇ? この町から南東に行ったら何があるか知ってるか?」
「ヴェオス火山だろ?」
スープに沈んでいた化け熊の肉を噛み千切りながら言うと、ダリオは真顔で頷く。
「俺もウェルナーの兄貴から聞いただけだが、火山の近くには火炎魔法を使う魔物が集まりやすいらしい。逆に寒い場所なら氷魔法を使う魔物が多かったりな」
「へぇ……そりゃ初耳だ」
出会い方は悪かったが、ダリオは中級の冒険者らしく魔物に関する知識もそれなりに豊富なようだ。
レウルスはためになるな、と思いながら話を聞き――料理店の外から鐘の音が響いてくる。それは時刻を知らせるためのものではなく、緊急事態を知らせる警鐘だ。
「人がメシを食ってる時に……」
ストン、とレウルスの機嫌が急降下した。それでも緊急事態にのんびり食事を続けるわけにもいかず、残った物を全て口に放り込んでいく。
「ごっそさん……って、ダリオ?」
「この鐘の打ち方は……早速お出ましだぞ。中級中位の魔物だ」
昨晩の化け熊に続き、今度は正体不明の魔物が現れたようだ。
(……んん? あれ? なんだっけ……)
エリザを抱きかかえて料理店を飛び出し、マダロ廃棄街の外壁に到着したレウルスは、遠目に見えた魔物の姿に引っかかるものを感じた。
櫓に登って見張りをしていた者が発見したのだろう。マダロ廃棄街から見て南東の方角にある森の中から、一匹の魔物が姿を見せていた。
今しがたダリオに聞いた通り、“その魔物”は遠くからの目測で三メートル近い体躯を持っている。鳥類らしい豊かな毛羽は真紅に染まっており、色を気にしなければダチョウのような造形だった。
(おっかしいなぁ……ダチョウっぽいけど、ダチョウってトサカがあったっけ?)
鳥の魔物は真っ赤なダチョウに見えたが、遠くから見ると角にも見えるほど巨大なトサカがあった。ダチョウの頭にニワトリのトサカを移植したような格好であり、レウルスの脳裏では前世の記憶がチクチクと警告音を鳴らす。
他の特徴を挙げるとすれば、筋肉が発達しているのか脚がかなり太い。それでいて地面を蹴り付けるための爪は金属のように硬質そうで、飛び蹴りでも食らえば金属板を貫通しそうだ。
『ヴォッ、ヴォッ……ヴォオオオオオオオオオオオオォォッ!』
威嚇のつもりなのか、その鳥は嘴を開いて空気を震わせるような咆哮を上げる。その咆哮は衝撃すら伴っており、距離が離れていたというのに警鐘を聞いて飛び出してきた下級の冒険者の中には尻餠をつく者がいるほどだ。
何はともあれ、襲ってくるのならば戦うしかない。残念ながらエリザを連れてきても逃げ帰る様子はなかった――ただし、時折チラチラと視線を向けているが。
「ダリオ、あれが中級中位の魔物で間違いないか?」
「ああ……気を付けろ。あいつの火炎魔法はかなり危険だ」
そう言えば、火炎魔法を使うと言っていた。レウルスはエリザを地面に下ろすと、背負っていた大剣に手を伸ばす。
「ハッ、自分で火を吐いて焼き鳥になろうってか? 準備が良い奴は大好きだよ」
初めて戦うどころか、初めて見る魔物である。緊張を隠すために軽口を叩いて大剣を抜き、肩に担いだ。
(ん? 火炎魔法……鳥の魔物……火……鳥……ヒクイドリ?)
そんな名前の鳥が前世でいたような気がする。しかしながら、世界が違えば名前も違うだろう。そもそも、そのヒクイドリがどんな鳥だったかも覚えていないのだ。
『ヴォ……ヴォオオオオオオオオオォォッ!』
再びの咆哮と共に、真紅の鳥が森から飛び出してくる。それに合わせ、レウルスもマダロ廃棄街から飛び出すのだった。
Q.ヒクイドリって何?
A.ギネスブックに載っている世界一危険な鳥
どうも、作者の池崎数也です。
葉っぱさんからレビューをいただきました。これで4件目のレビューです。ありがとうございます。
毎度ご感想やご指摘もいただきまして、本当にありがとうございます。昨晩の更新から評価ポイントも伸びててビックリしました。感謝感謝です。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。