第68話:マダロ廃棄街 その1
ラヴァル廃棄街を出発して四日目。太陽が傾き、地平を赤く照らし始めた時間帯にレウルス達はマダロに到着した。
マダロはラヴァルと同様に城塞都市だが、その防備はラヴァルと比べても堅固である。
石で造られた高く分厚い壁がマダロの周囲を二重に囲い、さらには水堀も二重に設けられていた。侵入するには水堀を渡り、城壁を超え、再び水堀を渡り、そしてもう一度城壁を超える必要がある。
ラヴァルと比べて城壁が高く作られており、加えて物見櫓がいたるところに見受けられた。目を凝らしてみると、弓を持った兵士が多数配置されている。
(ここって国境からはまだ遠いんだよな? てことは、ヴェオス火山への備えなのか?)
その厳重な警戒ぶりに、レウルスはうすら寒いものを感じた。これほど警戒する必要があるという事実だけで嫌な予感が止まらない。
「私はマダロの教会に向かいますが、レウルスさんとエリザさんはどうされますか? お二人さえ良ければ喜んで歓迎させていただきますが……」
「いえ……お気持ちは嬉しいですけど、救援の依頼なんですぐにマダロ廃棄街に行きたいと思います」
正直に言えばマダロに入ってみたい気持ちもあったが、化け熊を抱えたままのジルバと一緒に入るのは色々と遠慮したかった。もちろん、言葉にした通りマダロ廃棄街の状況を早めに確認したい気持ちもあったが。
「そうですか……それでは私はこれで失礼しますね。後日マダロ廃棄街の方に伺わせていただきますので」
「お世話になりました」
「また今度会おうぞ」
マダロ廃棄街の場所だけ教わり、レウルス達はジルバと別れる。数百キロはありそうな化け熊を持っていても足取りが揺るがないジルバを見送ると、レウルスはエリザの頭に手を乗せた。
「よし、それじゃあ俺達も行くか」
「うむ……今晩はゆっくりと眠りたいのじゃ」
四日間の旅だったが、安眠できなかったため疲れているのだろう。エリザの返事には元気がなく、レウルスは苦笑しながらエリザの荷物を肩に担ぐ。
「エリザはもっと体力をつけないとな」
「ぬぅ……わかってはいるぞ? ただ、ジルバさんのおかげで『強化』の感覚も少しは掴めたし、ほどほどで良いと思うんじゃが……」
「何事も体力が基本だ。ほら、行くぞ」
唇を尖らせるエリザに苦笑し、レウルスは歩き出した。
マダロ廃棄街があるのは、マダロから見て南東の方角である。方向的に考えると、ヴェオス火山とマダロの間にあるのだろう。
一体どんな理由があってそのような場所に町が作られているのか――それは明白だ。ヴェオス火山周辺の魔物に対する餌なのだ。
ラヴァル廃棄街の“役割”を知るレウルスとしては、叶うことなら今すぐラヴァル廃棄街に帰りたかった。
だが、家のローンを完済するためには今回の依頼を達成するのが手っ取り早いというのも事実である。それどころか倒した魔物によっては家具類の購入資金にもなるのだ。
今の体に生まれ変わって以来、置かれた環境からそういった物欲には乏しくなったと思っていたが、いざ自分の家が手に入ると家具等を充実させたい気持ちが強く出てきた。
(ま、それも今回の依頼を達成させないことにはどうにもならないけどな)
中級中位の魔物が出たため救援を要請されたわけだが、依頼を達成しないことには家具どころかローンの返済すらできない。
詳しい依頼内容についてはマダロ廃棄街で聞くことになっていたが、ジルバから聞いたヴェオス火山のことが気になって仕方がなかった。
それでもまずは話を聞かないことにはどうにもならない。そう判断したレウルスはエリザと共に夕暮れの中を歩き、数十分でマダロ廃棄街に到着する。
「あれがマダロ廃棄街か……」
「ラヴァル廃棄街と比べて物々しいのう……」
遠目に見えたマダロ廃棄街の外観に、エリザが不安そうな声を漏らした。土地柄なのか、マダロ廃棄街はラヴァル廃棄街と比べて防備が整っているのだ。
ラヴァル廃棄街は周囲を木の柵で囲い、ところどころを土壁を補強しているだけである。
それに比べ、マダロ廃棄街は周囲全てを土壁で囲んでいた。高さは三メートルほどあり、厚さも二メートル近い。余程しっかりとした造りなのか、土壁の上には木製の櫓も組まれていた。
さらに、堀の類はないものの木の柵が町の外部に何重にも築かれている。町の周囲全てを囲っているわけではないが、土壁と合わせればそれなりの防衛力を発揮するだろう。
それらの防衛設備に目を丸くしつつ、レウルスとエリザはマダロ廃棄街の門へと向かう。すると、門の周辺で見張りを行っていた冒険者と思わしき男達が駆け寄ってきた。
「何者だ……っと、“同業者”か」
それぞれ革鎧に身を包み、剣や槍を手に携えて警戒していたが、レウルスとエリザが冒険者の登録証を見せるとすぐに警戒を解く。
どんな挨拶をしたものかと僅かに悩んだレウルスだったが、相手は自分と同じ冒険者だ。下手にへりくだる必要もないだろう。
「依頼を受けて来た。ラヴァル廃棄街の下級上位冒険者、レウルスだ」
「ワシは下級下位冒険者のエリザじゃ」
しかし、自己紹介をすると男達の表情が変わる。ある者は呆気に取られ、ある者は落胆したように肩を落とした。
「はあ? おいおい、たしかに救援要請はしたが、来たのが中級にもなってないヒヨッコだぁ? 死体を増やされても困るんだがな」
不満が滲んだ物言いだったが、レウルスとしても相手の立場になればその不満は理解できる。
中級中位の魔物を倒すために救援を依頼したというのに、来たのが下級の冒険者なのだ。外見もレウルスは問題ないのだろうが、エリザは成人していない子どもで女である。到底戦えるようには見えないだろう。
もっとも、ラヴァル廃棄街を代表してこの場にいる以上、あまり舐められるわけにもいかない。レウルスは相手の心情を理解しつつも、敢えて表情を厳しいものに変えた。
「うちの組合が依頼を達成できると判断したから俺達を選んだんだ。文句があるならこのまま帰らせてもらうぞ?」
これで『帰れ』と言われるとレウルスとしても困るのだが、ラヴァル廃棄街の面子を守るためにも強気の態度を取る。見張りの男達は顔を見合わせると、それぞれ困惑した様子で目線を交わした。
「……腕に覚えがあるんじゃないか?」
「いや、そうだとしても下級上位だ。役には立つだろうが、わざわざ救援で来た奴を死なせるのは……」
「ラヴァル廃棄街も人手不足じゃないのか? レウルスって奴はともかく隣のガキは……いくらなんでも女の子を死地に送り出すのは駄目だろ」
ぼそぼそと言葉を交わすが、その全てが聞こえている。落胆もあるのだろうが、どちらかといえばレウルスとエリザを危険に晒すことに難色を示しているようだ。
場所は違うが、同じ冒険者ということでそれなりに仲間意識を感じてくれているらしい。
そのためレウルスはわざと浮かべていた厳しい顔つきを引っ込め、苦笑を浮かべる。
「全部聞こえてるよ。そっちの言いたいこともわかるし、俺は冒険者になってまだ四ヶ月だけど、これでもキマイラを倒してる。中級中位の魔物なら……まあ、多分なんとかなるさ」
正確には自分一人で倒したわけではないが、相手を安心させるためにもレウルスはそう言った。すると、男達は驚きから目を見開く。
「キマイラだって!? そういえば、三ヶ月以上前になるがキマイラが出たって話だったな……」
「倒した奴の噂も流れてきていたが……まさか、『魔物喰らい』?」
「ラヴァル廃棄街に近寄る魔物を片っ端から殺して、皮を剥いで生で喰らうっていうやつか?」
思わぬ方向に会話が飛んでいったが、男達の話を聞いていたレウルスは密かにため息を吐いた。
(そのあだ名ってこっちにも伝わってるのかよ……しかも物騒な感じで伝わってるなぁオイ)
廃棄街同士でそれなりに噂も届いていたのだろうが、『魔物喰らい』というのはレウルスが魔物だろうと何でも食べることからついたあだ名だ。そこまで物騒な意味合いはない――はずである。
そう自分を納得させたレウルスは背中の大剣に手を伸ばす。
「なんなら、その名前を証明してこようか? ここに来るまでにオルゾーって熊の腕を食ってきたけど、腹が減ってるんだ」
自分で倒したわけではないが、ジルバに分けてもらった肉は食べた。つまり嘘は吐いていないのである。
男達は顔を見合わせて頷き合うと、レウルスに親し気な笑顔を向けた。
「歓迎するぜ『魔物喰らい』。それと、そっちの嬢ちゃんもな」
「のう、レウルス」
「嘘は言っていないぞ」
マダロ廃棄街へと足を踏み入れたレウルスだったが、エリザがジト目で声をかけてきたため先んじて答える。エリザはやれやれと肩を竦めると、興味深そうに周囲を見回した。
「町の中はラヴァル廃棄街とそれほど変わらんのう」
「たしかに……でも、空気が沈んでるな。例の魔物の影響か?」
外部の防衛設備はともかく、マダロ廃棄街はラヴァル廃棄街と大差ない町並みだった。門を通ると目の前に大通りが存在し、幅がある道の両脇に家屋が広がっている。
ただし、ラヴァル廃棄街と違って活気が感じられなかった。既に日が落ちて暗くなりつつあるというのも理由だろうが、空気自体が重苦しく感じられるのだ。
日暮れが過ぎたからか大通りにはほとんど人影がなく、時折武装した冒険者がすれ違うだけである。
彼ら、あるいは彼女らはレウルスとエリザに怪訝そうな顔を向けるものの、首から下げた冒険者の登録証を見ると警戒を解いて通り過ぎていく。
「うん、この辺りもラヴァル廃棄街そっくりだ」
街道ではあまり役に立たなかったが、廃棄街の中ではきちんと通用するらしい。そのことにレウルスが安心感を抱いていると、隣を歩くエリザから可愛らしい腹の音が届いた。
その音に気を引かれたレウルスが視線を向けてみると、エリザは視線を逸らしてきちんと吹けていない口笛を吹いていた。
「……あー、腹が減ったなー。この町の冒険者組合に行く前に腹ごしらえしていくかー。組合の場所も聞かないといけないしなー」
とりあえず聞かなかったことにして棒読みでそう言うと、エリザの表情が輝く。
「そ、そうじゃな! レウルスはすぐに腹が減るからな! まずは腹ごしらえをするべきじゃな!」
「うんうん、そうだなー。俺の腹が減るのが悪いんだよなー」
そんなことを言いながら食事処を探すレウルスとエリザ。ラヴァル廃棄街ならばドミニクの料理店に直行するのだが、マダロ廃棄街ではどこで食事を取れるのかすらわからない。
だが、大通りを歩いていると何かが焼ける匂いが漂ってきた。レウルスはその匂いを辿って歩くと、三分とかけずに一軒の料理屋を発見する。
「宿屋も兼ねてりゃいいけど……とりあえず入るか」
木の扉を開けると、それなりに繁盛しているのか食事の音や会話が聞こえてくる。店の中にはテーブル席が五つとカウンター席が八つあり、それなりの広さがあった。
「……新顔だな。どこの冒険者だ?」
店に入ると、店主と思わしき老人から声をかけられる。年齢はおそらく六十歳を超えているだろう。頭髪は全て白く染まっており、顔に刻まれたいくつもの皺が老齢さを際立たせていた。
「ラヴァル廃棄街から依頼で来たんだ。今さっき着いたばかりでね……組合に行く前に腹ごしらえを――」
隠すことでもないだろうと事情を説明するレウルスだったが、店の客が食べているものを見て言葉を途切れさせる。
(おい……まさか……)
思わず目を見開き、レウルスは“その料理”を注視した。
「どうした若いの。いきなり脇腹でも刺されたような顔をしているぞ?」
「実際に刺されたことがあるけどこんな顔はしなかったよ……じゃない。その、それだよ、その料理」
そう言ってレウルスが震える指で示した料理は、木製の平皿に盛られていた。
――レウルスの見間違いでなければ、炒飯だった。
「ん? ああ……それは東の方の国の食材でな。たまにこっちにも流れてくるんだよ。なんでも『コメ』と言うらしいが、癖のない味でな」
「これくれ。あとは任せる。なんでもいい」
悩む必要すらなく、レウルスは注文をする。エリザはレウルスの反応に困惑していたが、口を挟むことはしなかった。
「……少しばかり高いが、構わんか?」
「金貨1枚までなら出すよ」
「さすがにそんなにはせんよ……そっちの席で待っていてくれ。すぐに作って持って行く」
店主が案内したのはテーブル席である。エリザと二人で座れる席が他になかったからだが、案内された席は店の中でも一番大きかった。円形のテーブルは二人で使うには広く――今のレウルスにそんなことを気にする余裕はない。
大剣を近くの壁に立てかけ、椅子に腰を下ろすと腕を組んで目を瞑る。エリザはそんなレウルスを不思議そうに見ていた。
(コメ……やっぱり米だよな。というか東の方の国ってどこだ? マタロイの東っていえばベルリドか? でもそれならベルリドって言うよな……もしかして日本みたいな国があるのか? それともアジア圏の国?)
この時ばかりは依頼のことも頭から吹き飛んでいた。突然遭遇した米に、それ以外のことが考えられなくなる。
(よくよく考えなくてもパンがあるんだから米があっても不思議じゃないか……生まれ変わってから食ってないから十五年ぶりか? もしかして、探せばラヴァル廃棄街でも取り扱ってたのか?)
腕組みをしたまま、思考をこね回すレウルス。エリザはそんなレウルスを見つめて首を傾げている。
「……待たせたな」
そうやって十分ほど待っていると、店主が料理を運んできた。献立は炒飯らしきものと“何か”の肉の塩焼き、野菜スープに水である。
「いただきます!」
レウルスはカッと目を見開き、両手を合わせて炒飯に木製のスプーンを向ける。そして炒飯を掬うと、期待に胸を膨らませながら口へと運び――。
「……なんだコレ」
自分のものとは思えない、冷たい声が勝手に出ていた。レウルスは炒飯をもう一掬いして口に運び、よく味わって食べる。
「……なんだコレ」
だが、出てきた言葉は変わらなかった。
(え? 米ってこんな味だったっけ? 炒飯の味付けが独特っていうのもあるけど、なんか米自体が美味しくないというか味気ないぞ……)
炊いた米を刻んだ野菜や肉と一緒に油と塩で炒めた塩味の炒飯だったが、レウルスは言い様のない違和感を覚えていた。
米自体が不味いのかもしれないが、“舌が慣れていない”味なのだ。
(……ああ、そうか)
食べる手を止め、レウルスは塩炒飯に視線を落とす。
(そりゃそうだよな……俺、転生してるし……味覚も変わってるよな……)
前世で日本人だった頃ならば、米が主食だった。幼少の頃から食べ慣れた主食であり、品種改良された美味しい米を食べることができた。
――だが、“今”は違う。
この世界でレウルスとして生まれてから初めて食べた米は、口に合わなかった。
不味いわけではない。これはこれで美味しいのだろう。しかし、記憶にある味と実際に舌が感じる味に大きな差があり、素直に美味しいと思えなかった。
(……こんなところで生まれ変わったことを実感するなんてなぁ)
もそもそと炒飯を食べ、深々とため息を吐く。喜び勇んで注文したものの、思い切り肩透かしを食らった気分だった。
「レウルス? どうしたんじゃ? 悲しそうな顔をしておるぞ……」
「……いや、なんでもないよ」
レウルスの変化を感じ取ったのか、エリザが心配そうな顔をする。レウルスは苦く笑いながら答えると、野菜スープに手を伸ばした。そして一口食べてみるが、こちらは舌に合うのか美味しく感じられる。
「おいおい、話を聞いて来てみりゃ本当にガキじゃねえか……」
――と、レウルスが内心で凹んでいると、不意にそんな言葉が聞こえてきた。
しかしレウルスは炒飯の衝撃でそちらに意識を割く気になれず、黙って野菜スープを啜る。
「おい、そこのお前。お前だよお前」
(あー……おやっさんの塩スープが食べてえな。あれが俺のソウルフードなんだよなぁ……)
「おい……聞いてんのか? おいっ!」
野菜のスープも悪くないが、やはりドミニクが作る塩スープが至高だと思うレウルスである。死にかけた時に食べたからか、魂に刻まれた味なのだ。
次は肉を食べよう。そう思って塩焼き肉に手を伸ばそうとするレウルスだったが、手を伸ばした先で肉が乗った皿が真横へと弾き飛ばされた。
「オイこらテメェ! 聞いてんのか!?」
視線を上げてみると、見知らぬ男が騒いでいた。どうやら何の反応もしないレウルスに業を煮やしたらしく、テーブルの上に置かれていた料理を払い落としたらしい。
レウルスは無言で床を見る。皿は木製だったため割れていなかったが、落下した際に皿から零れた肉が床を転がっていた。
掃除はしているのだろうが、冒険者やマダロ廃棄街の住民が歩いて汚れていたのか、肉の表面には土や埃が付着している。
それを見たレウルスの顔は、自然と真顔になっていた。そして、そんなレウルスの表情の変化を見ていたエリザは顔色を青くしていた。
すっと立ち上がり、レウルスは床に転がった肉の傍に膝を突く。手を伸ばして肉を拾い上げると、土と埃を手で払った。
「れ、レウルス? 落ち着くんじゃ。なっ?」
エリザが声をかけてくるが、レウルスはそれに構わず肉に齧り付いた。無言で肉を齧り、胃の中に収めていく。
「なんだコイツ……床に落ちたモンを拾って食ってやがる……」
そんなレウルスの姿に、周囲の客は眉を潜めて呟いていた。だが、レウルスは周囲の声に構わず肉を平らげ、そのまま立ち上がる。
「お、お主ら今すぐ逃げるんじゃ! 早く!」
一体何を思ったのか、エリザがレウルスの体に飛びついた。そしてすぐにこの場から逃げるよう声をかけてきた男に言うが、エリザの言葉に従うような気性ならばレウルスに絡んではこないだろう。
「あぁ? 何を言ってんだガキが。それよりテメェだよ」
男がレウルスの肩に手をかけ――レウルスは、にこりと笑った。




