第65話:旅立ち その3
――コロナの弁当は、“まとも”なサンドイッチだった。
「美味い……うん、美味いなぁ……」
少しばかりパンが固いが、刻んだ野菜と焼いた肉が挟まれたサンドイッチ。それを頬張りながらレウルスは感動したような声を漏らす。
「のう、レウルス……なんで泣いておるんじゃ?」
「美味しいからだよ。あとこれは泣いてるんじゃない、心の汗だ」
「そ、そうか……」
“手作り弁当”というフレーズで嫌な予感がしていたが、コロナが作ってくれたものは非常に美味しかった。ドミニクには及ばないのだろうが、それでもきちんと手間暇かけて作られたサンドイッチはレウルスの腹と心を満たす。
エリザは心配そうな声をかけたものの、レウルスの食事への執着心を知っているため何か思うところがあったのだろうと引き下がる。
「糧となる肉と野菜に加え、作り手への感謝を欠かさない。良い心がけだと思います」
ジルバはレウルスの食事に対する姿勢を勘違いしたのか、うんうん、と満足そうに頷いていた。精霊教の教義的に、レウルスの反応は好意的なものだったらしい。
そんなジルバだが、レウルスと同じように食事をしながらも背を向けている。レウルスもジルバに背を向け、エリザだけが地面に座って食事をしていた。
食事の最中というのは隙ができやすいため、それぞれ別方向に視線を向けながら食事をしているのだ。『駅』の中で周囲は木の柵と空堀に囲まれているが、用心するに越したことはないだろう。
「たしかに美味しいが、泣くほどかのう?」
エリザもコロナお手製のサンドイッチを頬張っているが、レウルスの反応があまりにもおかしいため首を傾げている。その呟きを拾ったレウルスは遠くに視線を固定したまま、心底からの忠告をした。
「いいか? 料理が美味しいってのはすごいことなんだ。いや、食えるだけでもいい。問題は毒みたいな料理を作る奴だ。それが巡り廻って俺みたいな人間を作り出す……エリザもできる限り料理の勉強をしておくんだ。な?」
「う、うむ」
精霊教の中には、精霊教師と呼ばれる位階に就く者がいる。ラヴァル廃棄街にも精霊教師としてエステルという女性がいるが、レウルスは初対面で“神託”を受けた。
それによると、前世の死因が今世での恩恵になっているらしい。その恩恵の中には、『毒への耐性』も含まれていた。つまり、前世で頻繁に食べていた“食事”は毒だと判断されたわけである。
恐るべきはその料理か、それとも味を気にする余裕すらなく食べていたかつての自分自身か。それが巡り廻って今世で何でも食べられる体になったと思えば、感謝しても良いのかもしれないが。
(それが一因になって死んでるんだし、感謝はできんわなぁ……)
そこまで考えたレウルスは、せっかくのサンドイッチが不味くなる、と無理矢理思考を打ち切った。そして良い機会だからとジルバに話を振ることにする。
「ジルバさん、少し質問をしていいですか?」
「私に答えられることなら」
背中を向けているジルバに声をかけると、すぐに返事が返ってきた。
「ジルバさんって属性魔法も使えるんですか?」
「いえ、私が使えるのは補助魔法だけですよ? それがどうかしましたか?」
「魔法の階級についてなんですけど……」
食事中の雑談というには少々物騒だが、ジルバは特に気にした様子もない。
「魔法も下級とか中級とかに分類されてるじゃないですか。あれってどうやって決めてるんですか?」
先ほどエリザに『強化』を発現したジルバだが、その時は中級の補助魔法だと言っていた。何か分類があるのかと気になったのである。
「補助魔法なら何ができるかで決まるのですが、属性魔法の場合は威力で分類されていますね。そのため一目見ただけで細かく判断するのは困難ですよ」
「そうなんですか……」
「ええ。下級魔法なら一人を殺傷できるどうか、中級魔法なら集団を殺傷できるかどうか、上級魔法ならそれこそ一軍を殺傷できるかどうか……負傷の度合いや殺せるかどうかで下位から中位、上位に振り分けます」
興味本位で聞いてみたレウルスだったが、思ったよりも血生臭い回答で頬を引きつらせてしまう。
「人ひとりに軽い怪我を負わせる程度の威力なら下級下位魔法、集団……が何人を指してるかわかりませんけど、その集団を一撃で殺せたら中級上位魔法……そんな感じで分類するわけですか」
「そうなります。その点補助魔法は下級下位が『強化』、他人に『強化』を使えれば中級中位といったように、何ができるかで決まっていますね」
どうやら補助魔法と属性魔法では色々と異なるらしい。リスのようにサンドイッチを頬張っていたエリザも興味深そうに頷いている。
「その基準で言うと、ワシがグレイゴ教徒に使った魔法はどうなるんじゃ?」
エリザが言っているのは、グレイゴ教徒に襲われた時の話だろう。レウルスの血を吸って魔力を増やし、『詠唱』を用いることで無理矢理使用した雷魔法がどの階級に当たるのか気になったらしい。
「あー……集団を同時に痺れさせたぐらいだから、中級下位か?」
今しがた教わった基準に当てはめてみるレウルスだったが、大量の魔力を使った上に自爆して全身から血を流し、気絶までして中級下位魔法というのは釣り合わない気がした。
「どの階級の魔物に効くかで分類するという手もありますが、魔物によっては特定の属性魔法に耐性があったりもしますからね……なんにせよ、属性魔法を使える者が相手の時は気を付けることです」
「そうしますよ……ところで、冒険者みたいに魔法が最上級に分類されることってあるんですか?」
上級で軍隊相手に通用するというのなら、最上級はどれほど強力なのか。食事中の雑談として尋ねるレウルスに、ジルバは真剣な声で答えた。
「国が滅びます」
「……え?」
「国が滅びます」
思わず振り返るレウルスに対し、ジルバは振り返ることなく繰り返す。ジルバなりの冗談かと思ったが、その声色は硬かった。
「上級魔法の時点で並外れた魔力が必要になりますが、最上級魔法となると最早人外の域にあるとしか言えません。途方もない魔力、魔力を精緻に操る技術、そして何より使用する属性魔法の才能が必要になるでしょう」
ジルバの口ぶりは、最上級魔法が実在すると断じてのものである。
「……もしかして、見たことがありますか?」
「いえ……“見られる距離”にいたら巻き込まれて死んでいるでしょうね。ただ、魔物の中でも最上級に分類される、古龍という存在が使うと聞いた覚えがあります。何千年も生きていて、魔力量も想像できない域にあるとか……」
(そんな魔物もいるのかよ……やばいなファンタジー)
古龍という存在がどんなものかわからないが、一生出会うことがないよう祈るレウルスだった。
昼食と休憩を終えたレウルス達は、『駅』を出発して再び街道を進んでいく。『駅』は街道の各地にあり、次の『駅』で一晩過ごす予定だった。
空を見上げてみると、中天を過ぎた太陽が徐々に落ち始めている。時刻で考えると午後三時から四時程度だろう、とレウルスは思った。
初夏を過ぎているため完全に日が暮れるまでまだまだ時間があり、暑さもピークといった時間帯である。
「エリザさんを疑っていたわけではないですが、ここまで歩いて一度も魔物に遭遇しないとは……いやはや、素晴らしい力ですね」
先頭を進みながらも後方の警戒を怠らないジルバが感心したように呟く。それを聞いたレウルスはジルバと同様に周囲を警戒しつつ、小さく首を傾げた。
「普通ならどれぐらい魔物に遭遇するんですか?」
「そうですね……場所と時期によって大きく変わるのですが、少なくとも一回、多くて五回は遭遇しているでしょう。街道は時折人が通るので、それを知っている魔物が待ち伏せしていることがあるんです」
「そんなにですか……」
一回ならばまだしも、五回も襲われては大変だ。それだけの頻度で襲われるとなると警戒を強める必要もあり、下手すると今日一日歩いて先ほど立ち寄った『駅』まで到達できたかどうか。
「町や村から離れると魔物と遭遇する可能性も上がりますからね……いくら兵士の方々が街道を巡回しているといっても限度がありますし、場所によっては巡回していませんから」
「……? それが兵士の仕事じゃないんですか? それなのに巡回していない場所がある?」
ぜぇぜぇと言っているエリザの背中を優しく叩いて励ましつつ、レウルスが尋ねる。
レウルスが知る兵士と言えば、シェナ村のように特定の場所を守ったり、ラヴァルで外部の人間や魔物が入り込まないよう警戒していたりした。それに加えて街道を巡回して魔物や野盗を退治しているのではないか。
「兵士を動かすのもタダではありません。武器や防具を整備し、携行する食料や薬を準備する必要があります。兵士にも危険な任務をさせるということで手当てが必要になるでしょう」
そう言われ、それもそうだとレウルスは納得した。いくらそれが仕事とはいえ、兵士を動かす以上多くの金銭が必要になるのである。
「そのため、その領地を治める方の方針によっては街道の警備が行われないのです。さすがにゼロということはないでしょうが、回数が少ないと魔物の数が増え、野盗などもその地域は安全だと判断して増えます」
「……治安が悪すぎたら領地から人が逃げません? って、ああ……治安が悪いから逃げられないのか」
魔物や野盗が大量にいるからこそ、危険で逃げ出せない。むしろ逃げるぐらいなら野盗になる者もいそうである。
「嘆かわしいと言葉にするのは簡単ですが、街道の警備をしたくても税収の少なさからできないという場合もあります。世の中ままならないものですよ」
やれやれ、と肩を竦めるジルバ。それらの話を聞いたレウルスは感心するばかりだが、同時に思う。
(この人、領地を治めてる人……貴族? とかの事情にも詳しすぎないか? 精霊教徒だから?)
ジルバに話を聞くまで考えたこともなく、ためになる話だった。しかし、一介の宗教家が知っている情報なのかと疑問に思っていまう。
(まあ、俺もシェナ村とラヴァル廃棄街で聞いたことしか知らないし、ラヴァルみたいにきちんとしている町の人なら普通に知ってることなのか?)
もしかすると前世で言うところの学校のようなものがあり、しっかりとした教育を受けられる可能性もあった。それならばジルバが博識というより、レウルスが無知なだけになる。
「おや、あれは……」
時間がある時に勉強しているが、そろそろ本格的に読み書きぐらいはできるようになっておいた方が良いか。そう考えたレウルスだったが、ジルバの声に反応して視線を向ける。
ジルバが見ていたのは街道の先であり、そこには金属製の部分鎧で身を固めた男達がいた。槍などの長柄の武器ではなく、腰に剣を下げている。
「……野盗ですか?」
それにしては装備が整っている気もするが、部分鎧とはいえ金属製の防具を用意できる野盗が相手ならば一大事だ。そう考えたレウルスに対し、ジルバは首を横に振った。
「丁度良い……というのは少々おかしいですが、あれは正規軍の方達ですね。進行方向の斥候をしているのでしょう。レウルスさん、武器に手をかけてはいけませんよ?」
そう言うなり、ジルバは兵士に向けて右手を振る。レウルスは忠告された通り大剣の柄に手をかけず、敵意がないことを示すように両手を開いて前に出した。
すると、レウルス達に気づいていたのか兵士たちが三人ほど駆け寄ってくる。魔力の気配は感じないが動きは機敏で、それぞれが鍛え上げられた兵士なのだと窺えた。
「何者だ? ここで何をしている?」
武器に手をかけないレウルスとは対照的に、兵士達はいつでも腰の剣を抜けるようにしながら誰何してくる。
友好的とは言えない雰囲気だったが、冒険者らしく武装したレウルスはまだしもエリザは年若い少女、ジルバは全身黒尽くめで武器も防具も携行していない。客観的に見ると怪しさがあるだろう。
そんな兵士たちの警戒を意に介さず、ジルバは右手を胸に当てて一礼する。
「御勤めご苦労様です。私は精霊教徒のジルバと申します。ラヴァル廃棄街を出立し、マダロに向かっている途中です」
そう言って顔を上げると、ジルバは常に身に着けている首飾りを兵士に見せる。そんなジルバの振る舞いを見たレウルスは、以前ジルバから渡されていた『客人の証』と冒険者の認識票を一緒に見せながら一礼した。
「ラヴァル廃棄街所属、下級上位冒険者のレウルスです。こっちは下級下位冒険者のエリザです。依頼でマダロ廃棄街に向かっています」
これで良いのだろうか、問答無用で捕まったりしないだろうか、などと若干不安に思いながら身分を証明するレウルス。エリザは兵士が怖いのか、少しだけ怯えた様子で頭を下げていた。
ジルバがいるためどうにかなるとは思うが、兵士と接する機会が少なすぎてどんな反応が返ってくるかわからない。
「精霊教徒のジルバ? ……っ!? その首飾りに風貌……ま、まさか、本物!?」
(……その反応はさすがにわからなかったわ)
訝しげな顔でジルバを見ていた兵士達だったが、何か思い当たることがあったのか表情を一変させた。
兵士達の顔に浮かんだ表情を一言で表すならば、畏怖だろう。ジルバは兵士達の反応に首を傾げる。
「本物? 私の偽者が出たのですか?」
「い、いえっ! 言葉の綾です! ジルバ殿にお会いできるとは、光栄の至りで……」
額に汗を掻きながら言葉を紡ぐ兵士だが、明らかにジルバを上位に置いている。ジルバはそんな兵士達の言葉を受け、気さくに笑った。
「私は一介の精霊教徒ですから、そのように畏まられても困りますよ。我々はこのまま通ってもよろしいですかな?」
「えっ? あ、いえ、ジルバ殿は問題ないですが……」
兵士の視線がレウルスとエリザに向けられる。ジルバに向けるものとは異なる、疑いの色が強い視線だった。
「レウルスさんとエリザさんの身分は私が保証いたします。特に、レウルスさんは精霊教の“客人”ですからね」
「そうですか……それでは、どうぞお通り下さい」
ジルバが身分を保証すると、あっさりと通行の許可が下りる。レウルスはジルバと兵士達のやり取りに呆然としていたが、当のジルバは笑みを浮かべながら兵士達に一礼した。
「ありがとうございます。皆様に大精霊様のご加護がありますよう」
宗教家らしい言葉を残し、レウルスとエリザを先導するジルバ。兵士のうち一人がもと来た道を走っていくが、おそらくは後方にいる兵士へ報告に向かったのだろう。
「あーっと……その、なんというか……す、すごいですね?」
言葉が見つからないレウルスが引きつった笑みを浮かべながらそう言うと、ジルバはにっこりと笑う。
「これも大精霊様の御威光があればこそですよ」
(いや、多分違うと思う……)
実際に言葉に出す勇気はなく、レウルスは曖昧な笑みを浮かべるのだった。




