第64話:旅立ち その2
意外にも、と言ったらジルバに失礼なのだろうが、“実地”における初めての旅は勉強になることばかりだった。
「おや……これを見てください」
「……足跡ですか?」
ラヴァル廃棄街を出発して三時間。ジルバはことあるごとにレウルスとエリザへ旅の注意点などを教えてくれる。
今回もそうなのだろう。小走りというほど速くはないが、早足で移動していたジルバが足を止めて街道の脇にしゃがみ込む。
そんなジルバの背中には自身のものだけでなく、エリザのリュックが背負われていた。小柄かつ体力がなく、『強化』が使えないエリザを慮って代わりに背負っているのだ。
最初はレウルスが持とうとしたのだが、大剣を背負っているため背負える場所がなかったのである。
そして荷物をジルバに任せたエリザはというと、ぜぇぜぇと荒い息を吐いていた。ジルバが足を止めたのはそんなエリザを休ませる意味合いもあったのだろう。
「人の足跡です。歩幅と足の大きさから推察するに数は五人。それと地面の凹み具合を見る限り、それぞれ武装をしていますね」
そう言われてレウルスも地面を見てみると、たしかに複数の人間がその場を歩いたような痕跡があった。
ただし、レウルスにわかるのはそこまでである。そもそも早足で移動している最中に見つけるのは難しいだろう。
「冒険者ですか?」
「いえ、冒険者の方は正規の街道にはなるべく近寄りません。これは野盗の足跡でしょう。重武装が二、軽武装が一、残りは弓兵でしょうね」
「……そこまでわかるんですか?」
言われて足跡をじっと観察するレウルスだが、どこにそんな情報があるのだろうか。ジルバはエリザに水分を取るよう促すと、足跡を一つ一つ指さして解説していく。
「重武装の人間は簡単に見分けられます。身に着けている装備が重いので、足跡も深くなるんですよ。それに踵側の凹みが大きい……これはレウルスさんと同じように、重量のある武器を背負っていたのだと思われます」
「……軽武装と弓兵は?」
「重武装の者と比べて凹み方が浅いんです。それでいて若干左側に向かって凹んでいる足跡が三つ……しかし凹み方に差があります」
ジルバが足跡をなぞりながらそう言うが、レウルスには見分けがつかなかった。
「剣を腰に下げていた者が一人と、左手に弓を持っていた者が二人。弓兵は矢も携行していますからね。弓を持つ手とは逆の側に矢筒を下げるので、その重さで足跡の凹み方が若干均等になります」
「……ジルバ先生、わかりません」
言っていることは理解できるのだが、意味がわからない。言われてみればたしかに地面の凹み方が違う気もするが、数ミリ程度の違いしかないのだ。
「このあたりは慣れですね。それに、地質とここ数日の天候、相手の体格と体重で見分け方も変わります。それでも今回の予想は大きく外れていないと思いますよ?」
先輩冒険者であるシャロンには森の中の歩き方などを教わったが、足跡の見分け方に関してはここまで詳細に教わったことがない。
「森の中や草が生えている場所なら足跡が残りやすくて、見分けやすいんです。魔力や気配だけで敵を探るのではなく、足跡で推測できれば追跡も容易になります」
――実際に追跡したことがあるんですか?
そんな疑問が口から出かけたが、辛うじて飲み込むレウルス。興味はあるが怖くて聞けなかった。
「それじゃあ、この足跡が野盗のものだと判断した根拠は? いくら近寄らないと言っても、冒険者の可能性もあるでしょう? 巡回している兵士かもしれませんし……」
その代わりに、他のことを尋ねることにする。レウルスの疑問に対し、ジルバは凹み方が浅い足跡を指さした。
「弓を持った者が複数いるからですよ。冒険者は魔物を相手にしますが、余程の強弓か腕がないと牽制にもなりません。魔法使いはいないのでしょうね……重武装の前衛が二人、遊撃に軽武装が一人、そして後衛に弓兵が二人」
バランスが取れた組み合わせということなのだろう。その説明に納得していると、ジルバは話を続ける。
「兵士の可能性もありますが、兵士の場合はもっと大人数で移動します。それに街道を逸れる理由がありません。従ってこの足跡は野盗のものだと結論付けたわけです」
「なるほど……いや、勉強になります」
心底感心したようにレウルスは呟く。足跡一つでそこまで情報を得られるとは思っていなかったが、これからは歩き方や自分の足跡にも注意した方が良いのかもしれない。
これまで歩いてきた道に視線を向けてみると、レウルスとエリザの足跡はあったがジルバの足跡はほとんど見えなかった。
「……ジルバさんって歩き方も注意してますよね? どうやって歩いてるんですか?」
思い返してみると、ジルバは板張りの床を歩いても足音を立てないのである。その上で足跡まで残さないよう気を付けている辺り、宗教家というよりは忍者の類ではないか。
「そう心がけているだけで、あとは慣れです」
にこりと笑い、レウルスの質問に答えるジルバ。その笑顔を怖く思ってしまうのは、レウルスが警戒しすぎているだけなのだろうか。
笑顔を浮かべて立ち上がるジルバだが、エリザの分のリュックを背負っているというのに体幹は微塵も揺らがない。魔力を感じ取れないため『強化』は使っておらず、鍛え上げられた肉体の性能が純粋にすごいのだろう。
「エリザさん、お体は大丈夫ですか?」
「ひゅー……ひゅー……だ、大丈夫……じゃぞ?」
「いや、どう聞いても大丈夫じゃねえよ」
エリザに声をかけるジルバだったが、返ってきたのはか細い声だった。レウルス思わずツッコミを入れたものの、自分が大丈夫なのはエリザから送られる魔力により、弱いながらも『強化』のように身体能力が引き上げられているからである。
そろそろエリザを抱えていこうかと思うレウルスだったが、それを先んじてジルバが口を開く。
「エリザさんは魔力をお持ちですよね? 『強化』は使えないんですか?」
「あー……魔力の扱い方がわからないみたいです。俺も人のことは言えませんけど」
レウルスもエリザも魔力はある。あるのだが、その使い方が下手だった。
片や、『熱量解放』で一気に魔力を消費するレウルス。
片や、魔力があっても自爆覚悟で『詠唱』しなければ魔法が使えないエリザ。
上手く噛み合えばかなりの爆発力があるのだが、普段の戦闘でそれを行うと魔力があっという間になくなるだろう。
「なるほど……それでは少し失礼をしますね?」
そう言ってジルバはエリザに手を向ける。一体何事かと思ったレウルスだったが、徐々にエリザの体が魔力で満たされていく。
「『強化』の魔法は他者に発現させることもできます。これで少しでも感覚が掴めるといいのですが……」
あっさりと他者に『強化』を発現してみせたジルバに、レウルスは驚愕を露にする。他者に対して『強化』を使うこともできるとシャロンから聞いたことがあるが、自分ではなく他者に『強化』を使うとなると難易度も上がるはずだ。
「おおっ! 体が軽いぞっ! これはすごいのじゃっ!」
エリザは自分の状態を把握すると、その場で飛び跳ね始める。それまでの辛さが嘘のように身軽で、レウルスの頭上を飛び越えては興奮の声を上げた。
「すごいですね……他人に『強化』をかけるのって難しいんじゃないですか?」
「魔法の階級としては中級の補助魔法ですから、多少難しくはありますね……ですがこれも慣れですよ。エリザさん、どうですか? 『強化』の感覚は掴めそうですか?」
「むっ? むむむ……むむ?」
ジルバに言われて己の状態を確認するエリザだが、腕組みをして頭を右へ左へと何度も倒す。
「わかるような……わからないような?」
「魔力自体はあるのですから、あとは魔力を操る感覚さえ掴めれば『強化』は簡単に使えますよ。もしくは、莫大な魔力を持っている人は自然と『強化』を使っていたりしますし、魔力の量を増やすことに注力してみては?」
ジルバの提案を聞き、エリザの首がぐるりと回る。そしてレウルスを見つめると、顔を真っ赤にした。
「ま、魔力を増やす? そ、それははしたないのじゃ……」
両手を頬に当て、チラチラと視線を送るエリザ。
どうやらエリザの中では吸血行為に対して羞恥心のようなものがあるらしい――が、レウルスは飛んできた視線を鼻で笑って打ち返す。
「ハッ……そんなこと気にするぐらいなら普段から気をつけろよ。寝てる時にへそ丸出しでイビキ掻いてヨダレ垂らしてるぞ。あと人の体の上に登ってくるな。ヨダレが服につく」
ドミニクの料理店で物置を借りて過ごしていた頃は、その狭さからエリザと並んで眠ったものである。ただし、レウルスが言葉にした通りの惨状が発生したため、色気もクソもないのだった。
「ぬあああああああぁぁっ!? な、なんじゃそれは!? ワシは知らんぞ!?」
「そりゃ寝てる時のことを知るわけないだろ? ま、安心しろ。イビキぐらいの音なら気にせず寝れるし、ヨダレは拭いてやるし、腹を出して寝てたら風邪を引かないよう布をかけてやってるから」
もちろん、毎日そのような惨状が発生するわけではない。だが、仮に発生したとしてもレウルスとしては幼子の寝相の悪さを見たような、生暖かい気持ちになるだけだ。
「あ、でも外で寝る時はイビキに気をつけろよ? イビキの音で野盗が寄ってくるとか洒落にならんぞ」
「どうやって気を付ければいいんじゃ!? はっ!? いっそ寝なければいいんじゃな!?」
ぎゃいぎゃいと騒ぐレウルスとエリザ。すると、それを見ていたジルバが柔らかく笑う。
「お二人は本当に仲が良いのですね。魔力の量を増やしても上手くいくかわかりませんし、地道に訓練をした方が無難でしょう。非才の身ではありますが、旅の間だけでも魔法についてお教えしましょうか?」
微笑ましそうに守りながらそう提案してくるジルバに対し、レウルスとエリザは顔を見合わせてから頷くのだった。
ラヴァル廃棄街を出発して4時間。
太陽が中天を過ぎ、さすがにそろそろ本格的な休憩をするべきだと考え始めたレウルスだったが、街道の先に人工物が見えて思わず目を疑った。
「……なんだありゃ」
遠くに見えたのは、街道の脇に作られた木の柵である。高さは1メートル程度だが、よくよく見てみると柵の周囲には空堀が掘られていた。空堀の深さも1メートルほどだが、木の柵と合わさればそれなりに防御力がありそうである。
木の柵と空堀は一辺20メートルほどあり、上空から見れば正方形になるよう作られているようだった。
「ああ、あれは『駅』ですよ。丁度良いのであそこで休憩しましょうか」
「……『駅』?」
電車でも止まるのかと思ったレウルスだったが、この世界にそんなものがあるはずもない。もしかすると馬車はあるのかもしれないが、駅というよりは簡易的な陣地のようである。
「街道の各地に設置されているんです。見ての通り防備が整えてあるので、夜を明かすのに便利なんですよ。街道を巡回する兵士が休憩に使ったりもしますね」
「へぇ……」
この世界で遠出をするのは初めてだが、色々と考えられているらしい。近くに町や村がない状態で夜を明かす必要があるのなら、木の柵と空堀が用意されているだけでも安心感があるだろう。
「段差というのは中々に厄介なものでしてね。1メルトの空堀と木の柵があるだけで、魔法が使えない人間は飛び越えられません。魔物でも難しいでしょうね。それに、内側から武器を突き出せば飛び越えようとしている相手を一方的に攻撃できます」
「本当に色々と考えられているんですね……」
シェナ村には水堀と土壁があったが、水中から跳躍するとなると『強化』があっても飛び越えられないだろう。水堀の外から跳躍しても、土壁を越えられる保証もない。
「仮に飛び越えることができたとしても、空中では動きが制限されます。魔物や野盗への備えには最適なんですよ」
ジルバの説明を受けながら『駅』へと近づいていく。すると、ジルバが足を止めて注意を促した。
「ただし、『駅』の便利さを知っている野盗が空堀などに潜んでいることがあります。まずは周囲を確認しましょう」
そう言われ、レウルスは大剣の柄に手をかける。
周囲を見回してみるが街道は見晴らしが良い一本道であり、街道の脇数十メートル先にまばらな木陰があるぐらいだ。空堀を覗き込んでみるが伏せている者もいない。
「安全なようですね。それでは昼食を兼ねて休憩にしましょうか」
ジルバも周囲の索敵が終わったのか、『駅』の入り口に向かう。柵の一ヵ所だけ木材の隙間が大きく、『駅』の中に入れるようになっているのだ。
「足元に気をつけろよ?」
「うむ……わかって……おる……」
ジルバの『強化』が切れ、再び自力で歩く羽目になったエリザは疲労の色が濃かった。そのためレウルスがエリザの手を取り、段差で転ばないよう先導する。
「コロナの弁当が……ワシを待っているんじゃ……」
耳を澄ますと、腹の虫が可愛らしく鳴いていた。レウルスはそれを聞かなかったことにすると、目を細めて遠くを見る。
(手作り弁当か……)
そのフレーズだけで胃が――魂が痛むような気分になった。
前世の死因の一端を担っている以上仕方ないのだろうが、レウルスはコロナを信じている。
(いや、大丈夫なはずだ……キマイラが出た時にサンドイッチを作ってくれたし、コロナちゃんはメシマズじゃないはず……待てよ? サンドイッチで失敗する方が難しくないか?)
だが、コロナが相手でも疑心が首をもたげるのは前世の死因が酷過ぎたからか。
レウルスは背中に嫌な汗が浮かんでいるのを感じつつも、エリザの手を引いて『駅』の中に入る。
そしてエリザに自分の分の水を飲ませつつ、コロナから渡された布包みを取り出した。
「レウルスさん? なにやら顔色が悪いようですが……」
「いえ、大丈夫です」
ジルバから向けられる心配そうな視線に笑って返し、レウルスは深呼吸をする。
(――いざっ!)
キマイラに挑んだ時と同等か、あるいはそれ以上の気迫を込め、レウルスは布包みを開くのだった。




