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エピローグ:その3 人間として

 一連の騒動から二週間の時が過ぎた。


 黒龍を倒し、魔力を求めて暴れ出したレウルスの体――『喰らうモノ』とも決着がつき、事前に騒動を巻き起こしていたスライムもどきも完全に姿を消した。スライムもどきに関しては黒龍の体を再構成した分に加え、レウルスが焼き払った分で全てだろう、というのがヴァーニルの言である。

 近隣にその姿も気配もなく、ヴァーニルが人目を避けながら確認して回ったところ、それらしい存在が見つかることはなかった。当面は警戒が必要だが、それで何事もなければ完全に事態が終息したと考えて良いだろう、という判断だ。


 黒龍との戦いでアメンドーラ男爵領における森林の一部が消滅し、地形も一部が変わったが、幸いスペランツァの町に被害はない。被害があった場所に関してはコルラードが調査してナタリアに報告した結果、木材として使えそうな木々を回収し、最低限土地の整備をするだけに留めるという判断が下された。

 本格的に整備する時間も人手もないため、仮に畑などを作るとしてもラヴァル廃棄街からの移住者が増えてからの話になるだろう。


 人的被害に関してはレウルスが一番重篤な怪我を負った程度で、魔力切れが複数名、怪我人は軽傷の範疇で済んだ。ここにヴァーニルを加えると重傷者が一名増えることになるが、レウルスと比べれば軽傷の範疇である。

 ひとまずは治療が必要な者は療養しつつ、戦いに参加することがなかったコルラード達が警戒しながらも開拓を再開する、といった形で日常生活が再開されていた。


 そして、これらの話をレウルスが聞いたのはつい先日のことだった。


 “自分の半身”を殺すなり気を失い、十日近くに渡って眠り続け、目が覚めてから状況把握のためにと伝えられたのだ。


 仕方なかったとはいえラディアによって胴体に穴が空き、出血多量に魔力切れと、いつ死んでもおかしくない状態だった。それでもジルバを始めとした精霊教徒達の治療の甲斐もあり、レウルスは一命を取り留めることができたのだ。

 十日ほど眠るだけで目を覚ませたのも、むしろ早かったぐらいかもしれない。ただし、これまでのように寝起きからすぐさま動くことはできず、目を覚ましたレウルスは自分の体があまりにも弱り切っているように感じられた。


 レウルスが目を覚ましたことに喜び、泣きながら突撃してきたエリザ達を受け止めるだけでも再び死が垣間見えたほどにボロボロである。


 他にもレウルスの体に起こった変化はいくつかあった。


 一つは、眠り続けて空腹だったにもかかわらず、普通の食事すら取れなかったことである。

 これまでのように魔物の肉を食べようとしたものの胃が受け付けず、麦粥など消化に良い物ぐらいしか喉を通らなかった。


 一つは、胃が受け付けないにもかかわらず魔物の肉をなんとか食べてみたものの、今までのように魔力を得られなかったことだ。加えて、魔物の肉を食べていないにもかかわらず、寝起きの段階で少量とはいえ魔力が回復していた。


 一つは、見舞いに来たカルヴァン達ドワーフの反応である。

 レウルスの顔を見るなり首を傾げ、不思議そうな顔をしたのだ。一体何事かと思えば、これまで感じていた威圧感――捕食者と遭遇したような居心地の悪さがなくなっているという話である。


 むしろ捕食者と認識されていたのか、と頬を引きつらせたレウルスだったが、思い当たる節もあったため軽く流すに留めた。


 一つは、体や魔力の回復だけでなく、『熱量解放』が使えなくなったことだ。

 少量とはいえ魔力が溜まっているのならば、と試そうとしたものの、『熱量解放』を使える気配がなかった。ここ最近では強く意識することもなく使うことができ、『熱量解放』を使い始めた頃は発動する際に“意識の引き金を引く”感覚があったが、そういった感覚が完全に消失していた。

 自力で使えるようになった『強化』は問題なく使うことができ、エリザ達との『契約』に関してもきちんとつながっているため、体が回復すれば戦うことはできると思われた。しかし、『熱量解放』が使えないとなるとこれまでのような無茶はできないだろう。


 そして、最後の一つは――。






「あー……本当に体が弱り切ってるなぁ」


 その日、レウルスは治療を担当していたジルバの許可の元、他者の肩を借りながらではあるが自室のベッドを離れて外に出ていた。そして思うように動かない自分の体に思わず愚痴のような言葉を吐き出す。


 目が覚めてから既に数日経っていたがようやく意識がはっきりとし、自分の意思通りに体が動くようになったのだ。寝ているばかりでは体に悪いため、気分転換も兼ねて少しだけでも外の空気を吸いたくなったのである。


「もう……十日近く眠っていたんですから当然です。レウルスさんが眠っていた間、ずっと心配していたんですよ?」


 そう言いながらもレウルスに肩を貸して共に歩くのは、コロナだ。体を支えるのならばジルバのような屈強な男性の方が適任だったが、レウルスがコロナに頼んだのだ。


「それに関しては本当に申し訳ない……ごめんよコロナちゃん」


 武器も防具も身につけず、普段着だけでの外出だというのに歩くのも億劫なほど体が重い。それでもレウルスは肩を借りながらではあるが自分の足で進み、家の外に広がる光景に目を細めた。


 視界に飛び込んでくる、色鮮やかな景色。


 鼻腔をくすぐる土と木の匂い。


 雲一つない快晴は陽の光を届け、吹く風が肌の上を滑っていく。


「…………」 


 五感を刺激する世界の全てに、レウルスは口を閉ざして沈黙する。これまでは薄皮一枚隔てて感じ取れていたものが、直接五感に訴えかけてきているように思えた。


 以前魔力を溜め続けた結果、自身の感覚が“正常”になったことがある。今思えば『喰らうモノ』が満足するほどに魔力を溜めたからこそ、人間レウルスとしての感覚が表に出てきたのだろう。

 今の状態はその時と似ているが、世界の全てがより鮮明に感じられる気がした。


「……本当に、心配……したんですからね……」


 周囲の景色を眺めるレウルスの耳に、涙混じりの声が届く。その声とすぐ傍で見えたコロナの目尻に浮かんだ涙に、レウルスはどう答えるべきか迷ってしまった。


 無茶をした自覚があり、なおかつ“これまで”は強く感じられなかった申し訳なさとバツの悪さ、そしてコロナが心から案じてくれていたことに対する喜びと、複雑な感情が湧いたからだ。


「本当にごめん。もうあんな無茶はしない……というか、できないから。これからはもっと平和に生きるよ」


 レウルスは困ったように頬を掻き、コロナをなだめるように言う。


 完全に戦いから遠ざかることはできないだろうが、これまでのように無茶ができる体ではなくなってしまった。もちろん、必要があれば体を張ることに躊躇はしないが。


「そういえば、さ……コロナちゃんはなんであの場所に来たんだ?」


 レウルスはコロナの涙から逃げるように話を変え、気になっていたことを尋ねる。するとコロナは涙を拭った後、レウルスの顔をじっと見た。


「黒い龍と戦う音が聞こえなくなって、ロヴェリー準男爵様が様子を見に戻ることになったんです。でも、遠くにいたのにレウルスさんの声が聞こえた気がして……とても辛そうで、苦しそうで……レウルスさんが消えてしまうんじゃないかって、居ても立っても居られなくなって」

「…………」


 コロナの言葉に何も言えず、レウルスは視線を逸らすように空を仰ぎ見る。事実、コロナが来なければ体の制御権を取り戻すことができたか断言できない。


「そのあとも、お、お腹にラディアちゃんが刺さって、血もいっぱい出て……わたし、本当に心配したんですから……」


 それは、レウルスが目を覚ましたばかりのタイミングでは心身に負担をかけないよう飲み込んでいた、コロナの本音だった。

 レウルスならばいずれ目を覚ますと信じていたが、心配しなかったかどうかは別の話である。気丈に振る舞いつつも気が気でなかったコロナとしては、意識せずとも涙が零れてしまう。


「…………ごめん」


 涙を零しながら言い募るコロナに、レウルスとしては謝罪することしかできない。“あの時”はそれが最善だと思ったが、何も知らないコロナからすれば飛んできたラディアに自ら貫かれに行ったのだ。驚きもすれば心配もするだろう。

 その点に関して弁明のしようもなく、レウルスはコロナの肩に回していた右腕に力を込める。今、たしかにここにいるのだと。死んでなどおらず生きているのだと伝えるために。


「でも、ありがとう。コロナちゃんにはいつも助けられてるな」


 そして同時に、感謝の言葉を口にする。


 初めて出会った時からコロナには世話になりっぱなしだ、とレウルスは思う。もしもラヴァル廃棄街でコロナに出会わず、飢えて死んでいたらどうなっていたか。


(そもそも死ねなかったか、あるいは食い物を求めて体が勝手に動き出して大惨事になっていたかも……いや、姐さんがいるから暴れ出したらその場で殺されたか)


 ラヴァル廃棄街に辿り着いた当初は、ナタリアからも警戒されていたはずだった。仮にレウルスの意識が消えて『喰らうモノ』が暴れ出したとしても、即座にナタリアに殺されていただろう。

 それを思えば、コロナと出会ったことはレウルスにとってこの上ない僥倖だった。


「だから、泣かないでくれよ。コロナちゃんに泣かれると……あー、なんだ……大事な人の涙ってのは、胸が痛む」


 レウルスは照れるように、苦笑するようにしながら頬を掻く。そんなレウルスの表情を見たコロナは、思わぬものを見たといわんばかりに目を瞬かせた。


「レウルスさん……何か変わりましたよね」

「そうかい? いや、そうだな。変わったというか“戻った”というか……嬉し泣きならまだしも、心配をかけて泣かせたんじゃあドミニクのおやっさんにも殴られちまうよ」


 そう言ってレウルスはコロナの涙を指先で拭い――その視線を遠くへと向けた。


 レウルスの視線の先、そこには日中にもかかわらずスペランツァの町へと向かって飛んでくるヴァーニルの姿があった。そしてスペランツァの町に近付くなり滑空し、レウルスの傍へと降りてくる。


『おっと、お邪魔だったかな?』

「遠くから見えてただろうに、よく言うよ」


 そしてからかうように話しかけてくるヴァーニルに対し、レウルスは軽口を叩くようにして答える。コロナは間近に降りてきたヴァーニルを見て驚くが、レウルスを支えることは止めず、その場に留まってレウルスの腕をぎゅっと握り締めた。


『ふむ……どうやら本当に邪魔をしてしまったようだ。すまんな、人の子よ。死ぬとは思わなかったが、やっと目を覚ました寝坊助をからかいたくなったのだ』

「お前さん、龍なのに人間の機微に聡いし、割とお茶目だよな……で、どうだった?」

『どうやらグレイゴ教が手を回していたようでな。王都近郊の穴は完全に塞がっておったわ。そこが基点になっていたのか、あちらこちらにあった細かいヒビも塞がっていてな……スライムもどきも見つからなかった。事態は終息したと見て良いだろう』


 そう話すヴァーニルの体は大きな傷こそ塞がっているものの、ところどころ鱗が剥げ落ち、爪も数本が欠けている。それでも数日かけて最低限魔力が回復するなりスペランツァの町を飛び立ち、大陸各地の調査を行っていた。

 黒龍を倒した時点でおおよその問題が解決したと判断したものの、極力自身の目で確認した方が良いと考えてのことである。


 調査の結果、黒龍が這い出てきたヒビは既に塞がっており、広範囲を調べてもスライムもどきは発見されず、他に問題も見つからなかった。そのため調査を切り上げてスペランツァの町へと戻ってきたのである。


「グレイゴ教がなぁ……以前やり合った後に『龍殺し』なんて名前が広まってたけど、この国だと禁教扱いなのに割と自由に動いてるよな」


 レウルスは苦笑混じりに言う。


 禁教とはいうものの、この世界には写真や映像等が存在しない。余程有名で顔が知られている者ならばまだしも、グレイゴ教徒と名乗らなければマタロイ内で活動されても気付くのは困難だ。

 ジルバのように己の経験と感覚で見抜き、出会えば即殺し合う、というのも難しいだろう。手練れが多いグレイゴ教徒相手に戦いを挑むとなると、それなりの戦力が必要になる。


 それらを思えば、今回の件で動き回っていたと聞いてもレウルスとしては納得するしかない。黒龍と戦うのに助力があれば限界を超える必要もなかったかもしれないが、過ぎたことを言っても仕方ないのだ。


『“現場”にもいたぞ。護衛らしき手練れが二人と、穴を塞いだと思しき魔法使いが数名な』

「……手練れ二人、ねぇ」


 カンナとローランだろうか、とアタリをつけるレウルス。ヴァーニルが無事に戻ってきたということは戦うことはなく、グレイゴ教としての仕事を優先したのだろう。そうなるとローランは今回も司教への昇進を逃したのだろうか、などとレウルスは思考する。


 以前のカンナの言葉を信じるならば、グレイゴ教を抜けたクリスやティナに手を出してくる可能性は低い。過激派の面々に関してはレウルス達と戦った結果、上層部の多くが命を落としたため当面は大きな動きもないと思われた。


 ヴァーニルに関しても、カンナ達正道派の面々からすれば黒龍のような存在が現れた際にアテにできる戦力である。意味もなく襲い掛かることはないだろう。


 レウルスはこれまで魔物と戦い、グレイゴ教徒とも戦ってきた。魔物に関してはアメンドーラ男爵領の運営が軌道に乗れば領軍が治安維持を行い、グレイゴ教徒に関しても正道派の面々が相手ならば率先して戦う理由も意味もない。

 強力な魔物が現れた場合や再びグレイゴ教徒が手を出してきた場合は戦うが、これからはスペランツァの町の開拓を進め、アメンドーラ男爵領の発展に注力する日々が待っている。


(あとはまあ、家族仲良く……って感じか)


 そんなことを思いつつ、レウルスは眼前のヴァーニルを見上げた。傷だらけだが威風堂々と立つ火龍の姿をじっと見詰め、思い出を振り返る。


 初めて出会った時はサラとの関係もあって戦うことになり、ドミニクから譲られた大剣を破壊された。


 その後はヴェオス火山の近くを通る際に顔を合わせたり、武器の試し斬りに行ったり、ヴァーニルの方から訪れたりと、なんだかんだで付き合いが長くなりつつある。


 そして今回の黒龍の件で共闘することとなったのだが。


「あー……そういえば、次に会ったら言わなきゃいけないって考えてたことがあったんだが……」

『ん? 何かあったか?』


 レウルスはヴァーニルの顔を見ながら、小さく眉を寄せる。そして数秒言いよどんだものの、苦笑するように頬を歪めた。


「悪いな、ヴァーニル。今まで使えていた力が使えなくなってな……もうお前さんと喧嘩するのは無理みたいだ」


 たとえるならばそれは、今まで共に遊んでいた相手に二度と遊ぶことができなくなったことを詫びるような寂しさがあった。


 ヴァーニルと戦う。それは可能か不可能かだけで判断するならば、可能だろうとレウルスは思う。黒龍との戦いで破損した防具を修理し、体を癒し、長期間訓練に精を出せば多少は勝負になる――かもしれない。


 だが、『熱量解放』なしで挑むのはさすがに自殺行為だろう。それを思えば、レウルスとしては以前のように気軽に戦いを挑む気にはならない。


 “喧嘩友達”という関係は、最早成り立たないのだ。


『む……そう、か。それは……残念だな』


 そんなレウルスの言葉に、ヴァーニルは言葉を選ぶようにして答える。


 本当に残念だと思っているのか、レウルスにも判断できない声色だった。そのことに疑問を覚えたレウルスだったが、ヴァーニルの顔を見上げながらその巨大な体に軽く拳をぶつける。


「ま、気が向いたら顔を出してくれよ。特定の個人を贔屓するわけにはいかないみたいだけど、ダチの顔を見にくるぐらいなら大丈夫だろ?」


 喧嘩友達を務めるのは無理でも、黒龍相手に肩を並べて戦った戦友である。そのためレウルスが笑って言うと、ヴァーニルは意外そうなものを見たように目を丸くした。


『……少し変わったな。それがお前の素の性格というわけか』

「それはどうかねぇ……俺は俺さ」


 今までの自分も、これからの自分も。そのどちらもが自分自身だとレウルスは笑う。ただ、今となっては『喰らうモノ』を失う前の自分――過去の自分には戻りようがないだけだ。


 そのためレウルスとしては自分は自分である、としか言い様がない。


 ヴァーニルはレウルスの表情をしばらく眺めていたが、やがて苦笑するように口の端を吊り上げた。


『しばらくの間は魔力を回復させることに集中したいからな……顔を出すとしても先の話だろう。さて、あまり長居をするわけにもいかぬ。我はそろそろ引き上げるとしよう』

「他所から来た商人なんかに見られるとまずいしな。誤魔化すのが大変そうだし……まあ、そこはコルラードさんに任せるか」


 今のヴァーニルには『変化』を使う余裕もないのだろう。レウルスとしては慣れたものだったが、ヴァーニルが龍の姿で町中にいるところを見られれば余計な問題が起きかねない。


『次は……うむ、お前の子が生まれでもしたら顔を見に来るとするか』

「年単位で来ないってことか? そりゃ先の話って言ったけどさ……」


 子どもが生まれなかったら来ないってことか、とレウルスは思わずツッコミを入れる。そもそも仮に子どもが生まれたとしても、どうやって知るというのか。


 完全に魔力を回復するのにそれだけの時間がかかるのか、あるいは長命な龍種らしい時間感覚がそうさせるのか。単純にレウルスや他の人間の生活に気を遣っただけかもしれないが、ヴァーニルは一度だけ笑ってから翼を羽ばたかせる。


『達者でな』

「ああ。そっちも達者で」


 別れの言葉はあっさりとしたもので、ヴァーニルはヴェオス火山に向かって飛び立つ。


 遠くを見るように目を細めてその姿を見送ったレウルスは、まるで今生の別れのようだと思った。だが、ヴァーニルならば気が向けば顔を見せに来るだろうとも思う。


「ヴァーニルさん、行ってしまいましたね」

「『変化』を使った上で数日寝泊りするぐらいなら大丈夫かもしれないけど、この町で一緒に暮らすってわけにもいかないしなぁ」


 亜人であるドワーフならばまだしも、さすがに火龍が住み着くのは問題だろう。ヴァーニルのことを知るレウルス達は気にしないとしても、アメンドーラ男爵領に火龍が住み着いた、などという噂が流れては周囲の領主達も気が気ではないはずだ。


(火龍の姿で飛んできてたし、誰かしらに見られている可能性はあるんだよな……まあ、今更か)


 写真や映像などの証拠となり得る物もないのだ。黒龍を倒し、ヴァーニルも去った以上、何か言われてもとぼけるしかない。


 そうやってレウルスがヴァーニルを見送っていると、いくつかの足音が近付いてきた。それに気付いたレウルスが視線を向けると、ヴァーニルが飛び去った方向を指さしながらエリザ達が騒いでいる。


 黒龍との戦いでレウルスと同様に魔力を使い果たしたエリザ達だったが、時間の経過で多少なり魔力が回復している。そのためレウルスの代わりに町の見張りを行っていたが、ヴァーニルが飛んできたことに気付いて様子を見に来たようだった。


「もうっ! ヴァーニルってば何も言わずにどこに行っちゃったのよ!」

「ヴェオス火山に帰ったんじゃろ? あの姿で人の町に来たら大問題じゃし……一言ぐらい挨拶をしたかったんじゃが」


 サラとしてはヴァーニルと言葉を交わしたかったようだが、エリザは仕方ないと宥める。それを聞いたサラは不満そうにヴァーニルが飛んで行った方向を見つめる。


「別にいいじゃない! ヴァーニルを見て騒ぐ人なんてこの町には……あっ、熱源が一、二、三……えっと、方向から考えたら街道? 列を作って人っぽい熱源が来てる?」

「事態も落ち着いたし、商人さんとかかな?」

「……騒ぎになるところだった」


 ヴァーニルが飛び去った方向とは別の方向に視線を向けながらサラが言えば、ミーアが首を傾げ、ネディがポツリと呟く。


 ヴァーニルが飛び去ったのは自分の姿を目撃されないよう配慮してのことだったのだろう。仮に見られていた場合、商人が寄り付かなくなってもおかしくはない。

 もっとも、スライムもどきが現れた際に保護した商人や旅人にはヴァーニルだけでなく黒龍に関しても知られているため、話自体は広まっていてもおかしくはないが。


「一応、気を遣ってくれたんだろうさ……そういえばルヴィリアは?」


 レウルスは将来のことを棚上げし、気になったことを尋ねる。コロナやエリザ達も時間がある時は看病していたが、レウルスが眠っている間ずっと傍にいたのはルヴィリアだ。


 レウルスが目を覚まし、容態が安定していることを確認するなり安堵した様子で気絶するように眠り、目が覚めればナタリアやコルラードの補佐を行うべく精力的に動き始めたのである。

 ルヴィリアはエリザ達のように見回りや作業者の護衛はできず、コロナのように料理を作ることも難しい。だが、レウルスが無事だったのならば、レウルスが休んでいるのならば、その間に自分にできる仕事をやるのだ、と奮起していた。


「ルヴィリアなら……あっ、来たのじゃ」


 レウルスの疑問の声に答えようとしたエリザだったが、遠くから小走りに駆けてくるルヴィリアに気付いてそちらへと視線を向ける。貴族の令嬢らしからぬ、動きやすさを重視した衣服を身に纏ったルヴィリアはレウルスの姿に気付くと花が咲いたように笑顔を浮かべた。


 そんなルヴィリアの笑顔を見たレウルスは、知らず知らずのうちに笑顔になる。


「あ……」


 笑顔になったレウルスを見て、コロナが小さく声を上げた。驚いたような、不思議なものを見たような、そんな声だった。


「ん? コロナちゃん、どうかした?」


 レウルスはコロナの反応を疑問に思い、首を傾げる。肩を借りているため至近距離にいるコロナの顔をまじまじと見詰める形となった。


「ルヴィリアさんが言っていたことがわかったというか……なるほどって思って」

「ルヴィリアが言ったこと?」


 一体何の話だろうか、とレウルスは疑問に思った。しかしコロナは悪戯っぽく微笑むと、肩を借りるために伸ばされていたレウルスの腕をそっと握った。


「女の子同士の秘密……です」

「あー……そりゃ仕方ない」


 自分が眠っている間に何かあったのだろう、とレウルスは察する。


 目を覚ましてからというもの、コロナとルヴィリアの間にあった遠慮や距離感がなくなっており、エリザ達に向けるものとは別種の親しみ――友情と呼ぶべきものが築かれているのが感じられた。


(寝ている間にコロナちゃんとルヴィリアの声が聞こえた気もするけど……ま、仲が良いのはいいことだよな)


 家族の仲が良いのは望ましいことだ。レウルスはそう思考し、胸中に宿った自身の感情と向き合う。


 レウルスが自覚する、最後の変化。


 それはこの世界に生まれ変わって以来初めてとなる、“幸せ”という感情を素直に受け止められたこと。


 人間らしい感覚を取り戻したからか、あるいは『喰らうモノ』が完全に抜けきった影響か。家族と呼べる者達と共にいると胸の奥が温かくなる。

 以前から大切だとは感じていた。だが、今のレウルスが抱く感情を言葉にするならば愛おしさか、あるいは互いに感情を向け合える幸福か。


「ところでレウルスさん、何か食べたいものはありますか? 材料が限られているからなんでもは無理ですけど、そろそろしっかりとした固形物も食べられるでしょうし……作れるものならすぐに作りますよ?」


 そうやってレウルスが幸せに浸っていると、コロナがそんなことを尋ねる。その問いかけで我に返ったレウルスは数秒思考を巡らせたが、すぐさま笑みを浮かべる。


「初めて出会った時みたいな、塩スープが食べたい」


 初めて人間らしい食事ができたと心の底から思えた料理を、レウルスは望んだ。


 “あの時”作ったのはドミニクだったが、食べる切っ掛けをもたらしたのはコロナだ。だからこそ、レウルスは食べたいと思った。


「えっと……それでいいんですか?」


 戸惑うようなコロナの言葉に、レウルスは大きく頷く。


 これから先、人間として生きていくために望んで食べる最初の食事だ。


「ああ。それがいいんだ」


 ――世知辛いと思った異世界に転生して初めて食べることができた、温かい料理だから。


 “人間”として歩き出す門出の料理としてこれ以上のものはないと、レウルスは心からの笑みを浮かべた。






 どうも、池崎数也です。

 拙作『世知辛異世界転生記』もこれにて完結となります。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 ご感想やご指摘、誤字脱字の報告、レビュー等々多くいただき、まことに感謝しております。

 余談かつ自己満足の部類に入りますが、これまでの作品と同様に裏話やこの場に書きにくいネタを書いた『あとがき』を掲載したいと思いますので、お暇な方はそちらも見ていただければ幸いに思います。

 最後に、本作を掲載する場を与えていただいた『小説家になろう』様、そして読者の皆様。

 本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
最後まで読み切りました。面白かったです。心残りは、町の完成、登場人物の背景も締めくくって欲しかったです。ありがとうございます。
[一言] 完結お疲れ様です。 この作品自体は初期の頃から追わせていただいております。 途中、連載が滞った際には完結しないかもとも思っておりましたが、無事完結させてくださいまして、本当にお疲れ様でした、…
[一言] 連載お疲れ様でした。めちゃくちゃ面白かったです。本当にありがとうございました。書籍の方も楽しませてもらいます。
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