第628話:本質 その4
黒龍を倒したことで場の空気が緩む。しかし、その空気を破るように『首狩り』の剣を引き抜いたレウルスは、フラフラとした足取りながらもエリザ達の方へと向かい始める。
「レウルスの様子が変じゃ! 全員気を付け――」
咄嗟にエリザが警戒を促す声を上げかけ――ふっ、とレウルスが姿を消した。
「っ!?」
瞬くような、ほんの短い時間。それだけでレウルスが距離を詰めて眼前に立っていることに、エリザは驚愕する。
レウルスは『首狩り』の剣を振り上げ、エリザを狙って振り下ろす。だが、その直前でレウルスの体が金縛りにあったように不自然に止まり、普段と比べれば遅い、ゆっくりとした速度で剣を振り下ろし始めた。
「えっ!? レウルス君、何を!?」
「ちょっ、レウルスってばどうしちゃったの!?」
ゆっくりと、しかし確実に迫ってくる刃に、ミーアとサラは転がるようにしてその場から離脱する。エリザに魔力を融通した結果、機敏に逃げる体力も残っていないのだ。
エリザも疲労で動かしにくい体に鞭を打ち、ネディと共に剣が届かない距離まで下がる。ネディはエリザと体を支え合いながら、レウルスを悲しそうに見つめながら呟く。
「レウルス、わるいこになってる」
「わるいこ? それってさっきの黒龍みたいに……って、あぶないっ!?」
ゆっくりとした動きで追い、再び『首狩り』の剣を振るレウルスにエリザは慌てて距離を取る。レウルスは何の感情も浮かんでいない瞳でエリザ達を見ているが、その口元は歯が割れんばかりに食いしばられ、不規則に体の動きが止まっては動き出すといった動作を繰り返していた。
「ど、どうすればいいんじゃ!?」
レウルスに何が起きているのか、その詳細まではわからない。かつて『傾城』と呼ばれた司教、レベッカが持つ能力によって操られた時に似ているが、“あの時”とは様子が異なる。勝手に動こうとする体を無理矢理押さえつけているような、歪な違和感があった。
『……ハラ、ガ、ヘッタ』
そんなレウルスがポツリと呟く。同時に『首狩り』の剣を両手で握り締め、今度は地面に転がるサラへと視線を向けて大きく踏み込んだ。
「わわわっ! こっち向いてる!? レウルス? お肉なら後でたくさん焼いてあげるからっ!」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
踏み込みの力強さとは裏腹に、ゆっくりとした動きで『首狩り』の剣を振り下ろすレウルス。サラはミーアと共に後ずさるようにしてレウルスから距離を取り――振り落とした『首狩り』の剣ごと、横合いからレウルスの腕をジルバが掌打で弾く。
「ふむ……これは一体どうしたものか」
駆け付けたジルバはエリザ達の前に立ちながら、困惑したように呟いた。それでもジルバの体はしっかりと構えを取っており、レウルスの動きを警戒するように注視している。
『グ、ル……アアアアアアアァァッ!』
ジルバを見るなり動き出したレウルスは、エリザ達に対するものとは異なる全力の一撃を放つ。その場から掻き消えるような速度で踏み込み、首を薙ぐようにして刃を奔らせる。
「失礼」
迫る刃を手の甲で上方へと弾いて逸らし、ジルバもレウルスへと踏み込む。それに気付いたレウルスが背後へと跳ぶが、ジルバは滑るようにしてレウルスの動きに追随し、がら空きの胴体目掛けて掌底を叩き込んだ。
『カッ!?』
肺の空気を強制的に吐き出され、レウルスの体が石でも投げたように水平に後方へと弾け飛ぶ。レウルスはそのまま二十メートルほど飛ぶことになったが、両足が地面に着くと土煙を上げながら停止した。
「さすがはドワーフの方々が鍛え上げた鎧ですね。中身を潰すつもりで打ち込んだというのに、凹みすらしないとは」
強制的に距離を開けさせたジルバは困ったように言う。攻撃魔法が使えないため魔力の消耗が乏しかったジルバ以外、この場でまともな戦力が残っていないのだ。
「ヴァーニル殿、レウルスさんの状態について何かわかりませんか?」
『……おそらくだが、魔力を限界以上に使って“中身”が出てきたのだろう。人間としてのレウルスではなく、魔物としてのレウルスが……な』
ジルバがレウルスを警戒しながら尋ねると、ヴァーニルが困惑したように答える。
『アレが彼奴の力の源泉……だろうな。精霊とつながっている影響で変質しているからか、スライムと似ているが異なる。それこそ『国喰らい』ならぬ『魔物喰らい』といったところか』
「正気に戻す方法は?」
『わからん。魔力を与えれば戻るかもしれんが、問題は“今のレウルス”に魔力を与えて良いのかが判断できん。それで意識を取り戻すのか、あるいは更に魔力を求めて暴れるのか……』
ヴァーニルから見たところ、レウルスの意識が完全に消滅したわけではない。エリザ達に対して刃を向けたが、容易く回避できたのもレウルスの意識がそうさせているのだろう。ジルバに対しては本気で刃を振るっていたが、ジルバならば対処できるという判断か、あるいは別の理由からか。
そして、これはどうしたものかとヴァーニルは頭を悩ませる。ヴァーニルは黒龍との戦いで魔力が残っておらず、今のレウルスと戦うのは厳しいものがあった。仮に魔力が残っていたとしても、今の状態のレウルスを仕留めるのは戸惑いがある。
レウルスが“完全に”魔物と化しているのならば役目を果たすだけだが、その振る舞いを見る限り僅かとはいえ意識が残っているのだ。
『……ひとまず、我は静観する。今はまだ、な』
「そうですか。それでは拘束して『魔石』なり魔物の肉なりを与えてみますか。しかし、まさかこういう形で貴方と戦うことになるとは……残念ですよ」
ゴキリ、と拳を鳴らしながらジルバが構えを取る。それを見たレウルスも『首狩り』の剣を担ぐようにして構えると、地面を蹴って一気に距離を詰めた。
『ガアアアアアアアアアアアアアァァァァッ!』
獣のように咆哮し、『首狩り』の剣を振り下ろすレウルス。それに対するジルバは剣の腹を叩くようにして剣閃をずらすと、そのままレウルスの腕を掴んで捻りつつ膝裏を蹴り、体勢を崩して地面へと倒す。
「いくら力が強くとも、こうすれば……おや」
肘関節を固めて押さえ込んだジルバだったが、レウルスの腕が関節を無視したように動く。手首から先だけを捻り、指先で『首狩り』の剣を回転させて斬ろうとするがそれを察したジルバは片手で白刃止めする――その直前で飛び退き、距離を取った。
「先ほどの打撃が通じなかったのはそういう仕組みですか……肉体も変質してますね」
押さえ込んだはずのレウルスの体が不規則に波打つのを感じ取ったジルバは、警戒しながらレウルスの動きを見る。
スライムのように軟体というわけではないが、関節を固めても意味がない程度には人体の構造からかけ離れているようだ。人型のスライムと見るべきか、とジルバは眉を寄せる。
『…………』
現状ではジルバが最も脅威だと判断したのか、レウルスは無言で『首狩り』の剣の切っ先を向けた。その“意思表示”にジルバは口の端を吊り上げると、再度構えを取る。
「きついけど、止める」
「効果があるかわからないけど、元に戻す」
そんなレウルスとジルバの戦いを見ながら、クリスとティナは己の顔につけた狐面に手をかけた。効果があるのか、定かではない。それでも今のレウルスには何かしらの効果があると信じて。
『大いなる精霊、数多の精霊、世界を守る白き龍よ。妖狐の子たる我々が希う』
黒龍と魔法を撃ち合ったこともあり、魔力はほとんど残っていない。それでも迷いなく『詠唱』を始め、クリスとティナは異口同音に言葉を重ねていく。
『求めるは平穏、安寧、静謐、回帰。異質、異常その一切を我々は認めず』
何かを感じったのか、レウルスがその矛先をクリスとティナへ向ける。しかしそれに気付いたジルバが割り込むと、繰り出される斬撃を次から次へと捌いていく。
振り下ろし、横薙ぎ、袈裟懸け、突き。荒々しくも縦横無尽に繰り出される刃の嵐を、ジルバは弾き、逸らし、受け流し、それら斬撃の全てを素手で対処する。
ジルバはかつて、剣の技量という意味ではレウルスよりも遥かに強者であるグレイゴ教の司教カンナと素手で渡り合った。二刀流のカンナを相手にして、素手で刃を弾くという曲芸染みた業すら実現させるほどに近接戦闘に長けている。
いくらレウルスが人体の可動域を無視したように斬撃を繰り出そうと、嵐のように怒濤の連撃を叩きこもうと、防御に徹したジルバを崩すことはできない。元々両者の技量にはそれだけの差があり。
「ふぅ……歳は、取りたくない……ものですね」
技量以外の面で、両者の差が縮まりつつあった。
いくら技量に長けていようと、ジルバは既に老境に差し掛かっている。いくら常人と比べて体が鍛えられているとはいえ、レウルスが繰り出す斬撃を捌き続けるのは体力的にも精神的にも消耗が大きい。
それを察しているのかレウルスは『首狩り』の剣を振り続け、ジルバが休む暇を与えなかった。それでも残っているレウルスの意識がそうさせているのか、時折レウルスの体が不規則に止まり、ジルバは致命的な隙を突かれずにいる。
ジルバはレウルスの斬撃を捌くだけでなく、隙を見つけては何度も打撃を叩き込んでいる。しかし常人ならば一撃で勝負が決まってもおかしくない威力の打撃を打ち込んでみても、レウルスの動きが鈍ることはなかった。
『――“元のカタチ”へ戻し給え』
それでも、ジルバはクリスとティナを守り切る。『詠唱』が完了し、二人が掲げた狐面が光を放つ。魔力の消耗があるとはいえ、元司教二人による魔法の行使にレウルスは動きを止めた。
『グ……ガ、アアアアアアアアアアアアアアアァァァッ!』
だが、動きが止まったのはほんの数秒だった。狐面が砕け散ると同時、レウルスは大気が震えるほどに咆哮を響かせる。そして『首狩り』の剣を掲げてクリスへと斬りかかろうとし、その寸前でジルバが割って入った。
ジルバは振り下ろされた『首狩り』の剣を受け流し、勢いを殺さずレウルスを投げ飛ばす。レウルスは空中で何度か回転すると足から着地し、警戒するように唸り声を上げた。
「……だめ」
「……効果がない」
レウルスの様子をじっと見つめ、クリスとティナが歯痒そうに呟く。
「つまり今の状態はレウルスさんにとって正常である、ということですか……いやはや、困りました」
そう言いつつ、ジルバは表情を険しいものへと変える。
殺す気で打撃を打ち込んでも殺せず、動きを止めようにも止まらない。仮にレウルスの体を粉砕したとしても、スライムに似た性質があるのならば『核』を砕かない限り再生するだろう。そしてジルバとしては困ったことに、打撃を打ち込んだ感触から判断する限り『核』らしきものは体内に存在しない。
「まずは、あの剣をどうにかしますか」
ジルバは『首狩り』の剣へと視線を向ける。
その切れ味はカンナが持っていた刀に匹敵、あるいは凌駕するだろう。その優れた切れ味は“引いて斬る”刀と異なり、垂直に打撃を当ててもジルバの手の方が斬られてしまいそうだ。
それでも武器さえどうにかすれば、レウルスの攻撃手段は一気に減る。レウルスの身体能力ならば拳や蹴りも十分な殺傷能力があるが、ジルバにとっては息が上がっていようと対処可能だ。
(……ラディア様ではなく、あの剣を使う理由は?)
そこまで思考したジルバは、ふと気付く。『首狩り』の剣も魔剣と呼べるほどの業物だが、精霊剣ラディアと比べれば数段劣る。切れ味で劣り、間合いの広さと頑丈さでは大きく劣るのだ。
ラディアは己の判断で魔法を使用することさえ可能で、わざわざ『首狩り』の剣を使う理由はないはずである。素手で戦うジルバが相手ならば小回りの利く『首狩り』の剣の方が妥当かもしれないが、今の状態になって以降、レウルスは真っ先に『首狩り』の剣を抜いた。
魔力を使い切ってしまったため魔法が使えず、武器としては優れているものの生身で振り回すには重すぎるからか。あるいは別の理由があるのか。ジルバはそう考えたものの、レウルスの意識が時折ラディアに向けられているのを感じ取った。
ラディアを今のレウルスに持たせれば何かしらの影響があるのかもしれないが、ラディアには厄介な“防犯機能”がある。レウルスと『契約』でつながっているエリザ達には影響がなく、サラは炎の精霊のため万が一燃やされても大丈夫だろうが、魔力切れの現状ではラディアを引きずって移動するぐらいしかできないだろう。
ラディアに事情を話せばジルバでも握ることができるかもしれないが、レウルスと戦いながらラディアの方へと誘導するのは難易度が高い。
「ラディア! レウルスのところへ行って!」
ジルバと同じことを考えたエリザが声を張り上げる。ラディアならば自力でレウルスの元へと移動することができるため、それを期待してのことだった。
『…………』
だが、ラディアが動くこともなければ返事もない。呼んだのがレウルスではないからか、あるいは黒龍を倒す際にラディアも魔力を使い切ってしまったのか。
「仕方ない……こうなったら、ワシ達でラディアをレウルスのもとへ運ぶしか……」
そう言いつつエリザは立ち上がろうとするものの、魔力切れの上に体がひどく重い。無理を重ねて使用した上級魔法の反動はエリザの体を蝕んでおり、気を抜けば意識を失いそうだった。
それでも、と自分に言い聞かせながら立ち上がったエリザだったが、それだけでレウルスの視線が向けられる。ジルバを相手にしながらもエリザ達を警戒、あるいは意識しているようだ。
「あの人はジルバ、さんに任せる」
「肩を貸す」
どうすれば、とエリザが悩んでいると、クリスとティナがエリザ達のもとへと近付いてくる。レウルスを止めるために使用した魔法の影響で魔力を使い果たし、狐面も失っていたが、元司教として鍛えていた二人はエリザ達よりも体力に余裕があった。
「でも、ラディアちゃんを回収できたとしても、どうやってレウルス君に渡せば……」
「それは……」
ドワーフであるミーアもエリザと比べれば体力が残っている。それでも、ラディアを回収した後にどうすればレウルスに渡すことができるか。
エリザは思考するが、ジルバが押さえ込み、その間に渡すぐらいしか思いつかない。押さえ込むジルバが危険だが、渡すことになる者も当然危険だろう。レウルスが元に戻るのならば、その程度の危険はいくらでも飲み込むが――。
「戦闘の音が止んだというのにレウルスの声がするから様子を確認しに来てみれば……これは一体どういうことであるか!?」
エリザの思考を遮るようにして、そんな声が響く。エリザが何事かと視線を向けてみると、そこには驚愕した様子で目を見開くコルラードの姿があった。その後ろにはカルヴァン達数名のドワーフに、何故かコロナの姿もある。
スペランツァの町から避難していたコルラード達だったが、激しい魔法の撃ち合いが行われ、黒龍が消滅したのを遠目に確認してからは町へと戻っていた。だが、レウルス達が一向に戻らず、戦いが終わったと思っていたところにレウルスの咆哮が届き、何が起きているのかと確認に来たのである。
コロナが同行しているのは、どうにも嫌な予感がしたからだ。遠くから響いたレウルスの声を聞き、居ても立っても居られなくなった。
だからこそ、ここにいる。
「レウルスさんっ!」
ジルバと戦うレウルスを見て、コロナがその名を呼ぶ。不安と心配、焦燥を混ぜ込んだその声に、レウルスは弾かれたようにコロナを見た。
「ッ!?」
ビクリ、とレウルスの体が大きく跳ねる。相対していたジルバが困惑するほど動揺した様子でコロナを見詰め、じりじりと後退していく。
『……今』
レウルスがコロナを見て――ラディアから完全に意識が逸れた。
その瞬間、ラディアがレウルス目掛けて一直線に飛ぶ。レウルスはそれに気付いたのか、咄嗟にラディアへと『首狩り』の剣を振るって弾き飛ばそうとする。
「させません!」
振るおうとした『首狩り』の剣、その柄尻をレウルスの右手ごとジルバが蹴り上げ、衝撃で『首狩り』の剣が宙を舞う。これまで掌打ばかりだったジルバの突然の蹴りにレウルスは反応できなかったが、『首狩り』の剣が手から離れるなりレウルスの体が動く。
飛来するラディアから離れるべく、逃げるために足に力を入れて。
「“そっち”じゃ、ねえよ」
レウルスが呟き、その体がラディアの方へと動く。飛来するラディアの切っ先に向かって自ら踏み込み――真紅の鎧ごとレウルスの胴体を刃が貫くのだった。




