第627話:本質 その3
エリザによる『詠唱』。
それに気付いたレウルスは今の状態を維持しつつも魔力を可能な限りエリザ側へと回し、己の状態を瞬時に確認する。
意識はまだ保てる。
魔力をエリザに回してもまだ戦える。
今の状態で動けるのは――残り僅か。
それでも、命を燃やし尽くすとしても、エリザ達を守り抜くには十分な時間だった。
「――この身は望む。破滅の権化たる存在の焼却を。災厄を押し流し、土に還す力を」
エリザが何を狙っているのか、具体的にはわからない。それでも『詠唱』の内容から黒龍を仕留めるための魔法だと悟ったレウルスはエリザ達を背後に置くよう位置取りしつつ、黒龍へと挑みかかる。
これまでと異なり、黒龍の意識がエリザ達にもしっかりと向けられていた。だからこそ、エリザ達を守るために。それでいてエリザ達を“意識し過ぎる”ようならば自分の手で仕留めるために。
「援護する」
「後ろは任せて」
レウルスの動きに同調するようにクリスとティナは背後へと跳んだ。黒龍相手に接近戦を挑むよりは魔法による援護や妨害の方が効果があると判断してのことである。いくらグレイゴ教の元司教で近接戦闘も行えるとはいえ、黒龍に対して素手で有効的な攻撃ができると思えるほどクリスもティナも自惚れてはいなかった。
「それでは、私は出来得る限り殴るとしましょうか」
そんなクリスとティナとは対照的に、ジルバは右肩をほぐすようにぐるりと回しながら前へと出た。
遠距離の攻撃手段を持たない以上他に選択肢はないが、ジルバは臆した様子もなく黒龍との距離を詰め始める。武器を持たないどころか防具すら身に纏っていないというのに堂々と歩いてくるジルバに、さすがの黒龍も自身の目を疑うように視線を二回ジルバへと向けた。
「――火よ、水よ、氷よ、土よ。重ねて願う。彼の敵を撃ち滅ぼす力を」
『詠唱』に決まった形はない。通常の『詠唱』と異なり、『契約』を通して精霊であるサラ達に直接呼びかける形である以上、尚更形にこだわる必要はない。
必要なのは何を願い、どう扱い、“耐えきれるか”だ。
目を閉じて『詠唱』を行うエリザの額に大粒の汗が浮かび出す。
かつてスラウスが見せた属性魔法の合わせ技。それすら超える、四属性の複合魔法。それは魔法使いとして未熟なエリザには到底扱えるものではなく、仮に熟達した魔法使いが使おうとしても複数の属性魔法に適性がなければ端緒すら掴むことができない。
エリザが両腕を突き出すと、その先に白く輝く小さな光の球が現れる。光の球はほんの少しずつ、しかしたしかに、ゆっくりとだが徐々に大きくなっていく。
「――我が身に宿る力と混ざれ。雷よ、風よ、力を貸し給え」
エリザは更に、己が扱える属性魔法を上乗せする。全ての属性魔法を均等に、混ぜ合わせて魔力を注いでいく。
『あの光は、まさか』
「余所見してっと三枚におろすぞ黒トカゲエエェッ!」
虚を突かれたように目を見開く黒龍に、意識を逸らせるべくレウルスが叫ぶ。エリザが生み出した白い光の球はレウルスにもピリピリとした嫌な予感を知らせてくるが、その忌避感を捻じ伏せて宣言通り両断しようと大剣を繰り出す。
隙を突いて斬るには、相変わらず体格差が厄介だった。そのためエリザへの警戒を少しでも減らすべく、レウルスはこれまで以上に前へと出る。
エリザ達と黒龍の間に体を置き、何かあっても庇えるよう位置取りしながらの攻撃になる以上、レウルスはこれまでのように前後左右好き勝手に駆け回るわけにはいかない。だが、そんなレウルスを助けるようにヴァーニルとジルバが左右に開いて動き、クリスとティナが目くらましになればと魔法を連射する。
「なんか、すっごく力が抜ける……んだけど……」
「ボク、も……」
「……がんばる」
『契約』を通してエリザに“力を貸している”サラ達は、エリザを支えながらもその体を震わせていた。魔力だけでなく体の芯から力が抜ける感覚があり、倒れないようにするだけで精一杯だった。
『……出し惜しみはできぬか』
そう呟くなり、黒龍が全力で背後へと跳ぶ。それと同時に置き土産のように衝撃波を放ち、レウルス達の追撃を妨げて一気に百メートル近い距離を開けた。
ヴァーニルなら一足飛びで詰められる距離で、今のレウルスなら数秒とかけずに追いつける。それでも飛来した衝撃波を切り裂いたレウルスは、敢えて待ちの姿勢を取った。
時間は黒龍以上にエリザにとっての味方となる。また、距離を詰めようとして跳躍され、直接エリザを狙われる危険性を危惧してのことでもあった。
黒龍は無理に追ってこないレウルス達の様子に目を細めると、一つの黒い球を空中に出現させる。魔力が感じられ、時間を追うごとに大きくなっていく黒い球を見たレウルスは魔法の発射前、エリザと同様に“溜め”の仕草だと考えた。
技量の差か、生物としての性能の差か、黒龍はエリザと比べて魔力の集中が早く、数秒と経たない内に臨界を迎えたように黒い球が弾ける。
放たれる黒い閃光。それはヴァーニルと空中戦を繰り広げていた時と比べれば細かったものの、込められた魔力は大差がない。射線上に僅かに残っていた木々を消し飛ばし、地面を抉り、レウルス達ごとエリザを葬らんと迫り来る。
「させない」
「通さない」
迎え撃ったのは、クリスとティナだ。黒龍が魔力を溜め始めるやいなや二人も魔力を集中させ、可能な限り威力を高めた魔法を行使する。
クリスもティナも、一発だけなら上級魔法を撃てる魔力量と技量があった。しかしそれは万全の状態かつ撃つための準備を整えられる時間があっての話であり、即座に上級魔法を撃てるほど人間離れしているわけではない。
それでも可能な限り威力を高めた竜巻と雷撃が、真っ向から黒い閃光と激突する。衝突の余波で地面が大きく抉れ、土砂が巻き上げられては端から蒸散していく。
クリスとティナが放った魔法は黒い閃光を徐々に押し返し――その手応えにクリスもティナも疑問を覚える。
黒龍が放った黒い閃光は人間を数十、あるいは数百まとめて消し飛ばす威力があっただろうが、あまりにも“軽すぎた”のだ。中級魔法と呼ぶには強く、上級魔法と呼ぶべきだろうが些か弱い。
『……さすがに見抜かれたか』
黒龍がそう零すが、その呟きはレウルスとヴァーニルに向けられていた。
レウルスはクリスとティナが動いた瞬間に黒龍へ意識を集中させており、ヴァーニルはいつでも距離を詰められるよう四肢に力を入れながらも動こうとしない。
それもこれも、黒龍が呟くと同時に新たに黒い球を空中に出現させたからだ。仮にレウルスやヴァーニルが踏み込んでくれば迎撃として叩き込もうとしたものの、レウルスは勘で、ヴァーニルは純粋に見抜いて攻撃を仕掛けなかった。
レウルスとヴァーニルだけでなくジルバも気付いたものの、自身が使える『無効化』では対処できないと判断して隙をうかがうに留めている。ジルバはその戦い方から属性魔法が使えないと見抜かれたのかレウルスやヴァーニルよりは警戒されていないものの、時折黒龍の視線が向けられていた。
黒龍もレウルス達に見抜かれるのは予想していたのだろう。クリスとティナを相手にして撃ち合った状態だというのに、新たに生み出した黒い球に魔力を注ぎ込んでいく。
それは、レウルス達のように『契約』を通して魔力を融通し合うのではなく、魔法を撃ちながら魔力を溜めるという黒龍という規格外の存在だからこそ成し得た離れ業。威力が弱い魔法を複数同時に使用する程度ならば可能な人間はいても、上級魔法を撃ちながら次弾として上級魔法を準備できる人間など皆無である。仮にいたとしても世界を見渡してもその数は五本の指に満たないだろう。
ここにきて黒龍が選んだのは出し惜しみなし、単純明快な力押しだ。既に万全からはほど遠いレウルスとヴァーニルにとっては最も厄介な戦法である。クリスとティナ、ジルバが加勢した状況でも押し通せるという判断だった。
『防げるか、火龍』
『舐めるな、黒龍』
黒龍の試すような言葉にヴァーニルが応じる。残っていた魔力を使い、対抗するべく火球を生み出す。
「――烈炎、氷塊、暴風、雷霆、激水、烈震。其の一切混ざりて猛れ」
背後に庇うエリザは防御の全てを託して『詠唱』を続けている。それに併せて威圧感が跳ね上がる感覚を覚えつつ、レウルスは黒龍をじっと見た。
二発目を撃とうとしている黒龍だが、“三発目”はあるのか。仮にあったとしても威力はどの程度か。
――上級魔法の連射には驚いたが、あまりにも攻め方が単調ではないか。
クリスやティナだけでなく、ヴァーニルとも魔法を撃ち合おうというその姿勢。その間に自分が距離を詰めればどうするつもりか、という疑問。それらに加えて、レウルスはなんとはなしに違和感を覚えていた。
今の状況でエリザ達の傍から引き剥がそうとする意図と、“先ほど見落としていた”存在への警鐘がレウルスの行動を決定づける。
黒龍がエリザ目掛けて黒い閃光を放ち、ヴァーニルが迎撃の火炎魔法を行使する。二発目となる黒い閃光はクリスとティナに迎撃されたものよりも威力が高く、さすがのヴァーニルでも魔力を消耗している状態では力負けするほどだった。
それでも完全に押し切られることはなく、辛うじてだが拮抗状態に持ち込んだ。その瞬間、レウルスは地を蹴って一気に加速する。向かう先は黒龍――ではなく、エリザ達の方へと。
「っ……やっぱりか!」
そして、レウルスは見た。その透明な体を地面に伏せ、音を立てずにゆっくりと近付いてきているスライムもどきの姿を。
あまりにも自分に意識を引き付けるような黒龍の言動に違和感を覚えていたレウルスだったが、自分の体にして復活できるだけあってスライムもどきとは協力関係にあるようだった。
それがどのようなつながりによるものかはわからなかったが、エリザ達を害そうとしていたという事実さえあればレウルスにはどうでも良い。大きく跳躍してエリザ達を飛び越え、着地する勢いを乗せて炎を纏ったラディアを振り下ろす。
伏せていたスライムもどきはレウルスが予想したものよりも大きく、エリザ達全員を一度に飲み込めるほどの大きさがあった。それでも構わずに刃を奔らせ、一息に両断する。
『――“やはり”気付いたな?』
それまでエリザ達を庇えるよう前衛として位置取りしていたレウルスが、エリザ達を守るためとはいえ後ろへと下がった。それこそが露骨過ぎた黒龍の狙いであり、レウルスの動きを見るなり黒龍が口を開く。その口内には小さいとはいえ黒い閃光が球状に収束しており、狙いをエリザ達へと定めていた。
(三発目!?)
追加で繰り出した横薙ぎの一閃でスライムもどきを四分割にし、ラディアの炎で燃やし尽くしていたレウルスは内心だけで驚愕の声を漏らす。
エリザの『詠唱』はまだ完了していない。クリスとティナ、ヴァーニルと撃ち合っている状況で更に魔法を行使するなど、常識はずれにも程があった。
黒龍からエリザ達へ射線が通っている。自分が防ぐしかないが、どこまで防ぎきれるか。レウルスはそう思考し、全て防ぎきる、と瞬時に決断した。
「レウルスを後ろに下げてくれてありがとう。そうくると思ったわ」
だが、必死に魔法の準備をしていたはずのエリザからそんな声が届く。普段のエリザと比べればどこか大人びた、“別人のような”声色だった。
『ッ、貴様……まさか!?』
「ええ、そのまさかよ。複数の属性、複数の精霊の力を混ぜ合わせるっていう“奇跡的な状況”だもの。少しぐらいなら力を貸せるし貸すわよ」
アンタもズルしたしね、とエリザの姿をした誰か――大精霊コモナが笑う。
「ま、血縁でもないから本当に少しなんだけど……十分よね」
そう言うなり、エリザの雰囲気が変質する。かざした両手の先、白い球体が一気に光を増し、バチバチと音を立て始める。
「っ!? これ、なら!」
それと同時に、エリザが気を取り直したように叫んだ。集中し過ぎた影響か数秒記憶が飛んだ気がしたが、それまでと比べて格段に魔力の制御が容易くなっていた。
「……ありがとう」
『いいってことよ』
レウルスが呟くと、どこからともなく声が聞こえた気がした。それに一瞬だけ笑い、レウルスはラディアを右肩に担ぎながら前傾姿勢を取る。
『ここまできて……ふざけるなあああああああぁぁっ!』
黒龍が咆哮し、口内に集中させていた魔力が一気に溢れ出す。怒りの感情を乗せて放たれるのは、これまでと比べても強力な黒い閃光。最早後先を考える余裕も余力もない、全身全霊の一撃だ。
それに対するは、煌々と輝く白き閃光。サラの、ミーアの、ネディの力を借り、レウルスが溜めていた魔力を吸い上げて放つ極光だ。
「いっけええええええええええええぇぇっ!」
気合いを込めてエリザが放つそれは、荒れ狂うような白い光の濁流だった。黒龍が放つ黒い閃光と比べれば収束が甘いものの、射線上の全てを飲み込みながら直進する破壊の嵐。
――黒龍が放った黒い閃光さえ飲み込むほどに、破壊をもたらす一撃だった。
エリザが魔法を放つ瞬間、レウルスは大きく息を吸い込む。前傾姿勢を更に深く、獲物に飛び掛かる獣のように深く体を沈める。
――全身に力をこめる。
――最後の力を振り絞る。
――足りない魔力は命を燃やして絞り出す。
『グ、グウウウウウゥゥッ!?』
自身が放った黒い閃光を飲み込み、貫いて迫る白い閃光を前に、黒龍は咄嗟に回避をしようとした。アレはまずい、と。直撃すれば無事では済まないと、生存本能が警鐘を鳴らす。
黒龍は放っている魔法を全て中断し、押し切られて被弾するとしても白い極光だけは回避しようとした。
「大精霊様を前にしたのです――膝を突け」
飛び退くべく下肢に力を込めた瞬間、そんな声が響く。同時に黒龍の右足に衝撃が走り、強制的に片膝を突く形となる。
反射的に黒龍が視線を向けた先にいたのは、コモナの登場によって黒龍の注意から外れたジルバだった。奇襲した時と同様に、それでいて骨が砕けそうな威力の打撃を叩き込むなり、ジルバはその場から離脱する。
仮にジルバが攻撃せずとも、回避できなかった可能性はあった。それでもその一撃は致命的な隙をもたらし、黒龍は自身に迫る白い輝きを呆然と見る。
死の予感を覚えたからか、時間の流れが遅く感じられた。そして、黒龍は気付く。死の予感は迫り来る白い閃光の更に奥――レウルスから放たれていることに。
押し込まれていた黒い閃光が完全に飲み込まれ、白い閃光が黒龍の体に直撃する。痛みを覚えるよりも先に体の端から削れ、消滅していく。胴体が、腕が、足が、くり抜かれるようにしてこの世から消えていく。
そんな黒龍目掛けてレウルスは弾丸のように飛んだ。自身の体に一切頓着せず、人体が出し得る速度を遥かに超え、黒龍との間に開いていた距離を瞬時に潰す。
体が消滅して首だけになっても、黒龍の意識は残っていた。生物ならば即死してもおかしくない傷を負ってもなお、黒龍は生きていた。
コモナが語ったズル――人間の形を取ることができ、黒龍の肉体すら構成できるスライムもどきがいたならば、首から上を基点として再び肉体を得て生き延びることができただろう。
だが、体が消滅し、眼前には必殺の意思を込めたレウルスが迫っており。
「――じゃあな」
残った黒龍の首を、レウルスが縦に両断する。それに併せてラディアが刀身から炎を放ち、躯を灰へと変えていく。
全力で斬撃を叩き込んだレウルスは空中で身を翻して着地し、両断した黒龍へと視線を向けた。
胴体が消滅し、灰になっていく黒龍は何も残っていない。スライムもどきも近辺にはいないのか、残心の構えを取るレウルスの勘に引っかかるものもいない。
そうして一分ほど警戒していたレウルスだったが、それまで届いていた嫌な感覚が急速に薄れていくのを感じ取った。それでも周囲の様子を確認するが、何も起きる気配がない。
――勝った。
――終わった。
そんな実感が湧いてくる。魔力を完全に消耗しきった影響か『熱量解放』が勝手に解け、全身から力が抜け、レウルスはラディアを地面に突き刺して体を支えながら大きく息を吐いた。
「あー……くそっ、腹ぁ減った……」
そして、思わずといった様子で呟く。久方ぶりに、いつ以来か思い出せないほどに体が空腹を訴えてくる。
黒龍を倒せたものの、エリザに融通した分の魔力の消耗もあり、底を突くどころか“突き破ってしまった”感じがした。アメンドーラ男爵領で魔物を狩って周って喰らい、溜め込んでは減らし、また溜め込むことを繰り返していた魔力を最早『熱量解放』どころか『強化』すら使えないほどに消耗してしまった。
それでも、家まで帰れば黒龍が強襲してきたため持ち出せなかった『魔石』や魔法薬もある。エリザ達も魔力が空っぽのようだが、レウルスは自分が魔法薬を飲んで少しでも魔力を回復すれば融通することもできるだろうと考えた。
(『魔石』からも魔力を吸って……砕けば飲み込めるか? 鉱物っぽいけど消化できるかな…‥)
そんなことを考えながらも、レウルスは両足に力を込めて自分の足で立とうとする。黒龍は倒せたが、今回の戦闘で甚大な被害を被った土地をどうするかコルラード達と検討しなければならないのだ。
「勝った……勝ったのじゃ! 途中で意識が飛んだ気がするけど勝ったのじゃ! っ、わわっ!?」
「エリザってば本当に意識が飛んで、ってなんでこっちに倒れてぎゃああああぁぁっ!」
黒龍の体の大部分を吹き飛ばしたエリザから歓喜と動揺の声が聞こえ、レウルスがそちらへ視線を向けてみるとサラを巻き込んで地面に倒れるエリザの姿があった。どうやら魔力だけでなく体力も使い果たしたらしく、倒れた拍子にサラを押し倒したらしい。サラはエリザを支える体力が残っていなかったのか、地面に押し倒されながら声だけで抗議をしている。
「ふぅ……さすがに疲れたぁ……ボクも魔力が空っぽだよ……」
「ネディも……」
そんなエリザやサラと同様に、精魂尽きたといわんばかりの様子でミーアとネディが地面に腰を下ろす。サラはエリザに押し倒されたのが不満だったのか取っ組み合いを始めていたが、それも普段と比べれば大人しいものだった。
エリザ達の疲れ切った、しかし大きな怪我もない姿を見たレウルスは安堵の息を吐く。戦闘中に治したものの裂傷や骨折、何ヵ所か欠損したレウルスは全身血だらけで、真紅の鎧もところどころ傷が付いたり留め具が壊れたりしていた。
――それでも勝った。
荒れに荒れた土地を今後どうするか、最低限整備するだけだとしても時間と手間がどれだけかかるか。それを考えるだけで頭が痛いが、脅威は去ったのだ。
さすがのヴァーニルも疲労困憊かつ魔力が底を突き、クリスとティナも魔力の消耗が大きい。ジルバだけは元気だったが最後に黒龍に叩き込んだ打撃の威力が高すぎたのか、自分の右手に治癒魔法をかけている。
(まずは町に戻って報告だな……いや、その前にコルラードさん達を呼び戻さないといけないのか)
既にスペランツァの町から避難しているはずだった。そのため町に戻って魔力を補充したら、コルラード達を呼び戻すところから始めなければならない。
そう、まずは魔力の補充が先だ。ここまで空腹を覚えたことは、魔力が欠乏したことはない。戦闘の緊張が薄れるにつれて腹の底から激しい空腹感が、飢餓感が沸き上がり――ドクン、とレウルスの体が大きく震える。
「…………あ?」
レウルスの意識が明滅する。自力で立とうとした両足から力が抜け、何かを考えるよりも先に膝を突いてしまう。
(なん、だ……体が……いや、腹が……)
両足だけでなく、全身からも力が抜けていく。レウルスは体を支えることができずに前のめりに倒れ、急速に霞がかっていく思考に困惑する。
ただ、今はただ――腹が、減った。
どうしようもないほどに、腹が減った。
腹が、減ったのだ。
(ま、ず……い……)
レウルスは咄嗟にラディアに手を伸ばそうとするが、力が抜けた体はピクリとも動かない。『思念通話』を使う魔力も残っておらず、声を上げることもできない。
そして視界が黒く染まり、それと同時にレウルスの意識が急速に薄れていくのだった。
「レウルス?」
サラと取っ組み合いをしていたエリザは、遠目に見えるレウルスが突然倒れたことで声を漏らす。
エリザとしては心臓に悪いことだが、レウルスは吸血種としての力を引き出していたため怪我を負っても治すことができる。それでも倒れたということは思ったよりも重傷だったのかとエリザは焦ったが、数秒も経つとレウルスがゆっくりと立ち上がった。本当にゆっくりと、時間をかけてレウルスが立ち上がった。
そんなレウルスの姿に、エリザはひやりとしたものを感じ取る。
「……え?」
何故そんな感覚を覚えたのか、エリザにもわからない。レウルスに対して抱く必要などないはずだと、エリザは思った。
――恐怖の感情など、何故覚えてしまったのか。
「……レ、ウルス?」
エリザはもう一度レウルスの名を呼んだ。その声が震えを帯びていたことにエリザは気付かず、しかし、レウルスの耳にはしっかりと届いていた。
『アア……』
レウルスが肩越しに振り返り、エリザ達を見る。次いでヴァーニルを、クリスとティナを、最後にジルバを見て、口の端を吊り上げる。
『ハラガ……ヘッタ』
そう言って、レウルスは『首狩り』の剣を引き抜くのだった。




