第623話:厄災 その6
レウルスとヴァーニルが行う黒龍との戦い。
それは、遠目に見ていたエリザ達にとって普段の戦いと比べても異常かつ異質なものだった。
並の家屋を遥かに超える巨体のヴァーニルと黒龍。その両者は動くだけで大地が揺れ、木々が圧し折れ、放たれる咆哮は大気を震わせる。
これまで様々な戦いを乗り越えてきたエリザ達であっても気後れするほどだ。特に黒龍からは威圧感だけでない、形容しがたい嫌悪感、恐怖感が伝わってきた。
エリザ達が知る限り最強の魔物であるヴァーニルでさえ、黒龍が相手では勝ちきれていない。ヴァーニルよりも体が大きい魔物など、『城崩し』やメルセナ湖で見た巨大化したスライムなどの限られた存在ばかりで、言い方は悪いがヴァーニルと比べれば“大きいだけ”だ。
その巨体に見合った強さはあるが、ヴァーニルと比べれば大きく劣る。そんな強さを持つヴァーニルでさえ体格差だけが原因とは思えないほどに攻めきれないでいた。
もしもヴァーニルと黒龍の戦いが大きな町の傍で行われていたならば、その不幸な町は既に灰燼に帰していただろう。それほどまでに激しく、危険で、周囲に甚大な被害をもたらす――そんな戦いの真っただ中に、レウルスは飛び込んでいるのだ。
隙があれば魔法を撃つようエリザ達に告げた後、空中戦を行うヴァーニルの背中に飛び乗り、黒龍を地表に落とし、今もなお体格差など物ともせずに戦っている。
それはレウルスをよく知るエリザ達にとっても異常なことであり、心臓に悪いことでもあった。
それでもレウルスとヴァーニルが黒龍を抑えている間に魔法の準備を整え、距離を詰め、そして今。
『準備完了じゃ! いくぞっ!』
エリザが『思念通話』で合図を送る。緊張と恐怖で足が震えそうになるが、敗北は死を意味するのだ。黒龍がサラ達精霊やヴァーニルを狙ってきている以上エリザに逃げるという選択肢はない。
「オオオオオオオオォォッ!」
そして、エリザ達の動きに合わせてレウルスが再び黒龍へ斬りかかる。注意を引くためであり、仮に黒龍がエリザ達に意識を向ければそれを隙として斬るためだ。
(魔法を撃つ直前に合図を……いや、これ以上は危険じゃな)
『思念通話』は魔力の扱いに長けた者には察知されてしまう。内容を読み取ることができる者は皆無だろうが、黒龍ならば何かしらの方法で『思念通話』を読み取る可能性があった。仮に読み取れずとも、『思念通話』の魔力を察知されれば魔法の発動に気付かれてしまうかもしれない。
エリザ達は強力な魔法を扱うことができるが、使おうと考えて即座に撃てるほど魔力の扱いに長けているわけではない。並の魔物が相手ならばまだしも、黒龍を相手にして通じると思える威力の魔法を無理なく使うには相応に時間がかかってしまう。
故に、外すわけにはいかない。二度目はないと覚悟して挑まなければならない――が、何も全員の魔法を全て命中させる必要はない。
レウルスやヴァーニルが決定的な一撃を叩き込むための隙を作るため、あるいは“本命”の魔法を撃ち込むため。エリザは黒龍が放つ威圧感に気圧されながらも叫ぶ。
「ネディ!」
「任せて」
エリザの声に応えるようにして、ネディの魔力が膨れ上がる。そしてネディを中心として大量の水が湧き出たかと思うと、水が束になってまるで意思を持つように黒龍へと殺到した。
「っ!?」
黒龍へと斬りかかり、しかし回避され、高速で走っては再度斬りかかっていたレウルスは少しばかり驚きながらも攻撃を続ける。
ネディが操る水の束は蛇のようにのたうち、それでいて獲物を締め上げようとするかのように黒龍の体へと絡み付いていく。
(直接的な攻撃じゃない……搦め手か?)
何かしらの考えがあるのだろう。そう判断したレウルスは黒龍の気を引くように、魔法よりも自分の方が無視できないように、『熱量解放』を全力で行使しながら攻撃を仕掛けていく。
黒龍はエリザ達を認識しつつも、その意識の大半をレウルスとヴァーニルに向けていた。魔法の準備をしていることも、今まさに行使していることも気付いている。だが、それよりもレウルスとヴァーニルの方が脅威だと見做していた。
黒龍とヴァーニルが動き回った影響で木々が圧し折れ、ところどころ見通しが良くなった森の中。レウルスは時に地面を、時に木の幹を、時に岩を足場に駆け回り、虎視眈々と黒龍の隙を狙っている。
ヴァーニルはそんなレウルスとは対照的に、黒龍と距離を取った状態で動きを止めていた。人間であるレウルスが前に立ち、火龍であるヴァーニルが後衛に控えるという奇妙な状態である。しかしそれは何もしないのではなく、あくまで攻撃の準備のためだった。
黒龍は迫り来る水の束よりもレウルスの方がより脅威だと判断したのか、一瞥するに留める。ネディが操る水の束は黒龍の巨体と比べれば細く、鞭のように叩きつけられても脅威にならないと判断した。
そもそも、黒龍と比べれば水の束が迫る速度は遅い。それでもネディは水の束を操り続け、レウルスの援護もあって徐々に水の束が黒龍を取り囲む。
「今」
何を思ったのか、ネディが水の束の操作を手放す。最後に魔力を送り込んで爆ぜさせ、水の飛沫が黒龍の体を濡らしていく。
『…………?』
そんなネディの行動を疑問に思ったのだろう。黒龍は僅かに困惑した様子でネディを一瞥し――次の瞬間、エリザが放った雷撃が飛来した。
可能な限り魔力を込め、可能な限り威力を高め、可能な限りの速射。その一撃は黒龍が咄嗟に防御態勢を取るほどだったが、エリザが狙ったのは自身の魔法による黒龍の打倒ではなかった。
『ッ!?』
雷撃が“黒龍の全身”を襲う。ネディが振り撒いた水を伝った雷撃は瞬時に黒龍の体を駆け抜け、ほんの僅かとはいえ動きを鈍らせた。
そして、それを見越したようにミーアが駆けていた。愛用の鎚を振りかぶり、全力で地を蹴って黒龍との間合いを詰める。
ミーアはエリザのように魔法使いとして指導を受けたことがなく、サラやネディのように属性魔法の扱いに長けているわけでもない。魔力を細かく制御することもできず、大雑把に魔法を行使することしかできない。
それでも、“できること”がある。
「てえええええぇぇいっ!」
魔力を細かく制御できないのなら、最初からしない。込められる魔力、自力で扱える限りの魔力を全て込め、愛用の鎚を振るって全力で地面に叩きつける。
その瞬間、魔法の発動を感じ取った黒龍は地面を蹴って回避しようとした。いくら雷撃の影響があるといっても、完全に麻痺するほどではない。多少の移動は可能で、ミーアが繰り出そうとしている“何か”の回避は可能だと判断してのことだった。
『な、にっ!?』
地面を蹴りつけたはずの足が空を切る。その異常事態に気付いた黒龍は反射的に足元へ視線を向け、驚きの声を漏らしていた。
黒龍を中心とした半径二十メートルほどがすり鉢状に陥没し、黒龍から足場を奪っていたのだ。
片翼を失った黒龍は飛べず、足場を失った体が宙に浮く。重力に引かれて落下をし始める。陥没した穴は数メートルと深いが、地面に着地するまで一秒とかからない。
エリザとミーア、ネディによって稼ぎ出した、“稼ぎ出せた”時間は一秒にも満たなかった。一秒では落下し始めた黒龍をレウルスが斬ることはできず、ヴァーニルの魔法も間に合わない。
たったの一秒――だが、これまで準備を整えていたサラにとっては十分すぎる時間だった。
エリザが魔法を放つと同時に溜めに溜めた魔力を開放する。右手を掲げると渦を巻くようにして炎が噴き出し、瞬時に制御して一点に集中していく。
赤い炎が黄色に、そして白色へと変化し、その形を槍のように変化させる。本来ならば分単位で時間がかかるが、レウルスとヴァーニルが戦っている間に準備は万全だった。
サラはそのまま大きく一歩踏み込むと、掲げた右手を思い切り振り下ろす。その動きに合わせて空中で身動きが取れない黒龍目掛け、白い炎の槍が熱波を伴いながら射出される。
「いっけえええええええええぇぇっ!」
ボッ、と空気が爆ぜる音と共に放たれたのは、かつてメルセナ湖に出現した巨大スライムの巨体すらその大部分を消し飛ばした一撃。メルセナ湖の水を大量に吸収したスライムでさえ蒸散させて吹き飛ばす、上級に類する火炎魔法。
炎の精霊たるサラが全力で放つ、直撃すれば炎に強い火龍ヴァーニルですら必死の一撃だった。
それまで黒龍の気を引いていたレウルスは、瞬時にその場から飛び退く。射線からは外れていたものの、仮に黒龍の体を貫通すれば至近距離を通過するだけで炭化しかねないと判断したからだ。
さすがに無視できないと判断した黒龍は、即座に迎撃を選択する。穴の底に四肢が着いてから抜け出す暇はなく、伏せて回避するには穴が狭い。それ以外の選択肢はなかった。
『舐――めるなッ!』
これまで魔力を溜めていたサラと比べれば、ほんの僅かな時間。それでも、余裕は一秒にも満たずとも、サラと黒龍では生き物としての格が違う。
黒龍は精霊であるサラを遥かに上回る速度で魔力を収束させ、ヴァーニルと撃ち合っていた時のように黒い閃光を放つ。それでいてレウルスやヴァーニルの挙動にも意識を向けられる程度には余裕があった。
――だからこそ、放った黒い閃光を貫通して飛来した白炎の槍に黒龍は驚愕する。
黒龍からすれば精霊という存在は脅威ではあるものの、ヴァーニルの方が面倒かつ厄介な存在だ。そしてこの場においてはヴァーニルに次いでレウルスが脅威で、サラ達精霊は前者二人よりも大きく劣る。
それほどまでに差が大きい――はずだった。
黒龍は驚愕しながらも大穴の中で咄嗟に体を捻る。サラが放った白炎の槍は回避しにくいよう胴体の中心目掛けて放たれており、黒龍にできたのは“尻尾を捨てる”ことだけだった。
回避できないのならば、先に尻尾を叩きつけて炸裂させる。
黒龍が放った黒い閃光とぶつかり合った影響か、白炎の槍も威力を減じていた。だが、それでもなお、黒龍の尻尾を根こそぎ吹き飛ばす。
『グ、ヌゥッ!?』
その衝撃と痛みは普通の生き物、あるいは並の魔物ならば十分に即死させ得るだろう。しかし黒龍は苦悶の声を漏らすばかりで、その瞳に宿る戦意と殺意が揺らぐことはない。
サラの魔法によって発生した爆炎と黒煙に巻かれながらも、黒龍は油断なくレウルスとヴァーニルへ視線を向ける。
ネディが水魔法を、エリザが雷魔法を、ミーアが土魔法を、サラが火炎魔法を使った。レウルスとヴァーニルが戦っている間に準備をした魔法を撃った以上、エリザ達の脅威度は一気に下がる。
サラの魔法だけは想定以上の威力だったが、こうなればあとは脅威と呼べるのはレウルスとヴァーニルだけだ。
『…………?』
黒龍はそう判断したが、レウルスとヴァーニルが動かないことに疑問を覚える。サラの魔法に巻き込まれないよう距離を取ったのだとしても、あまりにも動きがなかった。
サラの魔法で地面が多少吹き飛んだものの黒龍はいまだに大穴に囚われたままで、攻め込むには絶好の機会だというのに。
そんな疑問が浮かんだからこそ、黒龍は反応が遅れた。
太陽が雲に隠れたのか、にわかに黒龍の周囲が暗くなる。黒龍を中心として地面に円形の影が広がり、数秒と経たない内に“風切り音と共に”影が一気に黒龍目掛けて収束していく。
明らかに自然現象とは思えない事態に、さすがの黒龍も弾かれるようにして頭上を見上げた。
そして目撃する。大穴目掛けて落下してくる黒龍の巨体すら上回る巨大な氷の塊と、それを操るネディの姿を。
『氷魔法だと!? まさか複数属性の精霊か!?』
質量もさることながら、ネディが操って重力と共に加速させた直径数十メートルの氷の塊は最早凶器と呼ぶのも生温い。サラが放った白炎の槍の対処に意識を割かれた直後の不意打ちに、黒龍は隙を晒すと理解していても迎撃する他ない。
大穴から抜け出して回避するには遅く、押し潰されずに済むには巨大な氷の塊を破壊するしかなかった。
「――――!」
そして、その隙を見逃すほどレウルスも大人しくはない。
黒龍が巨大な氷の塊を黒い閃光で迎え撃ったその瞬間、『熱量解放』を全開にしたまま即座に距離を詰める。
仮に黒龍がレウルスを優先して対処しようとしても、巨大な氷の塊に潰される。黒龍の体格すら上回る大きさの氷が降ってくるとなると近付くだけでも危険だが、レウルスにとってそれは“踏み込まない理由”にはならない。
エリザ達が生み出した好機を、逃すわけにはいかないのだ。
『グゥ――アアアアアアアアアアアアアアアァァッ!』
迷わず踏み込んでくるレウルスの姿に、黒龍は怒りすら込めて咆哮する。
優先すべきは氷の塊か、レウルスか。その二択に追い込まれた黒龍が選んだのは、“両方”だった。
これまでレウルスを相手に見せていた全方向への魔法攻撃。威力を優先して一点に集中するのではなく、自身の周囲を吹き飛ばす命中重視の黒い衝撃。そこに乗せられる限りの魔力を乗せ、自爆する勢いで一気に放出する。
氷の塊を可能な限り削り、接近してくるレウルスにも対処しようというどっちつかずな、しかし黒龍という規格外の存在ならば実現し得る対処方法だった。
上空から落下していた氷の塊がやすり掛けでもしたように削れ、勢いを失っていく。氷を操るネディの額に汗が浮かび、歯を食いしばって懸命に魔力を送り込んでいく。
そして黒龍に向かっていたレウルスも、最早黒い壁としか言い様のない破壊の嵐が迫ってくるのを見て回避に移る――などということはしなかった。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォッ!」
黒龍の咆哮に負けじと声を張り上げ、更に前へ、前へと突き進む。既に全開にしている『熱量解放』へと限界以上に魔力を回し、エリザとの『契約』を通して吸血種としての力を引き出しながら破壊の嵐へと突入する。
ネディが魔力の大半を注ぎ込んで操る氷の塊は上級魔法と呼べるだけの威力と硬度があった。仮に城壁に向かって撃ち出せば、容易に粉砕するだろう。
そんな氷の塊でさえ削られる破壊の嵐に飛び込めば、人体など容易に砕け散る。いくら真紅の鎧を身に纏っているとしても、剥き出しになっている部分は防ぎようがない。
故に、“肉体を削られながら”レウルスは踏み込んだ。
『ッッ!?』
視力を失わないよう手甲を眼前にかざしながら、鎧に守られていない箇所の肉体から盛大に血を噴き出しながらも、レウルスは黒龍の傍へと到達する。文字通り体がボロボロに、鎧同様真紅に染まった肉片を飛び散らせながら。
しかし吸血種としての力が、削られた端から肉体を再生させていく。それでも常人ならば発狂を超えて即座にショック死しかねない激痛が全身を襲うが、レウルスは止まらない。
ラディアを両手で握り、抉れた地面を物ともせずに踏み込み、驚愕の声を漏らす黒龍の隙を逃さず。
「――――」
それまでの咆哮と殺気が嘘のように、音を置き去りにするようにしてレウルスはラディアを振り抜いた。すると黒龍の体が僅かに痙攣し、その動きを止める。それまで周囲を削り取っていた破壊の嵐が一気に消失する。
それと同時に黒龍の首が根元から真横へとずれ、落下してきた氷の塊が破壊の嵐によって吹き飛んだ大穴ごと黒龍の体を押し潰した。
『貴様は塵一つ残さん』
そして、黒龍の首を両断したレウルスが駆け抜けるなり、押し潰された黒龍の体目掛けてヴァーニルが白く輝く熱線を叩き込むのだった。




