第620話:厄災 その3
『援護しろとは言ったが我に乗って直接戦うとは正気か貴様!?』
「俺は近付かなきゃ斬れないんだから仕方ないだろ!」
ヴァーニルの背中に飛び乗ったレウルスだったが、ヴァーニルとしては予想外だったのか怒鳴るような声を上げる。そんなヴァーニルに対して即座に怒鳴り返すレウルスだったが、風圧が凄まじいためヴァーニルはまだしも、レウルスは大声を張り上げなければ声が届かないのだ。
『ええい! この大馬鹿者め! 振り落とされても文句は言うなよ!』
ヴァーニルはそう叫んで黒龍へと向き合い、翼を力強く羽ばたかせる。
「っ!?」
ヴァーニルの巨体が急加速し、それと同時に背中にいるレウルスの体が後方へと吹き飛びそうになった。
(風圧……というかGだったか? そりゃこんな速度で飛んでるならすごいことになるよな)
『熱量解放』を使っているためヴァーニルの鱗を掴んで体を固定できているが、少しでも気を抜けばそのまま吹き飛んでしまいそうだ。吹きつける風は目を開けることすら困難にし、『熱量解放』を使っているにもかかわらずレウルスは薄っすらと目を開けることしかできない。
『熱量解放』なしならば小さなゴミが直撃するだけで失明しそうなほどだ。あるいはすぐさま眼球が乾燥して目を開けられなくなるか。
『ガアアアアアアアアアアアアアアァァッ!』
黒龍が咆哮し、魔力が高まる。それだけで地表にいた時よりも威圧感が跳ね上がったように感じられ、体にかかる重圧も増したようにレウルスには感じられた。
『“生まれたて”が舐めるなぁっ!』
ヴァーニルも対抗するように吼え、眼前に火球を生み出す。その熱は背中のレウルスにも届くが、ヴァーニルとしても加減をしている余裕がないのか常人ならば熱波だけで焼け焦げてしまいそうだ。
普段ならサラと『契約』しているレウルスならば焼けて死ぬことは早々ない。だが、サラだけでなくエリザ達とも距離が離れすぎると『契約』が感じ取れなくなり、自力で耐える必要がある。
『熱量解放』を使っているため耐えること自体は可能だ。しかし、高速で飛び回っているにもかかわらず伝わってくる熱波は黒龍との戦いの凄まじさを物語っていた。
ヴァーニルが再度熱線を放ち、黒龍も黒い閃光を放って相殺。それは先ほどの魔法の撃ち合いの焼きまわしでもあり――その間にレウルスはヴァーニルの鱗から手を離し、飛んでいた。
ヴァーニルに黒龍の真下を飛んでもらえば、危険を冒さずとも斬撃が届くかもしれない。しかしそれはレウルスに危険がないだけで、ヴァーニルは黒龍に無防備な背中を晒すことになる。故に危険だとわかっていても飛ぶのだ。
そんなレウルスの動きを感じ取ったのか、レウルスが飛び上がるなりヴァーニルは黒龍の斜め下を潜る軌道を取る。それを隙と思ったのか黒龍は前腕を振り下ろしてヴァーニルの外皮を切り裂こうとするが、ヴァーニルは飛行中にもかかわらず側方宙返りのような動きで真上を向きつつ前腕を振るい、爪同士がぶつかり合って空中で火花を散らした。
「おおおおおおおおおおおおぉぉっ!」
空に咲く火花を気にする余裕もなく、レウルスは叫ぶ。ヴァーニルが飛ぶ速度もそのままに斜め上へと飛び上がったレウルスは、黒龍の頭上を取っていた。しかしヴァーニルも黒龍も数十メートルもの巨体とはいえすれ違うのは一秒にも満たず、相対速度で考えればどれほどになるか。
それでもレウルスは構わずにラディアを振るう。空中でぐるりと前方に一回転し、魔力を刀身に乗せながら。
「チィッ!」
放った魔力の刃は黒龍に命中せず、レウルスは舌打ちを零しながら落下する。ヴァーニルと黒龍が交差する速度が速すぎたため、レウルスが大剣を振り切る頃には射程距離ギリギリだったのだ。
『あっちだよ』
そして次の瞬間、何を思ったのかラディアが刀身から炎を噴き出してレウルスの体を強制的に吹き飛ばし、移動させた。それによってレウルスの体は錐もみをしながら真横へと飛ぶ。
「っ!? っと!」
驚きの声を上げるよりも早く、視界にヴァーニルの背中が映った。そのためレウルスはラディアの意図を察し、なんとか態勢を整えながらヴァーニルの背中に着地する。
「すまんヴァーニル! 飛び出すのがちょっと遅かった!」
『本当に斬りかかるとは、貴様正気か……』
すぐさま鱗を掴みながらレウルスが叫ぶと、ヴァーニルからは呆れたような声が返ってきた。
高速で飛ぶヴァーニルの背中から跳躍し、これまた高速で突っ込んでくる黒龍に斬りかかる。言葉とは裏腹に多少気を遣ったとはいえ、ヴァーニルからすれば曲芸を超えた自殺行為だ。
「次はもっと上手くやる! だからもう一度同じ動きで頼む!」
再び黒龍と向き合うべく旋回するヴァーニルの背中で叫んで言えば、呆れたような声が返ってくる。
『それは構わんが……黒龍にぶつかれば死ぬぞ?』
「つまり、ぶつかる前に斬ればいいんだろ?」
交差するヴァーニルと黒龍の相対速度がどれほどになるのか、レウルスでは計測することもできない。時速何百キロか、音速に匹敵するか、あるいは音速すら超えるのか。
それほどの速度で黒龍にぶつかった場合、『熱量解放』を使っていたとしてもヴァーニルの言う通り死ぬ可能性が高い。ラディアで斬れるかもわからず、下手すればラディアが圧し折れるかもしれない。黒龍を地面に叩き落とすようヴァーニルに頼んだ方が確実かもしれない。
また、レウルスが賭けるのは自分一人の命ではない。レウルスが死ねば少なくとも『契約』によるつながりでサラも巻き添えになって死ぬ。それを思えば危険を冒し過ぎるのは悪手だろう。
考え出せば危険はいくらでもある――だが、レウルスの直感は“コレだ”と叫んでいた。
そこまでの危険を冒して、それでも最低でも黒龍を地面に叩き落とさなければ負ける。
『フ――ハハハッ! 面白い! 相変わらずだな馬鹿者め! よかろう!』
レウルスの言葉に呵々大笑すると、ヴァーニルは黒龍と向き合いつつ体の周囲にいくつもの火球を生み出す。そして機関銃のように次から次へと発射し、迎撃する黒龍との間に派手な爆炎を散らし始めた。
『突っ込むぞ!』
「応よ!」
火龍であるヴァーニルは己が作り出した爆炎で体を焼かれることなどない。そのため大きく咲いた爆炎にそのまま突っ込み、レウルスは迫り来る巨大な魔力に合わせて再びヴァーニルの背中から飛び出した。
『ッ!?』
ヴァーニルと共に爆炎を突っ切った先には、黒龍がいた。ヴァーニルに向かって前腕を振り下ろそうとしていたものの、ヴァーニルとほぼ同時に爆炎から飛び出してきたレウルスに気付いて目を見開く。
どうやら先ほどの交差ではヴァーニルにしか目が向いていなかったようだ。それはレウルスを脅威と見做していないからか、斬撃が当たらなかったため気付かなかったのか、サイズ差で見落としていたのか。
――単純に、空を飛んでいる自分に真正面から突っ込んでくる人間がいると黒龍が思わなかったのか。
「シャアアアアアアアアアアァァッ!」
驚く黒龍に構わず、レウルスは咆哮する。空中に投げ出されてもなお突き進む体に構わず、両手でラディアをしっかりと握り、黒龍を顔面から両断すべく真っ向から振り下ろす。
『グ、オオォッ!?』
黒龍は慌てた様子で首を振って斬撃を回避するが、飛行中に正面から人間に飛び掛かられるという状況で反応が遅れたのだろう。頭部を切断されることこそ回避したものの、ラディアの刃は黒龍の首に到達する。
すれ違う黒龍を斬りつける形になったが、レウルスの予想よりも返ってくる手応えが軽い。黒龍の外皮や鱗がそこまで硬くないのか、ラディアの切れ味が良すぎるからか、その両方か。
レウルスはラディアを握る手の内から伝わる僅かな抵抗に口の端を吊り上げた。首を振られたため両断はできないが、振り下ろした刃は黒龍の首を斜めに斬りつけ、空中に真っ黒な血を噴き出させる。レウルスは手応えを確認すると同時に斬った際の抵抗で体を捻ると、振り切ったラディアを再度構えた。
「落ちろ黒トカゲエエエエエェェッ!」
レウルスが頭部の次に狙ったのは黒龍の翼だ。翼を斬ることができれば地面に落下するだろう。そうなれば空中からヴァーニルが、地表からエリザ達が魔法を撃ち込んで一気に殺し得るかもしれない。
だが、自由が利かない空中かつ交差からすれ違うまで一秒とかからない状況では高望みが過ぎたのか。二度目の斬撃は空を切り、レウルスはくるくると回転しながら空を飛ぶ。
『よこ』
短いラディアの声と共に、レウルスのすぐ傍に氷の塊が現れた。それを見たレウルスは即座に氷を殴りつけ、強引に体の回転を止める。そうしている間に体が自由落下を始めたが、眼下にヴァーニルが滑り込んできたためレウルスはそのまま着地した。
『その剣ならば斬れるようだな』
「っとと……ああ、斬る分には問題ねえ、が……」
ヴァーニルの首裏に着地したレウルスは風圧で飛ばされないよう注意しつつ、肩越しに振り返って黒龍を見る。今しがた斬りつけた傷からは黒い液体が溢れ出しているが、普通の血液とは異なるのか、ボコボコと泡立ちながら傷口の端から傷が塞がっていくのが見えた。
チラ、とラディアに視線を向けるレウルスだったが二度剣を振ったからか、風圧で飛んでいったのか、血液は付着していない。確証はないが、斬ってもラディアに悪影響がある可能性は低いと考えて良いだろう。
「……アレ、首を落とすなりすれば死ぬと思うか?」
顔の近くに着地したため叫ぶ必要はない。そのためレウルスが疑問を込めて尋ねると、ヴァーニルは唸るような声を上げた。
『試してみなければわかるまいよ。可能なら頭か首を落とせ。もしくはさっき狙ったように翼を斬れ。叩き落とせればこちらの勝ち……とは言わんが、有利になろう』
「すれ違いざまに斬るのは難しい。組み付けるか?」
空中とはいえ、ヴァーニルが黒龍の動きを止められるならば飛び移って斬りかかれば良い。跳ね飛ばされる危険性があるが、ラディアを突き刺せば多少暴れられても振り落とされることはないだろう。あるいは『首狩り』の剣や短剣を突き刺しながら移動すれば首や頭部、翼の位置まで移動できるかもしれない。
『組み付くだけならば簡単だが……さすがに我も黒龍と戦うのは初めてだ。何をしてくるかわからんぞ?』
そんなヴァーニルの言葉に、レウルスは小さく笑う。
「初めて出会った魔物と戦う時はいつもそうだったし、何が起きるかわからないのは当然だろ?」
『……そうだな。それが当たり前、か』
レウルスの言葉に思うところがあったのか、ヴァーニルはそう言って笑い返した。
ヴァーニルにとって、己以上の強さを持つ存在と戦う機会は皆無だった。同格ですらその機会はなく、今回の件はこの世に生を受けて初めての出来事である。
属性龍のヴァーニルは生まれながらの強者であり、成体として何百年も生きた今となってはカルデヴァ大陸における絶対的強者だ。世界中を見渡しても同格以上と呼べる存在は数えるほどしかおらず、いたとしても“自分と同じ立場”で戦う機会がない。
ヴァーニルにとって、勝てるかわからない敵というのは未知の存在だ。戦いというのはいつだって受けて立つものだった。挑まれることこそあれど、挑むことなど初めてなのだ。
今の世で名を挙げるとすれば、レウルスのようにヴァーニルを倒し得る可能性を持つ者は存在する。しかし、倒し得る手段を持つだけで実際に戦えばヴァーニルの方が勝つだろう。油断する、あるいは手を抜けば良い勝負になるだろうが、殺し合えばヴァーニルの勝ちは揺らがない。
そんなヴァーニルにとって、己が勝てないかもしれない敵というものは恐怖を煽る――などということは、なかった。
ヴァーニルは戦いを好むが、弱い者をいじめたいわけではない。弱者を相手にして蹂躙し、気持ちの良い勝利を得たいわけではないのだ。
一対一ではなく、レウルス達の助力を得た上で戦うような格上の相手。
そんな相手と戦っている現状に昂り、ヴァーニルは大口を開けて咆哮する。
『フ……ハハハハハハハハハ! 我にとって初めての難敵か! なんとも血沸き肉躍る! 全霊を賭して打ち砕いてやるわ!』
「なんなら一人であの黒トカゲを叩き落としてくれてもいいんだぞ?」
常人ならば鼓膜が破れそうな大声に顔をしかめ、レウルスがヴァーニルの横顔を叩きながらそう提案した。するとヴァーニルは笑みを深め、真っすぐに黒龍を睨みつける。
『魅力的な提案だ。我もそうしたい……が、約定は約定だ。殺し切ることを最優先とする』
「そうかい……んじゃ、頼んだぞヴァーニル!」
『そちらこそしくじるなよ!』
そう叫んで気合いを入れ直したヴァーニルは、レウルスを乗せたまま黒龍へと突っ込んでいくのだった。




