第61話:新居
カルデヴァ――そう呼ばれる大陸には、広大な国土を持つ大規模国家が二つ存在する。
実際の形とは異なるがカルデヴァ大陸を正方形とした場合、大陸随一の国土を誇る国家ラパリが南東に、ラパリに次いで第二位と呼べる国土を持つ国家マタロイが北西に存在していた。
カルデヴァではこの二国だけで大陸の半分近い面積を占めている。しかし、当然ながら他にも国家が存在した。
先の二国には劣るものの、“他の大陸”ならば大国に分類されるであろうベルリド国が大陸の北東に存在する。残った大陸の南西に二国、ハリストとポラーシャという国が存在した。
カルデヴァ大陸においてはこの五ヶ国が有名であり、他にも多くの国家が存在するが、その国土の小ささ、特産品の少なさ、抱えている兵力の弱さ、魔法技術の低さで名前が挙がることも稀だ。
小国は小国同士で手を結び、あるいは同盟という名で大国の庇護下に収まっている。小国とは呼べないものの大国とも呼べない中規模国家は国土の拡張を虎視眈々と狙い、大国も領土を拡張すべく蠢動していた。
小国でも数百人、中規模国家でも数千人、大国になれば数万人もの兵力を繰り出し、激しくぶつかり合うこととなる。
もちろんどんな国でも一枚岩ではなく、一つの国の中でも争いは起きる。
貴族と呼ばれる特権階級者が己の領地を少しでも広げようと権謀術数を張り巡らせ、時にはぶつかり、時には手を結び、規模の大小こそあれど兵力や権力を交えた争いが起こるのも日常茶飯事と言えた。
カルデヴァ大陸ではここ数年、国家間における大規模な戦争は起こっていない。
それでも水面下の小競り合いは絶えず、小国は飲み込まれまいと抗い、大国はその国土の広さに見合った力を背景に行動し、中規模国家はバランスを取りながら荒波を乗り越えている。
どんな世界、どんな国だろうと争いが完全に絶えることはない。魔物が跋扈し、魔法という超常的な力を操る者がいても、人間が争いを止めることはなかった。
国土の拡張、政治、宗教、商業、工業、魔法技術。争う理由はいくらでもあり、特にほんの一握りしか存在しない権力者達は己の権力を増すことに熱心だ。
だが、この物語はそんな権力者からほど遠い者達が集まる町――マタロイに存在するラヴァル廃棄街という場所から始まる。
日差しの強さに夏の訪れを実感する季節。
朝晩はともかく昼になると汗ばむ陽気の中、一組の男女が一軒の家の前に立っていた。
「完成だ……」
男女の片方、少年ではなく男性と呼べる外見の人物――レウルスが万感の思いを込めて呟く。
レウルスは乱雑に切った赤茶色の髪と、同色の瞳が特徴的な男性だった。
丈夫な麻で作られた長袖のシャツとズボンを身に着け、その上に革鎧や手甲、脚甲といった防具を装備している。腰元には短剣を括り付け、その背中には身長よりも若干長い片刃の大剣を背負っていた。
レウルスはラヴァル廃棄街で冒険者という職業に就いており、危険な生き物である魔物の退治を頻繁に受け負う下級中位の冒険者だ。
「完成じゃのう……」
レウルスの呟きに反応したように、傍にいた少女――エリザが呟く。
エリザは身長が170センチ近いレウルスと比べ、頭一つ以上背が低い小柄な体格の少女だった。
桃色がかった金髪が背中まで伸びており、真紅の瞳と可愛らしい顔立ちが特徴的である。
レウルスと同じく麻の衣服を身に纏い、心臓などの急所を守る革製の部分鎧や手甲、脚甲、そして一メートルほどの杖を装備している。
普段ならばこの上から厚手の外套を羽織ることで防御を固めるのだが、夏の暑さを嫌って身につけていなかった。
そんな二人の視線の先にあったのは、一軒の家だ。木の柱と土壁で造られた、こじんまりとした一軒家である。
「夢の『まいほぉむ』じゃ!」
“この世界”に存在しない言葉を口に出して喜びを露にするエリザに、その言葉を教えたレウルスは小さく苦笑する。
レウルスはこの世界――魔法や魔物が存在する“異世界”に転生した元日本人である。過酷な労働環境で過ごす内に過労と病気、さらに栄養失調が三重で祟り、命を落とした過去を持っていた。
生まれ変わってからも、奴隷同然の扱いを受けて十五年生きてきた。過酷で危険な農作業に従事し、十五歳になって成人を迎えたと思えば鉱山奴隷として売り払われたのである。
奴隷という名の商品として運ばれる途中、キマイラという強力な魔物に襲われて逃げ出すことに成功したが、行く当てもないレウルスが死ぬ直前にたどり着いたのがこのラヴァル廃棄街だった。
紆余曲折を経て冒険者になり、ラヴァル廃棄街に受け入れられたレウルスだったが、ある意味では命の恩人でもあるキマイラが襲来。これを辛うじて打倒することができ、本当の意味でラヴァル廃棄街の一員として受け入れられた。
そして、冒険者として過ごす内に出会ったのがエリザである。
エリザは普通の人間ではなく、吸血種と呼ばれる種族だ。レウルスは前世で知った吸血鬼だと勘違いして襲いかかったが、不死身でもなければ血を吸った相手を吸血鬼にするわけでもない、“ほとんど”人間と変わらない存在である。
だが、そんなエリザを狙ってグレイゴ教と呼ばれる一団に襲われた。ラヴァル廃棄街の中で、何の脈絡もなくレウルスが刺されたのだ。
エリザは攫われ、レウルスは刺された際に塗られていた猛毒で苦しむこととなる。それでも“前世の因果”が良い方向に作用した結果、レウルスはなんとかエリザを救出することができた。
レウルスもエリザも天涯孤独の身であり、その上で『契約』と呼ばれる特殊な結び付きを得た二人でもある。
そんな二人はラヴァル廃棄街という寄る辺を得たが、住んでいる場所はドミニクという男性が経営する料理店の物置だ。窓もない、三畳ほどの広さの部屋は二人で住むには狭すぎるため、こうして家を建てたのである。
レウルスが前世で住んでいた家と比べれば、遥かに貧相だろう。コンクリートもなく、家の全てが木造というわけでもない。
――それでも、自分達だけの家というものはやはり特別なのだ。
レウルスがラヴァル廃棄街に来て早四ヶ月。エリザと出会って三ヶ月経ったが、こうして住む場所を得ることができたのは言い様のない感動があった。
レウルスはエリザを伴い、作られたばかりの木の扉を開けて家の中に足を踏み入れる。
電灯が存在しないため太陽の光が主な光源であり、夜には蝋燭で仄かな明かりを得るだけしかない。採光用に窓ガラスがあるわけでもないため家の中は薄暗かったが、それでもレウルスの目には眩く輝いて見えた。
入口の扉を開けて最初に目に飛び込んでくるのは、横に細長い土間である。二メートルほどの幅があり、扉を挟んで左右に五メートルほど土間が続いている。
土間にはコンロなどの文明的なものはなく、竈も設置されていない。井戸から汲んだ水を溜めるための甕と木の桶が二つ置かれているだけだ。
そして、土間には三つの扉が見えた。一つはレウルスの部屋であり、一つはエリザの部屋、そしてもう一つはレウルスとエリザの装備を保管するための倉庫だ。
レウルスの部屋もエリザの部屋も、まだ家具らしい家具は置かれていない。床に板が張られた六畳ほどの部屋の中には、当座の寝床として木箱に藁を敷いた藁ベッドが置いてあるだけだ。家具はこれから買うなり作るなりして充実させる必要があるだろう。
倉庫は四畳ほどと狭い上に棚の類も置かれておらず、殺風景なだけだ。中を確認したレウルスだったが木窓から差し込む光が倉庫の中を照らすだけだった。
トイレも風呂もない。家具もほとんどなければ、木の柱と土の壁で造られた家屋はレウルスが“本気”で暴れれば容易く崩壊しそうである。
――それでも、自分達だけの家だった。
「レウルス……」
家の中を確認したエリザがレウルスの名を呼ぶ。その声色に込められていたのは感動だろう。レウルスが視線を向けてみると、エリザは目に涙を溜めて肩を震わせていた。
「まだまだ必要なものが多いけど、それはこれから集めていこうな。今日はおやっさんの店に置いてある服とかを取ってきて……あとは宴会だな」
「……うむっ!」
おやっさん――レウルスがラヴァル廃棄街に来てから最も世話になっている男性であるドミニクの料理店は、レウルスの家からすぐ近くにある。
レウルスの家は大通りと呼ばれるラヴァル廃棄街で最も大きい道から脇に逸れた場所に建てられた。それに対してドミニクの料理店は大通りに面しており、レウルスの家から大通りに向かって歩けば十秒もかからない。
ドミニクの娘であるコロナ共々世話になっているのだが、食事に関してはこれからも世話になるだろうとレウルスは思っていた。
「とりあえず装備を外して普段着で……って、棚もないから置く場所がないか。どうするかなぁ……」
「“自分達の部屋”に置いておけば良かろう? 土の上ではなく木の板の上じゃ。汚れることもなかろうて」
「おやっさんの大剣が木の床を貫通しそうで怖いけどな」
レウルスが背負っている大剣は、かつて冒険者をしていたドミニクから譲られた業物である。強度を増す『強化』という魔法が刻み込まれているのだが、下手すると木の床にめり込んでしまう重さと切れ味があった。
それらの問題を解消するためにも、当分の間は金策に奔走する必要があるだろう。そして得た金銭で家具を買うなり木材を買って家具を作るのだ。
(前世じゃ家具に思い入れはなかったけど、自分だけの家を持つと何を買うか考えるだけでもワクワクするな)
これから先の未来を思い描き、レウルスの口元は自然と緩んでいた。
グレイゴ教を撃退した際に報酬を得ることができ、ここ三ヶ月は家を建てるための土木作業や冒険者として魔物退治に勤しんでいたが、家を一軒建てるとなるとお金が足りない。
現状は家を担保にしてお金を借りている状態であり、その返済をしながら生活費を稼ぐ必要があった。
冒険者組合と呼ばれる冒険者を統括する組織に借りているお金は大金貨3枚――日本円で言えば300万円ほどである。
家一軒を建てたにしては安い金額だが、これは建材となる木や土の運搬をレウルスも手伝ったからだ。その上“身内”だからこその値段であり、レウルスとして避けたいことだが、万が一魔物との戦いで命を落とすことがあれば家を手放す契約も交わしている。
(ローンの返済をしつつ家計のやりくりを……いかん、なんか所帯じみてて悲しくなるな)
なるべく早く借金を完済し、心おきなく新居生活を満喫したいものだ。
そんなことを考えながら自分の部屋に入ろうとするレウルスだったが、家の扉が三回ほど叩かれたためそちらに視線を向ける。
「ん? 客か?」
「コロナではないか?」
レウルスと同じように扉を見たエリザが訪れた相手を予想してそう言った。レウルスもその可能性が高いと思ってすぐに扉を開け――思わず目を見開く。
「……姐さん?」
そこに立っていたのは、冒険者組合で受付を務める女性――ナタリアだった。
外見だけで判断するならば二十代半ばといったところだろう。少しばかり癖のある紫色の髪を腰まで伸ばし、髪とよく似た紫色の瞳がレウルスに向けられている。
服装は胸元が大きく開いた黒のワンピースだが、太もも部分にはスリットが入っており、襟周りにはフリルのような装飾が施されている。冒険者組合の受付というよりは、遊女か娼婦と思われそうな格好だった。
普段ならば冒険者組合の外に出ることはなく、レウルスもナタリアが冒険者組合の外に出たところを見たことがない。
そんなナタリアがわざわざレウルスの元を訪れた理由は、一体何なのか。まさか新築祝いに訪れたのかと思ったレウルスだったが、ナタリアの表情を見ればその考えは吹き飛ぶ。
普段は余裕があり、色気も艶もある笑みを浮かべているナタリアが、どこか申し訳なさそうな顔をしているのだ。
「珍しい……というか、姐さんが組合の外に出てるのを初めて見たよ。もしかして新築祝いに来てくれた……って雰囲気じゃねえな。用件は?」
軽口を叩こうとしたものの、ナタリアの雰囲気が普段と違ったため不発に終わる。レウルスが何事かと問いかけると、ナタリアは小さく息を吐いてから表情を真剣なものにした。
「ラヴァル廃棄街の冒険者組合から、下級中位冒険者であるレウルスおよび冒険者見習いであるエリザへ通達するわ」
普段ならば『坊や』と呼ぶナタリアが、真面目にレウルスの名を呼んでいる。それだけで緊張感が高まるのを感じた。
「あなた達に一つ、請け負ってもらいたい依頼があるの」
――それは、“冒険”の幕開けを告げる言葉。
いつ幕が下りるかわからない、世知辛い異世界に転生したレウルスの冒険記の始まりを告げる言葉だった。
どうも、作者の池崎和也です。
2章が終わり、3章がスタートです。
数日間を置こうと思ったのですが、多くのご感想や評価ポイントをいただいてテンション上がって書き切りました。ありがとうございました。
章が変わったのでそれっぽい書き方をしつつ、新たな物語のスタートとして描ければと。
読者の方からいただいたご指摘で、これはまずいと思ったものを一つ。
Q.ニコラが二コラ(2コラ)になってない?
A.新しいPCが誤変換を連打してました。気づきませんでした。すいませんでした。修正しました。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。