第618話:厄災 その1
『レウルス! 急で悪いが以前の貸しを返してもらうぞ!』
スペランツァの町に飛来するなりヴァーニルがそんなことを叫んだのは、レウルス達がラヴァル廃棄街を出発した翌日のことである。
サラ達と同様に仮眠を取ったレウルスはドミニクの料理店で食事をし、昼過ぎには出発。危険を承知で夜通し走って一日でスペランツァの町に戻り、コルラード達にラヴァル廃棄街であったことを報告している最中にヴァーニルが飛来したのだ。
普段ならば『変化』を使って町に侵入し、必要以上に事を荒立てないヴァーニルとは思えない暴挙である。火龍が飛来するなど、自然災害に襲われるようなものなのだ――本来は。
「ヴァーニルの旦那ぁー! いきなり来るのは見張りが卒倒するから勘弁してくれー!」
「ヴァーニルじゃない! どしたの?」
「……砂、飛んできた」
カルヴァンが抗議するように叫び、サラは知り合いが突然家に来たとでも言わんばかりに首を傾げ、ネディはヴァーニルが巻き起こした風に乗って飛んできた砂を迷惑そうに払っている。
巨大な魔力の塊が飛んできたため警戒はしたものの、それがヴァーニルだとわかった途端気を抜いた者が多くいた。ただし、レウルスはヴァーニルの方から訪ねてきたことに眉を寄せ、コルラードは即座に腹部を手で押さえ、エリザ達は困惑したように眉を寄せている。
「貸しって、ラディアを作った時の素材の件か……ヴァーニル! とにかく降りてきてくれ! そこじゃあ目立つ!」
レウルスは声を張り上げるが、それは純粋に距離があるからだ。翼をはばたかせたヴァーニルは数十メートル上空で滞空しており、レウルスの声が届いたのかゆっくりと地表へと降りてくる。
『状況は理解しているな? 非常にまずい、緊急事態だ。故に貴様の力を借りたい』
これまでにレウルスが聞いたことがない、焦りを含んだヴァーニルの声。それでいて普段は抑えつけているであろう威圧感が剥き出しで、その場にいたクリスやティナは狐耳を伏せ、尻尾がくるりと丸く折り畳まれる有様だった。
「借りがあるし、力を貸すのは構わねえよ。ただ、さすがにいきなり過ぎる。大精霊コモナからも聞いたけど、ヤバい奴が出てくるのなら」
『――もう現れた。だから我がここにいる』
レウルスの言葉を遮るように言い切るヴァーニルに、レウルスは瞬時に意識を切り替える。
「嘘……なんて吐く必要はないよな。教えられるなら情報をもらえるか?」
『我が気付いたのも先ほどだ。北の遠方に禍々しい気配を感じ取った。様子を見に行こうと思ったのだが、その途中で眼下にドワーフ達がいてな。貴様に大精霊が声をかけたと聞いてここに来たのだ』
どうやらラヴァル廃棄街から出発したドワーフ達が運良くヴァーニルの目に留まったらしい。あるいは、飛んでいるヴァーニルに気付かせるために石でも投げつけたのか。
『大精霊が必要だと思ったのなら、貴様は十分に戦力になるのだろう。それにここにはサラ達精霊がいる。狙われる可能性があるぞ』
「そりゃ穏やかじゃねえな。貸し借りの件もあるけど、そう言われちゃ余計に断れなくなった。ただ……」
レウルスはヴァーニルから視線を外し、コルラードを見る。コルラードは間近で見た火龍の姿に顔面を蒼白にしつつも、アリスを背中に庇っていた。
「コルラードさん、俺達がヴァーニルに協力して戦うのって問題ないですか?」
「……問題、は……あると言えば、あるのである……だが、この土地の領主である、隊長殿が、どうとでもできる……はず……」
コルラードは声を途切れ途切れにさせながらも答える。それほどまでにヴァーニルが放つ威圧感が凄まじいのだろうが、レウルスとしても、そしてヴァーニルとしても構っている余裕がない。
「というわけで協力するのは問題ない。そっちから持ち掛けた話だから大丈夫だと思うけど、人間の町とかにはあまり干渉できないって言ってたよな? 大丈夫か?」
『うむ。人の営みには極力関わらぬが、“それ自体”がなくなりかねない今回は別だ。この大陸を守護する者として、必要とあらば出来る限りのことをしなければならぬ』
レウルスが知るヴァーニルならば、強敵が相手と知れば嬉々として戦ったはずだ。それだというのに、以前の貸し借りを持ち出してまでレウルスに協力を持ち掛けている。
(ヴァーニルにそこまで言わせる相手、か……)
元々戦うつもりだった――が、レウルスとしても警戒を強めざるを得ない。
それほどまでに強い相手なのか、何か厄介な能力でもあるのか、あるいはヴァーニルでは相性が悪いのか。
(仮にでかい『国喰らい』が相手なら、火炎魔法を使うヴァーニルだとたしかに相性が悪い……のか?)
ヴァーニルならば巨大なスライムが相手だろうと焼き尽くしてしまえそうだが、とレウルスは思考する。
メルセナ湖で巨大なスライムと戦ったが、その時はサラが使った上級の火炎魔法で大部分を吹き飛ばすことができた。それは火の『宝玉』を使った結果でもあったが、ヴァーニルならば同等以上の火炎魔法を扱えるだろう。
問題があるとすれば、スライムは『核』を破壊しなければ殺すことができないという点だが。
(いや、ヴァーニルが体を吹き飛ばして、残った『核』を俺が斬ればいい。メルセナ湖の時みたいに複数の『核』があっても今ならいける。もどきみたいに『核』がなければ……それこそエリザ達にも魔法を使ってもらって吹き飛ばすか)
幸いというべきか、スペランツァの町には属性魔法の使い手が多数存在する。エリザ達だけでなく、クリスやティナに助力を頼めば“火力”は十分といえた。
「協力するとして、どう動けばいい? 精霊を狙うっていうならこの町で迎撃か?」
『何が出たかはわからぬ……が、この町に来るまで静観するわけにもいかぬ。進路上にある町も人も全て滅ぶやもしれんぞ』
「……出てきたのが『国喰らい』なら早めに仕留めるべき、か」
放っておけばスライムは巨大化する。それならば早急な対処が必要だろう。
(王都の近くに出たのならベルナルドさんが仕留めてそうだけどな……)
レウルスは王都で模擬戦をしたベルナルドの顔を思い浮かべる。王軍の第一魔法隊の隊長を務めるベルナルドならば上級魔法を操り、あっさりと仕留めていそうだとすら思えた。
それでもこうしてヴァーニルが警戒心を露わにしている以上、ベルナルドといえど容易に勝てる相手ではないのだろうが。
「それなら早速向かうか……いや、やっぱり少しだけ待ってもらえるか? 家に置いてある魔法薬や『魔石』を取ってくる。あとは食料とかか?」
『食料は最低限にせよ。今回は特例だ。我が背に乗せて飛ぶ』
「……つまり、それだけ本気ってことか」
ヴァーニルが背中に乗ることを許すなど、さすがのレウルスでも予想外のことだった。
精霊剣ラディアはヴァーニルさえも殺し得る武器であり、背中に乗せるということはいつ斬られてもおかしくはないということである。もちろんレウルスとてそんな真似をするつもりは微塵もないが、危険を冒してまで移動を優先するあたりヴァーニルの本気がうかがえた。
しかしヴァーニルに乗って移動できるのならばたしかに食料は必要最小限で済む。レウルスは何を持っていくべきか頭の中で思い浮かべ。
「……っ!?」
不意に、これまで薄っすらと感じ取っていた違和感が爆発的に増大した。
「なんじゃこの気配は!?」
「うっわ気持ち悪い!?」
「……何これ……殺気?」
「っ……」
そんなレウルスに数秒遅れ、エリザ達が驚いたように声を上げる。
「ど、どうしたのであるか? 一体何が……」
突如として騒ぎだしたエリザ達の姿に、コルラードが困惑の声を漏らす。その反応を見たレウルスが周囲を確認してみれば、この場にいたコロナやルヴィリア、アリスも不思議そうな顔をしていた。その中にはジルバの姿もあったが、エリザ達の反応を見て周囲を警戒しているものの違和感を覚えた様子はない。
カルヴァン達ドワーフや冒険者達も似たような反応だった。何が起きたのかといわんばかりに困惑しており、例外は二人――クリスとティナだけである。
クリスもティナもヴァーニルが現れたことで倒していた狐耳を立たせて小刻みに震わせ、尻尾もピンと伸びて動かない。
「これ、は……」
「すごい……圧力……」
元グレイゴ教の司教としての研鑽がそうさせるのか、あるいは妖狐の血を引くからか。クリスとティナは揃ってとある方向を――スペランツァの町から北の方向を見ながら戦慄したように呟いている。
(急に違和感が強くなったな……ヴァーニルはすぐに気付いたみたいだけど、音みたいに遠くから伝わってくるのに時間がかかったのか?)
コモナが予想した通り、王都の近辺に“敵”が現れたのだろう。以前王都へ赴いた際にかかった日数は十日近くで、距離として考えると非常に遠い。そこまでの距離を隔ててもなお届く威圧感にレウルスは自然と冷や汗を流していた。
そして同時に、疑問を覚える。
(……気のせいか、どんどん違和感が強くなってないか?)
レウルスがここ数日感じ取っていた違和感を数値で表すなら一、先ほど感じ取った違和感は十、そこから二十、三十とどんどん強くなっているように思えた。
現地にいないため、どこに現れたのか詳細にはわからない。もしかすると今この時、空のヒビから“敵”が生まれ落ちている最中なのかもしれない。レウルスにわかるのは、時間の経過と共に敵の気配が膨れ上がっていることだけだ。
「何が起きているのかわからぬが……レウルス達の反応を見るに、嫌な予感がするであるな。ひとまず見張りには警戒を促すのである。それと戦えない者は工房に避難を。あそこが一番頑丈であるからな。アリス殿、誘導を頼むのである」
「お任せくださいっ!」
レウルス達の様子から事態を察したのだろう、コルラードが指示を出す。話を振られたアリスは元気よく返事をすると、慣れた様子でルヴィリア達を連れて移動し始めた。
指揮所は空堀や木の柵、簡易な屋根があるが、ドワーフが使用する工房の方が屋根付きの建物としては頑丈なのだ。工房はスペランツァの町の中でも外縁部に近いが、鍛冶の音が外に漏れにくいよう建物の壁が分厚く造られているため非戦闘員が避難するにはうってつけである。
「警戒のし過ぎかもしれぬが、何かあった際は町の中央よりも門に近い方が脱出も容易であろう。脱出したとして近くに避難できる場所があるわけではないが、まとまって森の中に逃げ込めばどうにかできる……と、いいのであるが」
コルラードはレウルス達の表情をチラチラと見ながら自信がなさそうに言う。今のところ差し迫った危険があるわけではないが、レウルスとしては既に脱出のことまで考えているコルラードをありがたく思いこそすれ、非難するつもりは微塵もなかった。
「見張りに必要な人員以外……冒険者の皆を護衛につけますか? ドワーフも同行させれば何かあった時にラヴァル廃棄街まで逃げ切れると思います」
膨れ上がる違和感――最早膨大な魔力となって感じ取れる“ソレ”に危機感を抱きつつ、レウルスが提案する。
ヴァーニルの要請に従って敵の元へ向かうとしても、その間にスライムもどきが襲ってくればどうなるか。ジルバなどに留守を任せるとしても不測の事態は起こり得る。
そこまで考えたレウルスは、ふと、疑問を覚えた。
(どうして俺は戦えない人達を逃がす前提で話してるんだ? いや、俺だけじゃない。コルラードさんも最初から戦えない人達を逃がそうと……)
王都からスペランツァの町までは距離がある。いくら敵が強大で、それこそ千年前に現れたという『国喰らい』が相手だろうと距離の壁は超えられない。ヴァーニルの提案通り、その背中に乗って向かえばスペランツァの町は無事なのだ。
それだというのに無意識の内に非戦闘員を、ルヴィリア達を逃がす選択肢を選ぼうとしている自分自身にこそレウルスは違和感を抱いた。
それはまるで、逃がさなければ危険だと直感が訴えかけているようで――ヴァーニルとラディアがほぼ同時に声を上げる。
『チィッ! 奴め、こちらに気付いているぞ!』
『……くるよ』
それは警戒を促す声だった。レウルスは反射的に違和感を強く覚える方角へと視線を向け、目をこらす。
「……な、に?」
そして思わず、そんな声を漏らしていた。
遥か遠く。スペランツァの町から北の方角の空に、ぽつんと黒い点が浮かんでいた。“それ”は徐々に大きくなり、一直線に向かってきている。
遠目に見える造形は、まるでヴァーニルの鱗を黒く染め、それでいて禍々しさを詰め込んだようなもので。
「黒い……龍種……?」
その姿を目視したレウルスは己の見立てが間違っていないかを確認するように呟くが、その声に応える者はいない。
レウルスも話には聞いたことがある。数多くいる魔物の中で、“最低でも”上級上位に属する数少ない存在――黒龍。
――火龍であるヴァーニルを超える災厄が迫っていた。




