第617話:不穏 その5
翌朝、夜間の警戒を終えたレウルスはその足でナタリアのもとへと向かい、コモナとの間にあったことを全て報告した。昨晩の見張りではスライムもどきが襲ってくることもなく、その辺りの報告を含めての話である。
不寝番をしていたサラ達は既にラヴァル廃棄街の自宅に帰しており、レウルスだけでの訪問だった。
「なるほど、ね……わたしが眠っている間にそんなことが……」
場所は冒険者組合ではなく、ナタリアの自宅である。寝起きに聞かせるのも申し訳ないとレウルスは思ったが、事がことだけに必要以上に後回しにもできない。
「一応聞いておくわ。大精霊様は信用できるのね?」
精霊教徒がこの場にいれば激怒しそうなナタリアの疑問。しかしこの場にそれを問題視する者はおらず、レウルスは渋面を作りながらも頷く。
「コモナに俺を騙す理由がないし、意味もないだろ。それを思えば信用できる。ただ……」
「どうにかできそうな人物で、すぐに話せる場所にいたのがあなただけ。つまり、“今回の件”を引き起こした犯人で、あなたがこの町の様子を見に来るよう誘導した可能性もある。もちろん、話したことが全部本当で、善意で助言をしに来ただけという可能性もね」
「……そこまでは疑ってなかったな。でも、それを言い出すとそもそも本当に大精霊本人だったのかってところから疑わなきゃならないだろ?」
ナタリアと話していてレウルスはその可能性に行きつく。今回言葉を交わしたコモナが本当に大精霊と呼ばれている存在なのか、保証はないのだ。
ただし、コモナと交わした言葉の中には以前会話した時の情報も含まれていた。そのためレウルスとしては疑うことなくコモナ本人だと思っていたが、ナタリアの考えは違うらしい。
「わたしも心の底から疑っているってわけじゃないわ。でもね、今回のような状況は初めてで、わたしは立場上全ての可能性を否定することができない。だから直接大精霊様と接したあなたからの情報、印象をもとに判断するしかないのよ」
「仮にそうだとしても目的は? あのスライムみたいなやつが出てきているのは本当で、もっとヤバい奴が出てくる前兆って言われたら納得できる。その出てきたやつと俺が戦うことでコモナに何の得があるんだ?」
レウルスは疑問をぶつける。ただしそれはナタリアの意見を否定するためではなく、疑問を吐き出すことで情報を整理しているのだ。
「そうね……考えられるとすれば、あなたと話をした大精霊は“その敵”に勝てない。実力的なものか相性的なものはわからないけどね。だから他者の手で始末させて、その後に本人が出てくる……とか?」
「出てきてどうするんだ? 強さ云々で言うなら、俺が倒せる相手なら他にも倒せる人はいる。俺は姐さんやジルバさんに勝てる気がしないし、それこそヴァーニルが相手なら今の俺でも勝てねえ。エリザ達全員の力を借りたとしても、だ」
レウルスとて自分が弱いとは言わない。だが、レウルスが知る限りでも強者は多い。特にヴァーニルが相手となると“喧嘩相手”としてはともかく、本気の殺し合いでは勝ち目がないのだ。
(ヴァーニルの性格的にやらないとは思うけど、俺達の攻撃が届かない高さまで飛ばれたら手も足も出ない……その状態で本気の火炎魔法を撃ち込まれたら……)
何度かレウルスも考えたことだが、現状の強さ、ラディアというこの上ないであろう武器を手に入れた今でさえ、ヴァーニルへの勝ち筋が見えない。
善戦はできる。仮にプライドも何もなく、ヴァーニルが全力で襲ってきてもある程度は戦える。遠距離から魔法を撃ち込まれてもエリザ達がいれば相殺し、凌ぐことができる。
だが、“そこまで”だ。いずれはジリ貧になり、押し切られてしまうだろう。
そう結論付けるレウルスに対し、ナタリアは小さくため息を吐く。
「色々と考えてみたけど、あなたの言う通り問題が本格化する前に対処するべく手を打っただけって思えるわね……でも、それはそれで困るわ」
「と、いうと?」
「大精霊の話した通り何かしら強力な魔物なりが現れるとして、いつ、どこに現れるのか正確にはわからないわ。その間、あのスライムみたいな敵が現れ続けるなら対処しなければならないし、警戒も解けない」
明確な期限もなく、常に警戒し続けるのは不可能だ。統治者としては頭の痛い問題だろう、とレウルスも思う。
「その敵に本当に勝てるのか……勝てるとしても被害は? 無傷で勝てるのならわたしも止めないわ。でも現状では相手の強さもわからないし、単体かどうかもわからない。そんな状態で送り出せると思う?」
「でも、すぐに動かなければ問題が余計に悪化するかもしれないだろ? 他所の領土だけで済むのなら放置するのもアリだろうけど、この町や姐さんの領地にも被害が及ぶかもしれない。いや、スライムもどきが出ている時点で既に及んでるんだ」
「そうなのよね……今回の件、問題は情報の信頼性もそうだけど、あまりにも不明確な点が多いというのがね……あなたに動いてもらうよう即断はできないわ」
珍しいことに、愚痴を吐くようにナタリアが呟く。それがあまりにも珍しく思えたたため、レウルスは場の雰囲気を明るくするためにも口を開いた。
「なんだよ姐さん、俺のことを心配してくれるのか?」
「するわよ。当然じゃない」
そして見事に失敗した。ナタリアはそれが当然だと、真顔でレウルスに返したのだ。
「お、おう……そっか。ありがとな、姐さん」
「それで? 今の話を聞いた上でどう動くつもり? わたしからどう動くか頼むわけじゃない、あなた自身の判断を聞きたいわ」
レウルスが礼を言うと、ナタリアは話の続きを促す。話題を変えた方が良いと思ったレウルスはその促しに乗ると、あれこれと思考してから首を傾げた。
「エリザ達をスペランツァの町に帰らせてクリスとティナに今回のヒビをどうにかできるか相談、俺はヴァーニルのところに行って情報を共有して、可能なら手を貸してもらう……とか?」
「悪くはないけど、単独行動をするべきではないわね。『契約』の関係もあるし、誰か一人は同行させた方がいいんじゃないかしら?」
「そうなると体力があるミーア……いや、スライムもどき以外は索敵できるし、ヴェオス火山に行くならサラかな?」
「今回の件についてヴァーニルが気付いていた場合、原因の究明に乗り出してヴェオス火山にいないかもしれないわよ?」
「……それもそうだな」
ナタリアからの指摘にレウルスは考え込む。ナタリアもレウルスを困らせたいのではなく、話している途中で様々な可能性に思い至ったのだろう。自分の言葉を振り返り、口元に手を当てて沈黙している。
レウルスはそんなナタリアの姿を眺め、口元を苦笑の形に歪めた。
「“かもしれない”って情報が多すぎて、判断のしようがないな……スラウスと戦った時に空のヒビを直した実績があるクリスやティナと合流して、戦力を整えた状態で北上していくのが一番堅実か?」
「そうね。ヴァーニルが動いていた場合、元凶に近付けば近付くほど会える可能性も高まるでしょうし……」
レウルスとしてもヴェオス火山に行ったもののヴァーニルが留守だった、という事態はさすがに避けたい。ヴェオス火山の麓にはドワーフの集落があるためどの方角に向かったかはわかるかもしれないが、空を飛べるヴァーニルが相手となるとどこまで参考になるか。
(ここまで指針がないとなると、勘頼りで判断してもいいかもしれないが……今回はどうにもな)
レウルスはこれまで自身の勘に何度も助けられてきた。ただしそれは戦いの場においてであり、曖昧な情報をもとに決断するのは不得手だと自覚している。
「ヴァーニルにも連絡をしたいところだが……」
コモナが語っていた敵が現れるまで、どれほどの時間的余裕があるのか。時間があるのなら一度スペランツァの町に戻り、戦力を揃えてからヴェオス火山に向かうという選択肢もあるが。
「レウルス、あなたはエリザ達を連れてスペランツァの町に戻りなさい。ヴェオス火山への使者はこちらで出すわ」
悩むレウルスだったが、ナタリアは判断を下したのか真剣な表情で語る。それを聞いたレウルスは疑問を露わにした。
「使者って言っても誰に任せるんだ? 姐さんはこの町を離れられないし、ニコラ先輩やシャロン先輩達だと少し……その、なんだ」
実力的に厳しいのではないか、という言葉をレウルスは飲み込む。
普段ならばレウルスも問題だとは思わなかった。マダロ廃棄街までは街道を通って五日ほどで、ニコラとシャロンの実力ならば並の魔物にも後れを取らず、野盗などが襲ってきても切り抜けられるだろう。
だが、レウルス達と違って森を直進して時間の短縮を図るわけにもいかず、街道を通ってもスライムもどきが現れるかもしれない。『駅』で野営をするにしても通常時と比べて危険度は跳ね上がるだろう。
また、ヴァーニルに会うにしてもヴェオス火山周辺の森を突破しなければならない。ラヴァル廃棄街周辺と異なり、ヴェオス火山には中級の魔物が多くいるのだ。ニコラとシャロンに任せるにはさすがに厳しいだろう。
「わかっているわ。さすがにあの二人だと危険が大きい……この町に残っているドワーフ達に任せるつもりよ」
ナタリアもニコラとシャロンの実力はよく理解しているため、別の案を口にした。
現在ラヴァル廃棄街にはドワーフが五人ほど残っている。彼らは中級の魔物でもあり、種族柄森の中での行動も得意だ。それに加えて野営する際も地面や山に穴を掘って潜り込めばスライムもどきもやり過ごせる可能性が高い。
ヴェオス火山の麓にはドワーフの集落もあり、ドワーフ達はヴァーニルとも知己のため使者に立てるにはうってつけと言えた。
「ドワーフのみんななら問題はないだろうけど……その場合、この町の防衛はどうするんだ? いくらドワーフでも単独で向かわせるわけじゃないだろ?」
問題があるとすれば、現状のラヴァル廃棄街においてドワーフ達が貴重な戦力だということだろう。氷魔法が使えるシャロン、『強化』が使えるニコラも重要な戦力といえるものの、ドワーフ達は五人だ。
スライムもどきだけでなく他の魔物や野盗の危険性を考えれば最低でも三人、安全を優先して五人全員で向かうならばレウルスも安心して任せられるが、その場合はラヴァル廃棄街の戦力が足りなくなる。
「わたしがどうにかするわ。準男爵の頃ならまだしも、今はいくらでも手段がある。だから任せてちょうだい」
レウルスの不安と疑問を解消するように、ナタリアは薄く微笑んだ。その笑みを見たレウルスはナタリアの言うことならばと自身を納得させる。王軍の隊長を務め、同時に貴族としても生きてきたのがナタリアだ。
そんな背景もあるが、“仲間”に任せろと断言されたのならば任せる他ない。だからこそ、レウルスも自分にできることをやろうと決断した。
「それなら俺はエリザ達を連れてスペランツァの町に戻るよ。仮眠を取って、今日中に出発する。コルラードさん宛てに指示を出すなら手紙にまとめておいてもらえるか?」
「わかったわ。コルラードなら大丈夫でしょうけど、今後の動きについてまとめておくとしましょうか。責任感が強いから、わたしからの指示って形にした方がコルラードも気が休まるでしょうしね」
そう言って笑うナタリアに、レウルスも笑って返す。
コモナからは解決できそうだからと振られた話だが、レウルスに問題を解決する義務はない。放置すればスライムもどきが今以上に出現し、なおかつ厄介な敵が現れる可能性が高いから動くだけの話だ。
ラヴァル廃棄街やスペランツァの町が危険に晒されている。それだけで動く理由には十分だとレウルスは思っていた。
そうしてレウルスはエリザ達と共にスペランツァの町へと帰還する。
ナタリアが任せろと言った以上、ラヴァル廃棄街は大丈夫だと信じて。
ナタリアと話した通りに動くとなると、これからしばらくの間は大変だと苦笑して。
それでもコモナが事前に知らせてくれたおかげで時間的な余裕もあり、これ以上の面倒事に発展する前に片付けられるだろう。
『レウルス! 急で悪いが以前の貸しを返してもらうぞ!』
スペランツァの町に戻り、コルラード達に情報を共有している最中にヴァーニルが飛来するまでは――そう思っていた。




