第615話:不穏 その3
スペランツァの町からラヴァル廃棄街までは、街道を進めば四日程度の距離である。だが、森などの魔物と遭遇しやすい危険な場所や足場が悪い場所を避けて街道が造られており、比較的安全かつ進みやすいかわりに時間がかかる。
そのためレウルス達は街道ではなく森の中を突き進み、最短距離を通ってラヴァル廃棄街を目指していた。
これまで何度か使ったルートでもあるため、道に迷うことはない。しかし森の中は足場が悪く、見通しも悪く、魔物に襲われる危険性を無視したとしても迷えば死ぬかもしれない。だからこそ旅人や商人は安全を考慮して街道を進むのだろう。それでもレウルス達からすれば多少の足場の悪さ、見通しの悪さは問題にならず、ラヴァル廃棄街に向かって真っすぐ進んでいた。
ただし、これまでラヴァル廃棄街を訪れた時とは異なり、レウルス達は時間をかけないことを意識して駆けていく。“普段なら”森の中を突っ切れば二日とかからないが、今回はその半分、一日もかけずにラヴァル廃棄街へと辿り着く予定だった。
(以前通った時に多少は通りやすくしたが……もうちょっときちんとやっとけばよかったな)
『強化』を使った状態かつ武装した状態で森の中を走るのは中々に神経を使う。それでもエリザ達は文句の一つも言わず、レウルスを先頭として駆けていた。
普段は索敵をサラに任せているが、今回ばかりは頼り切るわけにもいかない。普通の魔物ならば良いが、スライムもどきがいた際にすぐさま対応できるようレウルスが先頭を務めているのだ。
幸いというべきか、あるいは可能な限り早足で駆け抜けた結果か、スライムもどきに遭遇することなくレウルス達は森を抜ける。何度かサラが熱源を感じ取ったものの、今回は魔物に構うことなく戦闘を回避して時間の短縮を図ったのもスライムもどきに遭遇しなかった理由の一つだろう。
(こっちの方まで来てないだけって可能性もあるが……いや、それならそれでラヴァル廃棄街は無事ってことだからいいのか)
季節は冬だが、さすがに気を張って走り続ければ汗をかく。レウルスはエリザ達と共に軽く休憩をすると、太陽が山際に沈みつつあるのを確認してから再び走り出した。
「町は……無事みたいだな」
そうして完全に日が落ちる直前、遠目に見えてきたラヴァル廃棄街を見ながらレウルスは安堵したように呟く。
隣に建つラヴァルの城壁どころかスペランツァの町と比べても粗末な土や木の壁に異常は見当たらず、戦闘の気配もない。ただし、普段ならば門の外にいるはずのトニー達門衛の姿が見えなかった。
「ふぅ……ふぅ……トニー、さん……達が……いない……ようじゃが……」
さすがに体力の限界が近づきつつあるエリザが息も絶え絶えにそんな声を上げ、サラ達も首を傾げる。
「んー……でも誰かいるっぽいわよ? 町の中には熱源がいっぱいあるし」
「日が暮れるから門を締めるのはおかしくないよね? でも門の前に見張りの人達もいないっていうのは……」
「行けばわかる」
ネディの言葉にそれもそうだ、と頷いたレウルスはラヴァル廃棄街の門に近付いた。そして門に手をかけるが裏側に閂がかけてあるのか開かず、首を傾げながら門を軽く叩く。
「おーい! トニーさんか他の誰か、いないのかー!?」
「……その声、レウルスか?」
レウルスが呼びかけると、門の扉越しに返答があった。その声に聞き覚えがあったレウルスは表情をほころばせる。
「おう。レウルスだよトニーさん。ちょいとスペランツァの町の方で……というか向こうの近隣も込みで問題が起きたから姐さんに報告に来たんだ」
「…………」
軽く事情を説明するレウルスだったが、返答はない。戸惑うような、警戒するような雰囲気だけが伝わってきた。
ラヴァル廃棄街の出入口はラヴァルの空堀に接していない三ヶ所、北と東、南に門があり、普段から夜間は扉を閉めている。しかし夕暮れとはいえ扉を閉めるには早い時間であり、見張りが顔も出さないのは異常といえた。
「――お前、“本当に”レウルスか?」
「…………」
扉越しにかけられた問いかけに、今度はレウルスの方が声を失う。それと同時に疑問を覚え、思考を巡らせた。
(本当にって……俺の偽物でも出たのか? 『変化』でも使えるやつなら化けられそうだが……)
一体何があったのかと警戒を強めるレウルス。そんなレウルスとトニーの会話を疑問に思ったのか、エリザ達も顔を見合わせた。
「本当にレウルスかって……一体なんじゃ? 何かあったのかのう?」
「さあ……あのスライムみたいな魔物? を警戒するのならボクも理解できるんだけど……」
エリザとミーアもレウルスと同じように怪訝そうな顔をする。
「丸一日走りっぱなしで疲れたわね! おうちに帰ったらお風呂よお風呂! あとお肉を焼く……のは材料がないから、ドミニクのご飯!」
「……ちょっと疲れた」
サラとネディはマイペースに言葉を交わした。
そしてそんなエリザ達の言葉が聞こえたのか、門の向こうから声が飛んでくる。
「エリザの嬢ちゃん達も一緒か……それなら……いや、一応確認だ。レウルス、お前さんがこの町に来てもう五年だっけか?」
「……? いや、何を言ってるんだよトニーさん。三年……にはまだなってないか。五年も経ってねえよ」
「それじゃあ次の質問だ。実はまたお前さんのことで賭けをしてたんだが、今回の結果は?」
「まだ賭けてたのかよ……とりあえず誰が何に賭けたか教えてくれるか? あとでちょっとお話しようぜ」
クリスとティナがスペランツァの町に居付いたことを思えば、賭けの結果は『グレイゴ教の元司教』か、あるいは『亜人の双子姉妹』か。以前散々追いかけ回したというのにまだ賭けをやっていたのか、とレウルスは現状を忘れたようにため息を吐く。
(いや、そもそもこんな質問をされること自体が異常か。本当に俺の偽物でも出たのか?)
今までラヴァル廃棄街に帰ってきた際、このように本人確認のための質問が行われたことはなかった。
「最後の質問だ。お前さんが連れてる嬢ちゃん達……誰をどの順番でこの町に連れてきた?」
「最初にエリザ、次にサラ、その次にミーア、最後にネディだ」
『ラディアはー?』
『……ラディアはスペランツァの町で生まれたから、ちょっと違うんだよ』
『そっかー』
ラディアから自分の名前が挙がらなかったことに関して抗議の声が飛んできたため、レウルスも『思念通話』で答える。するとラディアは納得したように沈黙し、数秒してから門の閂が外れる音がした。
「……本当にレウルス、だな。エリザの嬢ちゃん達も」
僅かに開いた隙間から緊張した様子のトニーが顔を覗かせ、レウルス達を見て安堵したように息を吐く。そんなトニーの背後ではラヴァル廃棄街に残っていた冒険者達が緊張した様子で武器を構えているのが見えた。
「とりあえず答えちまったけど、本当にってどういうことだ? 俺達の偽物でも出たのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだ……とにかく中に入ってくれ」
促され、レウルス達がラヴァル廃棄街へと足を踏み入れると、すぐさま門が閉じられて再度閂がかけられた。
「それで……姐さんに報告だったか? ってことはスペランツァの町でもアレが出たのか?」
「アレってのがスライムみたいに透明な魔物なら合ってるよ。スライムって言っても、水を人や獣にしたような形だったけどさ」
「透明……」
トニーは眉を寄せ、険しい顔付きになる。その表情を見たレウルスは、まさかと思いながら問いかけた。
「もしかして透明じゃない……人間そっくりなやつが出た、とか?」
「……その一歩手前って感じだな。どこの誰を真似たのか、半透明だが人間みたいな外見で服を着てやがった」
忌々しそうに吐き捨てるトニー。服まで真似たのか、あるいは旅人でも襲って手に入れたのか――飲み込んで“取り入れた”のか。
「透明なやつも出たんだが、姐さんが『人間の形を真似しているのならそのうち喋るやつが出てもおかしくない』って言ってな。どうやって人間を真似てるかはわかんねえけど、こうして警戒してたわけだ」
「喋る、か……さすがにそこまでは考えなかったな」
レウルス達が見たことがあるのは透明なスライムもどきだけだ。スペランツァの町周辺ではレウルス達がすぐさま仕留めていたため人間の姿を真似る、あるいは襲って取り込むことはできなかったのだろう。
ナタリアはスライムもどきが更なる成長をした場合に備えていたらしく、トニーとの問答もその一環だったようだ。
「とにかく、お前さん達が来てくれて助かるぜ。これで姐さんも少しは休めるだろ」
「……姐さん、休んでないのか?」
「昼の間に休んでるって話だが……夜は視界が利かねえし、徹夜で警戒してくれてるよ。昼の間は俺らやニコラ、それとシャロンでなんとか回してる。ただ、ずっと門を閉じて町に引きこもっているわけにもいかねえからな……」
スペランツァの町の開拓に向かった住民を除いたとしても多くの住民がいるラヴァル廃棄街では、普通に生活するだけでも多くの物資が必要となる。水は井戸があるとしても、食料の生産は町の外にある畑が頼りだ。
現在は冬であり、農繫期は過ぎている。冬を越すための食料が蓄えられているとしても、冬の間に育てている野菜もあるのだ。安全の確保は重要だが、畑の世話を放棄するわけにはいかない。
また、男爵になったナタリアへの来客、商人や旅人等、昼間から門を閉ざして外部との接触を完全に絶つわけにもいかなかった。
トニーとの会話を終えたレウルスは、普段ならばドミニクの料理店に直行するところだが冒険者組合へと向かう。日が落ちて真っ暗になりつつあり、まずはナタリアと話をするべきだと判断したのだ。
冒険者組合に向かう途中、時折住民とすれ違うが表情は明るくない。レウルス達に気付いて声をかけてくる者も多いが、ラヴァル廃棄街全体に暗い雰囲気が漂っている気さえした。
(トニーさんの口ぶりからして町やみんなに被害はない。でも落ち着いてもいられない、か)
以前ならば日が落ちてもそれなりに人通りがあったが、今は多くの人々が家に閉じこもっているようだ。
「師匠と話をするのはレウルスだけで、ワシらだけでも周囲の警戒に加わった方が良い気がするんじゃが……」
周囲の雰囲気を感じ取ったエリザがそう提案するが、レウルスは首を横に振る。
「姐さんならラヴァル廃棄街全体だろうと警戒できるだろうし、まずは合流しよう。警戒の人員も姐さんが管理してるだろうしな」
常に攻撃に晒されているのならばすぐさま救助に向かうべきだろうが、現状ではそこまで事態が逼迫しているわけではない。
そうしてレウルス達が冒険者組合に到着すると、それを待っていたようにナタリアが姿を見せた。
「姐さん……っと、臨戦態勢だな」
思わず、といった様子でレウルスが呟く。
ナタリアはラヴァル廃棄街で普段着ているドレスに似た黒い衣服ではなく、王都への長旅をした時のように動きやすさを重視した戦装束を身に纏っていたのだ。その手には愛用の杖が握られており、ピリピリとした空気を感じるほどである。
「久しぶりねレウルス。それにエリザ達も……今の状況だと最高の援軍だわ」
「姐さんにそこまで言われると、照れるよりも先に心配になるな……そんなにまずかったのか?」
冒険者組合に足を踏み入れたレウルスだったが、組合にいる面々の表情は暗い。蝋燭しか光源がないのも理由の一つだろう。しかし視覚的な暗さだけでなく、疲労の色が滲んでいるのだ。
「いつ、どこから来るかわからない相手だもの。この町に残っていたドワーフ、バルトロ達冒険者の面々、シャロンやニコラ、それに町の若衆まで駆り出してなんとかってところね」
「そうか……とにかく今夜は俺達が引き継ぐ……っと、エリザは限界が近いから休ませるか。サラとネディ、ミーアは」
「全然いけるわよ!」
「ネディも」
「ボクは……うん、一晩はもつかな」
サラとネディは元気満々で、ミーアは己の体力と相談して承諾する。エリザは他の者よりも体力で劣るため、一日中駆け続けた疲労が強かった。
「む……ワシも平気、と言いたいところじゃが途中で眠りそうじゃな……」
エリザは一瞬悔しそうな顔をしたものの、その表情を苦笑へと変える。見栄を張っても仕方がないと思ったのだろう。
「一応聞いておくけど、サラのお嬢さんの索敵は通用するのかしら?」
「今回の相手は駄目だった。だから警戒するならバラけて見回った方が……と、ラヴァルの堀がある方向は高さがあるし、大丈夫かな?」
ラヴァル廃棄街の西側はラヴァルの空堀に沿う形で木の壁が設けられており、『強化』が使えるならば話は別だが並の魔物では侵入が難しい。
「あの外見ですもの。壁を這うなりしてよじ登る可能性があるわね」
「道理だな。範囲が広いし、そっちは俺が担当するか」
門はないが、ラヴァルの空堀に沿っているため範囲が広い。空堀に近い場所に住宅は少なく、教会や墓地があるぐらいだが、スライムもどきに人目を避ける知能があればうってつけの侵入場所といえるだろう。
「夜回りの人員には笛を持たせているから、笛が鳴ったら対処をお願いするわ」
「了解だ。姐さんはしっかりと休んでくれよ」
「ええ……ありがとう、レウルス」
これまでの警戒で心身共に疲れが溜まっていたのだろう。珍しく気が抜けたように微笑むナタリアに、レウルスは安心して休んでもらえるよう笑って返すのだった。
ナタリアが休息に向かい、エリザを自宅へと送り届けたレウルス達は早速行動に移る。
ラヴァル廃棄街の北門は城塞都市ラヴァルの東門に近く、ラヴァル側からの警戒の人員もいるため長距離の攻撃手段が乏しいミーアが、東門にはサラが、南門にはネディが赴き、冒険者達と共に夜回りを行うこととなった。
何かがあれば冒険者が笛を鳴らすため、『思念通話』が使えるレウルス達は即座に連絡を取り合って一番近い者が向かう。そうすることでスライムもどきが出た場合に手早く仕留める予定だった。
(しかし、不寝番をするのはいいけど夜明けまで長そうだな……)
冬の日暮れは早く、夜明けまでが長い。十二時間以上警戒を続ける必要があるだろう。
町の若衆――冒険者のような荒事に従事していないものの若くてそれなりに“動ける”男手まで駆り出して警戒態勢を取っているが、スライムもどきどころか下級下位の魔物である角兎が相手でも手に余る者達ばかりだ。レウルス達にかかる負担は大きい。
(開拓があるから仕方ないとはいえ、もう少しドワーフか冒険者をこっちの町に残しておけば……いや、こんな事態になるなんて予想もできねえか。姐さん達の疲労が抜けたら一度スペランツァの町に戻って連れてくるか? もしくは俺達がこっちに滞在して……)
木の柵の上に立って周囲を警戒しつつ、レウルスはそんなことを考える。そして何とはなしにラヴァルの城壁を見上げてみれば、見張りと思しき兵士が城壁の上を巡回しているのが見えた。
(姐さんも正式に男爵になったんだし、ラヴァルに兵士を都合してもらうって手も……借りになるから最終手段か。とにかく今は目先の仕事だな……ん?)
ナタリアならば必要になれば必要な手を打つだろう。そう判断したレウルスだったが、不意に足音が近付いてくることに気付いた。ただし、ラヴァル廃棄街の外ではなく内側からである。
「――こんばんは」
夜回りの冒険者か、数は少ないがドワーフか、あるいは若衆か。そう考えたレウルスの耳に届いたのは知り合いの声だった。それは若い女性の声で、自然と握っていた愛剣の柄から手を放す。
レウルスが振り返った先にいたのは、修道女のような衣服を身に纏った女性――エステルだった。ジルバと異なりラヴァル廃棄街の教会、孤児院でもあるその場所に留まっている精霊教師である。
そんなエステルが、“赤い瞳”をレウルスに向けていた。
「エステルさん、じゃないな……あー、久しぶり……で良いのか?」
「ええ、久しぶりね」
そこには、エステルの体を借りた大精霊コモナが立っていた。




