第614話:不穏 その2
スライムに似た魔物と思しき存在が現れるようになり、三日の時が過ぎた。
その間スペランツァの町や住民、近隣の街道を進む商人や旅人にも被害らしい被害は出ていなかった。それもこれもスペランツァの町に複数の強力な戦力が存在し、なおかつコルラードが適切に指揮を執ったからこそ被害を防げたのである。
だが、状況の確認および原因の排除を目的として動いていたレウルス達は、被害こそないものの手詰まりというべき状況にあった。
仮に敵がスライムの一種ならば水辺で発生しているだろうと考え、スペランツァの町近隣の川や水源を調査してみてもそれらしい異常はない。それならばと移動速度に物を言わせて広範囲を見て回ったが原因と思しき魔物や物体、痕跡すら見つからなかった。
三日目になるとレウルスは調査に向かう面子を一部入れ替えてみたが、それでも成果と呼べるものは得られなかったのである。
普段ならば索敵を行うサラの代わりに、グレイゴ教の元司教としての知見を期待してティナを。年齢と経験の差からわかるものがあるかもしれないという判断のもと、ミーアの代わりにカルヴァンに同行を頼んでみたものの、結果としては全て空振りに終わってしまった。
「結論から言えば、アメンドーラ男爵領に原因となるものは存在しない可能性が高い……そう考えても良さそうであるな」
ここ数日、常に緊張状態にあった影響か疲れを顔に滲ませながらコルラードが結論付ける。
スペランツァの町周辺だけでなく、レウルス達が三日という短期間ではあるが日の出から日の入りまで文字通り駆け回り、アメンドーラ男爵領を確認して回って得た結論だ。
当然ではあるがアメンドーラ男爵領の端から端まで、細部に渡って全ての場所で確認を行ったわけではない。それでも以前調べたアメンドーラ男爵領の情報をもとに、魔物が発生している可能性が高い場所を片っ端から回った結果である。
遠出をするのはレウルス達だけだが、スペランツァの町の周囲数キロ内はドワーフ達や冒険者達、精霊教徒達まで駆り出し、調査を行ったものの空振りに終わった。何度かスライムに似た魔物と思しき存在と交戦したものの、出所や発生原因は掴めていない。
「レウルスの気のせいなら良かったのだが、三日経ってもこうして得体のしれない魔物と遭遇する……なんとも困った話であるな」
スペランツァの町の中心部。臨時の陣地にジルバを除いて主要な面子を集めたコルラードはそうぼやきつつ、肩こりでもほぐすように自身の腕をぐるりと回す。そして机に置いた地図へ視線を落とすと、これまでに“敵”と――スライムもどきと遭遇した地点を示す印を眺めながら眉を寄せた。
「レウルス、お主が感じ取っている違和感はどんな状態であるか?」
「違和感はまだありますが……時間が経ったからか、体が慣れたのか、最初の頃と比べると薄くなっている気がしますね」
体が慣れたのか、実際に違和感が薄くなっているのか。薄くなったとしてもスライムもどきを倒したからか、別の理由があるのか。それらの確証がないためレウルスとしても言葉が弱くなる。
これまでの三日間でレウルス達が8体、ジルバ達精霊教徒が6体、コルラードやドワーフ、クリスやティナを含むスペランツァの町の防衛部隊が7体のスライムもどきを倒していた。
一日あたり十体にも届かないが、体がほぼ透明のため見落とした可能性は否定できない。それでも魔法を使わず、それこそドワーフや冒険者が鈍器で殴りつけても殺せたため、今のところは中級に届かない魔物程度の脅威でしかなかった。
「数的にはラヴァル廃棄街で冒険者をやってた時に一日に遭遇する魔物の方が多いぐらいですが……エリザがいるからアレぐらいの強さの魔物なら近付いてこないはずなんですがね」
スライムもどきは人型、あるいは獣を模した形のものばかりと遭遇したが、今のところは脅威といえる強さも数もない。そのため外見が水のように透明という点にさえ気を付ければ、スペランツァの町の開拓を再開しても良いと思えるほどだ。
「ううむ……これで手に負えないほど強い、あるいは数が多い、もしくはスライムのようにどんどん大きくなるといった特徴があるのなら……いや、大きくならないとも限らぬか。だが現状のような警戒態勢を続けるほどかというと……」
コルラードは唸るようにして呟くが、コレだという結論が出なかったのだろう。地図を見るレウルスへと視線を向ける。
「指針となるものがほしいのである。仮に薄くなったとしても、それ以外の要素で違和感の強弱に変化は? どこかの方角から強く感じるといったこともないのであるか?」
「……強いていえば北の方ですかね? 勘違いかもしれない、程度ですけど領内を見て回った時に違和感を強く覚えたような……」
「北であるか……領外の調査となると近隣の貴族達との調整が必要であるな。街道を進むだけなら問題ないが……」
「失礼」
レウルスとコルラードが話をしていると、この場にいなかったジルバが姿を見せた。その背後には商人と思しき服装の男性が続いており、レウルスとコルラードは会話を一度打ち切って視線を向ける。
「コルラードさん、そっちの人は……ああ、いつも資材を運んできてくれてましたか」
その商人は建設資材を運び込むために何度かスペランツァの町を訪れたことがあったため、レウルスは警戒を解く。名前までは知らないが何度か訪れたため顔は知っている、程度の付き合いだが、見ず知らずの他人とまではいかない。
「先ほど到着されたのですが、近隣の領地での情報をお持ちだったのでお連れしました。どうやらアメンドーラ男爵領だけの問題ではないようでして」
ジルバがそう言って商人の男性を見ると、緊張したような顔付きで商人の男性が話を始める。
「私はティリエの町の商人でして……街道を通り、レモナの町を経由してスペランツァの町へと到着したのですが、道中他の商人と何度かすれ違いましてね。その際情報交換をしたのですが、ここ最近、どうにもあちらこちらで奇妙な魔物が目撃されているようで」
「あちらこちら……それに奇妙な魔物というと?」
準男爵であるレウルスやコルラードの前だからか、あるいは案内したのがジルバだからか、商人の男性の態度が硬い。それを感じ取ったコルラードが鷹揚に続きを促すと、商人の男性は僅かに声を潜めた。
「情報を交換した商人の多くはこの町よりも北部を拠点としていまして……ティリエの町ではそのような情報はなかったのですが、この町から見ると北、あるいは北東方面で人型のスライムらしき魔物を見た、と」
そう言いつつ、商人の男性はコルラードに促されて机の上の地図へ視線を向ける。そこにあったのはアメンドーラ男爵領の地図――ではなく、いつの間にかコルラードが取り替えたのか、非常に曖昧ながらもマタロイの全土を記したと思しき地図があった。
(いつの間に……まあ、詳細な地図を見せるわけにもいかないか。でもこの地図、かなりいい加減な……)
レウルスはマタロイのあちらこちらに足を運んだことがあるが、少なくとも自身が行ったことのある町や村、川などの位置がおかしかった。敢えてそうしてあるのか、地図の通りに進んでも到着することは不可能に近いだろう。
「この地図ですと……この辺りになるでしょうか」
商人の男性も理解しているのか、気にした様子もなく自身が知る情報を指さししながらコルラードへ伝えていく。コルラードはいつ頃からその噂が出ているのかも併せて聞き出すと、懐から小さな布包みを取り出し、商人の男性へと手渡した。
「なるほど……情報、感謝するのである。これはほんの礼で……っと、そういえばアリス殿。たしか“欲しいもの”があると話していたが、これも何かの縁。この商人殿に注文しておいては?」
そしてコルラードは給仕のように待機していたアリスへ話を振る。その話題の振り方にレウルスは違和感を覚えたが、当のアリスは笑顔で頷いた。
「いいんですか? それではお言葉に甘えちゃいますね?」
ささ、と素早く商人の相手を引き継ぐアリス。手慣れた様子で、まるでこの場から引き剥がすように商人を連れて行くアリスの背中を見送ったレウルスは小さく首を傾げた。
「アリスの嬢ちゃん、何か欲しいものがあったんですか?」
「あると言えばあるが、ないと言えばないのである」
地図を眺めつつ答えるコルラードだが、思考に没頭しているのか普段よりも返答が素っ気ない。レウルスが不思議そうにしていると、傍に寄ってきたルヴィリアが小声で囁いた。
「レウルス様、コルラード様は今の商人の方が情報の対価に満足しているか、アリスちゃんに確認してもらっているんです。コルラード様が渡した金額で満足しているならそれで良し、足りないならアリスちゃんとの“商談”でそれとなく上乗せしてくるでしょうから」
「……貴族ってのは大変だなぁ」
自身も準男爵であることを横に置き、思わずといった様子でレウルスが呟く。
切羽詰まっているとまではいわないが、今の状況でさえコルラードは商人との関係を考慮してアリスに話を振ったのだろう。今後の対応を考えつつも他の事柄にまで気を配るコルラードに、如才ないな、とレウルスは内心で唸った。
「レウルスが言う通り、北に原因となる何かがある可能性が高そうであるな……」
「ですがコルラードさん、北って言っても広いですよ?」
レウルスが違和感の強弱にアタリを付けたのが北で、商人からの情報も北。その点は一致しているが、アメンドーラ男爵領はマタロイの中でも南部――最南端に近い。
現在地から北と一口に言っても、あまりにも範囲が広すぎた。
「うむ、あまりにも広すぎるのである。レウルスの感覚を信じるとすれば望みは薄いが、そもそも、既に発生原因が潰されている可能性すらあるのだ。先ほどの商人が得た情報も、ここに届くまでの時間差を考慮すればどこまでアテにできるかわからぬ」
「原因が何かはわかりませんが、移動する存在だったら意味がないですしね」
スライムもどきが発生している原因が特定の場所ならば良いが、その原因が移動できるのならば商人からの情報もあまりアテにできない。レウルスが感じ取っている違和感の強弱から可能性は低いが、既にスペランツァの町から見て北ではなく南へ移動していることもあり得るのだ。
「……で、まあ、なんだ。司教だった頃の知識をもとに意見を聞くってのいうのも座りが悪いんだが……クリス、ティナ、もしかして“例のアレ”が原因か?」
様々な可能性を考慮したレウルスは、会話には参加しないもののこの場に集まっていたクリスとティナへ話を振る。
グレイゴ教が言うところの『神』――それが関係しているかを問えば、クリスとティナは揃って首を傾げた。
「可能性は否定できない」
「でも、今回のようなことがこれまでに起きたとは聞いたことがない」
「……例のアレ? それ、吾輩や他の者が聞いても問題はないのであるか?」
思わず、といった様子でコルラードが尋ねる。その問いかけを受けたクリスとティナは一度レウルスを見ると、双子らしい同じ動きでコルラードへ視線を向けた。
「あると言えばある」
「ないと言えばない」
「事態の解決につながるのなら聞かねばならぬが……吾輩は何も聞かなかったことにするのである」
す、と右手で自身の腹部を押さえるコルラード。詳細はわからずとも、レウルスが言葉を濁した点から厄介事だと看破した結果だった。
「大丈夫ですよコルラードさん。グレイゴ教の連中の行動原理に関係しているだけですから」
「その話の振り方で吾輩が聞くと思うのであるかっ!? 厄介事の匂いしかしないのであるっ!」
そう叫びつつも、本当に必要ならレウルスが伝えると確信しているのだろう。コルラードは水差しから水を注いで一気に飲み干すと、話題を変えるように地図を指さす。
「とにかく! 予定通り、レウルス達にはラヴァル廃棄街への報告を頼むのである。隊長殿のことだから情報を集めていると思うが、こちらの状況の説明と今後の対応について話さねばな」
「了解です。今からすぐに出て全速力で向かえば夕方にはつけそうですからね。エリザ達を連れて行っても?」
「構わんのである。こちらの状況はこの手紙にも書いたのでな」
懐から手紙を取り出し、レウルスへと手渡すコルラード。手紙を受け取ったレウルスは一つ頷くと、すぐにでも出発するべく立ち上がるのだった。




