第602話:迷いと選択 その2
レウルス達が王都からラヴァル廃棄街に帰還し、五日の時が過ぎた。
その間、ナタリアに許可を取ったレウルスはラヴァル廃棄街の周辺を巡り、強力な魔物が住み着いていないかを確認し、強力でなくとも魔物を見つけては仕留めて回る。サラを連れて行き、索敵範囲の広さに物を言わせて片っ端から魔物を狩っていくのだ。
今もラヴァル廃棄街に残っている他の冒険者達の仕事を奪う形になりかねないが、レウルス達がラヴァル廃棄街を離れていた期間が長く、少しずつだが魔物がラヴァル廃棄街周辺へと戻って来つつあった。
中には一匹とはいえ下位ながら中級に分類される熊の魔物、オルゾーもいたため、周辺を見て回って正解だっただろう。数人とはいえドワーフも残っているためどうにかなっただろうが、冒険者が遭遇していれば危険な相手である。
準男爵という立場を得たレウルスではあったが、ラヴァル廃棄街に危険が迫る可能性を思えば魔物を狩って回るのも苦には思わず、以前と同様に冒険者業に精を出していた。
ただし、それを長々と続けるわけにもいかない。五日間滞在しているのも、ナタリアがアメンドーラ男爵領の今後――スペランツァの町を含む領内の開発に関して、コルラード宛ての指示書を書き上げるという作業があったからだ。
レウルス達はスペランツァの町に戻るが、長期間ラヴァル廃棄街を空けていたナタリアが同行するわけにはいかない。
そのため王都で得た情報や準男爵になったレウルスの扱い、レウルスの妻となるルヴィリアの知識を加えた開発案の修正、現地に集まりつつあるであろう精霊教徒の扱いに関して等、様々な事柄に関してナタリアがまとめるのにかかったのが五日という時間だった。
ナタリアは並行してラヴァル廃棄街を留守にしていた間に溜まった政務も片付けており、レウルスとしては五日間待たされたと言うよりも、よくぞ五日間で指示書を書き上げたな、という心境である。
レウルスとしてはスペランツァの町へと向かうコロナが準備をするための時間と思える面もあり、五日間待ったことに何の文句もない。そして、コルラード宛ての指示書が完成した以上、すぐさまスペランツァの町へと向かう必要があった。
(冒険者として動き回るだけだったけど、やっぱりこっちの方が性に合ってるよなぁ……純粋に冒険者として動くのっていつ以来だっけ……)
魔物を探し回り、見つけたら仕留めて素材を持ち帰る。そんな言葉にすれば単純なことも、今のレウルスにとっては心が安らぐような仕事だった。
だが、そんな仕事も一体いつ以来だったか、と疑問を抱くと苦笑を浮かべたくなる。
アメンドーラ男爵領の開拓や吸血種スラウスの一件、王都への召喚にルヴィリアに関係するいざこざ、更にグレイゴ教徒との殺し合いと、純粋に冒険者として活動したのはどれほど前のことか、とレウルスは思った。
そして、そんな息抜きとも思える日々は終わりである。
ナタリアがコルラード宛ての指示書を書き上げた日の翌朝。魔物退治と並行してスペランツァの町へ出立する準備を整えていたレウルスは、朝から冒険者組合へと顔を見せていた。
「それではヴァルザ準男爵殿、こちらの手紙をロヴェリー準男爵殿へお渡しいただけるかしら?」
「了解しました、アメンドーラ男爵殿」
レウルスは貴族としての仮面をかぶったナタリアからコルラード宛ての指示書を受け取ると、準男爵として答える。ただし、すぐさま窮屈だと言わんばかりに苦笑を浮かべたが。
「それで姐さん、コルラードさんにはこれを渡すだけで大丈夫なのか? 他に伝言とかは?」
「ないわ。コルラードならそれを読むだけで適切に動いてくれるでしょうしね。“それ以外の部分”に関しては……まあ、一応こちらの意向も書いたけど、コルラードの意思に任せるべきでしょうから」
「……それ以外の部分?」
何の話だろうか、とレウルスは首を傾げる。アメンドーラ男爵領の開拓以外でナタリアからコルラードへの指示が必要な案件を脳裏に思い浮かべるものの、レウルスとしてはピンとくるものがなかった。
「手紙にはあなたが準男爵になった件、それとルヴィリア殿と結婚する件で、その身分に見合った家を新築するか、今あるものを増築するか好きにさせるよう指示を書いてあるけど……本当に領地はいらないの? コルラードの次になるけれど、領地を割譲してそこで村を興しても良いのよ?」
「領地って言われてもなぁ……」
ナタリアの言葉を聞いたレウルスは困ったように頬を掻く。領地を得て一国一城の主に、というのもわからないではないが、レウルスとしては領地を得ても上手く治められる自信がなかった。
宝の持ち腐れという言葉もある。貴重品や金のような物体ならばまだしも、領民は生きているのだ。下手な統治をすれば領民の命に直結しかねない。
「あった方が良いのかもしれないけど、村を興しても運営がね……姐さんやコルラードさんみたいにその辺りの教育を受けたわけでもないし、自分から率先して学んだわけでもないし」
「代官を雇って運営を任せるというのも可能だし、ルヴィリア殿の実家から人を借りることもできるでしょうに」
村を興すということは、そこに住むことになる人々の命や生活を預かるということだ。魔物などの外敵に関しては力になれると思うレウルスだが、村の運営や政治的なやり取りに関しては完全に門外漢である。
わからないのなら学べば良い、あるいはわかる人材を雇えば良いのだろうが、レウルスとしては食指が動く話ではなかった。
「あなたは良くても、あなたに子どもができた時に必要になると思わない? 仮に領地がなくても余程のことを仕出かさない限り準男爵という爵位は受け継がれるし、代を重ねれば男爵にもなれるとは思うけれど、あなたの子どもが戦いに秀でる保証はないわよ?」
「俺に子どもができるかどうかっていう問題があるけど、そう言われるとたしかに……仮にできたとしても、コルラードさんの村の開発の後っていうのなら時間はあるだろ? 保留っていうことにしてもらえると嬉しいんだけど」
ナタリアから将来の話を持ち出され、レウルスはふむ、と少しだけ考えを改める。別に自分が統治しなくとも、他所から統治できる人間を連れてくれば良いというのも道理だと思ったのだ。
「まあ、それもそうね。今日明日にでもすぐさま返事が必要という話でもないわ。でも、頭の片隅には置いていてちょうだい」
「ああ。その辺りはルヴィリアやエリザ達とも相談してみるよ」
自分は良くても、妻になるルヴィリアやエリザ達の考えは違うかもしれない。そう結論付けたレウルスは、まだ時間があることを確認してから今後の課題にしようと思った。
そして、準備が整えばスペランツァの町へ帰還することとなる。
レウルスとしても久しぶりの帰還であり、留守にしている間にどれほど開拓が進んだのかと楽しみにしている部分があった。ただし、純粋に期待に胸を膨らませている余裕はレウルスにはない。
妻になるルヴィリア、更にはコロナも同行しての帰還になるからだ。
(おかしいな……生まれ変わってから一度も痛んだことがないはずの腹が痛い気がする……)
場所は冒険者組合から移動してラヴァル廃棄街の自宅前。“亜龍退治”の報酬として受け取った馬車に荷物を積み込んだレウルスは、なんとはなしに自身の腹をさする。実際に痛みがあるわけではないが、気分的に胃がキリキリと絞られているような感覚があった。
「話には聞いていますけど、実際にはどんなところなんでしょうね。コロナさんもまだ訪れたことがないんですよね?」
「はい、ルヴィリアさ……ん。わたしはスペランツァの町どころか、このラヴァル廃棄街から遠出したこともないので……」
そんなレウルスのすぐ傍では、にこやかな笑みを浮かべるルヴィリアとどこか気まずそうな様子のコロナがいた。コロナはルヴィリアを様付けで呼びそうになったものの、辛うじてそれを堪える。
これから共に過ごす間柄ということもあり、ルヴィリアからの申し出で私的な場では様付けをしてほしくないという要望があったのだ。公的な場ではさすがにそうも言っていられないが、ルヴィリアとしてはコロナと仲良くしたいという思いがあるらしい。
「もう……固いですよコロナさん。公的な場ならともかく、普段はもっと気軽に名前を呼んでほしいです。なんならエリザさん達を呼ぶ時みたいにちゃん付けでも良いんですから」
「い、いえ、さすがにそれは……それを言うならルヴィリアさ、ん……も、わたしを呼ぶときは呼び捨てでも……」
「あはは……家臣の者ならまだしも、それ以外で他の方を呼び捨てで呼んだことがなくて。でも、同い年の方でこれから一緒に過ごしていくんですし、もう少し砕けた方が良いですよね。コロナちゃん、コロナ……うーん、言い慣れませんね。やっぱりコロナさん、でしょうか」
コロナもルヴィリアも互いに探り探り――というにはルヴィリアが押し気味だった。
幸いというべきか、レウルスの目から見てコロナに対するルヴィリアの接し方は好意的である。むしろ、レウルスだけでなくコロナが困惑するほどにぐいぐいと距離を詰めているように見えた。
(コロナちゃんが気を遣わないように振る舞ってくれている……そう考えるには何か違うんだよなぁ。対等の相手というか、どことなくコロナちゃんを上に置いているというか……)
ヴェルグ伯爵家の次女であるルヴィリアと、廃棄街で生まれ育ったコロナ。普通ならば言葉を交わすどころか顔を合わせる機会すら一生ないであろう組み合わせだったが、レウルスが心中で困惑する程度にはルヴィリアの態度が柔らかい。
ヴァルザ準男爵家という括りで見ても、ルヴィリアは当主であるレウルスの正妻になる。それだというのにコロナに対するルヴィリアの態度は立場に見合わないものに思えた。
(俺の前だからそう振る舞っているってわけでもないしなぁ。ルヴィリアが演技しているようにも見えないし)
レウルスはそれとなくルヴィリアの様子を観察するが、本心を隠して演技しているようにも見えない。貴族の腹芸を見抜ける自信はレウルスにはなかったが、曲がりなりにも幾多もの死線を潜り抜けてきた身だ。勘に引っかかるものがなく、レウルスは不思議に思ってしまう。
当然ではあるが、レウルスとしてもコロナとルヴィリアに仲違いをしてほしいわけではない。だが、二人が仲良く――少なくとも“そう在れるように”振る舞っている姿を見ていると、言い様のない感覚がレウルスにはあった。
(俺が間に立って上手いことやるべきなんだろうけど……でも、一夫多妻の場合って正妻が取りまとめるって話もあったような……)
時代や国によって異なるのだろうが、日本でも遥か昔には正妻が側室を統率するような時代があったような、とおぼろげな前世の記憶を探るレウルス。しかしそんなものはあてにならない、とすぐさま思考を改める。
マタロイという国の準男爵として、あるいはこの世界の貴族や王族としてならば特別おかしな話ではないのかもしれないが、レウルス個人としてはコロナ達に負担がかかるのは避けたい。ただし、どう立ち回ればそれを成し得るのかが見えてこないのだ。
そういう点で考えれば、正妻という立場にもかかわらずコロナやエリザ達を受け入れ、極力波風立たないよう振る舞っているルヴィリアにはレウルスも頭が上がらない。
貴族の令嬢として受けた教育がそうさせるのか、あるいはルヴィリア個人の資質か。それでも配慮は必要だろうと思考したレウルスだったが、ルヴィリアと目が合うとパチリとウインクを向けられる。
(……読まれてるな)
表情からか、あるいは仕草からか。レウルスは自身の危惧が読み取られていることを察し、内心だけで苦笑する。
その反応から、コロナへの対応はルヴィリアが意識的に行っているものだと判断した。それが高圧的なものならばルヴィリアと話し合わなければならないが、ルヴィリアには何かしらの意図があるのだろう、とレウルスは考えたのだ。
人それぞれ、家それぞれの在り方がある。レウルスはルヴィリアと相談しつつ、自分なりに家をいうものを、家族というものを作っていくべきだろうと思考した。
レウルスがそんなことを考えていると、聞き慣れた足音が近付いてきたためそちらへ視線を向ける。
「コロナ」
「お父さん……」
そこにいたのはドミニクだった。普段通り、料理店を開く準備をしていたのだろう。普段着に前掛けという姿でコロナをじっと見つめている。
(……おやっさん)
レウルスはそんなドミニクの姿に、何か言葉をかけようと口を開くが上手く声が出ない。口を開いては閉ざし、閉ざしては開くといった仕草を繰り返してからもどかしげに頭を掻く。
前世も含めれば年齢が大差ないドミニクではあるが、レウルスにとっては“この世界”において父親のようにも思える男性だ。
この世界の両親と死別して既に十五年近く経ち、シェナ村での農奴としての生活の影響もあるが両親がどんな顔だったか、どんな言葉を交わしたか。それらが前世の記憶と同様に擦り切れたレウルスにとって、ドミニクと出会ってからの日々は――。
「コロナの顔を見に来たというのに……レウルス、お前の方がそんな顔をしていたら気になるぞ」
「……なんか、変な顔をしてますかね?」
「ああ。親とはぐれた子どものような顔をしているな」
苦笑するようにしてかけられたドミニクの言葉に、レウルスも苦笑しながら右手で自分の顔を隠す。涙が流れるようなことはなかったが、妙に、胸が締め付けられるような感覚があった。
「まったく……これから娘を託すというのに、不安になる顔をするな」
「すみません。どうにも胸にくるものがありまして……」
ドミニクを不安がらせるつもりはない。レウルスが意識して苦笑を浮かべると、それを見たドミニクも苦笑を浮かべてからコロナへ再度視線を向ける。
「まあ、なんだ……こういう形でお前を送り出す日が来たことを喜ぶべき、なんだろうな」
そしてドミニクは僅かに嬉しそうな、それでいて寂しさが多分に混ざった笑みを浮かべた。
「この町の若い衆の誰かにお前を託すことになるだろう、と昔は考えていたが……新興とはいえ準男爵にな……人生とはわからんもんだ。俺から言えるのは……そうだな……」
ドミニクは言葉を探すようにして、僅かに視線を彷徨わせる。
「元気でやれ……あと、可能なら何年かに一度で良い。母さんにも顔を見せに来てやってくれ」
「うん……でも、お母さんの墓参りだけじゃない……お父さんにも会いに来るから……」
そう答えて、コロナが別れを惜しむようにドミニクに抱き着く。ドミニクはそんなコロナの行動に目を見開いたが、やがて柔らかい笑みを浮かべるとコロナの背中を優しく叩いた。
それが、コロナとドミニクにとっての別れの儀式なのか。レウルスとしては、コロナが望むならいつでもラヴァル廃棄街まで連れて行くつもりだった。だが、町の外に出れば魔物や野盗が跋扈するこの世界では、他所の村や町に送り出した子どもと会う機会など早々あるものではない。
それを理解した上でのやり取りに、レウルスは心中にざわつくものを感じる。
(そう考えると、嫁ぐためとはいえ王都からそのまま俺についてきたルヴィリアもすごいんだな……)
冒険者であり、これまで様々な場所を歩き廻ってきたレウルスには実感するのが難しい話だった。しかし眼前のコロナとドミニクの姿を見ていると、レウルスもこの世界における遠く離れた者と再会できるのがどれだけ貴重な機会か痛感する。
アメンドーラ男爵領の開拓が順調に進み、ラヴァル廃棄街の住民を受け入れる環境が整えばドミニクもスペランツァの町に来るだろう。しかし今この時、今回の別れが今生の別れになる可能性もゼロではないのだ。
スペランツァの町にラヴァル廃棄街の住民全員を受け入れられるのは、一体何年後になるか。四十歳を超えてこの世界においては老境の域に入りつつあるドミニクがそれまで元気でいられるか。
これまでの生活で理解していたことを、レウルスは自らの体験として強く実感する。
「おやっさん……その……」
だからこそ、レウルスは何か言葉をかけようとした。しかし上手く言葉が見つからず、視線をさまよわせる。
そんなレウルスの様子に何を思ったのか。ドミニクは再度苦笑を浮かべると、コロナの背中を叩きながらレウルスをじっと見た。
「お前も元気でやれ。変なものを食べず、娘の料理をしっかりと食え。立場上仕方ないだろうが、あまり無茶はするな……いいな? 馬鹿息子」
「……はい」
レウルスはしっかりと頷く。すると、ドミニクは最後におどけるように口の端を吊り上げて笑った。
「それと、コロナを泣かせてみろ。その時はうちの店は一生出入り禁止だ」
「もちろん泣かせる気はありませんが……さすがおやっさん。俺にとって最強の脅し文句ですね」
そりゃあ困る、と笑って返すレウルス。コロナの料理も美味いが、ドミニクの料理はレウルスにとって美味い上に“家庭の味”なのだ。
コロナを泣かすつもりはなかったが、よりいっそう注意しなければなるまい、とレウルスは思う。
「……よかった」
そして、そんなレウルス達の姿を眺めながら、ルヴィリアはぽつりと呟くのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、評価ポイントやお気に入り登録をいただきましてありがとうございます。
拙作、『世知辛異世界転生記』のコミカライズ版の3巻が明日(2/1)発売となります。
活動報告も更新していますので、ご興味のある方はそちらも見ていただけると嬉しく思います。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




